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2310. 土地勘のない領域の文献の読み方

夕食を摂り終え、これから就寝に向けてもう少し一日の活動を続けていく。今日もここ数日に続いてサン=サーンスの曲をずっと聴いている。 今もなお書斎にはサン=サーンスの音楽が静かに流れている。先ほど夕食前に美学に関する論文を読んでいた。 美学は私の関心領域ではあるが、専門外であるということから、この論文からは随分と考えるきっかけのようなものを得た。就寝前の作曲実践に向けて、もう何本か論文を読んでいく。 ただし、私は改めて、自分は創ることを最優先にしなければならないと思った。日記と作曲という創作行為を何よりも大切な実践とする。 極言すれば、読むことはもう二の次であり、読書は創作行為を補完するという立場を超えてはならない。読書から得るものが相も変わらずに多いことは承知している。 だがそうだとしても、読書が最優先される活動であってはならない。とにかく自ら何かを生み出していくこと。文章を書き、曲を作るということを最優先させていく意思は揺らがないようにしたい。 間接的には、読むことによってこの世界に関与することも可能なのだと思うが、より直接的に文章や曲という形を生み出すことを通じてこの世界に関与していく。何よりもそうした創作実践が大切だ。 先ほど、論文の読み方について改めて考えていた。以前にも論文の読み方について書き留めていたと思う。 今回は以前に書いていたことに加え、また少しばかり新しい観点が生まれた。おそらくこうした観点がもたらされたのは、先ほど読んでいた論文が自分にはあまり土地勘のない領域の文章だったことが影響しているだろう。 とりわけ、土地勘のない領域の論文や書籍は懇切丁寧に文章を読み

2309. 欧州での日々と美学探究へ向けて

夕方からパラパラと小雨が降り始めた。今日もこれから就寝に向かっていき、一日が静かに終わっていく。 一日が始まりから終わりに向かっていく速度というのはこれほどまでに早いものなのだろうか。いや、今日一日を振り返ってみたとき、その速さを一度たりとも感じなかった。 気づけば一日が終わりに差し掛かっていたのであるから、時の流れが遅かったとも早かったとも言えるものではないように思える。気づいたら一日が始まっていて、また気づいたら一日が終わりに迫っていたという感じなのだ。 本当に欧州での毎日はこのような形で過ぎていく。一日が一週間のようにも思えるし、同時に、一日は一瞬であるようにも思える。そんな不思議な時間感覚の中で毎日を過ごしている。 今日は午後の三時あたりに仕事を終え、その後から作曲実践に取り掛かっていた。ベートーヴェンの曲に範を求めながら一曲ほど曲を作った。 昨夜ふと、ここで一旦ベートーヴェンから少しだけ離れ、モーツァルトの曲に範を求めようと思った。実際に昨夜の段階で、書斎のソファーに積み重ねられた書籍の中からモーツァルトの楽譜を取り出し、それを机の横の椅子の上に置いていた。 今日の夜にもう一度作曲実践に時間を充てようと思っており、その際にモーツァルトの曲に範を求めようと思っていたが、その前に先ほど作った曲をアレンジする形で一曲新たに作りたい。 先ほどは長調の曲を作っていたため、それを短調にアレンジする形で新しい曲を生み出したい。先ほど曲を作った時に、工夫の余地のある場所を見つけたため、そのアイデアを活かす形で今夜の作曲を行いたい。 モーツァルトの曲を参考にするのは明日の楽しみにする。

