top of page

3129. 学びと日常


時刻は午後の五時半を迎えた。今日は午前中から探究活動と創造活動に十分に従事することができている。

早朝に日記を書いて以降、この時間まで日記を綴ることを忘れてしまうぐらいに二つの活動に集中していた。早朝と午後に二曲ほど作り、夕食後にまた一曲ほど作りたい。

その際にはバッハの四声のコラールに範を求める。今の私にとっては一日に三曲を作ることがちょうど良いようだ。

長い曲を作るのではなく、とにかく短い曲を作っていく。その点は今までと変わらない。

一つの詩のような、一つの日記のような曲を大量に作っていく。それらが一つの総体となり、一つの巨大な作品になっていく。それを一生涯をかけて作っていく。

今日は、キャサリン・エルギン教授の“True Enough (2017)”とハワード・ガードナー教授の“The Unschooled Mind (1995)”の二冊を特に集中して読み進めていた。そのおかげもあり、前者の書籍に関しては後一章を残すだけとなった。

エルギン教授が執筆したこの書籍は本当に洞察に溢れており、科学、文学、絵画芸術の共通事項を認識論の観点から深めていくことに大いに役に立っている。その点については今は深入りしないが、本書で得られた様々な観点や考え方は、これからの日記の随所で間接的・直接的に姿を表すことになるだろう。

明日に本書の一読目を終え、その流れで二読目に入ろうと思う。二読目が終わったら、エルギン教授とネルソン・グッドマンの共著である“Reconceptions in Philosophy (1988)”を読み始める。

エルギン教授の書籍を読めば読むほどに、いかにこれまでの自分が杜撰な思考を持っていたかがはっきりとわかる。本当に哲学を仕事にしている人の思考と自分の思考との間にある大きな差に気づけてとても嬉しく思う。

ガードナー教授の書籍については、人間発達を哲学的に思考する上で非常に有益だ。今日読んでいた章の中でも随分と書き込みを行ったり、下線を引いたりしていた。

本書についても明日か明後日に一読目を終え、近々再読をしようと思う。良書は本当に繰り返し読むことによって初めて、そこに内包されている叡智が血肉化されていくだと思う。

また、書物を読んで得られた事柄を自らに引きつけて考えること、つまり日々の日常に紐付けて考えることがどれほど大切なことか。スイスの教育家・教育思想家のペスタロッチが「日々の生活が私たちを陶冶する」と述べているように、書物を通じて得られた知識を日常の生活と紐付け、それを人格の陶冶につなげていく必要がある。

学びと日常を切り離すことをせず、両者を一体のものとして営んでいくことこそが、真の学び、あるいは真の生活と言えるだろう。フローニンゲン:2018/9/16(日)17:51

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page