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【フローニンゲンからの便り】17252-17256:2025年8月21日(水)


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タイトル一覧

17252

一般相対性理論について

17253

今朝方の夢

17254

今朝方の夢の振り返り

17255

特殊相対性理論について

17256

秋を感じながら

17252. 一般相対性理論について   

           

時刻は午前7時を迎えた。今の気温は14度と涼しく、今日の日中の最高気温は19度と非常に限定的である。午後にジムに行く際には服装に迷うところだが、10度後半であればまだ半袖半ズボンでジムに行くことができるだろう。8月を終えていないこの段階において、すでに外出の際の服装を考えるようになっているところからも、秋の訪れを感じる。


一般相対性理論とは、アインシュタインが1915年に発表した重力の理論であり、ニュートンの古典的な万有引力の考え方を拡張し、重力を「力」ではなく「時空の幾何学的性質」として捉えるものである。この理論の核心は、物質やエネルギーが存在すると、それが周囲の時空の曲がり(時空の幾何)を引き起こし、その曲がった時空の上を物体が最も自然な経路(測地線)に沿って動く、というものである。これを理解するために、よく使われる比喩として「トランポリンの布と鉄球」の例がある。平らなトランポリンの中央に重い鉄球を置くと布がたわみ、その近くを転がる小さなボールは鉄球に引き寄せられるように見える。しかし実際には、ボールは「引っ張られて」いるのではなく、たわんだ布に沿って自然に転がっているだけである。これと同様に、地球や太陽のような質量を持つ天体は時空を曲げ、その曲がりの中を他の物体や光が進む結果として「重力」が現れる。一般相対性理論は、この直感的な比喩を数学的に定式化したものであり、アインシュタイン方程式によって表される。この方程式は、左辺に時空の曲がり具合(リッチ曲率テンソルやアインシュタインテンソル)が、右辺に物質やエネルギーの分布(ストレス・エネルギー・テンソル)が置かれ、両者の関係を厳密に示す。つまり、「物質は時空に曲がれと言い、時空は物質にどう動くかを教える」という形で、重力現象が記述される。この理論の革新性は、重力を媒介する「力」の概念を廃し、あらゆる物体の運動を時空幾何の問題に置き換えた点にある。ニュートン理論では重力は瞬時に作用する遠隔力として扱われたが、一般相対性理論では時空の曲がりは光速で伝わり、重力波として観測され得る。実際、2015年にはLIGOによってブラックホール連星合体からの重力波が初めて直接検出され、この理論の重要な予言が裏付けられた。さらに一般相対性理論は、日常的な環境ではニュートンの近似と一致するが、極めて強い重力場や高精度の観測ではニュートン理論では説明できない効果を予測する。例えば、水星の近日点移動はニュートン理論で予測される値と実測値にわずかな差があったが、一般相対性理論はその差を完全に説明した。また、重力による光の曲がり(重力レンズ効果)や重力による時間の遅れ(重力赤方偏移)もこの理論の自然な帰結である。これらは実験や天文観測で高精度に検証され、理論の正しさが確認されてきた。比喩をもう1つ挙げると、時空はゴムのシートのようなもので、質量やエネルギーはそこに置かれた重石のような役割を果たす。そして、他の物体や光はその歪んだシートの上を最短経路で進む。私たちが重力と呼ぶものは、実はこの「歪み」に沿った自然な動きにすぎない。地球が太陽の周りを回るのも、目に見えない引力の糸で引かれているのではなく、太陽が時空に作った曲がりを地球が滑り落ちるように回っているからである。このように、一般相対性理論は宇宙の大規模構造、ブラックホールの存在、宇宙の膨張などを理解する上で不可欠な理論となっている。それは単なる物理法則ではなく、「重力」という日常的な現象を時空の幾何学という全く新しい視点から捉え直した、20世紀物理学最大の知的革新の1つなのである。フローニンゲン:2025/8/21(木)07:26


17253. 今朝方の夢

                        

今朝方は夢の中で、見慣れない学校のプールサイドにいた。そこで予備校時代にお世話になっていた数学の先生の授業が始まった。先生はかなりの年齢を迎えておられたが、依然として頭脳明晰で、数学力は決して落ちることなく、むしろ円熟の境地に達しているように思えた。先生は授業を始める前に小話をしてくれた。何やら近くの高校で、プールの水が飲めるほどに透明で新鮮であることが発見されたらしいのだ。その高校は、近隣から湧き出る天然水をプールの水にしていたらしく、男子生徒が朝にプールの水で体を清めることを行っており、それが話題になっていたとのことだった。その話を聞きながら、自分の脳内にはその学校のプールの水の新鮮さのイメージがありありと描かれていた。また、男子高校生が早朝に水浴びをして体を清めている映像も脳内に鮮明に浮かんだ。小話を終えたところで先生は、幾何学に関する作図の難しい問題を解説し始めた。その問題は予習の段階でかなり手こずっており、問題文から立体図に起こすことが非常に難しかった。その問題は、目の前のプールと関連してもいて、生活感があるように感じられたが、予習の段階で問題を解いている時には、目の前にあるプールと結びつけて考えることができなかったので尚難しかった。先生は非常にゆっくり丁寧に問題を解説してくれたが、ふと、そのペースで解説をしていると、1時間の授業で扱うのはこの問題だけになるかもしれないと思った。少なくとも2題が3題ぐらいは問題を解説してほしいというのが自分の思いだったが、それを告げずに先生のペースに従って学習を進めていこうと思った。授業外のところで自分のペースで学習を進めていけばいいと判断したのである。


