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2087. 膨大なパターンの構築物

徐々に夜が明けてきた。その証拠に、ダークブルーの空が少しずつライトブルーに変わり始めている。 今天気予報を確認してみると、今日はもしかすると一日のどこかで雪が降るかもしれないそうだ。行きつけのチーズ屋の店主と週末に少しばかり話をしていたように、明日からは再びぐっと冷え込む。 特に水曜日は、最高気温でさえマイナス4度を示している。三月に入ろうかというのに寒さは逆戻りしたようだ。 今日はインターンで行っている研究には一切手をつけない。昨日、プログラミング言語のRをいじりだすと、結局数時間もそれに没頭している自分がいた。 明日にインターンがあるのだから、今日は一旦研究から離れ、探索的に自分の関心の赴くままに読書をしたり、作曲実践に時間を充てたいと思う。今日の読書は、ネットワーク科学に関する専門書を中心に進んでいくだろう。 仮に十分な時間があれば、システム科学に関する専門書にも目を通したい。二つの科学領域の知識は、焦ることなく徐々に獲得していき、構築された知識体系を元に実際の研究や企業との協働プロジェクトにそれを活用していきたいと思う。 作曲については、毎日行っているように、今日も曲を少なくとも一つ作る。とにかく、ここから三、四年程度は、過去の作曲家に範を求める形で修練が進んでいくだろう。 おそらく、最低でも1000曲の模倣が必要だと思う。過去の作曲家の曲を参照しながら1000曲を作った時、そこで何かしらのことが見え始めるだろう。 そこからようやく自分の曲というものの姿が浮かび上がってくるような気がしている。とにかく今日も、過去の作曲家の曲を参照しながら、一つか二つの曲を作っていく。

2086. ダークブルーの空と日曜日の朝

今朝は六時前に起床し、六時半から本日の活動を開始した。昨日と同じのようであり、確かに異なる今日という日。 今日は日曜日であるが、平日そして昨日と変わらずに、自分のライフワークの一つ一つを前に進めていこうと思う。昨日はプログラミング言語Rのコードを満足のいくレベルで書くことができた。 金曜日にインターン先のオフィスから帰ってくる最中の落胆振りとは打って変わり、その翌日にコード上の問題を速やかに解決し、研究がぐっと前進したことは大変喜ばしい。Rのスキルが退行をしていたことは、まさに能力の成長の本質を示している。 私たちの能力は、絶えず停滞と退行を繰り返しながら、実践を通じて徐々に高度なものに変容を遂げていく。個別のスキルのみならず、研究全体を俯瞰的に眺めてみると、今回のように分析作業でつまずいていたことからも、研究自体も停滞と退行という運動を行っていることがわかる。 一つのスキルを取ってみても、一つの研究を取ってみても、それは上下に運動を続ける生命体のようである。そうした上下動を伴いながらも、内省の伴った実践を継続させていけば、その運動は螺旋階段を登るように徐々に高度なものになっていくだろう。 一つのスキル、一つの研究の発達過程は、本当に一人の人間の発達過程に他ならない。こうしたことを知っているがゆえに、私は一つのスキル、一つの研究が持つ意義と尊さを強く実感するのだろう。 今日は午前中に、来週の木曜日にオンラインで参加させていただく講演の打ち合わせを行う。それが今朝の最初の仕事になるだろう。 対外的な仕事としてそれが今日の初めにあり、自分のライフワークである日記の執筆と作曲について