2308. 対話の意義を再度実感しながら

相変わらず今日は冴えない天気なのだが、そうした天気が一切意識に上らないほどに午前中の仕事は充実していた。何を行っていたかというと、あるクライアント企業さんのマネージャーの方々と対話をさせていただいていた。 それは形としては、こちらから提供する「コーチング」と呼ばれるものなのだが、本日の二名の方との対話がどれだけ私にとっても意義があったかは計り知れない。「対話」というものには何か特殊な力があるのだ。 探求的かつ自己開示的な対話には、対話の当事者双方の存在を深めていく力がある。今日もそれを実感していた。 人間発達を骨子にする形で、成長支援プログラムの開発、成長度合いの測定手法の開発など、成長支援を意図したコーチング以外にも多くの観点から日本企業と協働をさせていただいている。それらの全てを私は大切にしているが、今回のプロジェクトを経て、またコーチングの意義を見つめ直すことになった。 同時に、自分のコーチングに関する理解と技量についても再度冷静に見直すことを迫られたように思う。そうした中で、今日の対話の時間のように、貴重かつ尊い時間をクライアントの方と過ごせたことは本当に幸運である。 来季もこうした対話の時間を持てることはどれだけ有り難く、どれだけ自分を支えてくれることか。対話の持つ本質的な力と意義に感銘を受けたため、ここに記しておきたかった。 今日は午後からも、もう一件ほど対話の機会がある。それに向けて昼食後に改めて準備をしたい。 書斎の窓から外を眺めると、裸の街路樹が風に大きく揺られている。どうやら今日は風が強いようだ。 この瞬間には雨は降っていないが、薄い雲が空を覆っており、太陽

2307. 幸福への道と美学探究

今朝は六時過ぎに起床した。先週までは七時近くまで寝ていることが多かったが、昨日から再びいつもの起床リズムに戻ったように思う。 起床してみるとすぐに、雨音が聞こえてきた。天気予報では深夜にのみ雨が降る予定であったが、起床した時はまた雨が降っていた。 改めて先ほど天気予報を確認すると、今日は一日を通じて天気が悪いようだ。今も薄い雨雲が空を覆っている。 起床直後、いつものようにお茶を入れた。ヨギティーの袋を開けると、ティーバッグに付されているタグの文言に目が止まった。 そこには「幸福への道は全てに仕えることである」と書かれていた。これは私が最近思いを巡らせていた事柄と密接に関係している。 この世界からの促しに応じる形でこの世界に仕えていくこと。その実践的な生活に向けてどこか開眼させられたような経験を最近していた。 まさに、その文言が示しているように、全ての存在に仕えることは幸福への道なのだろう。これと関係して、昨夜も就寝前に、先日考えていた縁起への関与について思いを巡らせていた。 自分の日々の営みは、そもそも縁起によって生まれ、自分のなすべきことは絶えず変化する巨大な縁起に働きかけていくことなのだと知る。自覚的に縁起に参画していくことがどれだけ大事なことか。 大袈裟かもしれないが、こうした日記の執筆ですら縁起への参画であるとみなし、それを自覚的に遂行していきたいと思う。日記を執筆することや作曲をすること、そして科学研究に従事することのどれもが、縁起への関与を具現化した実践なのだ。 それらの実践に貴賎はなく、どれも私にとって意義ある実践である。そんな思いが湧いてくると、一日をまた十分に

2306. ロンドンでの学会に向けて

友人のハーメンとのランチミーティングを終えた後、学内の別のカフェテリアで研究アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授とミーティングを行った。研究の進捗に関する話をする前に、今年の六月にロンドンで行われる国際学習科学学会について話をした。 今回提出した論文が無事に採択され、当日の学会で発表する機会を得た。私が第一著者を務めるため、発表をするのは私であり、今回は自分だけが学会に参加するつもりでいたのだが、どうやらツショル教授もこの学会に参加するようだ。 「これまで毎回この学会に参加していた」とツショル教授は述べており、今回は参加を見送ろうかと思っていた矢先、私が発表の機会を得たため、これを機会にこの学会に参加しようと思うに至ったらしい。 もともとツショル教授は、今回の学会の開催場所であるロンドン大学で教育科学に関する博士号を取得している。そのため、ロンドンには知人が多いそうだ。知人への挨拶も兼ねて、ロンドンに足を運ぶことにしたらしい。 実は、私はまだロンドンの街を訪れたことがない。ヒースロー空港には何度か降り立っているが、ロンドンの街を歩いたことはまだ一度もないのだ。 研究の進捗について話す前に、ロンドンの街やロンドン大学について、ツショル教授の話をあれこれと聞いた。ツショル教授の博士課程在籍時のエピソードも含め、随分と多くの面白い話を聞くことができた。 博士課程在籍時の話の流れを受けて、これまで聞けずにいたツショル教授のルーツについて話を伺ってみた。すると、ツショル教授はドイツ人ではなく、オーストリアの出身だったことが判明した。 そして、幼少時代は長い間イタリアで生活をしていたそう

