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1348. 自著に触れた感動と最後の最後の日に向けて


今日は嬉しいことが続く。昼食前に編集者の方から増刷の連絡を受けたことに加え、ようやく『成人発達理論による能力の成長』の実物を手にすることができた。

実は、著者用の書籍は全て献本していたということと、日本からオランダにわざわざ書籍を送ってもらうことを控えていたため、出版から一ヶ月以上経とうというのに、まだ自分の書籍に直に触れたことがなかったのだ。

上の階に住むピアニストの友人が日本に一時帰国したついでに、本書を持って帰ってきてくれたおかげで、先ほどようやく自分の書籍に触れることができた。実際の書籍を自分の手に取り、ページをめくっていると、とても感慨深いものがあった。

やはり書物というのは電子書籍ではダメなのだとつくづく実感する。書籍の重さ、書籍のカバーと中身のページの質感、書籍の香りを含め、それらが全て一体となって初めて一冊の書物となる。現在、コンピュターサイエンスの最先端では、ヴァーチャル情報が触覚や嗅覚などに作用する研究が進められているようだが、その研究成果が電子書籍に取り入れられるのはまだ先のことだろう。

仮にそのような日が来たとしても、私はやはり紙媒体の書籍を愛し続けると思う。電子情報というのは現代社会の重要な文化的創造物だが、紙媒体の情報は太古から受け継がれる人類の文化遺産である。

長大な時間をかけて築き上げてきた人類の文化遺産を守るためにも、今後も私は紙媒体での書籍と論文を愛し続けたいと思う。 読みに読み、書きに書く、いつも通りの一日。読みに読み、書きに書くということが呼吸と同じ実践になり、一日一日を積み重ねていく欧州での日々。

昨年の第一弾の作品と今年の第二弾の作品を愛しながらも、それらを一刀両断する形で自分の仕事だけに邁進していく。何も始めていないし、何も残していないということに絶えず自覚的になり、絶えず自分の表現物を生み出していくことだけに専念する。

敬愛する辻邦生先生がシェイクスピアを引き合いに出し、職人的な誠実さを持って絶えず作品を生み出すことだけに専心した態度を規範にしなければならない。人知れないところで絶えず書く。誰にも見られていなくても絶えず書く。

絶えず絶えず書き続け、自らの存在が消滅したその後の世界の誰か一人が、自分の書いたものに触れてくれるだけでもいいという気持ち。自己が解体し、自己が溶解しても書き続けるというその気概。

そして、その気概すら生じない超越状態の中で書き続ける自分を作り出していく。絶えず読み、絶えず書く。

自己も他者も社会も顧みず、読みに読み、書きに書くことによって初めて、自己と他者と社会が見えてくるという明々白々なこの感覚。読みに読み、書きに書くことが己の幸福となり、それが他者の幸福につながる次元まで、読みに読み、書きに書くということを行っていくという決意。

この決意はもはや言う必要もなければ、その存在も必要ない。なぜなら、もはや私はその決意に他ならないからだ。

決意など持つものではなく、決意にならなければ何の意味もないお題目である。そのような決意を通して、夕食後のこれから、そして明日の早朝から最後の最後の日まで読みに読み、書きに書く。

読みに読み、書きに書く。読みに読み、書きに書く・・・。2017/7/25(火)

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