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3119. 動き出す予感


時刻は午後三時半を迎えた。これから、教育哲学者のキャサリン・エルギン教授の書籍“True Enough (2017)”の続きを読み進めていく。今日は折り返しの第七章となる。

不思議なことに、本書を最初に開いた時は非常に難解に感じられた本書が、章を追うごとに親しみやすいものになっている。本書がまさに私たちの「認識」について扱っているように、本書を読み進めることによって徐々に「認識」に対する自分の認識が深まり、それが本書を読みやすくしているのかもしれない。

また、そもそもエルギン教授の仕事に私が大きな関心を示しているということも重要な要因だろう。いかなる探究にせよ実践にせよ、内的動機がいかほどかがその習熟に大きな差をもたらす。

本書の一読を終え、二読目をした上で10月の第一週にエルギン教授と面会ができそうだ。

今日は昼食前に、シュタイナー教育の学年ごとのカリュラムの内容が詳細に紹介されている“The Tasks and Content of the Steiner-Waldorf Curriculum(2014)”の一読を終えた。本書は本当に洞察に溢れる内容であった。

単純に各学年ごとのカリキュラムの内容について学ぶことができただけではなく、発達理論上のいかなる理由によってそのようなカリキュラム編成になっているのかを学ぶことができた。シュタイナーは優れた教育哲学者であり、かつ優れた発達論者でもあった。人間発達に慧眼を持っていたシュタイナーの教育実践に関してますます関心が高くなる。

これからエルギン教授の書籍を読み、夜に時間があれば、ハワード・ガードナー教授の“The Unschooled Mind (1995)”の続きを読み進めていきたい。日本では、ガードナー教授と言えば多重知性理論に関してしかその仕事が知られていないかもしれないが、私が最も敬意を表しているのは多重知性理論よりも、ガードナー教授の哲学的な仕事である。

人間発達と教育を中心に据え、真善美について、倫理や道徳について、あるいは学校システムそのものに関する一連の哲学的な仕事の功績をないがしろにすることはできない。ガードナー教授は一般書の出版に関して非常に多産であり、今はまだ出版されたうちの六割ぐらいの書籍しか手元にない。

手持ちの書籍を読み終えたら、ぜひその他の書籍も積極的に読み進めたいと思う。今月末から10月の初旬にかけて、ボストン及びハーバード大学教育大学院(HGSE)を訪問する際に、ガードナー教授とは今回スケジュールが合わなかったが、またどこかの機会で話をする機会を得たいと思う。

ガードナー教授はHGSEで教鞭をとるのは今年で最後だということをメールで教えてくれた。ここ数年の間に提供されていた真善美に関するクラスを聴講することがもはやできなくなってしまったことは残念だが、教鞭をとるのは今年で最後なだけであって、まだまだ研究や実務的な活動は続けていくそうである。

今回面会の機会を得ることはできなかったが、その代わりに私の関心に合致する幾人かの教授を紹介してくださった。それはどこか今から五年前にカート・フィッシャー教授がポール・ヴァン・ギアート教授を紹介してくださり、そこから自分の人生がまた新たに動き始めたことと似ている。

今回のHGSE訪問によって、また自分の人生が新たな方向に向かって動き出すかもしれない。

書斎の窓から外を眺めると、今日は天気に恵まれ、散歩日和であることがよく分かる。小鳥が嬉しそうに歌い、散歩を促している。彼らは喜びの中で飛び、私も同じことをしたいと思う。フローニンゲン:2018/9/13(木)16:03

No.1312: An Energetic Day

A new energetic day began.

As well as yesterday, I’ll devote myself to my lifework today. Groningen, 09:12, Friday, 10/12/2018

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