2305. 今日を振り返りながら

就寝に向けての仕事に取り掛かる前に、今日の事柄をもう少し振り返っておきたい。今日は午前中に「デジタルラーニングと学習環境」のコースの実質的に最後のクラスに参加した。 来週は、グループ課題をもとにした受講生からのプレゼンテーションが行われるだけであるため、講義形式のクラスは実質上、今日で最後であった。このコース全体を振り返ってみると、かなり多くの学びを得たように思う。 四月の上旬にワルシャワとブダペストに行く前に、このコースの試験があるため、もう一度コースで取り上げられた論文や講義資料を繰り返し読み直したいと思う。 今日のクラスの中で一つ印象に残っているのは、私たちは現実世界の具体的な事例から多くのことを学ぶが、単にそれをケーススタディとして提示するだけではなく、事例と合わせてメンタルモデルを提示する方が学習効果が高いということである。 個人的に、この調査結果は経験上納得いくものであった。実際の調査は、生物学や物理学の理解度に関するものであり、その時に現実世界の現象を単に事例やアニメーションとして学習者に提示してもそれほど学習効果はなく、それをモデル化した上で提示した方が学習効果が高いことを明らかにしていた。 もちろん、この調査において注意をしなければならないのは、調査対象領域に関する点であり、同時にこの調査がメタアナリシスやシステマティックレビューのような包括的な調査ではない点である。 そうしたことを考慮に入れながらも、とりわけ成人学習においては、錯綜とする現象をモデル化し、そのモデルを通じて現実世界の現象を再解釈していくことは大切になるだろうと思わされた。 複雑な現象を複雑な

2304. あの飛行機雲のように

充実さの中で今日も一日が過ぎて行った。日々が充実していると言う必要のないほどに、毎日が充実感で満たされている。日々は充実感の化身であったのだ。 夕方の五時半を迎えたフローニンゲン。今日は結局一度も雨が降らず、朝一番の天気予報は外れた。 今日は夜から明日の朝にかけて雨が降るようだが、それはチーズ屋の店主が笑いながら述べていたように、心配する必要はない。なぜなら、私たちはその時間に寝ているのだから。 大学からのキャンパスの帰りに行きつけのチーズ屋に立ち寄り、そこで店主の女性といつものように何気ない世間話をしていた。私が「今日の夜から明日の朝にかけて雨が降る」と述べると、店主はすかさず上記のような機転の効いた返答をした。 店主もそれを言いながら笑っていたが、私も笑った。確かに、私たちはその時間帯は眠っているのだ。一体何を心配する必要があるだろう。 今この瞬間のフローニンゲンの空には幾筋もの飛行機雲が姿を見せている。こうした様子は時々見かける。 フローニンゲンの空に浮かぶ飛行機雲を見るたびに私は、次に自分はどこに行くのかと空想を広げる。本当に私は次にどこに行くのだろうか? それは誰にもわからないし、私にもわからない。それでいて、私は間違いなくこれからまた別の場所に行くのだ。 私を含めて、誰にもわからない形で自分の人生が進行していることに改めて驚く。同時に、そうした人生の様子に対して敬虔な気持ちにもなる。 人生において分かっていることなど少ないのではないか。分かっていることと言えば、もしかすると今日の夜に雨が降るか否かぐらいのことでしかなく、チーズ屋の店主が見事に指摘していたように、それ

