

3600. ケン・ウィルバーの書籍の監訳の開始
ケン・ウィルバーの書籍の監訳の開始


3599. 一つの音・一つの生命
つい今しがた昼食を摂り終えた。これから午後の活動に入る。 もう一時間ほど今日の取り組みに従事したら、一旦いつものように20分ほど仮眠を取ろうと思う。 今日は早朝に、ダークブルーの空が薄紫色に変化する光景を見た。時間としてはとても短かったが、空が幻想的な雰囲気に包まれていた。 薄紫色の空から今度は、薄い灰色の雲が空を覆い、辺りは瞬く間に厳粛な雰囲気を放つようになった。今もそのような雰囲気が続いており、これから夕方にかけて小雨が降るようだ。 先ほど昼食を摂りながら、人は一人で生まれ、一人でこの世を去っていくことについて思いを馳せていた。その様子は、どこか一つの音が現れ、その音が消えていく様子を想起させた。 午前中に作曲実践をしている時に、人の人生の始まりと終わりは音楽の始まりと終わりに似ているように思えた。一つの音は、それが生まれてから最後の瞬間に至るまで、多様な音と触れ合う。 それが音としての人生だ。これは人間の人生にも当てはまる事柄だと思う。 一つの音も完全なまでに孤独のうちに人生を始め、そして人生を終えていくが、人生の最中には常に多様な音という

3598. チェバの定理と直接体験の重要さを示唆する夢
つい今しがた、今日一日分のコーヒーを作り始めた。コーヒーが出来上がるまでの時間を使って、今朝方の夢について書き留めておきたい。 夢の中で私は、現在住んでいるフローニンゲンの駅前にいた。駅の前には一本の道路があり、河川を挟んでその向こうには美術館がある。 私は道路の上に立っており、道端で行なわれている音楽の演奏に耳を傾けていた。驚いたことに、そこで歌手として歌っていたのは、高校二年生の時にお世話になっていた数学の男性の先生だった。 最初先生は、幾分恥ずかしそうに歌を歌っていた。最初は先生の声に合致するような音の高さで歌が歌われておらず、幾分歌いづらそうにしていた。 するとすぐに先生は、自分の声に合致するような音の高さを見つけ始め、最適な高さが見つかると、水を得た魚のように堂々と歌を歌い始めた。先生の歌を聴いていると、突然私は実際に通っていた高校の教室の中にいた。 見ると、先ほどフローニンゲンの路上で歌を歌っていた先生が教壇に立っており、私の周りには当時のクラスメートたちがいた。先生は黒板に図を描き、生徒たちに質問をしてきた。 先生:「この図で示され


3597. オランダ人の激しい年越し
静けさに包まれているフローニンゲンの早朝。今日は2018年最後の土曜日であるが、今年一年間の他の土曜日と変わらない姿が目の前に広がっている。 ただし、本年最後の土曜日であるということを思う自分の気持ちが混じっているため、今この瞬間に感じる事柄は幾分特別なものだと言えるかもしれない。 目の前の通りを一台の車が静かに走り去った。今年一年は、そのように静かに過ぎ去ったようにも思えるし、どこか激しく過ぎ去ったようにも思える。 いずれにせよ、今年一年もまた自らの肥やしとなるような期間であり、また一歩人生が深まっていくような年であった。来年の夏からどこで何をしているのかはまだ定かではないが、来年もまた充実した年になるだろう。 昨夜の日記に書き留めていたように、昨日も就寝前に爆竹音が近くで鳴っていた。あれは一体何の音なのだろうか。 それは夜の時間に一度鳴り、その後時間をおいてまた鳴るということが三、四回ほど繰り返される。クリスマスまではこうした爆竹音が聞こえることはなく、ほんのここ数日前からそれが始まったことがやはり不可思議であり、たった今、少し調べてみた。


3596. 2018年最後の土曜日の朝
今朝は六時に起床し、六時半から一日の活動を始めた。今日から2018年最後の土日が始まった。 六時半を迎えた現在、辺りはいつものように静まりかえっている。暗闇にぽつりと浮かぶ街灯の光だけが見える。 今日は昼から夕方にかけて雨が降るようだが、こうした抑鬱的な天気も今日で最後となり、明日からは一週間ほど、太陽の姿を拝める日々が続く。2018年の終わりと2019年の始まりを良い天気で迎えることができるのはとても喜ばしい。 昨夜は九時半過ぎに就寝の準備をし、早めに就寝したこともあってか、いつも以上に快眠であった。一日の探究活動や創造活動を十分に行ったら、そこからさらに何か活動に従事するのではなく、早めに就寝するように今後も心がけていきたい。 今日もまず、早朝にバッハの四声のコラールに範を求めて作曲実践を行う。その際に、短調の曲を作るようにし、ナポリの和音を活用してみようと思う。 ナポリの和音とは端的には、短調におけるIIm-5の和音の根音が半音下に変化したものを指す。まずはこの最も一般的な定義のナポリの和音を活用してみようと思う。特に、II-Vのコード進行


