発達理論の学び舎

 Blogではオランダでの探究・創作生活の様子を日々共有しています

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    【お知らせ】Back Number Vol 152-162(記事3021-3240)

    【お知らせ】Back Number Vol 152-162(記事3021-3240)

    いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事3021から3240に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードは下記よりご自由に行えます。 ・Blog Back Number
    3747. ゆっくり接すること:スマートコントラクトの普及を祈って

    3747. ゆっくり接すること:スマートコントラクトの普及を祈って

    時刻は午後の八時を迎えた。これからゆっくりと、一日を締め括る活動に従事していきたい。具体的には、本日最後の作曲実践をし、その後時間があれば、いくつか気になる作曲家の楽譜を眺めたい。 昨日の日記で書き留めていたように、絵画作品を眺めるかのように楽譜を眺めていく。あえて分析的な視点で眺めてみたり、あえてぼんやりと楽譜を眺めてみたりする。 以前、ハーバード大学教育大学院で教鞭をとっているシャリー・ティシュマン教授の“Slow Looking: The Art and Practice of Learning Through Observation (2018)”を読んで学んだように、対象とゆっくりと接するような実践を意識する。それは絵画作品や楽譜のみならず、他の諸々の事柄にも当てはまるだろう。 また、そもそも対象とゆっくり接するための時間的・精神的ゆとりというものも日々の生活の中に確保しておくことが大切となる。本来は、それを確保するというよりも、四六時中ゆとりを持っておくことが、自らの固有の人生を真に深く生きていくことにおいては不可欠である。 ただし、
    3746. 固有の観点と盲点:前超の虚偽

    3746. 固有の観点と盲点:前超の虚偽

    天気予報の通り、今日の天気はすこぶる良い。晴天に恵まれた今日は、どこか祭に出かけていくような気持ちにさせてくれる。 冬の優しい太陽の光が地上に降り注いでいる。そうした太陽の光を、昼食前にスーパーに足を運んだ際に存分に浴びることができた。 明後日もまた天気が良いようなので、行きつけのチーズ屋に足を運ぶことが楽しみだ。今日は午前中に、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングを行った。また一つ意義のあるプロジェクトが動き出したことを有り難く思う。 今年の夏から私は生活拠点を変えようと思っており、その前後は少し慌しくなるかもしれない。また、秋から再び大学院に通うことになると、大学院での探究に時間を充てていく必要がどうしても出てくる。そうしたことを考慮に入れて、来季にどれだけ協働プロジェクトを引き受けるかを判断していきたいと思う。 今日のミーティングを通じて思ったが、固有の観点があるということは、同時にそれは固有の盲点があることを意味する。何かしらの協働プロジェクトに関与させていただく際には、こちらの固有の観点を基にプロジェクトを前に進めていくことが
    3745. 自分にとって最適な就寝時間

    3745. 自分にとって最適な就寝時間

    時刻は午前七時に近づいている。昨夜は就寝前に、シャブリエとバルトークの楽譜を眺めながらリラックスをしていた。 優れた楽譜を眺めることは、絵画鑑賞と同じような作用を心身にもたらしていることがわかる。そこには、小さな治癒と変容の作用がある。 一日の最後に楽譜を眺めるというのは習慣にしてもいいかもしれない。確かに、他の時間にも休憩がてら楽譜を眺めることができれば理想だが、日中はついついその他の仕事に取りかかってしまうことが多い。 そうしたことからも、とりあえず今は、就寝前にくつろぎながら楽譜を眺めることにしたいと思う。ここ最近は、九時半を過ぎたあたりから就寝に向けての準備を始め、十時には就寝するようにしている。 これまでよりも15分から20分ほど早く床に入るような日々が続いており、これもまた日々の心身の状態を整えているように思う。確かに、10:15や10:20から床に入るのも十分に早いのかもしれないが、それよりも少し就寝時間を早めると、目覚めた時の調子がなお一層良いものになっていることがわかる。 おそらく自分にとっての最良の就寝時間は、十時なのだと思う
    3744. 小川に沈んでいく二人の友人

    3744. 小川に沈んでいく二人の友人

    また新たな一日が静かに始まった。時刻は午前六時半を回ったところである。 今日の最高気温は4度、最低気温はマイナス2度とのことであり、それほど厳しい寒さではない。また、一日を通して今日は晴れのようであるから、昼食前に散歩がてら近所のスーパーに立ち寄りたいと思う。 太陽の光を浴びれる時には、できるだけそれを享受するようにしたい。 いつもと同じように、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、とても穏やかな雰囲気を持つ村にいた。そこには小川が流れており、小川の道には美しい草花が咲いていた。 私は、そこはどこか天国のような場所だと思った。どうやら私は、小旅行としてこの場所を訪れているようだった。 見ると、私の横には、小中高を通じて付き合いのある友人が一人いた。彼と小川の道を歩きながら少しばかり話をしていると、お互いにふざけあい、私は彼を小川の方に向かって押してみた。 それはふざけて小川に突き落とすほどの勢いであり、案の定、彼は小川に落ちた。その小川は浅そうに見えていたのだが、なんと、彼はみるみるうちに小川の底へと沈んでいってしまった。 それを見
    【お知らせ】Back Number Vol 149-151(記事2961-3020)