2303. 深化の原理と自己対峙への恐れ

憐れみ深い日々が自分の中で続いている。慰めと祝福が染み渡るような毎日が今日も過ぎていくのだと思えて仕方ない。 天気予報では昼食時あたりに雨が降るそうなのだが、今はそのようなことを一切感じさせないような空である。空はうっすらと晴れており、雨の予感など微塵もない。 先ほど過去の自分の曲を聴き返していた時、葛飾北斎と横山大観の名前が脳裏に浮かんだ。彼らは一生涯を通じて芸術探究に身を捧げた偉人である。 彼らが高齢になってからもなお一層精進に励み、絶え間ない自己批判をしながら前に進んでいた姿はとても励みになる。学術探究と同様に、芸術探究にも終わりなどないのである。 自己がどこまでも深まりを見せていくのに応じて、学術探究も芸術探究もどこまでも深まっていくのだ。今進めている学術探究も作曲実践も何も焦ることはないのだ。 ただ愚直に着実に、毎日それらの活動に取り組んでいくという継続性が大切になる。一つ一つゆっくりと深めていけばいいのである。 それが深化の原理であろうし、それ以外の形で深められるものはまやかしに過ぎないのだと思う。 数日前から、ここ最近編集が滞っていた過去の日記をまとめ直すということを行っている。気づかないうちに日記の数が2000を超えていたが、今編集に取り掛かっているのは500あたりの記事である。 ちょうどある記事を読み返している時に、その記事の下に執筆された日付が付されていた。この日を境に、私は自分の日記に日付を入れるようになった。 おそらくこの日に自分の中で何かがあったのだろう。自分の日記に日付を刻印しなければならないと思った何かがあったに違いない。 時間はかかると思うが、こ

2302. 今日の過ごし方

今朝は六時過ぎに起床し、六時半頃から一日の活動を開始させた。ここのところ七時近くまで睡眠を取っていたことを考えると、今日はいつもより早い起床となり、ようやくいつも通りの生活リズムに戻ったと言える。 昨夜はそこそこ早く寝たことが功を奏したのかもしれない。起床後、すぐに私の目に飛び込んできたのは、フローニンゲンの街を覆う濃い霧である。 白く濃い霧が外の世界を包んでいた。天気予報を確認すると、今日は昼前に一度雨が降り、夜からまた雨が降るようだ。今日は午前中から夕方にかけて大学キャンパスで過ごす必要があり、その際の移動にはあまり支障がないようである。 今日も昨日に引き続き、サン=サーンスの曲を聴いていこうと思う。ここ数日間は、サン=サーンスの音楽世界の何かに取り憑かれたかのように彼の曲を聴き続けている。おそらく今日もそのような一日になるだろう。 今日は仕事量としては多くないが、幾つかのミーティングを含め、人と話す機会が多い一日になる。まずは、昼食前に行われる「デジタルラーニングと学習環境」のコースの最後のクラスに参加する。 早いもので今日が最後となるこのコースからは随分と多くのことを学んだ。実質的には来週またクラスがあるのだが、その時は受講生からのプレゼンテーションのみとなる。 今日のクラスが終わると、同じくこのコースを履修している友人のハーメンと共に学内のカフェに行き、そこでランチミーティングを行う。お互いのインターンの進捗状況を話し合いながら昼食を摂り、その後、このコースのグループ課題について話し合う。 私の考えとして、グループ課題の論文の編集作業を全て私の方で担い、来週のプレゼン

2301. 輝くフローニンゲンの夜空

夕食後、フローニンゲンの夜空の美しさに思わず息を飲んだ。時刻は七時を過ぎた頃であり、ちょうど夕日が最後の輝きを振り絞っている。その輝きがフローニンゲンの空を見事に照らしている。 夕日が沈む方角はオレンジ色になっていて、そこから距離を経るにつれて暮れかかる青い空が広がっている。居ても立っても居られなくなった私は、書斎の窓の方に駆け寄り、窓に顔を近づけながら暮れゆく夜空を眺めていた。 遠くの空に三日月が出ている。そして、その三日月から西に行ったところに一番星のようにきらめく星の姿を見つけた。それは、書斎に鳴り響くサン=サーンスの音楽世界と合致するような夜空のように思えた。 自然とはなんと美しい美を顕現させることができるのだろうか。そして、人間はなぜそれを見て美しいという感情を抱くのだろうか。自然の持つ美とそれを美だと捉える人間の感性に対する関心は尽きない。 そして、私がそうした自然の中に美を見出すようになったという発達プロセスについても見逃すことができない。美意識が進化し、深化していく。 哲学の領域の中でも、とりわけ美学の領域は私を捉えて離さない。もちろん私は美学を専門としているわけではなく、これまで美学に関する専門的な学びを得たこともない。 だが、欧州に来て以降、美学というものが私の中で極めて重要なものとして立ち現れている。人は何を持って美を感じ、どのようにして美意識というものが育まれていくのか。そうした事柄に対する関心は尽きない。 さらに、そのようにして育まれた美意識は他の実践領域の中でどのように具現化されるのかということにも関心を持っている。フローニンゲンの華麗な夜空は、私の

