発達理論の学び舎

 Blogではオランダでの探究・創作生活の様子を日々共有しています

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    3567. 今朝方の夢の持つ意味:宇宙と一体になる意識と天に向かっていく風船

    3567. 今朝方の夢の持つ意味:宇宙と一体になる意識と天に向かっていく風船

    今日は起床時間が遅かったこともあり、早朝に日記を一つ書き終えると、空が少しずつ明るくなり始めてきた。今は午前八時半に近づきつつあり、空がダークブルーに変わりつつある。 遠くの方からカラスが鳴く声が聞こえてきた。クリスマス前の日曜日が今始まろうとしている。 今朝方見た夢について、先ほど二つほど書き留めたが、どちらの夢も興味深い。一つ目の夢の中では、自分の意識が宇宙に向かい、そこで宇宙の躍動する光景を眺めていると、自分の意識が完全に宇宙と一体となったものだった。 これは言い換えると、観察者としての自己が溶解し、見るものと見られるものとの区別が一切ない意識状態に参入したことの表れだと思う。そして二つ目の夢に関しては、レクチャールームで私に話しかけきた女性の話が印象に残っている。 夢の中の私は少し前にロンドンに行き、ロンドンの大学を見学していた。その大学で研究をするのか、はたまたレクチャーを聞いていたアメリカのその大学に行って研究を続けるのかどうかを検討している時期があった。 これはもちろん、夢の中の私であって、今この日記を書いている現実世界の私の話では
    3566. 二つの不思議な夢

    3566. 二つの不思議な夢

    今朝はゆっくりと七時に起床し、七時半を過ぎた頃に一日の活動を始めた。辺りは闇に包まれているが、時折聞こえてくる小鳥の鳴き声がとても優しく響き渡っている。その鳴き声にどこか大きな安堵感を覚える。 今この瞬間は雨が降っていないが、どうやら午後から夜にかけて雨が降るらしい。最高気温・最低気温ともに、この時期のフローニンゲンしてはやはり低くないままなのだが、少しずつ芯から冷えるような寒さを感じることが多くなった。 昨夜からは、再び湯たんぽを使い始めた。不思議なことに、今から三週間前、ないしは一ヶ月ぐらい前に今よりも寒い日々が続いており、その時に湯たんぽを使いながら寝ていた。 そこから再び寒さをそれほど感じない日々がやってきて、今再び寒さを感じる日々がやってきたようだ。今日も湯たんぽを使ってお腹と足先を暖めながら就寝しようと思う。 起床して間もないというのに、今日の夜の就寝の仕方について書き留めるのは少し滑稽かもしれないが、自分の内側に言葉の形として現れたものを逐一書き留めておくことは自分にとって大切だ。 今朝方もいくつかの興味深い夢を見ていた。夢の中で私
    ⭐️【お知らせ】Back Number Vol 78-79(記事1541-1580)

    ⭐️【お知らせ】Back Number Vol 78-79(記事1541-1580)

    いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事1541から1580に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードは下記よりご自由に行えます。 ・Back Number Vol 78 ・Back Number Vol 79
    3565. 本日を終えるにあたって

    3565. 本日を終えるにあたって

    時刻は午後の七時半を迎えた。土曜日が、今終わりに向かって静かに動いている。 今日は一日中雨が降っていた。そうした中にあって、不思議な安らぎを感じ続けている自分がいた。今もそうした安らぎの感覚を持ち続けている。 今日は作曲実践を旺盛に行い、教育哲学に関する探究を行った。書斎の机の右隅には、あと二冊ほど未読の書籍が置かれており、明日と明後日にかけてそれら二冊を読んでいきたいと思う。 それらを読んだ後には、ゴッホの手紙を読んでいくことにしたい。新しい書籍を購入することを控えようと思っていたが、それでも近々、以前ホウマン・ハロウニィ博士から教えていただいた哲学書を購入しようと考えている。購入する書籍は、ハンナ・アレントやハーバート・マクルーゼの哲学書が中心になるだろう。 今日はこれから本日四度目の作曲実践を行う。曲を作りながら理論を学び、理論を学びながら曲を作る。それを徹底していく。 本日最後の作曲実践が終われば、そこからさらに就寝までの時間を使って作曲理論の学習をしていく。まとめノートの再読が終わりに差し掛かっており、明日からは転調の技術を優先して復習
    3564. エリオット・アイスナーの書籍より

