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903.発達の本質にある「差異」と「反復」


いよいよ明後日からは、一週間ほどのオーストリア旅行が始まる。出発前の気持ちとしては、昨年の夏の欧州小旅行と同様に、そこに何が待っているのかに対する楽しみと非常に静かな気持ちが隣り合わせになっている。

下手に達観しているわけではないが、自分が訪れたことのない土地は、常に想定の範囲内かつ範囲外の出来事と遭遇することを知っているがゆえに、そのような気持ちになっているのかもしれない。私はできるだけ、現在の自分の認識の枠組みの範疇を超えた出来事に対して、心を動かしたいと思う。

今回、ウィーンとザルツブルグへ滞在する期間の中で、今の自分をより深めてくれるような現象と必ず出会うことになるだろう。それを逃さないことが大切だ。

そのようなことを思いながら、明後日の出発に向けて、最後の食料の買い足しに出かけた。近くのスーパーに向かって歩いている最中に、突如として、自分の研究に関する、より適切なリサーチクエスチョンが閃いた。

今日の午前中からスーパーに出かける前にかけて、研究のある一つの論点に対してずっと思考を巡らせていたためか、降って湧いたように筋の良さそうなアイデアが閃いたのだ。それは、研究対象である教師と学習間における発話構造の複雑性に関するシンクロナイゼーションの問題だ。

突如として閃いたアイデアをもとにすれば、今直面している問題を解決することができると直感的にわかった。もちろん、その解決策を実施する前に、あれこれと小さなことを確認しておく必要がある。

そうした小さな確認事項が何なのかについて、スーパーの店内を歩きながらあれこれと考え、先ほどの入浴中にも色々と考えを巡らせていた。それらの細かな点を詰めることは当然大事であり、それらには閃いた解決策を実行できるのか否かを左右する点が混じっていることにも気づいた。

その点を詰めるために、夕食後からは、プログラミング言語のRをいじりながら、その点について検証をしておきたい。午前中にインターネット上で発見した資料に沿いながら、実際に手を動かす形でRを用いた検証をしておきたいと思う。

結局、オーストリアへ旅行に出かける直前まで、研究に打ち込むことになりそうだ。オーストリアに滞在している最中においても、研究が頭から離れることはないだろうが、あえて研究から離れるような意識を持ちたいと思う。

対象から一度離れることは、再びその対象に戻ってきた時に、これまで以上に深く入り込むことを可能にするからだ。可能かどうかわからないが、ウィーンとザルツブルグにいる間は、できる限り研究から離れたいと思う。

そのようなことを思いながら、昼食後に目を通していた論文について少しばかり書き留めておきたいと思った。この論文は、ダイナミックシステムアプローチを発達研究に適用した先駆者の一人であるアラン・フォーゲルが執筆したものだ。

エスター・セレン、リンダ・スミス、ポール・ヴァン・ギアート、マーク・レヴィスらと同様に、ダイナミックシステムアプローチを活用した発達研究に関して、アラン・フォーゲルが果たした功績は大きい。

この論文の中には、発達現象のプロセスをつかむための研究デザインに関する説明、ダイナミックシステムの発達プロセスが持つ三つのレベルに関する説明、複雑な発達現象に対して観察者が与える影響に関する説明など、再度読み返しておきたい論点が多数ある。

そうした論点以外に、最も私が気になったのは、グレゴリー・ベイトソンが残した「差異は差異を生む」あるいは「差異を生むのは差異である」という言葉であった。この論文の中でも言及されているように、システムの差異が持つパターンを認識するのは、観察者である私たちである。

そうしたパターンは、まさにこれまでのシステムの特性と異なるがゆえに、私たちが認識できるものだと言えるだろう。だが、システムは、私たちが認識できないような差異を常に産みながら変化しているのも事実だ。

一つとして同じ差異は存在せず、システムの変化に応じて、常に新たな差異が生まれているというのはとても興味深い。そして何より、差異を生み出すメカニズムが反復的だという点も面白いだろう。

反復的に差異を生み出しながらも、その差異はこれまでの差異とは異なるのだ。この現象は、私を捉えてやまないものがある。

端的に述べれば、「差異」と「反復」という現象は、ダイナミックシステムの本質的な要素であり、それらは多分に哲学的な要素を持っているのだ。そうした哲学的な要素が、私を強く引きつけているのだと思う。

そのようなことに思いを巡らせていると、ちょうど昨年の夏に購入した、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの “Difference and repetition (1968)”が本棚にあることを思い出した。すぐさま本棚に駆け寄り、本書を手に取って中身を眺めると、当時の私にとってこの書籍は難解であり、少しばかり線が引いてあったり、少々書き込みがあったりするぐらいであった。

だが、当時の私ですらも、発達現象の本質には、差異と反復があるということに気づいていたようなのだ。そうした関心から本書を購入していたことを思い出した。少しばかり本書の中身に目を通すと、キルケゴールやニーチェらが反復に関する哲学的考察を行っていたことに気づく。

一方、差異に関しては、プラトン、アリストテレス、ドゥンス・スコトゥス、スピノザ、ニーチェ、ヘーゲル、ライプニッツたちが哲学的な考察を展開していることを知った。過去の偉大な哲学者たちがこぞって差異と反復に関する探究を行っていたことを見るにつけ、より一層、それらの現象に対する探究を哲学的な観点から深めていきたいと思うようになった。

差異と反復に関する探究は、発達研究に不可欠な思想を醸成し、発達現象に対するより深い思索を可能にすることにつながると思えて仕方ない。本書に関しては、システム科学とネットワーク科学の書籍を一読し終え、オーストリアから戻って来て以降、毎日一つずつ章を読み進めていきたいと思う。

書斎の窓から見える赤紫色の美しい夕日を眺めながら、本書と出会えたこと、そして本書が今この瞬間に自分の手元にあることが幸運に思えてならなかった。2017/4/1

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