2300. サン=サーンスの音楽と差異について

今日も夕方の時刻を迎えた。午後六時に近づき、これから夕日が徐々に沈んでいくことになる。フローニンゲンの日照時間は随分と伸びた。 今日は本当に一日中サン=サーンスの曲を聴いていた。特に、ピアノ協奏曲を長く聴いており、その美しさには思わず仕事の手を止めてしまうことがあった。 その時、曲の世界の中に自己を委ねてみようという意思を生み出すような促しをサン=サーンスの音楽の中に感じた。今すぐにではないが、近いうちにサン=サーンスのピアノ曲の楽譜を購入しようと思う。 彼の音楽にも範を求めたいという気持ちが高まっていく。作曲についてはとにかく焦らずに進んでいくことが肝要だ。 音楽院に在籍しているわけでもなく、師についているわけでもない私は、自由に作曲実践を行えるのは確かだが、時に自分の歩みの進度がわからないことがある。そうだとしても、その進度に対して焦る必要はない。 また、自分の現在の作曲技術に過度に絶望しないことも大切だ。とにかく焦らずに、着実に作曲実践を重ねる中で技術を少しずつ涵養していく。 夕暮れにこれから向かっていくフローニンゲンの夕日を眺めながら、そういえば午後の仮眠中に突如として過去の記憶が蘇ってきていたことを思い出した。それは幼少時代に飼っていた金魚とカナヘビの死にまつわる記憶だった。 両生命の死が自分の心と体に巻き付いているような妙な感覚があった。私がなぜ今日の仮眠中にその二つの生き物に関する記憶を思い出したのかはわからない。 だが、二つの生き物の死に直面したという幼い時の体験は、今の私に何か言い尽くせない影響を与えているようなのだ。 昨日は協働者の方との対話を通じて、差異に

2299. 船旅の価値と日欧の文化の深さ

またしてもぼんやりと船旅について考えている自分がいた。船に乗ってこの世界を旅するという思いにどうしてこれほどまでに駆り立てられているのかわからない。 それは衝動的というよりも、静かな情熱に満ちた促しである。昨日に一度、そして今日も船で世界をゆっくりと一周することについて思いを巡らせていた。 飛行機でもなく、列車でもなく、船でこの世界を移動することの魅力が徐々に自分の内側に現れてきた。これまでの私は、船旅の存在について知ってはいたが、それに憧れるようなことはほとんどなかった。 過去に辻邦生先生が執筆された日記を読んだ時、そこで描かれていた33日間の船旅の様子を非常に興味深く思ったものの、自分が船旅をすることに関しては関心はほとんどなかった。しかし、突如として船旅に関心を示し始めた自分が現れたのである。 船旅の持つ魅力とそれが持つ意味については改めて冷静に考えてみる必要があるだろう。どう考えても、この世界を移動する手段として船での移動は最も遅い。 もしかすると、私はその遅さの中に大切な意味と価値を見出しているのかもしれない。この有限な生をゆっくりと味わいながら進むこと。 有限であるから急ぐのではなく、有限である生があたかも止まってしまうかのように、生を充実感で満たしながらゆっくりと生きること。そうした生き方の鍵を船旅が持っているように思えてくる。 今からおよそ60年前に辻先生が日本からフランスに向けて33日間かけた船旅についての日記をまた読み返そうと思う。 昼食後の仕事がひと段落し、先ほどいつものように20分ほど仮眠を取っていた。大抵いつもは覚醒意識(グロス意識)から夢見の意識(サ

