
2097. インターン先のオフィスから
朝の九時に自宅を出発した時、外の気温は0度であった。出発前に温かいコーヒーを飲んでいたためか、外に出た時にあまり寒さを感じなかった。 気温が0度とマイナス1度は随分と異なる体感を与えるのだということを昨年知った。今朝の気温は0度であったから、マイナス1度の時のようなあの張り詰めた寒さを感じることはなかったのだろう。 自宅を出発して、少し早足で30分ほど歩き、今日から始まる研究インターンのオフィスに到着した。場所は、普段私が足を運んでいる社会科学キャンパスではなく、ザーニクキャンパスと呼ばれる場所である。 今日から始まるインターンは、基本的に月曜日と金曜日の週に二日ほど働くことになっている。勤務時間は自分で決めることができ、一応私は九時半から夕方の五時半まで勤務しようと思っている。 ザーニクキャンパスに到着し、まず私は、研究に専念できるようにジャン・ディエナム博士が手はずを整えてくださった自分のオフィスに向かった。今日はインターン初日であるから、アシスタントのアニケのオフィスに立ち寄り、部屋の鍵をもらった。 今日からインターン終了までこの鍵を預かり

2096. 連日連夜の夢
先週の五日間に引き続き、結局今朝方も印象に残るような夢を見ていた。夢の中で私は、小中学校時代の友人三人と、東京から博多に向かう新幹線に乗ろうとしていた。 私は新幹線の駅に早めに到着し、三人を待っていた。しばらくすると、二人の友人が顔を見せた。 そこで少しばかり立ち話をしていたが、いつまでたっても、もう一人の友人が姿を見せない。私はすでに新幹線の指定席の切符を購入しており、乗車予定の新幹線はすでに駅構内にいた。 私:「そろそろ出発の時間が近づいてるんだけどなぁ」 友人A:「そうだね、でもまだCが来てないからなぁ」 そのような会話を一人の友人と行っていると、ようやく最後の友人が姿を現した。その時の時刻は、新幹線の出発の三分前だった。 友人C:「ごめん、待たせたね!」 私:「今からだったらまだ間に合うかもしれない。走ろう!」 私はそのように述べ、友人三人と走って新幹線が待つプラットフォームに向かった。ちょうど私たちが新幹線の前に到着した瞬間、その新幹線はドアを静かに閉め、ゆっくりと出発してしまった。 私たちは出発した新幹線の背中をその場で呆然と眺めてい

2095. インターン開始の朝より
今朝は六時に起床した。今日から二つのことが始まる。一つ目は、今日から来週の月曜日まで晴れの日が続くということ。そして二つ目は、研究インターンがいよいよ始まるということだ。 今日は起床と同時にシャワーを浴び、心身を早めに目覚めさせた。インターンを行うオフィスは、自宅から歩いて30分弱かかる。 近くの河川敷のサイクリングロードを歩き続けるとそこに到着する。ものを考えながら歩いていると30分というのは本当にあっという間である。 今日から天気が良いことを考えると、オフィスまでの通勤は早朝の散歩として非常にふさわしく、この散歩がまた心身を整えてくれることにつながるだろう。インターンのスーパーバイザーであるジャン・ディエナム博士から、勤務時間については私が決めて良いと言われている。 基本的に月曜日と金曜日にオフィスで研究することにし、フローニンゲン大学のMOOCチームのリーダーを務めているトム・スピッツ氏に先日送ってもらったりストを確認しながら、各種重要なミーティングに参加する予定である。 今日が勤務初日であるから、まずは自分のオフィスを少しばかり整えること

