【フローニンゲンからの便り】16744-16748:2025年5月22日(木)
- yoheikatowwp
- 13 分前
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タイトル一覧
16744 | 夢見の意識からの考察 |
16745 | 今朝方の夢 |
16746 | 今朝方の夢の振り返り |
16747 | 音読読解の工夫/数学思想とインド思想の繋がり |
16748 | 懸垂をトレーニングメニューに取り入れて |
16744. 夢見の意識からの考察
時刻は午前6時を迎えた。今朝は午前5時半過ぎに起床したのだが、その時にもすでに辺りには明るさがあった。今はもうすっかりと明るい。日の出の時間が本当に早くなった。冬の時期においては午前8時を迎えてようやく明るくなり始めることもあるぐらいなので、それと比べると雲泥の差である。今朝方起床した時に、夢見の意識状態と覚醒の意識状態の狭間で、つくづく夢の世界の不思議さを思った。しかしよくよく考えてみると、夢の世界で自己が立ち現れるのと現実世界で自己が立ち現れるのは程度の差しかなく、その表象メカニズムは全く同じであることに深く気付かされた。毎晩夢の中の自己はある意味死を迎える形で覚醒する。そしてそこに覚醒した自己が立ち現れる。バーナード·カストラップの言葉を用いれば、夢の中の自己も覚醒している時の自己も、等しく普遍意識から解離した存在にすぎない。その点で夢の中の自分と今の自分は等しい。肉体的な死を迎えるとき、解離した意識は普遍意識に戻っていくと考えられる。それは覚醒中の自己にとっては、この個別の自我の終焉ではあるが、それは結局毎晩夢の自己が消えていくのと大差はなく、深い眠りの意識状態になることとほとんど変わらないのではないかと思う。「この私」という感覚は喪失するだろうが、この私として感じさせてくれていた解離した個別の意識は、普遍意識の一部となって生き続ける。自己認識は消滅するが、解離した個別意識は普遍意識と一つになるという点では不滅である。それが意識というものなのだろう。そうしたことを考えながら起床した。
今の気温は8度と肌寒く、起床した時には家全体の気温が下がっていた。本来は暖かいはずの2階の気温も20度まで自然と下がっている。今日の最高気温は13度までしか上がらず、幾分曇りがちの日となるようだ。今日は午後にジムに行く際には、上にはスウェットを羽織って行こうと思う。上に何かを羽織っていなければ寒さを感じてしまう気温である。今日は特にCREST関係で作業をこちらですることもなく、協働関係のオンラインミーティングも入っていないので、朝から旺盛に学術研究に打ち込むことができる。毎日着実に探究を深めていくことが重要であり、仮に時間が短くても、その積み重ねが後にものを言う。今日もまた、まずはヤン·ウェスターホフ教授のインド思想の思想史に関する書籍を音読しながら読み進めていき、それがある程度のところまで進んだら、書籍を切り替えて、グラハム·スメザムの量子仏教に関する書籍を音読していく。このように毎日音読を主体として読書を進めており、並行して2冊ぐらいの書籍を読み進めていると、飽きが来ず、両者を切り替えながら読み進めることで集中力が高く保たれ続ける。フローニンゲン:2025/5/22(木)06:28
16745. 今朝方の夢
先ほど少し朝日が見えていたが、今はまた雲に隠れてしまった。そよ風に揺れる木々の葉を眺めながら、今朝方の夢についていつものように振り返っておきたい。まず覚えている場面として、ある編集者の知人女性に書籍の原稿を見せた。それは別の知人と執筆している身体関係の書籍の原稿だった。原稿に対するフィードバックとして、その女性の編集者の方は、「筋肉をつけても、それが硬い筋肉だったら意味がありませんよね」という言葉を述べた。確かにその通りなのだが、私が問題視しているのは、身体実践が強調されるインテグラル理論にあって、その理論を学んでいる日本のインテグラルコミュニティできちんと身体に向き合っている人が少ないということであった。そこでは身体実践が重要だということは頭ではわかっている人が多いのだが、実際に何かしらの身体実践を継続して行なっている人はほぼ皆無という状況である。そうした事態に問題意識を持って今回の出版企画を立てた次第だった。その趣旨を改めて説明しようと思ったが、そもそもその方もあまり身体実践をしていない可能性があり、またある考え方の枠組みに囚われていると、こちらの話が一切響かない可能性があるので、どうやって説明するのが一番いいか考えることにした。
