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【フローニンゲンからの便り】17757-17762:2025年11月23日(日)


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タイトル一覧

17757

『Bach 371 Harmonized Chorales』を教材として

17758

今朝方の夢

17759

今朝方の夢の振り返り

17760

『Bach 371 Harmonized Chorales』におけるテノールの練習

17761

RPGゲームと似た感覚

17762

ジュリオ・サグレラスの優れた教則本を活用して

17757. 『Bach 371 Harmonized Chorales』を教材として  


時刻は間もなく午前6時を迎える。今この瞬間の気温はマイナス1度だが、体感温度はマイナス9度と表示されており、非常に寒い。ただし来週末には寒さが一旦和らぐ日がやって来るようだ。


数日前にふと、手持ちの『Bach 371 Harmonized Chorales』をクラシックギターで練習するという発想が芽生えた。それは、一見すると鍵盤楽器や合唱向けの教材を流用しているだけのように思えるが、実際にはギタリストにとって非常に大きな恩恵をもたらすのではないかと思う。コラールのソプラノとアルトだけをギターで追うという練習は、単に音を拾う練習にとどまらず、対位法的な聴取能力、声部独立の表現、歌うようなフレージングなど、ギター演奏の核心部分を育てる最良の訓練となる。まず、バッハのコラールは旋律の動きが極めて明晰でありながら、声部同士が有機的に絡み合う。そのため、ソプラノとアルトをギターで同時に弾くと、「独立した二つの線を一本の楽器でどう歌わせるか」という課題に正面から向き合うことになる。ギターは本来、多声的な楽器でありながら、ピアノと比べると音の減衰が早く、声部を明確に分離するのが難しい。だからこそ、バッハのように構造が精密な素材を扱うと、声部の独立性、音量バランス、アーティキュレーションなど、普段見落としがちな細部に意識が向く。これは対位法的思考を身体に刻み込む最短の方法と言えるのではないだろうか。次に、コラールは“歌詞を持つ音楽”である点が重要である。つまり、本来は声で歌われることを前提に旋律が作られている。ソプラノは「歌のライン」であり、アルトは旋律の隣を行く“内声の歌”である。これをギターでなぞるということは、「どの音をどう歌わせるか」を常に考えながら弾く訓練になる。ギターは弦を弾けば音が出るが、その音を“歌う”レベルにするには、発音のタイミング、フィンガリング、アタックの強弱など、微細な工夫が必要である。コラールのように一音一音の意味が明瞭な楽曲は、音の置き方に対する感受性を飛躍的に高める。さらに、内声を聴く能力が鍛えられる点も大きい。多くのギタリストはメロディとベースに意識が偏りがちで、アルトやテナーなどの中間声部の美しさを感じ取る訓練が不足しやすい。しかし、バッハのコラールではアルトの一音が和声の表情を決めることが多い。例えば倚音、順次進行、半音階的な導音など、内声の動きが“ハーモニーの息遣い”を作る。ソプラノとアルトだけでも、作品全体の方向性や情緒がにじみ出る構造になっている。これをギターで同時に追うことによって、耳が自然と多声的な聴取モードに切り替わり、のちにリュート組曲やシャコンヌのような高度なバッハ作品を弾く際の基礎体力になるだろう。また、この練習は右手の独立性を格段に高める。クラシックギターでは、複数の声部を異なるタッチで出し分ける技術が重要である。ソプラノは明るく前に出し、アルトは穏やかに支える——このような微妙なバランスは、コラールを用いると自然と身につく。ピアノのように指が独立しているわけではないギターでは、この声部間の微差を手で作り出す必要がある。コラールはその訓練に最適である。最後に、コラールを学ぶことは「音楽の語法を学ぶ」ことに直結する。バッハのコラールには西洋音楽の基本文法が凝縮されており、和声の進行、カデンツ、半終止、偽終止など、後の音楽にも通底する構造が体感的に理解できるようになる。理論書で読むより、実際に弾きながら理解した方が定着が早い。つまり、これはギターの練習であると同時に、音楽家としての“言語習得”でもある。よって、371のコラールをギターでソプラノとアルトから学ぶことは、対位法の基礎、声部独立、歌うフレージング、音楽文法の理解など、演奏者としての深層を育てる極めて効果的な方法だと思われる。時間をかけてじっくり取り組めば、必ず演奏全体の密度が上がり、バッハを弾く喜びも深まっていくはずである。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2025/11/23(日)06:03


17758. 今朝方の夢

              