2298. 終わりからの始まりとライフワークについて

今日のフローニンゲンは申し分のない天気である。昨日も天気に恵まれ、晴れ渡る空がフローニンゲンの上空を覆っている。 時刻は午後三時を迎えたが、今は気温も上がっており、部屋の中はとても暖かい。今の気温は7度を示しており、この温度であればもう十分過ぎるほどに暖かさを感じる。 快晴の景色を眺めながら一つ一つの仕事に取り組むことは、明日への架け橋を一歩一歩大切に歩いているかのように感じさせてくれる。とにかく小さな一歩を積み重ねていくことの大切さについては、もう繰り返して述べる必要はないのかもしれない。 だが、それを繰り返して述べたくなるほどに、日々の小さな一歩は尊いのだ。そうした一歩を見逃すことはできない。 今日は午前中に一件、午後に一件ほど協働プロジェクトに関する仕事があった。前者に関しては、一年間の時間をかけて取り組んでいたプログラムが無事に完成に向けた最終段階に入り、私が直接的に関与することは今日で最後となった。 協働の意義についても繰り返して述べる必要はないのかもしれないが、他者と共に働くことがいかに尊く、意味のあることかを改めて実感する。今年度もあと少しで終わりを迎えるが、来年度も自分にできることを通じて多様な協働プロジェクトに関与していきたいと思う。 昨日は諸々の仕事に専念することで時間が過ぎていき、思うように作曲実践ができなかった。そのため、今日はこれから少しばかり作曲に時間を充てたい。 数日前に、自分の内的感覚や内的ビジョンを自由に曲として表現できればと切に願う瞬間があった。今の自分にはまだまだそうしたことが不可能だ。 例えば、先日に日記として書き留めていた縁起について、

2297. 変奏的な発達プロセス

先ほど、改めて書斎の窓から外を眺めている時、この景色にどれだけ自分は励まされ、生きる活力を与えられているだろうかということを考えていた。書斎の窓から見える景色を眺めていると、この世界が本当に絶えず運動をしていることがわかる。 変化の無限の波が目の前に見えるかのようだ。絶えず絶えず景色は変わり、一度たりとも同じ景色が現れない。そして、そうした景色を見ている自分自身も絶えず小さな変化を経験している。 この内側と外側の絶え間ない変化こそが、このリアリティを生み出しているのだと改めて気づく。自己の内面世界が絶えず変化を宿命づけられているという性質上、その変化と歩調を合わせるように、絶えず外側の世界の変化を感じておくというのはもしかすると非常に大事なことなのかもしれない。 つまり、内側の変化に対して調和をもたらすのは、外側の変化なのではないか、ということである。私は、欧州での生活を送る日々の中で、書斎から見えるこの眺めに助けられている。 そこには支援があり、励ましがある。そして、それらは深い安堵感を私にもたらす。 今も目に映っているフローニンゲンのライトブルーの空、赤レンガの家々、裸の街路樹、小鳥たちなどが、全て一つの変化を構成し、それが自分の内側の変化と共鳴しているのがわかる。 仮に今後どこか別の場所で生活をすることになったとしても、外の世界の景色が常に目に入るように書斎の机を配置したい。絶えず自然の恩恵を授かりながら自らの仕事に取り組んでいく。 実は以前にも何度か、書斎から見える景色がどれほど自分の支えになっているかについて日記を書いていたように思う。そこで私は、同一主題について繰り

2296. 日々の充実

今朝は七時に目を覚ました。この一週間はゆったりと起床することが多くなっている。 夜の十時には就寝していることを考えると、随分と睡眠時間を確保していることがわかる。一日の充実感が増すにつれ、その充実感を自分の内側に浸透させるために長い睡眠が必要なのかもしれない。 また、単純に日々の生活の中で自分の内側に流れ込んでくる諸々のインプットの量が多く、いくらアウトプットを行うように意識していても、それが追いついていないのかもしれない。毎日の生活を通じて自分の内側に流れ込んできたインプットを咀嚼するために、こうした長い睡眠時間が必要になっているのかもしれない。 今朝は途中で目覚めることもなく、深い睡眠が覚醒の瞬間まで続いていた。質の良い睡眠をこれだけ長く取っているというのも何か不思議だ。やはり日々の生活を通じて自分の内側に流入してくるものを、自分の内側に定着・堆積させることが求められているのだろう。 それにしても、今朝はまた見事な天気である。雲ひとつない快晴。 スカイブルーの空がフローニンゲンの街を覆っている。現在の気温は1度であり、一見するとそれは低いのだが、昨日よりも5度ほど暖かく、部屋の中は随分と暖かく感じられる。 私は思わず書斎の窓を開け、早朝の新鮮な空気を室内に取り込むことにした。すると、新鮮な空気だけではなく、遠くの方から聞こえていくる小鳥の鳴き声も部屋の中に入ってきた。 いや、新鮮な早朝の空気も小鳥の美しい鳴き声も、部屋ではなく私の内側に流れ込んできたのである。これがまさに日々の生活で自分の内側に流入してくるものたちなのだ、とハタと気づかされた。 インプットというのは、単に書