2085. Rコードの完成

夕方のフローニンゲンの空はとても美しい。特に、この季節の夕方のフローニンゲンの空は、複数の色が薄いグラデーションを生み出している。 手前の空は成層圏を映し出すかのような薄い青色を帯びており、遠くの空へ向かっていくに応じて少しずつ赤みを増す。私はこの時間の夕焼け空が本当に好きなようで、先ほども書斎の窓越しからぼんやりと空を眺めていた。 一切の雲がなく、空にあるのは空のみなのだ。広大な空がどこまでも遠くへ広がっている。 今日は午前中に、米国の大学院へ客員研究員としての応募をするための書類を完成させた。最後に残っていたのは、研究計画書であり、結局細かな点をいくつも修正することになった。 最後に出来上がったのは納得のいく計画書であり、この研究を実際のその大学で行えたらと思う。仮にその大学院に受け入れられたら、計画書に明記している三人の教授に師事しようと思う。 一人は音楽学科、もう一人は統計学科、そしてもう一人は教育学科に在籍している教授である。 彼らからは年末年始にかけてメールの返信を受け、仮に私が客員研究員としてその大学に所属することになれば、研究に協力してくれることになった。是非とも彼らとの協働研究が現実のものになればと思う。 昼食後にもう一度全ての提出書類を見直し、応募書類の提出を済ませた。あとは結果を待つのみである。 結果は遅くとも六月までにわかるそうだ。ちょうどその時期は、アムステルダムで開催される国際ジャン・ピアジェ学会に参加している頃かもしれない。 結果がどのようであったとしても、それを受け入れ、また次の活動につなげていきたいと思う。 午後からは、結局インターンで行ってい

2084. 四年振りの米国生活へ向けて

早朝、薄い虹色の空がフローニンゲンの上空に広がっていた。空を見ながら、地底から地上へ、天上へという上昇の運動と、天上から地上へ、地底へという下降の運動について思いを馳せていた。 今日もこの世界での歩みを進めていこうと思う。朝食がてら果物を食卓に取りに行き、それを持って食卓の窓から外を眺めていた。 すると、小鳥が目の前の裸の木に止まっていた。その小鳥をじっと観察してみると、その小鳥は随分と小刻みに頭を四方八方に動かしていることがわかった。 周りの世界を随分と警戒しているようだ。何かを警戒し、何かを恐れているがゆえの多動というものがあるのかもしれない。 午前中の仕事に取り掛かる前に、断片的に様々なことを考えていた。誰かについていこうとすることと誰かについてきてもらうようにすることの難しさ。 前者は従属という意味であれば、人間は比較的容易に他者に従属をする。しかし、他者に寄り添うという意味でのそれであるならば、それは意外と難しい。 一方、誰かを隷属させる形で率いていくことはそれほど難しくないだろうが、他者が自律的に動きながらも自らについてきてもらうように他者を導いていくことは容易ではない。そのようなことをぼんやり考えていた。 今日はこれから集中して、客員研究員の応募のための研究計画書を最終稿に仕上げていく。二週間ほど寝かせた文章であるため、まずは全体を最初から読み返し、細かな文言の修正を行っていく。 よほどのことがない限り、無駄な文章を付け加える必要はないだろう。研究計画書は簡潔でなければならない旨の記載が募集事項の説明の中にあった。 再び米国の地に戻り、そこで研究生活を始めることに

2083. 土曜日の朝に

ここ最近は研究計画書を書く機会が少々多い。今日も一つ書きかけの研究計画書を仕上げる必要がある。 それは、今年の秋から所属予定の米国の大学院に提出するためのものである。その大学院に受け入れてもらえるかはまだ一切わからず、現在は応募段階である。 応募の締め切りが来週に迫っており、今日は応募書類の最後のピースである研究計画書を最終稿としたい。それ以外の書類は全て揃っており、全てオンライン上の出願ページにアップロードしてある。 あとはこの研究計画書を最終版にするだけである。振り返ってみると、最初のドラフトは年末に日本に一時帰国する際の移動の時に書き上げていた。それから何度か推敲を重ねている。 一応最終ドラフトが仕上がったのは二週間ほど前であり、そこから今日まで文章を寝かせていた。当初の計画通り、この二日間の休日を使って最終確認を行い、研究計画書を含めた全ての応募書類を提出したい。 それがこの休日にやるべき最も重要なことだ。 昨日のプログラミングの件を通じて、プログラミング技術の習得にせよ、作曲技術の習得にせよ、決して焦ってはならず、着実に実践を日々重ねていくことが重要であると改めて思った。 プログラミングに関しては、ここ最近は触れる機会がそれほど多くなく、前々学期に履修していたコースでRを用いていたぐらいであろうか。そうしたこともあり、実践間隔が空いてしまい、その結果としてプログラミングの感覚を衰えさせてしまったのだろう。 過度に実践し過ぎることもなく、また過度に実践間隔を空けるのでもなく、適度な休息を挟みながらも継続的に実践に従事することの難しさを思う。本日の最優先課題は、客員研究員

