743. あの夏、デカルト通り39番地で
私はあの時パリにいた。セーヌ川左岸に位置する5区と6区にまたがるカルチェ・ラタン界隈を私は歩いていた。それは昨年の夏の出来事である。 カルチェ・ラタンは学生街としても有名な場所であり、フランスを代表する大学がこの地区に幾つも点在している。あの夏私がパリを訪れたのは、世界を代...
742. 発達支援における発想の転換:支援する者とされる者
今朝は五時に起床し、朝の習慣的な実践を終えた後に、すぐさま午前中の仕事を開始した。フローニンゲン大学のヘンデリアン・スティーンビーク教授、ポール・ヴァン・ギアート教授、マライン・ヴァン・ダイク教授が共同で執筆した論文をまず最初に読んでいた。...
741. 普遍的な日本語感覚へ向けて
——外国語を知らない者に母国語は知りえない——ゲーテ 昨夜床についてからしばらくの間、学術論文を執筆することについて考えを巡らせていた。真剣に論文というものを創作したいという思いが高まるにつれ、論文に関する作法をもう一度学び直している。...
740. 丸の本質から死の本質へ
清らかな太陽が昇る朝。暖かな太陽光が優しく差し込む昼。静かな闇に包まれた夜。そのような日曜日だった。 今日は午前中に、産業組織心理学の論文を四本ほど読んでいた。それらの論文はどれも、「創造性と組織のイノベーション」というコースで課題にあがっているものである。...
739. 生成の波と創造性の四つの発達段階
一昨日、昨日はともに、音楽の流れに乗っていたという感覚がある。それは音楽の旋律や律動に乗っていたということではない。 作曲家がその楽曲を作った根元にある生成の波に乗ったということである。どうも私には、何かを絶えず創造し続けることができた者たちの共通事項として、こうした生成の...
738. 夜明けを待つ概念の蠢き
今日の午前中は論文の読み込みから始まり、午後から就寝までは論文の執筆を行っていた。自分が関心のある論文を読み、論文を緻密にじっくりと執筆できる今日のような週末は、充実感に溢れており、夢のように早く過ぎ去った。 明日もまだ日曜日であることが、どれほど自分にとって嬉しいことか。...