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829. オランダでの三年目の生活について


昨日の夕方は、インドネシア人のタタと、「複雑性とタレントディベロップメント」のコースのグループ課題についてミーティングを行っていた。待ち合わせ場所のキャンパスのカフェテリアに着くと、すでにタタがそこにいた。

ご存知の通り、インドネシアは冬というものがなく、タタにとってはこのような厳しい冬を長く経験したことは始めてだったということを聞いた。オランダの最北端に位置するフローニンゲンの街も、少しずつ暖かくなってきている。

新たな季節の到来は、タタにせよ私にせよ、多くの人が待ち望んでいたことだろう。雑談もそこそこに、私たちはグループ課題に早速取り掛かった。

二時間ほど作業に取り掛かったところで、ひとまず全てが落ち着いた。このミーティングを締めくくる前に、私はタタに、プログラム修了後の進路について尋ねた。

タタと始めて出会ったのは昨年の九月であり、その時に、卒業後は一年間ほどオランダで働きたいという希望を持っていることを聞いていた。以前紹介したように、オランダの大学院(おそらく学部も含む)を修了したら、 “search year”という制度があり、オランダ政府に申請をすれば、もう一年間ほど滞在許可が与えられる。

もちろん、大学院にいる間に、学術機関や企業組織で正規の職を得ることができているのであれば、就労ビザが発行されるであろうから、滞在可能期間はより長くなるだろう。しかし、正規の職を得ていたなくても、仕事を探すための猶予が一年間ほど得られる制度があるのだ。

これとほぼ全く同じものが米国の大学院時代にあり、大学院修了後、私はアメリカでその制度を活用し、職を見つけてさらに二年ほど米国に滞在していた。タタに話を聞くと、 “search year”を活用してオランダで職を見つけるのではなく、母国のインドネシアに帰ることにしたそうだ。

タタはインドネシアの一流大学を卒業し、その後、大手の銀行に就職し、オランダで修士号を取得したことに伴い、母国で職を見つける方が容易なのだろう。彼女の現在の希望は、人財系のコンサルティング会社で職を見つけることだそうだ。

その後、タタから私の進路について質問があり、私も今後のことについて少しばかり考えを巡らせていた。正直なところ、オランダに来る前の計画では、現在の一年間のプログラムが修了したら、そのまま米国に戻る予定であった。

だが、ある時、一年間でフローニンゲン大学を去るのはあまりにも勿体ないことであることに気づき、さらに別のプログラムを通じて研究を続けることにした。つまり、オランダで二年間ほど生活をしてから米国に戻るというのが最近までの私の計画であった。

だが、フローニンゲン大学と欧州で得られるものを考えると、二年でも全くもって足りないことがひしひしと感じられるようになったのだ。そのため、私は、二年目のプログラムが修了したら、 “search year”を活用して、さらに一年間ほどオランダで生活をしたいと思う。

オランダ政府のウェブサイトから、 “search year”について調べてみると、この期間に職を探す必要はなく、職を探すという名目でオランダにさらに一年間ほど滞在できることがわかった。この期間を自分の研究と仕事のためだけに費やす時間にしたいと思う。

大学院での講義を履修する必要もなく、愚直に自分の研究を進め、探究した分野の論文と専門書籍を毎日ひたすらに読むような一年にしたい。そこに日本からの仕事を含めると、非常に充実した一年になるのではないかと思う。

現在はプログラムに所属しているという都合上、大学院での講義を履修する必要があり、それはそれで非常に学びが多いのだが、純粋に自分の内発的な動機だけをもとにして、論文や専門書を読む毎日を送りたいのだ。

結局最初の一年間は、自由に欧州を旅する時間というのがなかなか取れず、二年目もそのような年になるだろう。そのため三年目は、他の仕事との兼ね合いも考慮しながら、欧州を旅するようなゆとりを持たせることも考えている。

修練期間であり充電期間である最後の一年を終えたら、満を持して米国に戻りたい。2017/3/14

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