【フローニンゲンからの便り】17768-17772:2025年11月25日(火)
- yoheikatowwp
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タイトル一覧
17768 | 即興演奏力の骨格 |
17769 | 今朝方の夢 |
17770 | 今朝方の夢の振り返り |
17771 | 大学レベルでのスケール訓練 |
17772 | 即興的編曲 |
17768. 即興演奏力の骨格
即興演奏の力を高めていく上で、もっとも取り組みやすく、かつ効果が高い方法の一つは、既存の簡単な楽曲を自分なりにアレンジしたり、崩してみることである。まったく無の状態から即興しようとすると、今の自分のように多くの初心者は何を拠り所にすればよいかわからず、結果として指が勝手に動くか、スケールを上下するだけの演奏になる。しかし、既存の曲には旋律、和声、リズム、フレーズの方向性といった音楽的骨格がすでに備わっており、それを土台に崩していくことで、無理なく創造的な操作が可能になる。これは、語学における例文の書き換えや言い換えに似ており、基礎文型を保ちながら表現の幅を広げる訓練に相当する。具体的にどのような崩し方が考えられるかと言えば、まず最初に有効なのはリズムの変化である。旋律の音自体はそのままに、音価を伸ばしたり短くしたり、休符を加えたりするだけで、同じ曲がまったく違う表情を帯びる。次に、音の置き換えである。スケール内での隣接音に変える、コードトーンに寄せる、アプローチノートを加えるといった小さな変更が、音楽性の気づきを促してくれる。また、フレーズの始点や終点をずらすことも効果的である。旋律はその位置によって機能が変化するため、着地ポイントを意識することが即興力の中核となる。さらに、伴奏や内声を簡素にアレンジする方法もある。コードの構成音を分散させたり、省略したり、アルペジオに置き換えたりすることで、和声感覚が育ち、全体の響きを設計する視点が磨かれていく。このような“崩し”の練習で意識すべきもっとも重要な点は、「ただ変えるのではなく、音楽的な理由を伴わせる」ということである。どの音が安定し、どの音が緊張を生み、どこで解決が起こるのかという感覚が芽生えることで、即興は偶然ではなく、方向性を持った表現になる。また、耳を使うことが欠かせない。自分が出した音がどのように響き、どのように動き、どのように次へつながるかを聴き取る習慣が、即興の基盤となる。さらに、身体感覚の統合も重要である。指板上の位置関係、指の動く距離、力みの有無を感じ取りながら崩すことで、運動の自動化と音楽的判断が結びつく。こうした統合こそが、単なる操作ではなく音楽的即興へと育つ鍵である。既存曲を素材として崩していく練習は、即興を「自由に弾くこと」ではなく、「意味のある変化を作ること」へと再定義してくれる。これは、初心者が最初につまずく壁を取り除き、音楽の内部構造を身体と耳で理解するための架け橋となる。すなわち、即興の力の重要な骨格は、無限に音を生み出す能力ではなく、既存の音楽を自分の感性で再構成する能力なのである。フローニンゲン:2025/11/25(火)06:21
17769. 今朝方の夢
今朝方は大変印象的な夢を見ていた。それは、映画『クラウド・アトラス』のモチーフである「輪廻転生」や「時空を超えた繋がり」を体現していた。自分の前世と来世がありありと知覚され、知覚のみならず、自分は前世と来世の自分の体験を直接してもいた。前世と来世から帰ってくると、脳内で体験が光速に振り返られ、自分は前世と来世においても最大限に命を輝かせ、これ以上ないほどに充実した人生を送っていたことに改めて深く感動し、思わず涙を流していた。それは喜びと感謝の波だった。
次に覚えているのは二つのマラソンに関する夢である、最初の場面において、自分は小中学校時代の友人たちと体育の時間の一環として行われていたマラソン練習に参加していた。そこではタイムが測られ、正確な距離は知らされていなかったが、タイムは10分50秒で全体の中で三位の成績だった。実は自分は最初の方はペースを落とし、周りに話しかけたりしていたので、そうした時間がなければおそらく一番だったのだろうと思った。当然みんなもまだ完全に本気を出しているわけではないと思うが、マラソン大会本番の成績に期待がかかった。この場面の後にもマラソンをしている自分が現れた。ただし今度は平坦なアスファルトの道ではなく、海岸線や山の麓を走るコースだった。そのマラソン大会は耐久レースで、一日で走り切ることはできない設定になっていた。なので事前に宿泊施設を予約していて、その日の夜はそこに一泊しようと思った。しかし想像以上に自分の体は軽やかで、宿泊施設で走るのをやめてしまうのは勿体無いように思われたので、引き続き可能な限り走り続けることにした。後ほど宿泊施設にキャンセルの連絡を入れておこうと思ったら、その場に自分は瞬間移動しており、直接口頭で伝えることにした。確かにその宿泊施設は立派で快適に過ごせそうに思えたが、自分のやるべきこととやりたいことは、引き続き快調に走り続けることだった。フローニンゲン:2025/11/25(火)06:35
