
2087. 就寝前に
今朝方起床した時に、今日は土曜日ではなくまだ平日のような気がしていた。平日でも休日でも基本的に私のやることや生活リズムはほとんど変わらないのだが、今朝は仕事をする必要性に対する意識が強く働いていた。 ただし、それはプレッシャーのような強いものではなく、自分の中で仕事に対する意識がいつも以上に顕在化していたということである。 現在は他者の成長支援に直接関わる仕事にも従事しているため、支援者側の心身の状態がいかに充実したものであるかは重要になるだろう。その辺りを肝に銘じながら日々の生活を送っていく。 昨夜は就寝前に、個と他者との関係性、そして個と普遍性との関係性について考えていた。ベッドの上で仰向けになっていると、それらのテーマについての考えが自然と浮かんできた。 一人の人間が自らの内面世界をどこまでも深く探求し、開拓をしていった先にはどのような領野が開かれるのか、そしてそこではどのような光景を目にするのか、ということに自らの関心が向かっていることがわかる。 その関心は以前から強くあったものだが、昨夜もその関心が自己の内側に強く根ざされていることがわ

2086. 秋からの研究に向けて
昨日は仕事の関係上、あまり文章を書き留めておく時間がなかった。というよりも、私がそうした時間を意識的に作ろうとしなかったのかもしれない。 いずれにせよ、普段よりも日記を執筆する量が少なかったことは確かである。また、以前に仮説として持っていたように、内面現象を言葉として形にする量が少ないと、どうやら次の日の朝にその影響が現れるという関係性が見えてきた。 文章執筆を通じた心身の整理を行わなければ、どうも次の朝の目覚めがすっきりしない。今朝はそのような形で目覚めた。 今日は土曜日であるから、自分のなすべき事柄をゆっくりと進めていくことにしたい。来週から開始する研究プロジェクトに加えて、今年の秋から米国の大学院で始めようと思っている研究の計画書を執筆する必要がある。 それは年末に一度簡単なドラフトを作っていたのだが、今日と明日にかけてそのドラフトを練り直したいと思う。年末から今日にかけての一ヶ月の間に、研究の内容が少しばかり変更になった。 秋からもMOOCに関する研究を継続させる予定だが、そのコンテンツとしては音楽に関するものを扱いたい。そしてこの研究を

2085. 協働プロジェクトより
今日も日が完全に落ち、平日最後の金曜日も終わりに近づきつつある。今日も今朝から日本企業との協働プロジェクトの仕事を進めていた。 この日記では当然ながら込み入った話はできないが、発達科学の知見を活用した人財開発プログラムの開発やコンサルティング業務、そして実証的教育学の知見を活用する形で、トレーニングの効果測定に関する分析やコンサルティング業務などを行うことが多い。 企業社会を含め、様々な領域に身を置くことを通じて、やはり企業社会の独自性とその領域ならではの発達の形——発達の速度も含む——があることに改めて気付かされる。現在は企業との協働を通じて、そのあたりについて自分なりに問題意識を持って探究を深めている最中である。 学術的な観点では今後はより芸術と人間発達に焦点を当てていくことになるだろうが、実務的な観点では企業社会と人間発達についてより一層探究を深めていこうと思う。この現代社会において、企業社会の占める割合とその影響力の大きさから考えると、それを無視することは私にはできない。 企業社会と人間発達については、様々な協働者の方たちと仕事を進めてい