2295. 日記を綴ること・作曲すること

西の空にほんのわずかだけ顔を覗かせている三日月が見える。それは今にも夜の闇に消えていってしまいそうなのだが、確かに三日月として輝き続けている。 時刻は夜の八時半に近づいている。一日の活動もあと一時間半ほどになった。 今日は午後から研究に着手し、プログラミング言語のRを用いてあれこれと分析作業を行っていた。事前に立てた三つの仮説のうち、二つは立証されず、一つが立証される結果となった。 立証された仮説については興味深いものであるため、また後日機会があれば書き留めておきたい。 それにしても、今この瞬間の静けさは何とも言い難い。風が一切吹いておらず、外の世界は静止しているようである。 一方で、私の内側は絶えず運動を続けているかのようだ。外の世界と内側の世界のコントラストを感じながら、少しばかり今日の振り返りを行うことにする。 思い返してみると、先週末の土日はとても強い風が吹いていた。冬を追い払うかのような風であった。 その風は単に強かっただけではなく、固有のリズムがあり、春風の躍動とでも言うべきものを私は感じていた。春風の躍動と形容できるような風について今思い出しているのは、もしかすると今この瞬間の外の世界の静けさによるのかもしれない。 今このようにして日記を綴っているわけだが、日記を執筆するということがいかに地に足を着けて生きることを可能にしているかを思う。私の内側には、絶えず超越的な形而上学を求める心があり、それを携えながらも日々の生活を常に地に足の着いたものにしてくれているのは日記のおかげだと思う。 日々の生活を通じて、超越的な形而上学的世界について考えを巡らせることを可能にする

2294. 真善美を通じた生き方と関与

相変わらず気温は低いのだが、今日も雲一つない快晴に恵まれている。昼食前に近所のスーパーに行った時、晴れ渡る紺碧の空を仰ぎ見た。 私はその空の広大さと雄大さに吸い込まれそうになっていた。本当に綺麗な青空が空に広がっていた。 紺碧の空は私の想像の及ばないような場所まで広く伸びているかのように思えた。時刻は午後三時を迎え、今なお晴れ間が続いている。 この時間帯の太陽の光は強く、窓のカーテンを閉めておかなければならないほどである。太陽の光をめいっぱい浴びれることの有り難さをつくづく感じる。 もう本当に春は目と鼻の先まで迫ってきている。あとはこの寒さだけだろう。 結局、今日はこの時間帯までインターンで行っている研究に着手できなかった。午前中は日本企業の協働プロジェクトに向けた準備があり、午後一番でその案件の打ち合わせがあった。 そこで話し合われた内容を整理し、あれこれと考えをまとめることに時間を使っていた。研究に取り掛かれるのはようやくこれからである。 ここから数時間は研究に集中したい。先週の金曜日に取り組んでいた分析をすべて終え、その結果を簡単にまとめていく。おそらく今日はそれを行うことができれば十分だろう。 インターンで行った活動と研究を振り返るレポートの作成は今週の金曜日に行おうと思う。今回の研究を通じて、やはりRというプログラミング言語を操作することには独特の喜びが伴うことを実感している。 もちろん、私はプログラミングの専門家ではないため、毎回コードを書くことには四苦八苦するが、そうした苦労すらも喜びに変わるかのような楽しみがプログラミング言語にはある。それは、構築する喜びと創造