    3564. エリオット・アイスナーの書籍より

    早朝より雨が降り始め、今もそれがひっきりなしに降り続けている。どことなく冷たい雨が地上に降り注いでいる。 空を見ると、そこには鬱蒼とした雲があり、冬の寒さはこれからより一層厳しくなっていくことを予感させる。 ここ数日間ずっとスクリャービンのピアノ曲全集を聴いている。その中にはピアノ協奏曲も収められており、いくつかのピアノ協奏曲が極めて美しく、先ほどはしばしそれらに聴き入っていた。 今日は、エリオット・アイスナーの“Reimagining Schools (2005)”の初読を終えた。本書を読みながら、子供たちが芸術教育を通じて何らかの形を生み出していくことに従事することは、後々の世界制作(world-making)につながっていくのではないかと考えさせられた。 一言で述べると、世界制作とは世界への関与のことを指す。世界制作を担うためには、意味構築(meaning-making)の力が不可欠であるが、アイスナーの発想は、芸術教育を通じて子供たちが形を生み出し、そしてそれが意味を生み出す力を育んでいくことにつながると考えているように思える。この点には
    3563. 夢の世界の奥にある夢の世界

    3563. 夢の世界の奥にある夢の世界

    時刻は午前八時に近づいてきた。目の前に見えるのは、相変わらずの闇である。それに加えて、つい先ほどから雨が降り始めた。 予想よりも早い雨の到来だ。雨が窓ガラスにポツポツとぶつかる音が聞こえる。 八時を迎えたからか、闇で姿は見えないが、通りを走る車の音が聞こえて来る。 今朝方見ていた夢について再度振り返っている。そういえば、先ほど書き留めた夢以外にも、あと二つほど小さな夢を見ていたことを思い出した。 一つ前の夢で出てきた投資家の方とは別の日本人投資家の方と私は知り合いになる機会があった。プール付きの友人の家に遊びに行った時、そのプールサイドにその投資家の方がいた。 その方の年齢は私よりも少し上なだけであり、それほど年齢が離れているわけではない。私たち二人は投資に関する話を含め、その他の話題でもすっかり意気投合してしまった。 随分と話をした後、私たちはプールに入って少しばかり泳いでいた。すると、プールサイドに突然アメリカ人の音楽グループが現れ、音楽を演奏し始めた。 その音楽はポップ調のクラシック、ないしはクラシック調のポップのように思えた。私はプールに
    3562. 天国への道と不思議な銅像に関する夢

    3562. 天国への道と不思議な銅像に関する夢

    時刻は午前七時を迎えた。静かな土曜日の朝が目の前にある。 そこには闇があり、闇の中にぽつりと浮かぶ街灯の光がある。その他に見えるものは何もないと言っても過言ではない。 そうした光景を眺めながら、今朝方の夢について振り返っていた。夢の中で私は、これから友人の家に向かおうとしていた。 住宅地の道を歩いていると、前方にパトカーが止まっており、二人の警官がパトカーの前に立っている姿が見えた。「何かあったのだろうか?」と思った瞬間に、後ろから誰かが私に話しかけた。 見ると、日本の著名な投資家の方だった。その方の表情は険しく、幾分切羽詰まっているかのようにすら思えた。 その方は私に近寄ってくるなり、一言述べた。 日本人のある投資家:「天国への道(自由への道)は階段の11段目にあります」 私:「えっ?なんですか?」 日本人のある投資家:「それは11段目にあります。これ、絶対に他の人に言わないでくださいよ。絶対ですよ」 その方は二人の警官の方を一瞥し、それだけ述べて去って行ってしまった。二人の警官が私の方をじっと見つめている。 すると、再び誰かが後ろから私に声を
    3561. 自らの人生を綴らない眠り続けている人々