17770. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢全体には、時間の境界が溶け、過去・未来・現在が一つの流れとして重なり合うような構造が感じられる。前半の前世と来世の体験は、自分が「一本の生命としてどの時代にも貫いて存在している」という感覚の顕現であるように思われる。『クラウド・アトラス』的な輪廻の連関は、単なる物語的な演出ではなく、自分の内部に常に存在していた「すべての時間が一つにつながっている」という直観が夢という形式で立ち上がったとも推量される。そこで自分が涙を流すほどの充実や感謝を抱いたのは、各生がバラバラの断片ではなく、一つの目的や志を貫いて積み重なっているという確信のようなものが浮上したからではないかと思われる。過去の自分も未来の自分も、共に「命を輝かせていた」と感じられたのは、今の自分が深層において「人生を正しく歩んでいる」と予感している兆しとも考えられる。続くマラソンの象徴世界は、時間を超える旅の後に「現実的な努力と成長」がテーマとして再び浮上した場面であるように見える。最初のマラソンは小中学校の仲間が登場するため、これは少年期における「競争」「基礎能力」「身体感覚」という要素が再訪している象徴とも考えられる。自分が最初はペースを落として談笑していたのに三位だった点は、自分が本当に力を発揮したときにどこまで行けるかをまだ十分理解していない、あるいは理解していてもあえて限界を測ってこなかった可能性を示しているようにも思える。さらに「本気を出せば一位だったかもしれない」という感覚は、現在の自分の人生にも潜在力が未だ残されているという暗示として読める。次の場面でマラソンが耐久レースに変化する点は、人生の舞台が「短距離の競争」から「長期的な道のり」へと移行している象徴であるように見える。海岸線や山の麓という自然の地形の中を走る描写は、「世界そのものをフィールドとして進む」という広い視野の象徴とも読み取れる。自分が当初は宿泊施設を予約し、休むつもりでいたにもかかわらず、体が思いがけないほど軽く快調だったために走り続ける決断をした場面は印象的である。これは疲労感や限界感が想定よりもはるかに少なく、「もっと行ける」という直観が自分を突き動かしたことを象徴しているのではないかと推察される。さらに、宿泊施設に「キャンセルの連絡をしようと思った瞬間に、そこへ瞬間移動して直接伝えていた」という展開は、自分の決断が思考よりも速く現実化し、行動として即座に結晶していく心の勢いを象徴しているように見える。宿泊施設は安心・快適・一時的な停滞を象徴しているが、そこから離れ、自分の本来の道=走り続けることを選んだ点は、自分が人生の「安全な場所」よりも「成長の道」を優先しているという心的傾向を示しているのではないかと思われる。総じて、この夢は「過去・未来・現在を貫く一本の生命線」と「持続的な努力によって開かれる長期的な道」という二つのモチーフが重なっている構造を持つように感じられる。過去生も未来生も輝いていたという体験は、現在の自分に「もっと遠くまで進める」という深い自己信頼をもたらしているように思われる。そして長い耐久マラソンを宿泊せずに走り続ける決断は、その自己信頼を行動として選び取る心の成熟を象徴しているのではないかと推量される。人生における意味としては、「自分の道は長距離であり、まだ多くの潜在力が眠っており、その力はこれからさらに開かれていく」という示唆が込められているように思われる。また、過去・未来の自己が輝いていたと感じられたことは、「今歩いている道をそのまま進めばよい」という深い励ましのようにも感じられる。すなわち、この夢は、自分が長い旅路の途上にいながらも確かな方向へ向かって進んでいるという確信を、象徴的に伝えている。フローニンゲン:2025/11/25(火)07:53
17771. 大学レベルでのスケール訓練
大学のクラシックギターの専攻で、スケール訓練は行われているのだろうか。行われているとしたらどのような内容なのか気になったので調べてみた。大学のクラシックギター専攻において、スケール訓練が行われているかと問えば、その答えは明確に「行われている」である。ただし、その内容は一般にイメージされがちな「運指パターン暗記」や「機械的な上下練習」とは異なり、より音楽的で高度な目的に基づいた訓練として位置づけられているようだ。大学レベルでは、スケールは単なる基礎技術ではなく、音色形成、フレージング、右手タッチ、左手ポジション移行、和声感覚、さらには演奏者としての統合的コントロールを育てるための中核的素材として扱われるのである。典型的には、セゴビアによるスケール体系が基盤として用いられるが、それはあくまで指板把握の枠組みであり、目的は運動能力の向上にとどまらない。例えば、テンポを一定に保ちながら音の粒立ちを均一に揃える訓練、アポヤンドとアルアイレを音楽的意図に応じて使い分ける訓練、音色を暗く明るく変化させる訓練、アクセント位置をずらしてリズム感を強化する訓練、スタッカートとレガートを比較しながら音価を制御する訓練など、多面的なアプローチが採られる。