2084. 三つの夢
今日は金曜日。今週最後の平日が新たに始まった。 今日は昼の前後の数時間ほど雨に見舞われるようであるが、それ以外の時間帯は曇りのようだ。明日からはいよいよマイナスの気温の世界に入る。 明日からは雨が降ることはなさそうなのだが、最高気温は軒並み1度ほどであり、最低気温はマイナスとなっている。ここしばらく、あの張り詰めたマイナスの世界の空気と雰囲気を経験することはなかったので、明日からの天気は少しばかり新鮮に感じられるだろう。 結局今週の全ての平日において印象に残る夢を見た。今朝も記憶に残るような夢を見ていた。 今朝方の夢にはいくつか印象に残っている箇所があるが、最も印象に残っているのは、日本の実家にいる愛犬が小さんてんとう虫となり、雌のてんとう虫を連れて天へ昇っていく姿である。 小さなてんとう虫となった愛犬には意思があり、知性があった。その証拠に、小さな葉っぱを天へ行くための乗り物とし、雌のてんとう虫を別の葉っぱの上に乗せ、相手の乗り物をリードする形で天へ昇っていく光景を見た。 私が感銘を受けたのは、雌のてんとう虫を気遣いながら優しく乗り物を運んでい

2083. 時間感覚の変容
今日は少しばかり時間感覚がいつも以上に変容していたような一日だった。確かに一日を今終えようとしているのだが、何か三日間ぐらいの時を過ごしたように思う。 時間としてはあっという間に過ぎ去ったといういつもながらの感覚が身を包んでいながらも、その感覚の芯にあるものが、どこかいつもより濃厚な感じがするのである。 その濃厚さが、一日を三日のように感じさせる時間感覚の変容の核にある。時間は本当に伸び縮みするらしい。 先ほど浴槽に浸かりながら、またしても今後の生活拠点についてぼんやりと考えている自分がいた。やはり二年間以上同じ場所に住む自分というものがまだ想像できず、もう少し年齢を重ねるとその辺りの感覚も変わってくるのだろうか。 実は、意識的な自己である私自身は、生活環境の変化による刺激を求めることはない。むしろ新たな刺激を極力減らし、淡々と毎日を過ごしていくことを好む傾向さえある。 それはまさに起床時間や就寝時間、食事や一日の行動内容と行動リズムのそれに全て現れている。だがどうしても、生活拠点だけは少なくとも数年に一回はこの世界を転々とする形で変えている。

2082. 夢の続き:奇妙な文章表現と人間の生活空間
八時を迎える頃になり、辺りはようやく明るくなり始めた。私は相変わらず、今朝方の夢と向き合っている。 いやむしろ、そこに向かわせる何かが夢の中にあると言った方が正しいだろう。それと向き合わなければ前に進ませてくれない確かなものが夢の中にある。そんな気がしている。 そういえば、四枚のテレフォンカードから始まったあの夢の続きがあったことを思い出した。続きと言ってももちろん場面も内容もガラリと変わるものである。 夢はどうやら穏やかな転調をするというよりも、激しい転調を好む傾向にあるのかもしれない。自分の夢の場合は特にそうだ。 続きの夢として現れていたのは、女性の友人の結婚相談を受けるものである。その友人は私の友人と結婚することに決めていたのだが、どうやらその話は立ち消えたらしい。 男性の友人の方が結婚を突然断ったそうなのだ。彼女の自宅は豪邸であり、その豪邸の一室で彼女の話を聞いていた。 女性の友人:「ちょっと、これ見てくれる?彼からこんなメールが届いたのよ」 そう彼女が述べ、私はそのメールの文章を眺めた。メールの文章を読もうとするために画面をスクロールす

2081. あの夢について
今朝もまた、昨日に引き続き雨模様である。昨日は本当に雨も風も強く、外出の際には随分と手こずらさられる一日だった。 七年前にボストンで購入した折り畳み傘が壊れてしまい、昨日フローニンゲンの街の中心にあるデパートで新しいものを購入した。この日の出来事とこの新しい傘は一つの記憶の中に仕舞われることになるだろう。 先ほど、今朝方見ていた夢について再び回想していた。ここ四日間連続して印象に残る夢を見ている。 夢の印象度合いと起床時の爽快さにはあまり相関関係を見出せないが、今朝の目覚めは大変良かった。六時に起床し、身体を少しばかり目覚めさせたところで一日の活動を始めた。 今朝方に見ていた夢は、今思い返してみても温かい気持ちを誘う。「1993年夏」というのは、実際には東京から山口県に引っ越しをした翌年の夏だと思う。 確か私は1992年の春に山口県に引っ越しをしているはずであるし、夢の中に出てきたA君という人物を私は知らない。私が感動していたのは、実際に存在する具体的な人物との間に育まれていた友情に対してではなく、一人の人間と別の人間が生み出す友情の本質、すなわ

