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3746. 固有の観点と盲点:前超の虚偽


天気予報の通り、今日の天気はすこぶる良い。晴天に恵まれた今日は、どこか祭に出かけていくような気持ちにさせてくれる。

冬の優しい太陽の光が地上に降り注いでいる。そうした太陽の光を、昼食前にスーパーに足を運んだ際に存分に浴びることができた。

明後日もまた天気が良いようなので、行きつけのチーズ屋に足を運ぶことが楽しみだ。今日は午前中に、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングを行った。また一つ意義のあるプロジェクトが動き出したことを有り難く思う。

今年の夏から私は生活拠点を変えようと思っており、その前後は少し慌しくなるかもしれない。また、秋から再び大学院に通うことになると、大学院での探究に時間を充てていく必要がどうしても出てくる。そうしたことを考慮に入れて、来季にどれだけ協働プロジェクトを引き受けるかを判断していきたいと思う。

今日のミーティングを通じて思ったが、固有の観点があるということは、同時にそれは固有の盲点があることを意味する。何かしらの協働プロジェクトに関与させていただく際には、こちらの固有の観点を基にプロジェクトを前に進めていくことが必然的に多くなるが、自分の観点に潜む盲点に対しても絶えず意識を持っておく必要があると改めて感じる。

今回は、複数の関係者の方々と協働させていただくことになっており、それが功を奏して、自分の盲点に気づかされるような体験を本日した。様々な関係者と協働することの意義の一つは、まさにこの点にあるだろう。

お互いの観点を場に提供し合い、それらの盲点に意識を当てながら、観点をより洗練されたものにしていく。こうしたことは、協働を進めていく上で非常に基礎的なことでありながらも、極めて大切なことだと改めて思う。

ミーティングが終わり、スーパーから帰ってきて昼食を摂っている最中に、インテグラル理論における基礎的な概念である「前超の虚偽」についてぼんやりと考えていた。ふと、幼児の落書きと後期のピカソの絵を混同してしまうことは、前超の虚偽という概念を分かりやすく伝える例だと思った。

後期のピカソの絵を、無価値な落書きのようなものだとみなしてしまうことは、超越的なものを低次なものだとみなしてしまうことであり、幼児の落書きをピカソの絵のように高度な芸術性が体現されたものだとみなしてしまうことはその逆である。

これは笑い話のように聞こえるかもしれず、二つの絵を混同するはずはないと思いがちかもしれないが、実は私たちは至る所で、形を変えてこの種の前超の虚偽に陥っている。そうした例は枚挙にいとまがないため、ここでは具体的な例を挙げることをあえてしない。

成人発達理論を通じて、高度な次元について学ぶのは良いが、その理解を精緻なものにしていかなければ、低次のものを高次のものだと混同してしまう誤解がより増してしまうだろう。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2019/1/29(火)14:51

No.1625: A Winter Balancing Toy

I’ve recently thought that winter is like a balancing toy to keep balance.

I assume that it might become cold again. Groningen, 11:52, Wednesday, 1/30/2019

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