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3090. キャサリン・エルギン教授の書籍


夕日がまるで喜びのダンスを踊っているかのようである。時刻は午後の六時を迎えた。

今、ちょうど西日が書斎に差し込んでいて、書斎の中は暖かい。今日は一日を通して非常に肌寒かったため、西日の優しい温かさの恩恵が身に沁みる。空には依然として雨雲が残っているが、今はこのようにして夕日の美しさを眺められるだけで満足だ。

ここ数日間は、火災報知器が誤作動を起こし、それが断続的に鳴るような事態に見舞われていた。いくつか手を打ってみたが、まだ完全に解決しておらず、数分に一回程度、ビープ音が鳴る状態が続いている。

もう今日は金曜日の終わりに差し掛かっており、明日明後日に問題が解決しなければ、月曜日に不動産屋に連絡をしたいと思う。過去二年間においても誤作動が発生することがあり、その際にはリセットボタンを押せばすぐに問題が解決していた。

しかし、今回はその策を打っても問題が解決せず、根本的に別の問題があるようだ。火災報知器の問題を解決するために午前中に一階まで降りて行った時、数日前に注文した書籍のうち、二冊が届けられていた。

どちらも共に、ハーバード大学教育大学院(HGSE)に所属する哲学者キャサリン・エルギン教授が執筆したものだ。エルギン教授は、日本でも翻訳書を通じて知られているネルソン・グッドマンに師事し、グッドマンと協働して論文や書籍を多数出版している。

グッドマンとの共著である“Reconceptions in Philosophy and Other Arts and Sciences (1988)”が本日届けられた。もう一冊は、エルギン教授の新著である“True Enough (2017)”という書籍だ。

エルギン教授は認識論と教育哲学を専門にしており、私にとってそれら二つの哲学分野は以前から関心を引くものであるため、それらの書籍を購入するに至った。より厳密には、芸術教育にせよ、霊性教育にせよ、それらのテーマを考える際に、どうしてもそれらの教育の価値を見直す必要があり、「価値を理解するとはどういうことなのか?」「価値はいかように認識されるのか?」ということが切っても切り離せない問題である。

これまでの私はそうした問題にアプローチするのに苦戦を強いられていた。暗中模索の状態が続く中で出会ったのが、エルギン教授の一連の仕事であった。

エルギン教授は、私が敬意を払っているザカリー・スタイン博士が博士課程に在籍していた時の指導教官の一人であり、以前から名前は知っていたのだが、本格的に彼女の仕事を辿ることにしたのは今回が初めてである。

今月末から十月の初旬にかけてボストンを訪れる際に、HGSEで数名の教授と面会することになっており、エルギン教授とも一対一で面会をする機会を幸運にも得ることができた。また、私からのお願いとして、エルギン教授が今学期に提供している「芸術理解」というタイトルのコースを聴講できることになった。これは非常に楽しみである。

先ほど“True Enough (2017)”の第一賞を読み進めてみたところ、私の関心に合致する事柄が、これまであまり馴染みのない言葉で洞察溢れる形で説明がなされていることをすぐさま読み取った。正直なところ、学術機関において哲学的なトレーニングを正規に受けたことのない私にとって、本書を読み進めるのは一筋縄ではいかないが、一日に一章か二章を読むペースで読み進め、エルギン教授との面会までには少なくとも二回は読んでおこうと思う。

ボストン訪問、そしてHGSEでのコースの聴講と教授陣との面会が今からとても楽しみだ。フローニンゲン:2018/9/7(金)18:28 

No.1303: The Running Night Sky

I finished my today’s work. I’ll edit my previous journals before going to bed.

Looking at the outside from the window, it looks as if the night sky were running. Groningen, 20:56, Tuesday, 10/9/2018

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