今朝方はその他にも夢を見ていたように思うが、あまり記憶が鮮明ではない。何か自分のエネルギーに関する説明を誰かにしているような場面があったように思うし、別の話題で他者に丁寧に解説をしているような場面があったこともぼんやりと覚えている。フローニンゲン:2025/8/21(木)07:37


17254. 今朝方の夢の振り返り

                  

今朝方の夢は、見慣れない学校という「内なる学びの場」において、老いてなお冴えわたる数学教師=成熟したロゴス(秩序化・構造化の働き)を先導役に、澄みきったプール=容器としての自我に飲用可能な湧水=源泉的無意識が注ぎ込まれ、朝の身を清める儀礼としての男子生徒の水浴=能動的原理(若いアニムス)の再起動が示されるという、多層の通過儀礼であると読める。また、飲めるほど透明な水は未消化の情動や観念が毒性を失い「内在化してよい心理素材」に変わった徴であり、容器(プール)と源泉(水脈)が結ばれることで、抽象と生活が断絶なく循環しうる段階に至ったことが強調されている。ここで幾何の「作図」=言語的問題文から三次元像へと変換する課題は、まさに観念を身体化し景物に落とす訓練であり、予習時にはプールと結びつけられなかったという自覚は、ロゴスとエロス(対象への共感的関与)の回路がまだ直結していなかった旧来の癖を示し、その回路を教師がゆっくりと一本の問題に絞って開通させること—一問全幅で腑分けし、形を立ち上げ、経験へと「焦点の転換」をかけること—が今の課題であることを示唆する。1時間を費やしても1題でよいのではないかという直観は、量よりも深度を優先するカイロス的時間への服従であり、2、3題を求める能率志向の超自我に対し、自分は授業外で自ら歩みを進めるという自律へと舵を切り、内なる教師のペースに身を委ねる選択をしたが、これは「相互連結」や「複合化」に向けた前段としての制御的フォーカシングの獲得であり、数学の難問が目の前の水景と共鳴した瞬間に、抽象は湿り気を帯びて生活感へと沈降し、学知は清冽な水のように飲み下せる滋養へと変容する。加えて、他の夢片で自分が自らのエネルギーを説明し、他者に丁寧に解説していた像は、外的教師の機能が内面化され、今度は自分自身が伝達者へと位相をずらしつつある徴であり、朝の浄めはその役割交替の出立を告げる儀礼であって、未知の学校=新学期の心的環境で、源泉から満たされた透明な容器としての自己が、幾何の作図のごとく世界に可視の形を与えはじめる、その端緒を刻印した夢であると言えそうである。夢の象徴から導かれるアクションは、以下のようなものが考えられる。第一に、学びにおいては「量より深さ」を優先すべきである。問題を数多く解くよりも、一題を丁寧に、生活感や身体感覚と結びつけて理解することが、抽象と現実を橋渡しする力を養うであろう。第二に、透明な水が示すように、心の中に澄み渡った感情や思考の流れがあることを信頼し、それを生活に取り入れることが必要である。朝の浄めのように、日常の始まりに小さな「心身のリセット」の儀式を取り入れることは、内的源泉とつながる実践となるであろう。第三に、教師から学ぶ姿勢と同時に、自らが説明者・伝達者となる役割を意識すべきである。学んだことを他者に分かりやすく解説する場を持つことが、自身の理解をさらに深め、夢で示された「内なる教師」の声を現実に顕現させる行為となるであろう。要するに、深く学び、源泉を信頼し、伝える役割を実践することが、今朝方の夢から導かれる具体的行動である。フローニンゲン:2025/8/21(木)07:54


17255. 特殊相対性理論について 

                       