2082. 異物的存在

今朝は五時過ぎに起床し、五時半から今日の活動を開始した。今日から土日である。 昨日から一夜明け、随分と心の平静が取り戻されたように思う。昨日、研究の際に用いるプログラミングコードが思っていたほどに書けず、少々落胆と憤りを感じていた。 睡眠を挟むことによって、就寝中にあれこれと整理されたようである。しかし、今朝方の夢の中では、昨日の憤りの感情が影響してか、少々暴力的な夢を見た。 元ポルトガル代表の名サッカー選手が代表チームの監督ともめ、フィールド内で殴り合いを始めた。その選手がゴールを決めた後、ゴール裏でその殴り合いは始まった。 私はコートを俯瞰する形でその様子を眺めていた。かつてのポルトガル代表の英雄は、ゴール後のパフォーマンスのためにゴール裏に行き、そこで監督がその選手に何かを指示しているようだった。 最初その選手は監督の意見に耳を傾けており、その後で自分の見解を述べているようだった。すると、監督が突然にその選手の左の横腹を殴った。 その選手は地面に倒れ込み、激しく身もだえしている。状況がよく掴めなかったのだが、なぜか監督も地面に倒れこんでおり、苦しそうに体を左右に揺すっている。 そうした中でも、その監督はまだその選手に指示を与えている。それは命令と言った方が正確かもしれない。 ポルトガル代表の元英雄は仰向けになって、左の横腹を押さえていた。監督のしつこい命令にしびれを切らしたのか、その選手は監督の顔の上を通り越す形で地面に向かって唾を吐きかけた。 そんな夢の場面を覚えている。その後、私は夜中に一度嘔吐のような症状に見舞われた。 これは胃の内容物を外に出すような嘔吐ではない。

2081. ヴィンセントとハンス

今日の自らの有り様に少々反省をしなければならない。Rのプログラミングコードが思ったほど書けなかったことが一体なんだというのだろうか。 オフィスを去り、河川敷のサイクリングロードを歩いている最中のあの悔しがりようは一体なんだろうか。自分はどこか純朴過ぎるのではないだろうか。 Rのプログラミングコードが思ったほど書けなかったことに対して、なぜ私はあそこまで悔しさを感じていたのだろうか。サイクリングロードを歩きながら、自分がまだ「悔しさ」という感情を持ちうるということに少々驚いた。 悔しさの感情が芽生えた背景には、小さな自我への固執が必ずあるだろう。自我のどういった側面に自分は囚われていたのだろうか。 それがわからないということ、まだそうしたことを探さなければならない場所に自分がいることに少々落胆する。仮に自我への固執地点の探究そのものが自我がこしらえた罠だとしても、私はあえてその罠の中に飛び込む形で自我の策略を暴きたいと思う。 今朝、自分が独我論を超えて、真に誰かと共に生きていくことは可能だろうか?ということを考えていた。この主題は、欧州での生活が一日一日と過ぎ行く中で、より存在感を増す。 自分の認識世界には他者が必ず存在しているはずであり、私の日々は他者なくしては成り立たない。しかし、どこかそうした他者と共に歩んでいるという実感が湧かない時があるのも確かなのだ。 そういう時は大抵、自分の存在すらも明滅している。早朝に考えていたのは、真に他者と共に生きることの困難性のみならず、それと同時に、真に孤独のうちに生きることの困難性であった。 自らの存在は他者と完全に共有される形で存在して