    3561. 自らの人生を綴らない眠り続けている人々

    昨日は、半年ぶりに人と会って話をしたおかげか、自宅に帰ってからも、自分の脳が普段とは違う形で活発に活動しているように思えた。人と会話をすることは、実は脳の活性化に有益なのかもしれないと思う——どのような人と何を話すのかによりけりかもしれないが。 昨夜の就寝前を迎える頃にもまだ脳が活発に動いているようだったので、睡眠の質を心配したが、それは杞憂に終わった。昨夜も良質な睡眠が取れ、今日の活動に向けた気力が十分にある。 気力が自分の内側にあるというよりも、気力というものが自分の足元から脳天にある百会のツボに向かって流れており、自分はその流れの通り道に他ならないことがわかってくる。 こうなってくると、気力を高めようとするような発想はもはやなく、気力の流れの通り道に自己を置くだけでいいことがわかってくる。あるいは、自己が気力の通り道に他ならないことに気づくことができれば、もはや自己を通り道に置き直す修正作業すらも必要ないことがわかる。 自分が気力という爆発的な活動エネルギーと一体のものであることがわかれば、気力を高めることをする必要がないため、随分と楽だ。
    3560. 精神の圧縮と解放

    3560. 精神の圧縮と解放

    今朝は六時前に起床し、六時を過ぎた頃に一日の活動を始めた。とても静寂な闇が外の世界に広がっている。 この瞬間のフローニンゲンには雨が降っておらず、ただ静寂な闇だけがそこにたたずんでいる。天気予報を確認すると、今日は午前中から雨が降り始め、夕方に止むようだ。雨が止んだ時に夕日が見れるのかというとそうではない。 もう四時を迎えると暗くなり始めている今日この頃において、今日は太陽の姿を拝むことは期待できない。日照時間が短くなる極地に向かって季節が進行している。 これからようやく厳しい冬がやってくる。今年は随分と暖かいと思っていたが、もうそろそろ本格的に寒さが厳しくなるだろう。 とはいえ、昨日ぐらいから室内の気温も下がってきたようなので、ヒーターの温度を高くしたりと、それなりに本格的な冬の到来を感じている。だがそれは、あの過酷な冬の前ぶれ程度でしかなく、これから始まる厳し冬が待ち遠しい。 そこでは再び精神が圧縮され、圧縮からの解放がやってくるはずだ。北欧諸国の国民たちの幸福度は高いと言われており、彼らの生活の有り様を見ていると、確かにそうかもしれないと思
    3559. 充実感と幸福感のその先

    3559. 充実感と幸福感のその先

    今日もまた、自分の人生のある一日が充実感と幸福感に包まれる形で終わりに向かっている。いや、ここ最近の私は、もはや充実感と幸福感という感覚を超越し、それら二つが混ぜ合わさったような感覚の中で日々を過ごしている気がする。 そうした感覚をなんと呼べばいいのか今の私には「まだ」わからない。まだわからないというだけであって、そうした感覚が自己の内側に生じていることに気づけた瞬間に、その感覚にふさわしい言葉がいつか降ってくるだろう。 先ほど入浴をしている最中も、その感覚について考えていた。それについて考えていると、よく分からないが自然と笑いが込み上げてきた。 笑みを浮かべながら私は、充実感と幸福感が混じり合った感覚に包まれる形でそれについて考えていた。こうした感覚を発見できた瞬間に、もしかしたら私は自分の内側に宿る内在神ないしは仏性に目覚めたのかもしれないと思った。 時々私は、自分はどのように生涯を閉じるのかについて考えることがある。端的にはいかように死ぬかという話である。 人生はいついかなる瞬間も何が起こるのかわからないが、私は120歳か130歳あたりに、
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