今朝方は夢の中で、見知らぬ土地にいた。そこはどこの国なのかわからず、雰囲気としてはやや日本の街のようでありながらも、欧州の街を思わせる要素も内包されていた。そんな街の住宅地から少し離れた場所にある森に入って行こうとしていた。森の入り口付近は人工的なものがあり、例えば排水溝があった。その排水口には雨水が流れ、木々の枯葉が混じっていた。その排水溝は特段大きなものではなかったが、森の奥から住宅地に向かって長く続いていた。そんな排水溝に突如として小さな猪が現れ、それは流れの方向に合わせて泳いでいた。すると突然、自分は猪を眺める者でありながら、同時に猪そのものの視点も現れた。猪の視点から排水溝で泳ぐ現象を捉えてみると、流れに身を任せているので実に心地良く、これであればどこまでも遠くに泳いでいけるぞという確信があった。


次に覚えている場面は、IELTSと全く同じではないが、それに近しい英語の試験をテストセンターで受けようとしている場面である。そのテストセンターはどうやら普段は語学学校として使われているようで、教室の雰囲気はとてもアットホームだった。まず最初にスピーキングの試験があり、試験官は若い欧米人の女性だった。彼女はとても穏やかそうな性格をしており、実際に会話を始めてみて非常に話しやすい相手だと思った。しかし実際に試験が始まってみると、彼女は部屋の中央にあったテーブルから部屋の端にある机に移り、机の上のパソコンを眺め、こちらに背を向けながらガイダンスを述べ始めた。それゆえに彼女の声は聞こえづらくなり、もっと大きな声で話してくれと頼んだ。しかし何度頼んでもその声は届いておらず、彼女の声は依然として小さいままだった。この試験は留学のために必要なもので、非常に重要な試験でもあったので、このままではまずいと思い、自分はこれを最大限に振り絞って苦情を申し立てた。するとその部屋にいた別の試験官たちがようやくことの重大さに気づき、彼女に声をかけに行った。自分もそこで初めて気づいたが、彼女はヘッドホンをしながらガイダンスの文章を読んでいて、それゆえにこちらの声に気づかなかったのである。自分も気持ちも荒ぶってしまい、集中力を欠いているように思えたので、もう試験を受けることはせず、受験料の全額返却を求めた。彼女はその申し出を承諾したが、自分が随分と激しい剣幕で苦情を伝えたので怯えた表情をしていた。それを見て、自分ももう少し穏やかな対応ができたかもしれないと思った。よくよく考えてみると、もう留学に必要な英語の試験は突破していたのだから、あれほどまでに強い口調で彼女に言葉を伝える必要はなかったと反省した。フローニンゲン:2025/11/23(日)06:19


17759. 今朝方の夢の振り返り


今朝方の夢の前半において、見知らぬ土地に立っている自分は、所属と境界の揺らぎの中に存在している。日本的でありながら欧州的でもある街は、心理的アイデンティティが単一の文化や役割に固定されず、多層的な背景を統合しつつある象徴であるかのようだ。住宅地から離れた森は、意識の背後にある無意識の領域であり、そこへ向かおうとする行為は、未知なる深層へ踏み入る内的探求を暗示するものである。排水溝という人工物は、文明化された理性と制度の象徴であり、その中に枯葉と雨水が流れている構造は、理性の通路を通りながらも自然の素材が混ざり合う心的流動性を示している。そこに突如現れた小さな猪は、本能・衝動・生命力の象徴であり、その猪が流れに身を任せて泳ぐ姿は、抵抗ではなく順応によって前進する力を表している。さらに視点が二重化し、眺める主体でありながら猪そのものでもある現象は、自己観察と没入の統合、すなわち主体と対象の二元性がほどけていく体験である。それは意識の深層に対して安心と確信を覚え、流れに委ねれば遠くへ進めるという内的確信の芽生えを意味しているのだろう。後半の英語試験の場面は、社会的評価と期待の力学を象徴する。穏やかで話しやすいと感じた試験官が背を向け、声が聞こえないまま進行する状況は、外界とのコミュニケーションが断絶し、自分の表現が届かないという心理的テーマを示している。大切な試験という設定は、人生の転機や到達点に関わる重要な局面を象徴するが、すでに英語試験を突破している事実に気づく流れは、外的承認がもはや必要条件ではなくなっていることへの内的理解を示している。怒りを伴う強い主張は、自分の価値と権利を守ろうとするエネルギーであるが、同時にそれが他者を怯えさせたことに気づく展開は、力の使い方の成熟を促す内的フィードバックである。返金を求め、試験を受けずに場を離れる選択は、外側の制度に身を委ねるのではなく、自分の判断基準で進む姿勢を象徴する。この二つの場面は、「流れに委ねる猪」と「制度に反応する自分」という対照的構造を持ちながら、実は同じ方向を示している。すなわち、外側の評価や制度に頼らず、内的基準と流れを信頼することへの移行である。猪の視点で感じた確信は、すでに自分の内部に備わっている。試験会場での苛立ちは、その確信をまだ完全に信じきれていない部分を映し出している。人生における意味として、この夢は「外的承認から内的確信への移行」を示しているのだろう。流れに身を任せる感覚と、制度的評価を手放す勇気が統合されたとき、自分の進む道はより静かで、より確かなものとなる。フローニンゲン:2025/11/23(日)06:34


