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1058. これまでの七年間の回想


昨夜、就寝に向かう前に本棚の前を横切った時、二人の著者の書籍に思わず目を止めた。一人目の著者は、ケン・ウィルバーである。

中でも、 “Sex, Ecology, Spirituality (2000)”と “One Taste (2000)”の二冊が奇妙なほどに気にかかり、寝る直前だったにもかかわらず、思わず書籍を開き、薄明かりが照らされた食卓の上でそれらの書籍を読み始めた。

前者の書籍は、邦訳『進化の構造』で知られる哲学書であり、850ページほどに及ぶ大著だ。本書は、間違いなくウィルバーの最高傑作であり、私はこれまで何度この書籍を読み返したかわからない。

何度読み返しても、全く読みが足りないほどに、この書籍で開示されている思想は深い。思い起こせば、この書籍を購入したのは、私がまだ大阪で働いていた時だった。

それはもう、今から七年ほど昔のことになる。当時は、国際税務コンサルティングの仕事に従事し、週末にこの書籍を開いては閉じ、開いては閉じ、ということを繰り返していたことが、今となってはとても懐かしい。

あの時の私は、英語という言語のみならず、この書籍の中で開示されている言語がほとんどわからず、本書の内容など一切理解していなかったように思う。昨夜、薄明かりの中で本書を読み返していると、七年前から今に至る自分の歩みの全てがこの書籍の中に刻み込まれているような気がした。

ここから再び歩くためには、再度この書籍を読み返す必要があるだろう。近々、読み込みが浅いと思われる第二部から読み返したい。

二冊目の書籍も日本語に訳されており、それは『ワン・テイスト』という名前で親しまれている。こちらは、ウィルバーが自身の精神的な探究と哲学的な探究の過程を綴った日記である。

昨日、辻邦生先生と森有正先生の日記を読み返していたこともあり、ウィルバーの日記にも彼ら二人の日本人と似たような、真実を探究する姿勢やそうした探究を余儀なくされた宿命のようなものが色濃く立ち込めている。

真実の中を生き抜くことを余儀なくされた人たちの日記には、固有の実存性と呼んでいいような独特なものが梱包されている。その梱包を紐解き、彼らの日記の中に知らず知らずのうちに入り込んでいたのが、昨日の私の姿であった。 学術論文にも筋書きがあり、小説は物語に他ならないのだが、日記には論文の筋書きや小説の物語を遥かに凌駕するようなストーリーがある。一人の人間が生きるということそのものが、一つの大きなストーリーであり、そして、そのストーリーは開かれたものとして日々成熟の方向に向けて進んで行くことを思わずにはいらなかった。

やはり私は、真実に生きた人の生き様が手に取る形で明らかに開示される、日記という表現形態に強く惹かれるものがあるのだ。 そのようなことを思いながら、私の視線は本棚の別の箇所に向かい、私が留学したジョン・エフ・ケネディ大学に在籍するクリスチャン・デ・クィンシー教授の “Radical Knowing (2005)”という書籍に視線が移っていた。

この書籍も、先ほどのウィルバーの書籍と同様に、今から七年前に購入したものだ。特に、この本との出会いは少し特別な思い出として私の中に残っている。

七年前の夏、私は会社の夏季休暇を利用して、サンフランシスコに飛び立った。それはもちろん、ジョン・エフ・ケネディ大学の下見に行くためだった。

大学の下見を終え、サンフランシスコ市内を訪れた時、本書との出会いがあった。当時ユニオンスクウェアの近くにあった今はなきバーンズ・アンド・ノーブルに立ち寄った際、哲学書コーナーで偶然にも本書を発見した。

本書の裏面を見ると、著者がジョン・エフ・ケネディ大学で「心の哲学」を担当していることを知った。中身を確認し、とても興味深い書籍だと思い、即座に購入を決意したことを今でも覚えている。

また、本書に合わせて禅の思想書をレジに持って行った時、レジ係の男性が、私に鈴木俊隆老師の書籍を読むことを勧めてくれ、レシートの裏に書籍のタイトルを書き留めてくれたことがとても懐かしい思い出として残っている。

それから七年が経った。この七年という月日は、私にとってとても掛け替えのないものであったように思う。その月日で積み上げてきたことは、今の仕事の土台となっていることは間違いない。

この土台を無限に肥沃な土壌と変え、その上にこれからの仕事を植えていけるように、今日から再び少しずつ前に進みたいと思う。2017/5/12

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