2080. R能力の退行

今日は研究インターンの六日目であった。結論から述べると、今日の研究は全くもって進まなかった。 その最大の原因は、午前中の三時間を研究以外の個人的な問題の対応に割かざるをえなかったことだろう。またそれに加えて、Rのプログラミング言語を思っていた以上に忘れていたことも重大な要因である。 オフィスから自宅に帰る最中に、Rのコードを思っていた以上に書けなかった自分に対して憤りを感じていた。何をそこまで悔しがる必要があるのかと思う自分もいたのだが、プログラミングコードが書けなかった自分を随分と攻撃するような思考や感情が自分のうちに芽生えていた。 オフィスから少し走って身体を動かせば、そうした悔しさも晴れるだろうかと思って試してみたのだが、一向に効き目がなかった。オフィスからの帰り道、河川敷のサイクリングロードを歩いている最中、つまずいたコードの箇所の解決策をなんとか頭からひねり出そうとしていた。 そもそもRに関するエキスパートではないのだから、無い知識をいくらこねくり回そうが良い解決策など思いつくはずもなかった。自分の右足の太ももを叩いたり、手袋をはめた両手をパンパンと打ち鳴らしてみたのだが、そうした身体動作も当然ながら一向に効き目がない。 天を仰ぎ見たり、遠方の夕暮れ時の空を眺めたりもしてみたのだが、それらも何らの効果がなかった。独り言をぶつぶつ言ったり、奇妙な動作をしながらサイクリングロードを進んでいたためか、ランニング中の人とすれ違った時、その人は私を見て何やら微笑んでいた。 午前中に時間を無駄にし、昼食後から巻き返しを図ろうとしたのだが、Rの能力に関する退行現象が起きており、巻き

2079. 満天の星空を眺める夢

研究インターンも六日目が過ぎていることに改めて気付く。週に二回、インターン先のオフィスに勤務しているため、今日をもって第三週目が終わることになる。 今回のインターンは規定では七週間ほどのものであるから、すでに半分近く過ぎたことになる。今のところ研究は計画取りに進んでいる。 焦る必要はないのだが、ここからはデータ分析に集中し、計画よりも少し前倒しで分析を行い、分析結果のレポートと関係当事者への報告資料を作成する時間的ゆとりをもたせたいと思う。 今朝方の夢の内容が少しばかり脳裏に残っている。夢の中で、友人が手術を受けたと私に打ち明けた。 手術後の部位を私に見せてくれたのだが、そもそもその手術をする意味はどこにあったのか、手術後にその部位に痛みや違和感はないかどうかを私は質問していた。友人曰く、そこに痛みや違和感などは特にないが、手術を受けたことは気まぐれだったと言う。 その話を聞いたのは、一軒家のような小さな病院の中でだった。病院の待合室は食卓のある場所であり、そこには別の友人の姿が見えた。 そこで彼は机に向かってなにやら勉強をしていた。何を勉強しているのかと尋ねると、医師になるための勉強だと微笑みながら述べた。 彼の勉強の邪魔をしてはならないと思い、私はその場を離れ、別の部屋に向かった。そこもまた食卓のある空間が広がっており、そこには大学時代の友人が二人ほどいた。 二人は何やら酒を飲みながらご飯を食べている。二人に近づいて、彼らと久しぶりに少しばかり話をすることにした。 二人とも大学一年次の第二外国語のクラスが同じであり、顔見知りである。二人のうちの一人は、ロースクール修了後、司

2078. インターン六日目の朝に

今日は五時半に起床し、六時過ぎに一日の活動を開始した。今日はインターンの六日目となる。 天気予報を確認すると、今日はオフィスへの行き来の際にはどちらもマイナスの気温のようだ。月曜日の五日目のインターンの日、私は研究オフィスに向かう際に、新たな一日が何か大きな海の一雫のように尊いもののように感じられた。 今日もまた同じような気持ちを持っている。新たな一日が一滴の雫であり、同時にその一滴は大海そのものに他ならない。 外は相変わらず真っ暗闇に包まれているが、私の気持ちは穏やかでいて、どこか光のようなものを感じる。欧州で生活を始めた一昨年とは闇への印象もその受け取り方も違う。 これもおそらく、一昨年から今日にかけて、日々を大海の一滴として生きてきたことによる結果なのかもしれない。 今日はオフィスに到着したら、まずは一階に降りてコーヒーを購入しようと思う。今週の月曜日は、とにかくデータの整理に朝一番で取り掛かろうと意気込んでいたため、コーヒーを購入することもせず、自分のオフィスに到着してすぐに作業に取り掛かっていた。 そのおかげもあってデータ整理はひと段落が着いたので、今日は早朝にコーヒーを購入するゆとりがある。今借りているオフィスの建物の一階には、質の高いコーヒーを購入することができる場所がある。 自分でコーヒー豆と香りを選択し、一日に二回ほどMサイズのものを買う習慣がある——正確にはそういう習慣を自ら意識的に作った。早朝にコーヒーを購入し、オフィスに戻ったら、早速プログラミング言語のRを用いてコードを書いていく。 毎日作曲をする際に創造の喜びを感じられるのと同様に、プログラミングコー