特殊相対性理論は、アインシュタインが1905年に発表した理論で、光の速度が観測者や光源の運動状態に関わらず一定であるという事実を出発点とし、時間と空間の概念を根本から書き換えたものである。それまでのニュートン力学では、時間は全ての観測者にとって普遍的に同じ速度で流れ、空間は動く物体に対しても変形しない舞台のように考えられていた。しかし特殊相対性理論では、時間と空間は分離した絶対的存在ではなく、「時空」という一体的な構造を成し、その計測結果は観測者の運動状態によって変化することが示される。理論の基礎は2つの公理にある。第一に、物理法則は全ての慣性系(等速直線運動をしている座標系)で同じ形を持つ。第二に、真空中の光速は全ての慣性系で一定(約30万km/s)であり、観測者や光源の運動に依存しない。この2つを同時に成り立たせるためには、私たちが直感的に信じてきた時間や距離の固定性を放棄しなければならない。これを理解するためによく用いられる例が「列車と雷」の思考実験である。長い列車の中央にいる乗客と、線路脇に立つ観測者がいるとする。列車の前後に同時に雷が落ちたと線路脇の観測者が判断しても、走っている列車の中の乗客にとっては、列車の進行方向側の雷が先に落ちたように見える。これは光の速度が一定であるため、光が進行方向側から到達する時間と後方から到達する時間に差が生じるからであり、「同時」という概念が観測者によって異なることを示している。特殊相対性理論が導く代表的な現象の1つは時間の遅れ(時間の伸び)である。高速で移動する時計は静止している時計よりも遅く進む。例えば、光速の大部分に近い速度で宇宙旅行をすると、旅行者にとってはわずか数年しか経たない一方、地球上では何十年も経っているという「双子のパラドックス」が起こりうる。これは単なる錯覚ではなく、GPS衛星の時計が地上よりも速く進むことが実測され、補正されている事実がこの効果を裏付けている。もう1つの重要な現象は長さの収縮である。高速で移動する物体は、その進行方向の長さが静止しているときより短く測定される。これは物体が実際に「縮む」というより、観測者の座標系における時空の構造が変化する結果である。この2つの効果—時間の遅れと長さの収縮—は、ローレンツ変換と呼ばれる数学的関係式で定量的に記述される。さらに、この理論は有名な式 E=mc² を導く。これはエネルギーと質量が等価であり、質量はエネルギーの一形態に過ぎないことを示す。原子力発電や核兵器は、この質量–エネルギー変換の原理に基づいている。微小な質量でも、光速の二乗という巨大な数で掛けることで莫大なエネルギーとなる。特殊相対性理論の革新性を別の比喩で表すなら、時間と空間は固定された碁盤の目ではなく、観測者が動くたびに伸び縮みする「しなやかな織物」のようなものだと言える。そして光の速度は、その織物の中で誰がどこから測っても同じ「織り目の傾き」を保つ基準線のような役割を果たす。この柔軟な時空構造の理解こそが、後に一般相対性理論へと発展し、重力や宇宙論の新たな地平を切り開く基礎となったのである。フローニンゲン:2025/8/21(木)10:52


17256. 秋を感じながら

     

時刻は午後4字半を迎えた。今日は気温の上昇が限定的で、今の気温は18度である。午後にジムに出かけた際にも同じぐらいの気温で、半袖半ズボンで出かけたところ、行きは準備運動がてらジョギングをしてジムに行くので寒さを感じることはなかったが、帰りはゆっくりとウォーキングをしながら帰るので寒さを感じた。ジムでじんわりと汗をかき、代謝が上がっているはずなのだが、外の気温は低く、風も冷たく感じた。まだ8月の終わりで9月に入っていないが、道ゆく人たちの格好を見ていると、むしろ半袖は少数派であり、多くの人たちは長袖を着ていたり、ジャケットを羽織っていた。こうしたところからも秋を感じる。今日のジムでのトレーニングも非常に充実しており、今は大学関係者は夏休みのため、学生や教授たちはジムにはあまり姿を見せておらず、ジムは空いている。友人の70歳を過ぎているキャロルは、今週はドイツに旅行に出掛けていると教えてくれ、今日は彼の姿を見ることはなかった。今日のメニューは月曜日とは違った内容にし、同じ部位であっても違った方法で刺激を入れていった。最近はもっぱら1回あたりの重量よりも、合計の総仕事量を大切にしており、これだと無理な重量による怪我を防ぐことができながら、同時に筋肉を十分に刺激することができる。この方法を採用してまだ日が浅いので、実際に目に見える成果として現れるのはもう少し先のことだろうか。学術探究と同じく、焦らず着実に鍛錬を継続していきたい。


自分は自然の摂理を解き明かすことにはさほど関心はなく、その素養も技能もない。ゆえに自然科学者としてこれから活動していくつもりはない。しかし、自然科学者がどのような思考の枠組みや眼差しで自然を捉えているのかについては関心があり、そうした思考の構造を見ることは成人発達理論の探究を通じて長らくやってきたことである。結局のところ自然科学者がどのような心を持ち、どのような心のレンズで世界を見るのかが科学の発展に寄与してきたことを考えると、心を徹底的に見つめていく唯識の教えがそこでも活きてくる。科学哲学、特に量子論哲学という分野に関心を持ち、その探究を成人発達理論や唯識の観点から紐解いていくことはこれからのライフワークの1つになるだろう。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2025/8/21(木)16:40


Today’s Letter

Everything is cyclic. My life is in the process of an everlasting developmental cycle. Both my individual consciousness and life will be passed down to someone in the future. This is an inevitable phenomenon for everybody and everything. Groningen, 08/21/2025

 
 
 

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