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2385. 今朝方の夢の最後の場面


小鳥の鳴き声が依然として響き渡る土曜日の朝。このところ、毎朝小鳥の透き通るような鳴き声と共に目覚めることが多くなっている。それは朝の陽気と相まって、春のフルートのような音色として知覚される。

時刻は正午に近づいてきており、午前中の仕事を一旦ここで区切りにしようと思う。午前中は計画通りに、「デジタルラーニングと学習環境」のコースの最終試験に向けた学習を進めていた。実際にはついつい計画以上の論文を読んでしまった。

本来であれば、それよりも少ない量の論文を今日の夕方までに読み終えれば十分だと考えていたのだが、今回が三読目であるためか、読解が非常に速やかに進んでいった。とりあえず今日は試験に向けた論文を読むことはやめにしようと思う。

明日は二本ほどの論文を比較的時間をかけて読み進めていく。二本の論文だけをあえて残していたのは、これらの論文は試験のための学習ではなく、個人的な関心に沿って広く深く読んでいきたいと思ったからである。

片方は「分散知性(distributed intellgence)」に関する哲学的な考察が含まれた論文であり、もう片方はジェームズ・ギブソンが提唱した「アフォーダンス」という概念を取り巻く三つの異なる思想について取り上げたものだ。

この二つの論文の概略を書き留めてみると、やはり自分の関心の矢は、その他の論文で紹介されているような科学的発見事項に向かっているのではなく、科学的発見事項を取り巻く哲学的な考察にあるのだということが分かる。

明日は比較的時間をかけて、これら二つの論文をゆっくりと読み進めていきたい。その際に、過去二読した時のメモにさらに自分なりの考えを追加していこうと思う。

そこからは論文をもう一度読む必要性はほとんど感じておらず、試験の前日にその概要だけを確認するために全ての論文をざっと読み返す程度に留めたい。その代わりに月曜日から試験当日にかけては、それらの論文に対する自分なりのまとめを繰り返し読んでいくことにしたいと思う。そのまとめを読んでいる最中に、仮に不明確な点があれば該当論文に戻るようにする。

今から近所のスーパーに行こうと思ったのだが、ふと今朝の夢の最後の場面が思い出された。それは少しばかり不気味な内容だった。

その前の夢の場面では、空き地にある壁のない家を訪れ、いくつか貴重な本を発見していた。その後に私は、その家と雰囲気の似た小屋の中にいた。

その小屋は先ほどの家とは異なり、きちんと壁があり、中と外の世界が隔てられていた。私はその小屋の隅に座っており、ふと後ろを振り返ると、そこには何人かの知人がいた。

近くにいた知人に話しかけようとすると、私はフロアーの上に小さな蛇を見つけた。それは赤黒い色をしており、毒蛇のように思えたが、とても小さかったので大きな恐怖感を覚えることはなかった。

しかし、どのような毒を持っているか不明だったので、知人に注意を促した。その毒蛇は地面を這いつくばり、人の体温に反応するかのように、ゆっくりとだが確実に近くの人に向かっていくような習性を持っていた。

私たちは蛇に襲われないように、小屋の中で絶えず場所を変えながら動き回っていた。私たちが動き回ることに応じて、蛇も地面を動き回り、私はその蛇の体が少しずつ大きくなっていることに気づいた。

あるところでその蛇はかなりの大きさになった。私たちは「これはまずい」と思ったが、どうやらその小屋から外には出れないようになっているらしかった。

かなりの危機的状況に陥ったが、大きくなった蛇はなぜだか突如として人間に向かってくるのではなく、小屋の真ん中に置かれていた、和菓子の詰まった布団に向かって頭を突っ込み、その中にどんどん入っていった。

すぐに蛇の体は見えなくなり、完全にその布団の中に埋もれた。どうやら蛇はその布団の中の和菓子を食べているようだった。私たちはそれを見て、「これは蛇を退治する絶好の機会である」と思った。

蛇がどこにいるかは布団の膨らみを見たら一目瞭然だった。知人の一人が小屋にあった太く大きな棒で蛇の頭を砕こうとした時、時間が止まったように感じられた。

時間が止まった感覚の中で私は、その知人が蛇の頭を砕いたら、その蛇は死ぬのと同時に、実はその蛇が私たちの気づかないところですでに食べ殺していた友人の血が大量に飛び散る姿が想像された。その光景を想像した瞬間に夢から覚めた。

夢から覚めた時と同様に、夢の最後の場面を書き終えた瞬間にも小鳥たちが小さく鳴き声を上げていた。フローニンゲン:2018/4/7(土)12:06 

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