2077. 表現の困難性と論文執筆についての再考

昨日、表現の困難性について考えていた。それは学術論文の執筆しかり、作曲しかりだ。 自分は何を表現したいのか、何を伝えようとしているのかを見出すこともさることながら、それらが仮に見つかったとしても、それらをどのように表現するかもまた難しい。 昨日、友人のハーメンとカフェで会話をしているとき、ハーメンは博士課程の進学をあまり検討していないようだった。フローニンゲン大学の博士課程に進学する場合、それは大学から研究者として雇われることに他ならず、給料をもらいながら論文を執筆することが何よりも重要な仕事とされる。 ハーメンが指摘するように、一本の論文を査読付きジャーナルに載せるまでには多大な時間と労力を要する。論文を執筆するだけであるならば、文章を書くことが苦ではない研究者の場合、一本の論文を書き上げることにはさほど時間はかからないだろう。 ただし、査読付きジャーナルで掲載してもらうためには、レビューアーによる査読があり、彼らからのフィードバックを元に論文を再度加筆修正し、場合によってはその往復が何度か続く場合もあり、さらには修正をした論文が必ずしもジャーナルに掲載されない場合もある。 そのようなことを考えると、科学論文をジャーナルに掲載するためには多大な労力を要することがわかる。また、苦労をして書き上げた論文がひとたびジャーナルに掲載されたとしても、現在の論文ジャーナルのほとんどは一般の実務家には無料でアクセスできないようになっており、結局読み手はごく少数の研究者だけとなることがほとんどである。 例えば、教育研究の論文を書き上げ、本来は教育の実務家に向けて書いたはずのインプリケーション

2076. カフェテリアでのミーティングより

裸の木に小鳥が止まり、しばらく休んでから再び飛び立った。遠くの空が薄赤く夕日に照らされている。 今日も一日がゆっくりと終わりに近づいている。今日は氷点下の世界が続き、普段は暖かい部屋の中にいても寒さを感じるほどであった。 しかし、そうした寒さの厳しい世界の中にあって、自分の内側には自己が落ち着ける確かな立脚点があることに気づく。 今日は午前中から午後にかけて、組織の精神病理に関する専門書を読み進めていた。12章あるうちの4章を読み終えてみると、当然ながら組織開発の支援に向けて有益な考え方がいくつかあったが、まだ大きく唸ってしまうほどの気づきはない。 今のところ、本書の文章が外面的な記述に留まっていることが、深い気づきをこちらにもたらさない要因になっているのかもしれない。ある現象を外面的に記述するだけでは不十分であることをつくづく感じる。 組織の精神病理を扱う場合、どのような要因とメカニズムでそれが生じているのかを単に外面的に説明するだけでは、あまりこちらに伝わってくるものが少ないように思える。著者自身が組織の精神病理に介入した際に得られた独自の観点や考えを文章の中に盛り込んで欲しいと期待してしまう。 今週中に本書を全て読み終えるつもりでいるため、残りの章で少しでもそうした記述に出会えることを願う。 今日は午後の三時から、大学のカフェテリアに行き、一人の生徒とミーティングを行った。彼はスコットランドからの留学生であり、元英語の教師をしており、現在はフローニンゲン大学の心理学の学士課程に在籍している。 なにやら私が昨年に修了したプログラムと現在私が所属しているプログラムのどちらかへ