2094. 国際ジャン・ピアジェ学会での発表決定
今日は雪は降らないと思っていたが、昼食を一口食べ始めた時に突然雪が降り始めた。昨日のように激しく雪が舞っている。 雪の舞う景色を眺めながら昼食を摂り、全て食べ終わる頃には雪は止んでいた。通り雨ならぬ、通り雪なるものがフローニンゲンの街を通り過ぎていった。 早朝は清々しい青空を眺めることができたのだが、雪が降って以降はうっすらとした雲が空全体を覆っている。心を弾ませるような天気では決してなく、どことなく気持ちを静かにさせ、エネルギーを内側に沈めていくような天気だ。 そんな天気の中、昼食を摂り終えた私はメールを確認した。すると、今年の五月末から六月にかけて、アムステルダムで三日間開催される国際ジャン・ピアジェ学会の担当者から連絡があった。 メールの一行目を読むと、学会での発表が受理されたというお祝いの文章が記載されていた。この文言を読んだ途端、自然と喜びが込み上げてきた。 学会発表に応募し、それが受理されるというのはとても小さなことかもしれないが、今の私にとっては自分の研究成果を他の経験豊富な研究者の前で発表できることほど有り難い機会はない。 昨年の

2093. 変奏曲
今日は早朝からバルトークの作品だけを聴いている。一方で、昨日はモーツァルトが残したピアノ変奏曲をずっと聴いていた。 「変奏曲」という存在は前から気になっており、それについて改めて昨日調べていた。バッハの変奏曲はとても有名であり、これまで何度も聞いていたのであるが、モーツァルトとベートーヴェンが残した変奏曲はそれほど繰り返し聴いてこなかったことに気づいた。 現在私は、基本的に毎日作曲実践の時間を設け、内的現象を毎日一つ曲として残すことにしている。しかし、当然その日の他の仕事との兼ね合いから、十分に作曲実践に時間を充てることができず、毎日一曲作れないことがあるのも確かである。 そうした状況にあっても、何かしら毎日一つ曲を残し、その日に自分がこの世界に存在していたという記録を残すためにはどうしたらいいかを考えていた。そこで浮上したのが、変奏曲を作っていくということである。 仮に一日の中で、新たな曲をゼロから作ることが難しければ、過去に作った曲を基にして変奏曲を作っていくのはどうか、と思ったのである。もちろん、変奏曲を作る際には、これまで自分が試したこと

2092. 気づきの意識と自己の基底
ここ最近のことなのだが、毎日が新たに始まることが不思議でしょうがない。さらには、再び自分として一日が始まることが不思議で仕方ないのである。 そのような感覚に見舞われたことはないだろうか。朝目が覚めた瞬間に、再び自分が自分として活動をし始めることの不思議さ。 夢を見ない深い眠りの意識の中で、今この瞬間に自分が自分だと思っていたその自分はどこにいたのだろうか。私たちの内側にはこの自分のさらに深い場所にいる自己の存在があるはずなのだが、なかなかそれに気づくことは難しい。 いつか私はそれを「自己の基底」というような言葉で表現していたように思う。今この瞬間に自分が自分だと思っている存在は、確かに自分なのだが、それは自己の一側面でしかなく、自己の基底とはかけ離れた存在である。 気づきの意識によって気づける自己の向こう側にいる自己に気づく必要がある、というのもまたおかしな話である。究極的には、この気づきの意識さえ溶解させなければならない。 何かに気づく自分を滅却した時に初めて、自己の基底が顔を覗かせる。本来は、私たちが何かに気づいているこの瞬間にも、常にすでに

2091. ほとばしるエネルギーと秋からの研究について
爽快な青空が姿を現し始めた。時刻は日曜日の午前九時半に近づいている。 今日はいつもよりゆったりと起床し、七時前に起きた。実は昨夜に少し調べ物をしていた関係上、三十分以上遅くの就寝となり、目覚めの質について懸念があったが、そんな懸念が嘘であるかのように心身の状態がいい。 実際のところ、昨日は十分な睡眠を取っていたはずなのに早朝の時間帯はどうも心身の調子がパッとしなかった。私はそれを吹雪のせいにしようとしていたが、果たして昨日の朝の心身の状態はなんだったのだろうかと今になって思う。 いずれにせよ、今朝は何か自分の内側で弾けたものがあったかのように、みなぎるものを感じることができる。今日はこのほとばしるエネルギーの中で一日の活動を行っていきたい。 昨日の段階で、この秋から所属予定の米国の大学院で行う研究に関する計画書のドラフトをほぼ書き上げた。残すところは、具体的にどの教授とどのような形で協働をしていくかという箇所である。 昨年の年末の段階ですでに協働依頼を何人かの教授に行っており、一緒に研究を進めたいと思う全ての教授から好意的な回答を得られた。主には