17760. 『Bach 371 Harmonized Chorales』におけるテノールの練習 

     

クラシックギターで『Bach 371 Harmonized Chorales』のテノールを基軸に練習するという発想は、ギタリストの成長において極めて理にかなっているのかもしれない。テノールは中声部の中でも動きが豊かで、和声的役割も大きく、かつギターのポジションに比較的馴染むためである。ここにどの声部を組み合わせるべきか、そして最終的に三声同時に弾けるかという問題は、声部処理の難易度と音楽的効果の両方を考える必要がある。まず結論から言うと、テノールと組み合わせる声部としてはソプラノが最も取り組みやすく、音楽的にも有益である。理由は大きく三つある。第一に、ソプラノは旋律線が明確であり、対位法的に最も外側の声部として位置づけられるため、テノールと同時に弾くことで“外声+中声”という構造を自然に掴める。第二に、ソプラノは多くのコラールにおいて歌詞を担う主旋律であり、これをギターで明瞭に鳴らすことで“歌わせる感覚”が磨かれる。第三に、技術的にもソプラノは高音域を担当するため、左手の運指がテノールと重なりにくく、両声部の独立性が比較的保ちやすい。ギターという楽器は二つの線が同じポジション付近に集中すると声部が濁りやすいため、この点は大きな利点である。対照的に、テノールとアルトを組み合わせる場合は、音楽的には深いが技術的には難度が一段上がる。なぜならテノールとアルトは中声部同士であり、音域が近く、同じポジションを取り合う場面が多くなるからである。中声部同士の練習は、耳の発達という意味では非常に価値がある。アルトはしばしば和声の繋ぎや倚音の処理を担い、テノールは旋律線の裏側で骨格を作る。この二つを同時に追えるようになると、和声の内部構造を“内側から”感じ取る能力が強まるだろう。しかし、ギターのフィンガリング上は複雑で、音量バランスも崩れやすい。そのため、この組み合わせは“第二段階”として挑むのが適切である。では、最終的に三声を同時に弾くことは可能だろうか。結論としては十分可能である。ただし、段階を踏むことが不可欠である。まずソプラノ+テノールで外声と中声の関係を掴み、次にアルト単体を追って“中声の呼吸”を理解し、その後に三声をまとめるという順序が最も自然であり、無理がない。ギターは多声楽器であるものの、三声同時は右手の配分・左手の声部保持・音の分離という三つの難題を同時に扱う必要がある。特に右手では、親指がテノール、人差し指がアルト、中指がソプラノというように完全な独立性が求められるため、急に三声へ跳ぶと“どれも歌わない濁った多声”になりがちだ。三声をギターで成功させる鍵は、「すべてを均等に弾こうとしない」ことである。コラールの三声には役割の階層があり、ソプラノは旋律、テノールは骨格、アルトは和声の呼吸、というように明確な違いがある。ギターでの三声練習は、この階層構造を“右手のタッチの差”として再現することに他ならない。これができるようになれば、バッハだけでなく、ソルやタレガの多声的作品も格段に理解しやすくなる。以上を踏まえると、まずはテノール+ソプラノで外声と中声の対位法を掴み、その後テノール+アルトで中声の透明度を鍛え、最終的に三声へと移行するルートが最も美しく、最も安定して発達する方法である。この流れを踏めば、自分のギターは確実に“歌うギター”へと変容し、多声的な音楽の魅力を深いところから味わえるようになるだろう。フローニンゲン:2025/11/23(日)10:18