⭐️【お知らせ】Back Number Vol 87(記事1721-1740)
いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事1721から1740に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードは下記よりご自由に行えます。 ・Back Number Vol 87


3595. 年の終わりに向かって
時刻は午後七時半を過ぎ、今日も一日が終わりに向かっている。今日も探究活動と創造活動に打ち込む一日だった。 芸術教育哲学に関する探究、作曲理論の探究、日記の執筆と作曲実践、そして日本企業との協働プロジェクトなど、日々の取り組みは非常にシンプルだが、それらが着実に進行していく様子を眺めることができる。 今日は午後四時あたりに、行きつけのチーズ屋に足を運んだ。その時間帯でも辺りはすでに薄暗く、また、肌寒かった。 寒さもあったため、スポーツウェアを着て、ランニングがてら走ってチーズ屋に向かった。その道中、これまで気がつかなかったが、いつも通っている道沿いに一軒の家があり、部屋の様子が外から見えた。 その一室は四方が本棚に囲まれており、本棚の中には学術書がびっしりと並べられていた。それを見て、その家の住人は、もしかしたら在野の研究者なのかもしれないと思った。 その家の住人の姿は見えなかったが、そう思った時、どことなく共感の念が湧いてきた。 チーズ屋に到着すると、いつものようにナッツ類とチーズを購入した。ここ最近は店主の女性のみならず、一人の若い女性も店で働


3594. 現代社会に失われし円環
今日も相変わらず鬱蒼とした雰囲気の天気である。雨雲はないのだが、空一面が薄い雲の膜で覆われており、太陽の光は一切入ってこないような天候である。そうした天候がもう何日も続いている。 先ほど乾燥機から洗濯物を取り出している最中に、ふと空を眺めた時、そのわびしい雰囲気に思わず笑いが込み上げてきた。 こうした抑うつ的な気候の中で、自分のライフワークを人知れず前に進めていくこと。それは自分が望んでいたことであり、日々いかなる環境においても自らのライフワークに取り組むことができていることを改めて幸運に思う。 先ほど、教育哲学者のエリオット・アイスナーの書籍“The Kind of Schools We Need: Personal Essays (1998)”を昨夜に引き続き読み進めていた。芸術教育に対するアイスナーの洞察溢れる数多くの指摘に触発され、書籍の余白に書き込みをする量が自ずと増えた。午後からも本書の続きを読み、今日中に一読目を終えたいと思う。 先ほどふと、文化(culture)というのは、その語源が示唆するように、本来は私たちを耕してくれるはずの


3593. 桃源郷の渓流を下る夢
時刻は午前八時に近づいてきた。依然として、外の世界は闇に包まれている。 今日は金曜日であるから、この時間であれば、こうした暗闇の中でも通勤や通学をする人たちの姿を見ることができるかと思ったが、人の姿をあまり見かけることはなかった。オランダもすっかりと年末の休息の雰囲気が漂う。 先ほどまで、今朝方に見ていた夢について振り返りをしていた。夢を見て、それを書き留めることが治癒や変容の効果を持ち得ることについては以前言及していたと思う。 自分がよく見る夢について改めて考えてみると、この歳になっても、幼少期や小中学校時代の出来事と関係した夢を頻繁に見ていることに気づく。それらの夢を振り返り、夢日記を綴ることは、積み残しになっている過去の発達課題と向き合う機会となり、さらには当時の何らかのことがきっかけになって生じた心の傷を癒すことにもつながっているのだということが見えてくる。 夢日記を書く意義は、そうした積み残された発達課題と向き合うことや過去の心の傷を癒すことにもあるようだ。夢日記を綴ることが、一つの重要なシャドーワークだと言われる所以はそこにあるだろう


3592. 不思議な屋根裏部屋と意識が身体から抜け出る夢
時刻は午前七時を迎えた。ここ最近は、気温そのものは低くないはずなのだが、身に沁みるような寒さを感じられる日々が続いている。週間天気予報を確認すると、どうやら年明け以降から気温そのものもぐっと冷え込むようだ。 先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、実は深夜二時前に一度目を覚ます直前にも、一つ印象に残る夢を見ていた。目を覚ました瞬間に、その夢を要約するキーワードのようなものがいくつか思い浮かび、それを明確に思い浮かべることができたがゆえに、起床後もその夢について覚えているだろうと思っていたら、もう完全に忘れてしまっている。 目を覚ました時に、それらのキーワードを枕元の裏紙にメモしておこうかと思ったが、結局それをしなかった。夢から覚めた瞬間の意識は、どこか自分の意思が薄弱であり、うまくコントロールすることができないのだが、今後はできるだけ深夜に夢から覚めた時には、その夢を表すキーワードをメモしておきたい。 興味深いのは、起床直前に見た夢は、それが仮に複数あったとしても、上書きされずに記憶に残っていることが多いということである。深夜に見る夢は、起床直