2075. 今日の活動に向けて

現在の気温はマイナス4度。昨日行きつけのチーズ屋に立ち寄った時、店主が来週からまた寒さが厳しくなると述べていたことを思い出す。 ここしばらく晴れの日がずっと続いており、来週からも晴れの日が続くことは喜ばしい。だが、三月を迎えようとしているにもかかわらず、どうやらまた厳しい寒さが戻ってくるようだ。 天気予報を確認すると、確かに来週は最高気温ですらマイナスの日が続く。書斎の窓から外を眺めると、雪は一切降っていないのだが、車の屋根が白くなっているのが見える。 雪は一切降ることなく、ただ気温がマイナスなだけの世界がこれから少し続くようだ。そうした外気の低さもあってか、少しばかり部屋が寒かった。暖房の設定を少し調節し、今日の活動を開始させた。 今の自分の生活リズムで最も望ましいのは、五時か六時の間に起床することのようだ。そうした時間に起床し、そこから活動を開始させると、午前中の間に随分と多くのことができる。 今日も六時前に起床したため、一日の始まりがとてもスムーズである気がしている。 今日は午前中に一件ほど日本企業との協働プロジェクトの仕事が入っている。昨日は他の企業の担当者の方々と打ち合わせをしたが、お互いが世界のどこにいようとも、オンライン上で仕事を一緒にすることができるというのは本当に便利である。 以前の日記の中で、テクノロジーの進歩に劣後する集合意識の発達について書き留めていたが、このように世界のどこにいても日本企業と協働できるというのはテクノロジーがもたらす恩恵の一つだろう。 午前中にその仕事を終えたらば、そこからはいくつかの書籍を読み進めていきたい。昨日、オットー・ランクの“

2074. 強烈な光に包まれる体験:サトルボディの不思議さ

今朝方の夢の中で不思議な体験をした。これまで何度か体験したことがあるのだが、夢の中の身体が強烈な光に包まれるという体験である。 夢の中の私は、今の自宅と同じような寝室のベッドの上に横になっていた。すると突然、足先から頭のてっぺんにかけて光が上昇し、身体全体が強烈な光に包まれたのである。 とりわけその光は、頭の部分で強く知覚された。白く薄黄色の光が特に頭の部分を包み込んでいた。 そこからさらに不思議な体験は続いた。夢の中の身体が光に包まれた後、肩甲骨の左側の背中の一箇所を強く押す力を感じた。 それは誰かが背中のその場所のツボを押し込むような感覚であり、それはしばらくの時間続いた。背中の一箇所を押し込む不思議な力に気付いていると、その箇所は心臓の裏側であることにふと気づいた。 背中の一箇所から心臓にかけて向かう力。今から考えると、それは背中の外から背中の一点に向かい、そして心臓を貫く形で生じていた力なのではないかと思う。 力の正体とその目的が何なのかはわからないが、背中の一点を押す力が収まった後、背中のその箇所が楽になっているような気がした。ただし、夢の中で身体が光に包まれている最中、それよりも奇妙な体験をその他にもした。 まず一つは、全身が光に包まれ、背中の一点を押す力が生じ始めた時、その力が背中の中に入っていくに応じて、少女の悲痛な声がどこからか聞こえてきた。それは何か助けを求めているような声だった。 その少女の声は私の耳に入り、さらにそれは背中を押す力の中にも混入した形で自分の身体に向かってきた。名の知らぬ少女の苦痛な声は一体どこから聞こえてきて、一体何を私に伝えようとしてい

2073. 研究計画書に対する評価

今日は友人のハーメンと共に、キャンパス内のカフェテリアでランチミーティングをした。お互いのインターンシップの進捗状況や修士論文の執筆状況についてまずは確認し合った。 ハーメンは、フローニンゲンの街にあるかなり大きな出版社にインターンをしているそうだ。その出版社は教育系の書籍や教材に定評があり、オランダ国内では有名らしい。 規模も600人程度いるとのことであるからかなり大きな出版社である。ハーメンは週に三日ほどそこで勤務しているらしく、期間も六月までとかなり長い。 私は週に二日勤務し、しかも三月末までと比較的短いインターンであるため、ハーメンが所属するプログラムで要求されるインターンの内容と少しばかり異なるのかもしれない。 ハーメンに卒業後の進路について以前に尋ねた時はまだ未定とのことであったが、今はどうやらその出版社で職を得られればとのことである。そうした意味で、このインターン期間中の働きぶりは彼にとって重要になるだろう。 ハーメンと昼食を摂りながら様々な話をする中で、非常に些細なことだが様々な発見があった。一つ目は、予てから気になっていた二人の研究アドバイザーであるツショル教授の国籍についてであった。 ハーメンもやはり正確にはわかっていないらしく、ただし、ツショル教授の英語の発音からドイツ人だろうとのことだった。ツショル教授は米国で六年ほど生活をしていたためか、ドイツ人らしさをほとんど感じない。それは諸々の意味において。 もう一つの発見は、ハーメンはあまりにも大柄であるため、身長を聞いてみると、「2m近くあるね」という返答があった。190cmを越しているのはわかっていたが、ま