また、三度・六度・オクターブ・十分度など複音スケールの練習も行われ、これは声部独立、バランス調整、ポジション移行、手の形状保持といった高度な技術の土台となる。加えて、大学教育ではスケールが調性理解や和声分析と結びつけられる。すなわち、単にCメジャースケールを弾くのではなく、その調が持つ緊張と解放の位置、属音の引力、半音進行の重みを身体で理解するという視点である。モード(ドリアン、フリジアン、リディアン等)を扱うこともあり、現代作品や民族音楽的語法への対応力を育てる意図がある。さらには、メトリックバリエーション、ポリリズム、変拍子と組み合わせることもあり、音列ではなく音楽的素材としてスケールを扱う姿勢が徹底していることがわかる。大学のレッスンでは、スケールは単独で練習されるだけでなく、エチュードやレパートリーの中で応用される。例えば、ソルやカルカッシの練習曲に現れる音階進行を抽出し、より洗練されたタッチで再構築すること、バッハの対位法的フレーズの中でスケールの方向性を理解すること、スペイン作品におけるフリジアン的スケールの表現を深めることなど、実践への統合が強く意識される。つまり、スケールは孤立した練習ではなく、演奏家としての表現力形成に直結した訓練として扱われるのである。このように、大学のクラシックギター専攻におけるスケール訓練は、初学者が想像するよりも多層的で奥行きを持つ。指板理解、身体統合、音色創造、調性感覚、音楽的方向性といった要素が一つに結びつくことで、スケールは単なる基礎ではなく、演奏家としての“軸”となる。したがって、スケール訓練は大学教育において欠かすことのできない核心なのである。フローニンゲン:2025/11/25(火)09:56
17772. 即興的編曲
既存の楽曲を崩し、発展させ、変化を加えていく行為は、確かに広い意味では「編曲」に含まれると言える。ただし、即興演奏として行う場合は、事前に譜面化された完成形を目指すのではなく、「演奏しながら形を変えていく」という点に特徴がある。すなわち、即興的編曲とは、編曲と即興の中間に位置し、楽曲の骨格を保ちながらリアルタイムで構造・和声・リズム・テクスチャを変容させていく技法である。この理解が持てると、単なるアドリブではなく、音楽的必然性を持って変化としてアプローチできるようになるだろう。では、即興的に編曲していくためのコツは何か。第一に重要なのは、原曲の「核」を見極めることである。旋律なのか、和声進行なのか、リズムのパターンなのか、モチーフの形状なのか、曲ごとに“残すべき本体”は異なる。これを把握できれば、変える部分と残す部分の線引きが明確になり、自由度と一貫性が両立する。第二に、変化の方向性を段階化することである。例えば、(1)リズムを変える、(2)音を少し置き換える、(3)フレーズを延長する、(4)和声にテンションを加える、(5)内声を加える、といった小さなステップを積み重ねると、破綻なく音楽が広がる。いきなり大きく変える必要はなく、少しずつ変化を重ねることが即興編曲の安定につながる。第三のコツは、和声の“重心”を意識することである。着地する音、安定感のある音、緊張を生む音の役割を理解すると、即興的な変更にも方向性が生まれる。特にギターの場合、指板上の形と耳の感覚を結びつけることが鍵となる。第四のコツは、テクスチャを変えることである。アルペジオにする、和音を分散させる、ベースラインを動かす、倍音的な音色を生かすなど、音の厚みや質感を変化させることで、原曲の印象が豊かに変わる。これは高度に見えるが、実際には小さな工夫の積み重ねで成立する。第五に、反復と変奏のバランスを意識することが挙げられる。同じ素材を保ちながら少しずつ変えることで、音楽は自然な流れを持つ。完全に新しいものを生み出す必要はなく、「前の形を覚えた耳」と「今鳴っている音」を対話させることが即興編曲の核心となる。そして何より大切なのは、耳を中心に据える姿勢である。視覚的な運指や形だけで変化させると、音楽ではなく模様替えになってしまう。響きを聴き、フレーズの息遣いを感じ、曲の“語り口”を保ちながら変化させることこそが、即興と編曲を一つに統合する鍵である。即興的編曲とは、既存曲を素材として、自分の感性と音楽の構造をつなぎ合わせる実践であり、即興力を育てる最良のトレーニングでもある。フローニンゲン:2025/11/25(火)15:30
Today’s Letter
I’m focused on improving my ability to arrange existing pieces of music, since I believe this skill leads to improvisation. Yet, the first step is to play music meticulously by following the sheet music. Groningen, 11/25/2025

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