2080.「1993年夏」
私の元に一通の封筒が届けられた。差出人は父からであった。 「父から?」と私は不思議に思いながら、その封筒を開けた。すると中から四枚のテレフォンカードが出てきた。 「テレフォンカード?一体これはなんだろう?」と私はさらに疑問に思った。しかし、父は昔会社員をしながら絵を描いていた頃、その絵がテレフォンカードになったことがある。 そこには家族三人が可愛らしいハリネズミの親子になった様子が描かれており、気球に乗りながら星のきらめく夜空を親子三人で眺めているような絵だったように記憶している。そうした背景があったため、私は受け取った四枚のテレフォンカードもまた父の絵か何かだろうと思った。 スマホがこれだけ発達した現代において、テレフォンカードを使う場所はもはやほとんどないのだが、この四枚のテレフォンカードには使用価値では測れない、より尊い価値があるように思えた。 私は四枚全てのテレフォンカードに目を通してみた。すると、どれも油絵のような形で絵が描かれていた。 私がこれまで見てきた父の画風とどうも違う。四枚のうちの一枚を手に取り、それをよくよく眺めてみると、そ

2079. ポスタープレゼンテーションの振り返り
ポスタープレゼンテーションを終えた後、その場で得られたフィードバックや質問を振り返りながらフローニンゲンの街を歩いていた。 それらのうちとりわけ重要なものはメモとして書き留めており、そのメモの内容を頭の中で反芻しながら、ここからどのように研究をさらに発展させていこうかと考えを巡らせていた。 やはり自分の研究のためか、一つ一つのコメントや質問に対して、必ず自分なりの考えというものがあり、それをこちらから述べることによってやり取りが充実したものになっていくということを経験していた。 確かにコメントや質問の中には、その場ですぐに明確な回答を述べることのできないものも含まれていたが、大抵はその場で何かすぐにこちらの考えが生まれてくる。 これはおそらくどの研究者にも当てはまるのだろうが、それぞれの研究者は自分の研究領域については説明責任を有しており、一人の個人が行なう研究というのは非常にユニークなものであるがゆえに、研究者はおそらく自分の研究テーマについて一番詳しく知っている者と言えるだろう。 当然、自分の研究テーマの中にも、個別の分析手法を取り上げてみれ

2078. 祭りの後:ポスタープレゼンテーションの終了
先ほど無事にポスタープレゼンテーションを終えた。ポスタープレゼンテーションとはこんなにも面白く、こんなにも有益なものだとは思ってもみなかった。 私はこれまで自分の研究を発表するときや、学術の世界のみならず企業社会で何かプレゼンテーションをする際は常にパワーポイントを用いてきた。 これまで参加した学会を振り返ってみると、必ずどの学会にもポスタープレゼンテーションというものが行われていたが、私はあまりにそれに関心を払ってこなかったし、その意義を無検証な思い込みに基づいて幾分過小評価していたように思う。 しかし、今回ある意味強制的にポスタープレゼンテーションをする場を与えられ、実際にそれを行ってみると、非常に意義のあるものだということがわかった。例えば、学会の場において、パワーポントを用いたプレゼンを多くの聴衆にする場合、大抵の聴衆は黙っており、質問をするのは数人程度だろう。 端的に述べると、学会の場におけるパワーポイントを用いたプレゼンテーションは、どうしてもインタラクティブな要素が削ぎ落とされてしまっているのである。これは何も30分を超すような長め