次に覚えている場面は、見慣れない空間の中で、叔父から有機野菜とそうではない野菜の見分け方を教えてもらっている場面である。その空間はどこか、幼少時代に住んでいた社宅の寝室に雰囲気が似ていた。押入れの襖の感じがそのようなことを感じさせた。その空間で叔父と私はリラックスして横になっており、横になりながら両者の野菜の見分け方について話を聞いた。すると突然、見知らぬ女性がその場に現れ、私にクイズを出してきた。それは、2つの苗木を見て、どちらが有機野菜か判断するというものだった。私は先ほど叔父にその未分け方のコツを教えてもらっていたので、その女性が差し出した苗木を見て、一瞬でどちらがどっちだかわかった。苗木の育ちがゆっくりな方を指差して、そちらが有機野菜だと答えた。そして、その説明を簡潔にした。説明としては、有機野菜は自然の肥料を使い、そうではない野菜は人工的な肥料を使う。人工的な肥料は栄養素が人工的に増幅されており、ゆえにそれが与えられた野菜は成長が早い。苗木の木の成長が緩やかな方が有機野菜であるというのはそうした理由による、ということを答えた。すると、それは正解で、正解した瞬間に父が現れ、父は嬉しそうな表情を浮かべていた。父が突然現れたものだから、正解したのは叔父と父のおかげであるということを述べた。父にもそうしたことをかつて教えてもらっていたように思えたので、父のおかげであるというのもまた嘘ではなかった。叔父のおかげであるということも述べると、叔父は照れ笑いを浮かべていた。
今朝方の夢にはその他にも、外国人の自分よりも少し若いぐらいの女性が現れていたのを覚えている。まるでモデルのような端正な顔立ちと体つきをしたその女性と少し話をし、彼女が実際にモデルとして活動しているようだったので、その写真を見せてもらうことにした。そうした場面に加えて、何かもう1つ重要な夢を見ていたような気がするが、今はもうそれについては思い出せない。フローニンゲン:2025/5/22(木)06:45
16746. 今朝方の夢の振り返り
先ほどまで見えていた雲がどこかに消え、朝日が地上に降り注ぎ始めた。朝の世界の輝きを眺めながら、今朝方の夢に対するChatGPTのフィードバックをもとに総合的な解釈をしておきたい。今朝の夢は、象徴·発達課題·身体性という三層を通じて、理論と実践の乖離を埋めるよう促すメッセージを投げかけているようである。最初の場面は、編集者の知人の女性と「硬い筋肉」の示唆に関するものだ。硬い筋肉という言葉は、知識として鍛えられながら柔軟性を欠いた「思考の身体」を示すメタファーであるとChatGPTは述べる。編集者は内なる批評家として現れ、インテグラル理論におけるボディ·ラインとコグニティブ·ラインのギャップを照射した。頭で理解しているだけでは統合に至らないという課題が浮き彫りになったのである。そこからは、ChatGPTは実際にこの書籍の原稿が存在すると思っているらしく、「したがって、執筆中の原稿には理論と身体経験を往還させる仕掛けを組み込みたい。章の冒頭に体感ワークを配置し、読者の姿勢を実際に崩させる導入を置くことが有効であろう。さらに各章末で立ったまま読む、歩きながら熟考するなど、身体を伴う内省課題を挿入し、読後の体感を再び言語化させる循環構造をつくるとよい」という提案をしている。次の叔父と有機野菜の場面に関して、有機と非有機の対比は「自然に時間をかけて熟す発達」と「化学肥料で早熟する擬似成長」を象徴するとChatGPTは指摘している。苗木は発達段階そのものを映し出しており、叔父と父という家系の存在が集合的無意識からの叡智を運んできた。