2293. 縁起を通じて生きること

白い光を知覚する体験、および白い光で構成された書物を読み進めていた体験についてまだ少しばかり考えている。あの体験そのものというよりも、その体験を引き起こした要因について考えている。 とりわけ、自らの意識の状態と段階の特性について考えを巡らせている。あの体験の特徴から察するに、自分の意識の状態と段階がどのようなところにあったのかはだいたい見当がついている。 その見当を検証するために、先程本棚から引っ張り出した書籍を読み進めていきたい。そもそも、この体験をする前夜から少しばかり自分の意識状態が普段とは異なっているように思えた。 そして、それに対応する形で、意識の段階に小さな飛躍が生じているのを感じていた。それは非常に微細な飛躍であるが、確かな移行であるとも言える。 昨夜考えていたことの中で印象に残っているのは、縁起の話である。果たして私はこの二年間の日記の中に、「縁起」という言葉を使ったことがあっただろうか。明確には覚えていないが、ほとんどなかっただろう。 確かに、縁起の意味とほぼ同義である言葉を知らず知らず使っていたことはあるかもしれない。だが、縁起という言葉を明確に用いたことはこれまであまりなかったのではないかと思う。 昨日考えていたことの趣旨をもう一度振り返ってみると、この世界のありのままを肯定する態度には質的差異があるということだった。この世界のありのままを単に字面上肯定する生き方というのは、この世界で生じる現象に付与されている意味の創造に参画しないというものだった。 そこには、単にこの現実世界の現象を傍観するような態度しかなく、この世界への積極的な関与というものがない。こ

2292. 白い光で構成された書物

午前八時前を迎えると、フローニンゲンの空は一層輝きを増し始めた。辺りが降り注ぐ太陽の光を帯びている。 赤レンガの家々に反射する太陽の光を眺めていると、今朝方目覚める直前に白い光を知覚していたことを思い出した。これは時折起きる現象であり、特に不思議なことではないのだが、今朝方は自覚的にその光を観察するようにしていた。 もちろん、目をつぶっているため、心の眼を通じてその光の様子を観察していた。すると不思議なことに、その白い光の粒は、一旦一つのまとまりをなし、そこから徐々に中心から外側に広がっていった。 すると、拡散された光の奥に、一冊の書物を見つけた。その書物は全て英語で書かれており、私が意識を働かせると、それに呼応する形でページがめくられていく。 私はまずその書物の目次を眺めた。目次に刻まれた字が全て白い光で構成されている。見ると目次に刻まれているのは、これまで私が読んできた書籍のタイトルであり、同時にこれから私が読むべき書籍のタイトルであった。 過去読んできた全ての書物とこれから読む全ての書物のタイトルが、白い光に包まれたその書物の中に詰まっていた。私は引き続き、その書物のページを意識の作用を用いてめくっていた。 すると、その書物には無数の書籍のタイトルのみならず、要約文も記載されていた。私は食い入るように、白い光で構成された活字を読んでいた。 確かに文字を読んでいるという感覚があったのだが、それは見方によっては、私は光を読んでいたことになる。ベッドの上で目を閉じながら、私は気の済むまでその白い光で作られた書物を読んでいた。 そのような形で今日の一日が始まった。今朝方の夢にせよ

⭐️【お知らせ】Back Number Vol 29(記事561-580)

いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事561から580に編集をし、ところどころに追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードはこちら:Back Number Vol 29 目次(Back Number Vol 29) 561. 複雑性と人間発達:Netlogoを活用したシミレーション実習 562. 書籍の執筆について 563. 待ちわびて 564. 探索とゆとりについて 565. 構造的発達心理学の二大巨頭:ロバート・キーガンとカート・フィッシャーについて 566. 後継者として 567. カート・フィッシャーとポール・ヴァン・ギアートの仕事を辿りながら 568. 何気ない日常より 569.「トランスパーソナル防衛メカニズム」の集合的蔓延 570. デュッセルドルフに住む友人より 571. 存在することの不思議な感覚 572. ジャン・ピアジェの発達思想より 573. 孤島と連絡船:能力開発に対する視点 574. 構成的感覚 575. ピアジェの構成的知性発達モデル 576. 建築家のように 577. 推測的理論の検証のためのダイナミックシステムアプローチ 578. ポール・ヴァン・ギアートの背中を追いかけて 579. 理論モデルの構築について 580. 発達心理学者アネット・カミロフ=スミスの運命について思うこと

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