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2249. 感覚的発見事項と対話空間


午前中、部屋の中が少し暖かく感じられたので暖房のスイッチを切った。しかし、昼食前にまた部屋の温度が下がっていたように感じたので、再び暖房を入れた。

やはりこれからもうしばらくは暖房が必要なようだ。

先ほど昼食を摂りながら、微細な感覚的発見事項を言葉として書き留めておくことの大切さについて改めて考えていた。基本的に私たちは、毎日何かしらの感覚的発見を得ているはずだが、往々にしてそれらに気づかない。

また、仮にそれらに気づいていたとしても、それを一旦言葉にして記録しておくということをしないことが多いだろう。何らかの実践領域がある場合、実践を通じて得られた感覚的な事柄をできるだけ言葉にしておくことが重要に思う。

これはこれまで何度も述べていることかもしれないが、再度その重要性について考えていた。感覚的なことを言葉にする意義と、言葉にしたものを記録しておく意義の双方を強調したい。

自己の存在を深めていくというのは、言葉を深めていくことであり、同時に感覚を深めていくことだろう。言葉と感覚の双方を深めていくためには、それらを深めていくための実践が必要になる。

その実践に関して、私は書き記すというもの以外に優れた方法を知らない。

季節が春に向かうにつれて、冬とはまた異なる幸福感が自分の内側に芽生えている。ここ数日間は、至福な日向ぼっこをしているような感覚があった。

今日はあいにく曇り空であるが、そうした天候の中にあっても小さな至福さを感じる。鳥の群れたちが一斉に飛び立ち、曇った空を駆け抜けていく。

鳥たちは曇った空と晴れた空をいかように認識しているのだろうか。彼らもまたどちらの空に対しても至福さを感じることができるのだろうか。そのようなことを考える。

午前中の仕事を通じて、対話空間を構築することの大切さと対話をすることそのもの尊さを改めて実感するような出来事があった。この人生において、他者と真摯に対話をするということ。それがどれほど貴重なことであり、どれほど尊いことであるか。

午前中に行われた対話を通して、他者と共に生きていくことの意味がまた少しわかったような気がする。それはもちろん、全体の意味のごくわずかの部分にすぎないかもしれないが、また新しい意味を見出したことに違いはない。

人と人とが真摯に向き合う対話空間の中だけでしか起こりえぬ現象というものが確かに存在するようであり、ここにもまた様々な探究事項が隠れていることに気づく。

日曜日もこれから午後になり、午後からは作曲実践と成人発達に関する専門書を読み進めることを行っていきたい。フローニンゲン:2018/3/11(日)12:27   

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