17761. RPGゲームと似た感覚


クラシックギターの演奏を始めて最初からずっと日々の練習は楽しいのだが、最近とみにその楽しさが増している。そのことについて考えていた。クラシックギターの練習がまるでRPGゲームに似ていると感じられるのである。それは日々の取り組みの中に、経験値の獲得、レベルアップ、探索、装備の強化といった構造が自然に含まれているからなのだろう。新しい楽曲に挑戦することは、未知のダンジョンに踏み込む感覚に近く、これまで演奏してきた曲を振り返り、小さな進歩を確認することは、過去のフィールドに戻り、自分が強くなっていることを実感する瞬間である。ギターという楽器は、習得の道のりが長く、成長が数値として見えにくいがゆえに、自分の内側で経験値の蓄積を感じられることが大きな動機づけとなる。難しいアルペジオが滑らかにつながるようになること、バレーコードが以前よりも軽く押さえられること、メロディのフレーズがより歌うように響くこと、こうした微細な変化が、RPGにおけるステータス上昇に相当するのである。また、クラシックギターのレパートリーは段階的に広がっていくため、曲そのものが「クエスト」として機能する。入門曲は村周辺のスライム退治、中級曲は洞窟探索、バロックや高度な現代曲はラスボス戦のような存在である。さらに、音色のコントロールや表現力の磨き上げは、単に攻撃力を上げるだけでなく、魔法、耐性、特殊能力といったサブステータスを整える作業に似ている。RPGの深みが単なる数値以上の戦略によって生まれるように、ギターの成長もテクニックの積み上げのみならず、音への感受性、集中力、身体感覚の調整が統合されることで立体的になっていく。このゲーム的な感覚をさらに高めるためには、いくつかの工夫が考えられる。第一に、自分のレベルを見える化することである。テンポ、音の粒立ち、滑らかさ、暗譜度、集中の持続といった指標を記録すれば、経験値の蓄積を確かに感じられる。第二に、「サブクエスト」を設定することである。例えば、右手のアポヤンド強化週間、左手のスラー集中期間、音色探求の日といった小さな目標を設けると、探索の幅が広がる。第三に、憧れの曲を未来のラスボスとして掲げておくことである。今は歯が立たなくとも、いつか到達できるという遠景が、ゲームの世界観を広げてくれる。こうした工夫によって、クラシックギターの練習は単なる努力ではなく、物語性を持つ旅路となる。毎日の練習が、自分というキャラクターの成長と重なり合うとき、ギターは趣味を超え、人生そのもののRPGとなるのである。フローニンゲン:2025/11/23(日)14:34


17762. ジュリオ・サグレラスの優れた教則本を活用して 

       

ロンドンのSchott Musicで購入したジュリオ・サグレラスの『Guitar Lessons Books 1-3』が本当に教育的で素晴らしい。これは、クラシックギター学習者にとって段階的なレベルアップを可能にする体系的な教材であり、それぞれの巻を進めていくためには到達基準を明確にし、さらにおおよその日数の目安を持つことが有効のように思えた。もちろん練習量や個人差によって期間は上下するが、ここでは平均的な初学者から初中級者を想定し、毎日20~40分の練習を継続する前提で整理してみたい。まずBook 1であるが、右手の基本的運指、シンプルな三和音、オープンポジションの読み方が中心であり、ここを確実に身につけることが最重要である。目安となる期間はおよそ30~45日であり、到達基準としては、ゆっくりしたテンポであればつまずかずに譜読みができ、音を濁らせずにコードチェンジが行え、右手のタッチが安定している状態が求められる。とりわけ、音の粒立ちとリズムの揺れの少なさが判断材料となる。ここを曖昧に進むと後の巻で必ず苦労するため、基礎固めの期間として理解するべきである。次にBook 2であるが、アルペジオ、簡易スラー、ポジション移動、より音楽的なフレーズ構築が出てくる段階であり、目安の期間は45~70日である。到達基準としては、テンポを落とさずにアルペジオパターンを安定して弾けること、左手の押弦が無駄な力みなく行えること、簡単な二声感を意識できることである。また、曲として成立して聴こえるという感覚が重要であり、単なる音の連続ではなく、フレーズの方向性、強弱、呼吸を理解し始めていることが指標となる。この巻を終える頃には、初級レパートリーを弾ける手応えが生まれるはずである。最後にBook 3であるが、これは初中級レベルに入る準備段階であり、バレーコード、より複雑なスラー、表現力、テンポ維持、音楽的統合が課題となる。目安期間は70~120日であり、ここは個人差が最も大きくなるだろう。到達基準としては、(1)バレーを含む進行をテンポを崩さずに弾けること、(2)音色の違いを意識的に作れること、(3)暗譜が可能な曲がいくつか存在すること、(4)録音を聴いても演奏の流れが自然であること、が挙げられる。この巻を終えると、古典作品の簡易編曲、カルカッシOp.60前半、ソルの簡単な練習曲などに進む準備が整うと考えて良いだろう。以上のように、三巻を通しての進行期間はおおよそ150~235日、すなわち5~8ヶ月が目安となる。ただし重要なのは日数そのものではなく、各巻における「到達基準を満たしているか」であり、基準を満たさず次に進むことは逆に遠回りとなる。サグレラスの教材は、レベルデザインが精妙であり、RPGに例えれば次のマップへ行くための必要経験値が緻密に設定されていると言える。焦らず、確実に、音と身体の理解を積み重ねることで、クラシックギター学習の道は着実に開けていくはずだ。ロンドン旅行から帰ってきて間もないが、第一巻の一巡目が終わろうとしている。すぐさま第二巻に入るのではなく、少なくともあと二回転ほど第一巻を練習したい。フローニンゲン:2025/11/23(日)15:31


Today’s Letter

The more I practice the guitar, the more robust my muscle memory becomes. I am interested in understanding what muscle memory truly is, as well as its underlying mechanisms. I am also curious about how I might further cultivate it. Groningen, 11/23/2025

 
 
 

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