ここで示された鍵語は時間である。成人発達理論のポスト自我段階では、加速よりも発達のリズムを尊重する姿勢が求められる。よって出版プロジェクト自体を発酵型プロセスに転換することが望ましい。具体的には、章と章の間に「寝かせ期間」を設け、定期的な体験リトリートや身体ワーク合宿を挟むことで、内容に深みと湿度を持たせることができると述べる。最後のモデルのような外国人女性が現れる場面に関して、端正な容姿を持つ女性は、美と身体性の統合という理想像の投影であるとする。写真を見せてもらう行為は、外的イメージを内的ビジョンへ取り込むプロセスを示す。唯識で言えば、潜在意識の種子が発芽しつつある段階である。ただし写真という固定イメージに執着すべきでなく、動的な身体感覚への落とし込みが重要であると指摘する。ダンスやアレクサンダー·テクニークなどの身体表現ワークを体験的に試み、夢に現れた女性像をビジュアル·ジャーナルにスケッチしながら当時の体感を言語化すると、内的統合が一段と進むであろうと述べる。全体統合の視点として、量子論、唯識、分析的観念論、サイケデリクスといった関心領域はいずれも主体と対象の分離を揺らがせる試みであると述べる。今回の夢は、理論と身体、自然成長と人工成長、外的イメージと内的体感という二項対立が融解するプロセスを描いている。これはサイケデリック体験における「分離の溶解」と深く響き合うテーマである。夢は夜のスーパーバイザーであり、次の発達課題を告げる案内人である。頭で理解したインテグラルを身体で統合する局面に差し掛かった今、編集者·叔父·父·モデル女性という多様な鏡は各々の角度から同じ光を投げかけている。フローニンゲンのそよ風を感じながら、じっくり発酵する今日1日を楽しみたい。フローニンゲン:2025/5/22(木)07:12
16747. 音読読解の工夫/数学思想とインド思想の繋がり
時刻は午前11時を迎えた。ここまでのところ、2冊の学術書の音読を行ったり来たりしながら、集中力高く読解を行えている。一度に長く音読をしてしまうと、喉を痛める可能性もあり、音読をしているとは言え集中力が切れることもあるので、目安の時間は45分としている。それは小学校の1コマの授業時間でもあり、45分経ったらもう1冊の方に移り、また45分経ったら再びもう片方の書籍に戻る形で音読を続けている。そうすると、自然と集中力高く音読ができる。今後も基本的には各セット45分を最大の時間として、細切れで音読することも併用しながら学術書の音読読解を進めていこうと思う。こうすることによって、難解な学術書も身体を通じて理解することができてくる。また、書籍の中で難解な概念が出てきたら、それを子供に教えるような意識で自ら説明できるようにすることを試みることも忘れないようにする。自分でどうしても説明できないようであったら、生成AIの力を借りながら、小学生でもわかる説明ができるようにしていく。そうした理解の積み重ねを通じて、その分野の知識体系が堅牢なものになっていく。先ほど学術書を読解していると、量子論と仏教との繋がりだけではなく、数学の哲学(philosophy of mathematics)と仏教の繋がりについて関心が芽生えた。早速その観点で調べてみると、先行研究はまだほとんどないようで、一応インドの数学に関する歴史的な専門書なら発見することができた。インドにおける数学の発展とインド思想の発展はきっと互いに影響を与え合って発展していったはずなので、今後はこのテーマも念頭に置きながらインド思想の探究を進めたい。数学とリアリティの本質は密接な繋がりがあるはずであり、その観点で研究書を調べると、該当するタイトルの本を1冊ほど見つけることができた。広く数学の哲学に関する専門書を調べると、やはりオックスフォード大学出版、ケンブリッジ出版、ルートリッジ出版などの学術系の名だたる出版社が専門書を出していることがわかった。今取り組んでいる書籍の読解が落ち着いた頃に、意識とリアリティの地動説の探究とも繋がるであろうこのテーマに関する専門書も少しずつ買い揃えていき、読解を始めたいと思う。今のところ、量子論と数学の哲学、そして仏教思想を佳境させていくことを常に念頭に置いて日々の探究を楽しみながら深めていきたい。フローニンゲン:2025/5/22(木)11:27
