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472. 何気ない日常から


今日は午前中から夕方にかけて、研究プロジェクトを進めていた。次回のクネン先生とのミーティングに向けて、定量データをカテゴリー化する案をいくつか考えておきたいと思う。同時に、論文提案書も前回の指摘をもとに修正を加えておきたい。

明日がいよいよオランダ語の初級コースの最後のクラスとなる。おそらく先日の最終試験の答案が返却され、それに対する見直しを全員で行うことになるのだろう。最後のクラスであるにもかかわらず、明日はクラスを途中で抜けなければならない。

というのも、明日は午前十時からロッテルダム大学とフローニンゲン大学が共催の学会に参加するからである。明日の学会が終わった後に、そこでの体験を書き残しておきたいと思う。

研究プロジェクト以外では、今日は比較的多くの時間をパーソナリティに関する専門書を読むことに費やしていたように思う。これまで見落としていた概念や理論が無数に存在していることに気づき、また、これまで馴染みのある心理学者がパーソナリティに関して優れた考え方を持っていたことに改めて色々と気づかされた。このあたりに関しても、後日、一つ一つの発見事項を文章にしておきたいと思う。

昨日の抑鬱的な感情はどこかに過ぎ去っていることにふと気づいた。だが、それは表面的な症状が消えただけであって、根本的な原因の解決には至っていない。昨日の精神状態を振り返ってみると、それは精神エネルギーの減退を示しているわけではなかった。

エネルギーの出所やその表現の仕方が通常とは異なっていただけなのである。医療の世界においても、症状を抑えることはできても、なかなか症状の原因を根本的に治癒することが難しいのと同様に、この原因を特定し、それを解決の方向に導くのはなかなか難しいと思っている。

昨日のあのような感覚に見舞われたせいか、今日は内面世界にうまく入り込んでいけない感じがしている。昨日は、まさに内へ内へと促す強力な力によって、自分が内面世界の奥底に降りていくような感覚があった。

しかし翻って今日は、深海のような領域はおろか、内面世界の表層にすら入っていけない状態に陥っているのがわかる。深海から外界にはじき出された深海魚のような心境である。このような日は、無理に内側の世界を覗き込まないようにすることが賢明なように思われる。

空を行き交う浮雲のように、今日は内面世界の表層の上をただ漂っているだけに留めておこうと思う。今の自分に、それ以上のことは不可能だ。

再来週に迫った「タレントディベロップメントと創造性の発達」のコースの最終試験に向けて、本格的に復習を始めようと思う。この試験がオープンクエスチョン形式であることは実に有り難い。

最近、米国の大学院で経験したような期末ペーパーを課せられるよりも、記述形式でクラスの内容を確認させられる試験の方が今の自分にとっては好都合だと考えている。とかく確固とした知識体系を構築したい自分にとっては、単に自分の関心事項に沿って期末ペーパーを書き上げるよりも、コースで学習した概念や理論を網羅的に復習せざるをえない状況に追い込むこのような形式の試験の方が有り難いのである。

来週は、特に時間をかけてコースの総復習を行う必要があるだろう。

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