2072.「デジタルラーニングと学習環境」の第三回目のクラス

午後三時を迎える頃、大学キャンパスから自宅に戻ってきた。今日は早朝にある企業とのオンラインミーティングがあり、その後すぐに自宅を出発し、研究アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授の講義に参加した。 今日はいつもに比べてツショル教授のエネルギーが落ちているように見受けられたが、クラスの後半からはいつものように独特の活気を放ち始めた。今日のクラスのトピックは主に、「分散知性 (distributed intelligence)」「状況的認知(situated cognitition)」「アフォーダンス」「ユーザー体験デザイン」についてであった。 前者二つの英単語が日本語でそのように翻訳されているとは今日この瞬間に知ったのであるが、それらの概念は認知的発達に関する文献を過去に自ら読み進んでいる中で何度も出会ってきていたものである。 しかし、今日改めてツショル教授の講義を聞いているといくつか疑問点が湧いてきたため、その瞬間に自分で考えを深められそうにないものについてクラスの中で質問した。私は特に講師を困らせようと思って質問をしているわけではないのだが、事前知識がある領域に関する私の質問は教授にとっても答えにくいものが多いようだ。 ツショル教授と私の専門としている分野は当然異なるが、重なる部分もあり、その重なる部分に立脚する形で質問を投げかけているつもりだったのだが、ツショル教授は私の質問に対して笑みを交えながら唸り、しばらく沈黙があった後に考えを述べ始めた。 今日のクラス内でそのようなやり取りがあった。これは欧米の大学院に四年間ほどいて気付いたことなのだが、こちらから教授に何かを質問し

2071. 時系列データ分析による予測とシミレーション

昨日は普段よりも作曲実践の時間を減らし、その代わりに二冊の学術書を読み進めていた。どちらも現在の、そして将来の自分の研究に関係している専門書である。 一冊は“Introductory Time Series with R (2009)”という書籍であり、もう一冊は“A Use’s Guid to Netwok Analysis in R (2015)”という書籍だ。前者は、まさに今私が行っている研究に活用できるものであり、Rを用いて時系列データ分析を行う方法について紹介している。 一方後者は、将来の自分の研究につながるものになるだろうという位置付けをしている。こちらの書籍な、Rを用いてネットワーク分析を行っていく方法について解説をしている。 これらの二冊は完全に研究者向けの専門書であり、両方の書籍を一日中食い入るように読み続け、どちらも共に読みきった自分の姿を見ていると、やはり科学研究に依然として強く惹かれるものを自分が感じているのだとわかる。 非常に贅沢な悩みかもしれないが、作曲をすることと科学研究を行うことの充実感が等しいために、時にどちらにどれだけの時間を割くかに頭を悩ませることがある。実際には、片方の実践をしている時はもう片方の実践など全く念頭にない。 そうした悩みが出るのは大抵どちらの実践にも従事していない食事中や外出中の時である。昨日はまさに、作曲実践があることを忘れるぐらいに、研究の方に没頭していた。 ふと気づけば夜の九時を迎えており、そこから作曲実践を少々行ったが、先ほどまでの研究が気になり、再び研究関係の文献を読んでいた。 昨日は上記の二冊以外にも、システム科

