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469. 深海と個の発見


起床してから日が昇るまでの時間が日増しに伸びてきている。今日は朝の五時に起床し、日が昇り始めたのは八時前であった。日が昇ったのを確認すると、「タレントディベロップメントと創造性の発達」のクラスに参加をするために支度をした。

九時前に家を出てみると、辺りはまだ眠っているかのように鬱蒼とした雰囲気を放っていた。外気もかなり低くなってきており、来週か再来週には冬用の厚手のコートを着て外出しなければならないかもしれない。

今日の朝はとても否定的な印象を私に与えた。常に自分の感情を最善の状態に保つことは不可能であり、今日は感情の波が下に落ちている日に該当していたようである。ひどく抑鬱的な気持ちを抱えたまま教室に到着し、結局クラスが終了してもその気分が晴れることはなかった。

そうしたこともあって、今日のクラスでは初めて自分が何も発言しないということが起こった。人間の精神生活に感情が与える影響は極めて大きく、感情を超越して生きることはできないのだろうと思わされた。

カート・フィッシャーが指摘しているように、やはり私たちの感情は、認知と行動を駆動させる不可欠な潤滑油なのだ。この潤滑油が欠けている場合、認知と行動がうまく回っていくことはない。

それにしても、こうした抑鬱的な感情の正体がまだなかなか掴めていない。私にとってこうした感情は、母国を離れて生活を送っている時に周期的に現れるものである。この感情が持つ性質は独特であり、自分の内側へ内側へと向かわせる強力な力を兼ね備えているのだ。

知覚も非常に鋭敏になっており、世界の認識の仕方が通常時の自分とは少し異なることもわかっている。自己の内側へ内側へと思考を導いていくのには適している感情状態なのだが、人とコミュニケーションを図ることには適していない感情である。

実際に、今日のクラスの中で何人かの知人と顔を合わせる瞬間があり、普段であれば必ず何かしらの質問を投げかけるのだが、今日は相手の質問に一言だけ答えることによって、コミュニケーションを切断しようとする自分がいたのは確かである。

クラスが終わり、帰路につく最中もほぼ同様の感情状態にあった。内側へ内側へ潜っていくことを促す力に抗うことはできず、足元の近くを見ながら何を考えるのでもなく、自分の内側の奥深くに留まり続けていた。

自宅に到着すると、家の内側も外側も奇妙なほどに静かであった。こうした感情状態を抑鬱的と捉えていたが、感覚的には深海の地底にいるような状態であると言ったほうがいいかもしれない。

表層の海面がいかに波風の立っているものであったとしても、深海の地底は絵も言わぬ静けさに包まれていると想像している。あの不気味なほどに暗く静かな深海のように、今の自分の内側も静かである。

穏やかな深海に他者を招き入れることができないのは残念であるが、自分の内側にあるこうした深海の発見こそが、一人の個としての真なる自覚なのかもしれない。

帰宅後しばらくすると、鬱蒼と群がっていた薄い雲が徐々に消えていき、太陽が顔を覗かせた。今の自分には晴れた空は不必要であったため、太陽の存在に有り難さを感じることができなかった。しかしながら、太陽によって、深海の地底が少し温められたのは紛れもない事実であった。

突然の思いつきで、書斎の机の位置を変えることにした。書斎にある開放的な大きな窓に対面する形で机を置き直した。机越しに見える窓を通じて、私はただただ遠くだけを見つめていた。2016/10/19

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