    【お知らせ】Back Number Vol 149-151(記事2961-3020)

    いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事2961から3020に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードは下記よりご自由に行えます。 ・Blog Back Number
    3743. 奉仕と霊性の具現化へ向けて

    3743. 奉仕と霊性の具現化へ向けて

    時刻は午後の七時半を過ぎた。穏やかなさざ波の音が聞こえてくるような一日が終わりに近づいている。明日も今日のような日であることを願う。 振り返ってみると、今日もまた充実感で溢れるような一日であった。日々をこうした流れの中で過ごしていこう。それが自分の人生を歩むことであり、自己が人生と完全に一体化していることを示している。 今日も読むこと、書くこと、作ることで彩られた一日だった。それらの活動は、この世界への奉仕であるとみなすことができる。いつからかそのように思うようになった。 もはやそれらの活動に私心が挟まれる余地はなく、無私の状態でそれらの活動を営むことができている。だからこそ、これほどまでに日々が充実感で満たされているのだ。 自分がなす探究活動と創造活動は、奉仕活動と同義となった。何かに仕え、何かのために仕えていくこと。それをこれからも続けていく。 今日はこれから、一日を締め括る作曲実践を行いたい。過去の日記の編集が順調に進んでいるのと同様に、作曲実践も毎日継続して行なわれている。 本日最後の作曲実践が終われば、今夜は様々な楽譜を眺めることにした
    3742. 神聖なものを呼び覚ます教会旋法

    3742. 神聖なものを呼び覚ます教会旋法

    時刻は午前10時を迎えようとしている。まだ雨や雪が降っておらず、辺りはとても静かだ。 灰色の雲が空全体を追っているが、それほど不気味な雲ではない。天気予報では、もうそろそろ雨か雪が降ってくるとのことであるが、それが当たるのか外れるのかを確認することが楽しみだ。 裸の街路樹が、冬の風に揺れている。そういえばここ数日間は、街路樹に意識を向けることはあまりなかったように思う。 目の前の裸の街路樹が再び青々と茂る日が来るまで、私はまたゆっくりと歩いていこうと思う。今目の前には存在していないはずの新緑の姿が想像できることに改めて驚く。人間の想像力は計り知れないものがある。 さらには、あのような輝かしい緑をつける生命力が、今目の前に見えている裸の木に存在していることも驚くに価する。このリアリティにおいて、私たちの目に見えていることなどほんのわずかであり、無数の事柄が私たちの目には見えない形で存在している。そうした目には見えないものを、想像力を働かせて見つめようと試みることを忘れてはならない。 今日は午前中に、協働者の方とのオンラインミーティングがあった。ミー
    3741. 夢の続きと創造的狂気

    3741. 夢の続きと創造的狂気

    今一日分のコーヒーを入れ始めた。先ほど、今朝方の夢について書き留めてみたところ、思っていた以上に夢を書き出すことができた。 書き出す前は、あまり夢について覚えていないと思っていたのだが、書くことが何らかの刺激となり、随分と夢について書き出すことができた。 書くことには、想起力が含まれるのかもしれない。つまり、書くことは、私たちの内側を刺激し、眠っていた事柄を外側に表出する力を持っているのかもしれないということだ。 そういえば、先ほど書き留めた以外にも、何人かの友人と、開放的なレストランでランチを共にしていたことを思い出した。私たちが店に入った時は、ちょうど昼食どきであり、店内が混んでいた。 だが幸いにも、ちょうど人数分の席が空いていた。ただし、その席だと全員が顔を合わせて話をすることが難しく、少々不便に思っていた。 するとすぐに、近くの団体客がいなくなり、私たちは彼らが使っていた席に移動することにした。そこで会話を楽しむというような夢を見ていたことを思い出す。 やはり、書くことは、私たちに自己発見を促すようだ。書かれるまで姿を見せないものが私たち
    3740. 今朝方の夢

    3740. 今朝方の夢

    今朝は五時半前に起床し、六時を迎えるあたりに一日の活動を始めた。今日から新たな週が始まった。 午前六時を迎えた現在は、辺りは闇と静寂さに包まれている。今朝は雨が降っておらず、気温もそれほど低くはない。今日の最高気温は4度、最低気温はマイナス1度とのことである。 午前10時から昼過ぎまで雨ないしは雪が降るようだが、それ以外の時間帯は曇りとなりそうだ。 いつもと同じように、夢の振り返りをまず行っておきたい。今朝方は色々と夢を見ていたはずなのだが、どの夢もそれほど覚えていない。書きながら夢を思い出すことを期待したい。 夢の中で私は、ある女性の知人の方の自宅にいた。その方の自宅は、なぜだかとても狭く感じられ、間取りに関して言えば、私が大学時代に住んでいた部屋に似ている。 知人の方の自宅には私以外にも何人か人がいたのだが、私は彼らとは面識がなかった。その場にいた全員と和気藹々と話をしていたところ、私は急にトイレに行きたくなった。そのため、知人の方にトイレの場所を聞き、トイレに向かった。 トイレのドアを開けると、そこには、妙に右側の壁に寄った便器があった。私
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