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3240. 協働執筆中の書籍の進捗状況


早朝は雲が空を覆っており、寒さを感じていたが、今はすっかりと空は晴れ、気温も少しばかり暖かくなった。外の世界には活動的なエネルギーが静かに湧いているように見える。

早朝に、テレマンの曲に範を求めて一曲作った。いつもながら、テレマンの曲が持つメロディーには独特な魅力があることを感じた。

今はもっぱら、テレマン、バッハ、ハイドン、モーツァルトに範を求めて曲を作ることが多くなった。一方で、今聴いているのはシベリウスのピアノ曲だ。当然ながら、作曲において範を求める作曲家の曲を聴くことは多いが、特定の何人かの作曲家に範を求めている期間は、あえて彼らとは別の作曲家の曲を聴くのは悪くないかもしれない。

午前中には、“The Oxford Handbook of Philosophy of Education (2009)”の続きを読み進めていた。今日現在までは、本書に収められている28本の論文のうち、ハーバード大学教育大学院に在籍している哲学者のキャサリン・エルギン教授の論文しか読んでいなかったが、今日からは最初の論文から目を通すことにした。

今読んでいるのは、教育の認識論的目的に関するものであり、仮に教育の目的の一つに知識の獲得があるとするならば、それはどのような特性を持つ知識なのかについて取り上げている論文である。この論文を読みながら、随所に下線を引き、ノートにメモを取る機会も多かった。

ゆっくりとだが着実に、教育哲学に関する理解を深めていく。今の私は恐ろしいほどに、教育に関する無数の問いに対して何ら自分の考えを持ち得ていない。

これはもしかすると、人間発達に関してもそうであるかもしれない。教育や人間発達を取り巻く問いは無数に存在しており、自分の関心を引きつけてやまない問いと絶えず向き合っていくことによって、徐々に両分野の思想を深めていこうと思う。

今日は昼食後に、現在協働執筆中の書籍に関して、協働者の方とオンラインミーティングを行う。いよいよ本書の執筆も最終章を迎えた。

今日のミーティングでは、本書をどのように締めくくっていくべきかについて意見交換をすることになるだろう。中間の第三章と第四章の分量が多かったため、第五章は比較的少ない分量とするかもしれないが、その分本書の着地のさせ方には注意を払う必要があるだろう。

本書の物語の展開によっては、もしかすると第五章も引き続き分量が多くなるかもしれない。その際には、これまでの章とのつながりを念頭に置きながら、間延びしないようなストーリーにしていく必要があるだろう。

本書の最終章はできれば10月に執筆し終え、11月の半ばには編集者の方に原稿を渡せればと思う。そこから何回か編集を重ねていき、一月か二月、遅くても三月までには書籍を世に送り出せたらと思う。

本書の執筆に並行して、一月からは先日以来を受けた監訳の仕事に取り掛かる。こちらの監訳も四月か五月に完成する予定であり、夏までには出版ができそうだ。

自分が培ってきた知見を出版物として共有していくことは、自分に与えられた一つの役割なのだと思う。フローニンゲン:2018/10/9(火)11:59

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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