2090. 一歩一歩の歩み
今朝はとても穏やかな天気である。昨日とは異なり、今日は雪が降ることはないようだ。 確かに最低気温はマイナスであり、外気は冷たいことは間違いないが、どこか昨日よりも穏やかな印象を放っている。それはおそらく、遠くの空に晴れ間が見えるからかもしれない。 先ほど天気予報を確認して驚いたが、来週は一週間を通じて晴れの日が続くようだ。晴れマークが七つ連続して並ぶことなどここ最近は一切なく、というよりも、フローニンゲンの街でそのようなことは年間を通してもほとんどないと思われる。 ちょうど明日からフローニンゲン大学のMOOCチームと共に研究を行うインターンが始まるため、来週の天気が良いことは幸先の良いスタートを暗示しているように思える。 明日は早朝からマイナスの世界を歩いてオフィスに向かうことになるが、その足取りはきっと晴れやかなものになるだろう。そして、その一歩は今後の自分に向けた確かな一歩になるはずだ。 昨日、改めて一歩一歩の歩みの重要性について思いを巡らせていた。とにかく毎日一つ一つの仕事を積み重ねていくのである。 人に見られていようが見られていまいが関係

2089. 天気の状態特性
今日は夕食前に全ての仕事を終えることができた。研究に向けての文献調査をし、秋からの研究に関する計画書のドラフトも八割型完成させることができた。 この計画書に関しては、明日最後の項目の部分に関する文章を執筆しようと思う。明日にドラフトを完成させてからしばらく寝かせ、最後に何度か読み返す形で最終稿としたい。 今朝は朝から雪が激しく降り、地面は真っ白な雪で覆われていた。しかし、昼食前には雪がピタリと止み、午後からも雪が降ることはなかった。 そのおかげもあり、今はすっかり地面の雪は溶け、辺りは再び雪が降る前の姿に戻っている。ただし、明日からもマイナスの世界であることに変わりはなく、寒さは予断を許さない。 それにしても今日のように激しい雪が降ったかと思いきや、再び雪の降らない穏やかな天気に戻る姿を見るにつけ、天候の移り変わりの激しさを改めて知る。天気というのは状態であると実感する。 天気は段階特性を持たず、その変化は常にかりそめのものである。その点において、天気は意識の状態と似ており、意識の段階とは別物だと言えるだろう。 昼食時に食卓の窓から外を眺めていた

2088. 壮麗な雪景色
起床直後から雪がパラパラと舞っていたのだが、突然雪が激しく降り始めた。私はしばらく書斎の窓のそばに立ち、雪の降る様子を静かに眺めていた。 雪が積もり始めた地上を眺めるだけではなく、雪が舞い落ちてくる空の方も仰ぎ見た。一粒一粒の白い雪が次から次へと地上に落ちてくる。 その光景は静かな陶酔感を引き起こし、私はぼんやりと天から舞い落ちる雪だけを眺めていた。天から地上に降り注ぐ雪は溶けずに積もり始めている。 一方で、雪を眺める私の自我は溶けてしまいそうであった。実際に、私の意識は不思議な瞑想状態に入り、雪が舞う光景に潜む意識の変容作用を体験する当事者となった。 天気予報の通り、今日からしばらくマイナスの世界が続くようだ。来週の月曜日から研究インターンが始まり、歩いて30分ほどのザーニクキャンパスのオフィスで勤務することになっている。 月曜日に自宅を出発する時間帯はマイナス1度という予報が出ており、久しぶりにマイナスの気温の世界を歩くことになる。今日は雪景色を眺めながら日々のなすべき事柄、すなわち自分のライフワークの一端を着実に前に進めていこうと思う。 あ