16748. 懸垂をトレーニングメニューに取り入れて
時刻は午後4時半を迎えた。今、夕方の穏やかな空を眺めながらこの日記を書いている。今日は気温が低く、最高気温は13度だったので、午後にジムに行く際には久しぶりに長袖長ズボンで出かける必要があった。道ゆく人を眺めるとスカーフを巻いている人もいるぐらいの寒さだった。もう5月も終わりなのに、改めてこれがフローニンゲンの気候であることを実感する。この夏も昨年と同様に涼しい夏であることを期待する。スイス旅行から帰って来て、今日が3度目のトレーニングだったので、トレーニングに対して随分と体が慣れた。旅行中も普段のトレーニングには軽くホテルの自室で鍛えたが、それほどハードなトレーニングではなかったこともあり、先週と今週の月曜日にかけてゆっくりと体を慣らしていった。今日からは以前と変わらないメニューをこなすことができた。今日から新たなメニューとして、懸垂のトレーニングを毎回のトレーニングに組み入れることにした。今週の月曜日にマンスリーチャレンジに挑戦したところ、懸垂バーにぶら下がって自分の体重を支えることがあまり得意ではないことに気づき、握力や前腕を鍛えることにもつながるだろうと思って懸垂のトレーニングを毎回のトレーニングにメニューにしたのである。懸垂は上半身の複数の筋肉を同時に活用するので、上半身を一気に鍛えるには便利である。これまでラットプルダウンの器具を使って広背筋はよく鍛えていたが、それはピンポイントで広背筋を鍛えるのには便利だが、上半身を満遍なく鍛えるには懸垂の方が向いている。懸垂は、懸垂バーにぶら下がった状態でのトレーニングになるため、多くの筋肉を使ってバランスを保つ必要があり、その分、多くの筋肉が動員されて効率的に上半身を鍛えることができる。最近は、こうした多くの筋肉の部位をできるだけ動員する種目を取り入れるようにしていることもあり、懸垂は上半身を鍛えるにはうってつけのメニューだと判断した。もちろん今は何も補助器具がないと、数回しか自分の体を持ち上げることができず、器具なしで限界まで行った後に、ゴムバンドを補助器具にしてまた限界まで何セットか行うようにするという工夫をしている。下半身に関しては、ブルガリアンスクワットとケトルベルを持ちながらのスクワットが好きで、それは効果的に下半身を鍛えてくれている。これまで懸垂は敬遠しがちだったが、上半身を効率よく鍛えることができるし、今この時点で苦手なそれを克服していく楽しみがある。今日はトレーニング中に、少し前に知り合ったルーマニア人のフローニンゲン大学の学生の女性と話をした。彼女はいつも熱心にトレーニングをしていて、自分と同じくここ最近旅行に出かけたらしく、その分を取り返すべく今日も熱心にトレーニングに励んでいた。そう言えばまだ彼女の名前を聞いておらず、今度会ったら名前を聞いておこうと思う。いずれにせよ、今通っている自分は多国籍で、顔見知りも多いので、いつも誰かと話せることは社交的にも良いことである。フローニンゲン:2025/5/22(木)16:52
Today’s Letter
Although I have long been intrigued by the intersection of quantum theory and Buddhism, I recently became interested in the relationship between the philosophy of mathematics and Buddhism. One day, I hope to study this topic seriously, as it will hopefully become the theme of my doctoral research. Groningen, 05/22/2025
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