2070. 今朝方の夢と今日の活動

どこの国籍かは不明だが、英語がネイティブであろう一人の男性が、波止場で一人の女性に結婚の申し出をしている場面に夢の中で出くわした。 どうやらそれは現実の結婚申し出ではなく、ドラマか何かの撮影らしい。一度目の撮影が終わった後、女性は男性に向かって、「あなたの顔、怖いわよ」と笑いながら述べていた。 男性の演技はどうやら鬼気迫るものがあったらしく、結婚の申し出の瞬間の彼の顔を見ると、確かにおっかない表情をしていた。 今朝方の夢には、その他にも大切だと思われる場面があったことを覚えている。しかし、それは身体感覚的に覚えているだけであって、言語化できるほどの記憶の鮮明度はない。 昨日の朝方に見ていた夢も同様だったように思う。 今日はいつもより遅く起床し、七時を過ぎてから一日の活動を開始させた。今日は午前中に、「デジタルラーニングと学習環境」のコースの第三回目のクラスに参加する。 その後、このコースのグループ課題を一緒に取り組んでいる友人のハーメンとランチミーティングを行う。ハーメンと私は、コースの課題グループが同じだけではなく、現在取り掛かっている研究に関しても同じアドバイザーを持っている。 そのため、前の学期は頻繁に、アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授とハーメンと私とで、学内のカフェで研究のミーティングを行っていた。今学期からはどうやらツショル教授との個別ミーティングとなるようだ。 前の学期までは、研究計画書の執筆や研究の進め方など一般的な指導を受けたが、研究計画書が提出され、これから本格的に研究が始まる段階を迎えてみると、研究の個別性ゆえに一対一のミーティングの方が良いとツショル

2069. 時の顔

先ほど夕食を摂り終え、これからRを用いたネットワーク分析に関する専門書を読み進める。本書は夏あたりに購入していたものだと思うが、ようやく落ち着いて読む時間を持てた。 ネットワーク分析を発達研究に活用することはもう少し先のことになるかもしれないが、ネットワーク科学、とりわけネットワーク分析の手法に関しては強い関心があり、時に居ても立ってもいられなくなり、ふと専門書に手が伸びてしまう。 これはシステム科学におけるシステム分析に関しても同じである。昨日、インターン先のオフィスにいる時、ネットワーク科学とシステム科学への関心の強さから、それぞれの領域に対して一つずつ博士号を取得してもいいのではないかと思っていた。 前者に関しては、ハンガリーのブダペストにある大学が非常に優れた博士プログラムを持っており、後者に関しては米国のポートランドにある大学が魅力的な博士プログラムを持っている。何年かかっても良いので、それぞれの領域で一つずつ博士号を取得したいという強い衝動に駆られていた。 そうした思いにさせているのは、両分野が持つ豊穣な概念体系と数々の分析手法の存在だろう。両分野の概念と分析手法は、この現代社会の様々な領域、私が携わる領域で言えば企業社会や教育の世界の問題の解決に対して極めて大きな力を持つものだと考えている。 ネットワーク科学とシステム科学の中にある特殊なモデリング技術は特に私の関心を強く引きつけている。それらの分野を博士課程に行って学ぶという意思は今後も常に持ち続けていたいと思う。 昨日のインターン先のオフィスでは、ずっとスメタナのピアノ曲をかけていた。その前の時はハイドンのピア

2068. 今日の振り返り

今日も気付けば日が暮れて、一日が終わりに差し掛かっている。午前中に日本企業との協働プロジェクトに関するミーティングを行い、午後からは共著で執筆中の書籍の原稿を読み返していた。 また、以前リクルートマネジメントソリューションズさんの企画である大人の学びプロジェクト(通称「オトマナ」プロジェクト)で中竹竜二さんと対談をさせていただいた時の対談原稿に修正を加えることを行っていた。 そうしたことを行いながら、自分の研究を前に進めるために、時系列データ分析に関する“Introductory time series with R (2009)”という専門書を最初から最後まで一読した。本書で掲載されている数多くの数式に圧倒されることはなく、むしろ解説文が充実していたためか、各章を食い入るように読み進めることができた。 本書で掲載されている手法のいくつかは、早速金曜日のインターンの際に活用しようと思う。本書を読みながら気づいたが、自らの感情が動かされる書籍や論文を読んでいくことがいかに大事かということである。 学習とは感情が動かされることによって初めて実現されるものなのではないか、ということを思う。学びというものがある段階から次の段階に向かっていく運動であるならば、その運動を推進するのは学び手の感情なのではないだろうか。 とにかく私は、自分の感情が動かされない書籍や論文を読まないようにする。そうしたものに目を通すことは、自らの感情が動かされないがゆえに、死物と化した学びだと思う。 この点と密接に関係して、著者の実存性が感じられる書物や論文を中心に読んでいくことも大切になるだろう。文献の中に著者

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