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441. アメリカドラマと「文脈」について


今朝、「タレントディベロップメントと創造性の発達」のクラスに向けて自宅を出発しようとすると、ポストに郵便局からの通知が届いていた。イギリスやアメリカからこれまで書籍を注文していたが、このような通知が届いたことはかつてなかった。

その通知書を見ると、荷物の受け取りに関して何やら私がどこかへ出向き、郵送費のようなものをこちらが負担することになっているかのようだった。アマゾンでの注文でこのようなことが起こったことは一度もない。

自宅を出発する時にこの通知書を見つけたので、辞書を引きながら記載されているオランダ語を理解する時間がなかった。そのため、教室に到着後、クラスメートであるオランダ人のジャーノとハンナに通知書を見せて中身を確認してもらった。

二人曰く、私が郵便局に出向いて記載されている金額を支払う必要があるとのことだった。二人の意見に従い、クラス終了後、記載された住所の郵便局に出向いた。事前情報でオランダの郵便局は、日本でいう立派なものではなく、タバコ屋が郵便サービスを兼ねていたりすることを知っていた。

案の定、記載の郵便局なる場所に到着してみると、小さなコンビニのような店であった。店内に入り、店員に通知書を見せると、店の奥から届けられたものを持ってきてくれた。確かにその箱はアマゾンの記載があったのだが、こちらが何らかの費用を負担することはこれまでなかったため、品物のカテゴリーを確認すると、確かに私がアメリカから注文したドラマのDVDであることがわかった。

アマゾンでの注文でこちらから郵送費を支払ったことはないため、一応店員に確認してみると、何やら輸入税がかかるとのことだった。受け取った明細書に、今回支払った金額の詳細が書かれていた。帰宅後、辞書を引きながら明細書の意味を解読してみると、何やらEU諸国以外の国から品物を受け取る場合には関税がかかるということだった。

確かにイギリスのアマゾンから品物を注文した時には、このようにこちらから何か支払いをすることはかつてなかった。しかし、先日もアメリカドラマのBlu Rayをアマゾンから注文した時には、輸入税など支払いをする必要はなかったので不可解である・・・。来週あたりにまたアメリカからBlu Rayが届くので、そのケースとこれまでのケースを合算して帰納法的にその理由を明らかにしておきたい。

DVDやBlu Rayで思い出したが、私は毎日夜の八時過ぎには全ての仕事をそこで止め、そこから必ずアメリカドラマを二話ほど視聴することが習慣になっている。アメリカ生活が三年目を迎えた頃、自分のリスニング力やスピーキング力が思ったほど向上していないことに気づき、それは毎日の生活において英文を読むことしかしていないことに原因があると気づいたのだ。

それ以降、自分の関心に合致するアメリカドラマを選定し、それを毎日二話ほど視聴するようにしている。そうした習慣を数年続けることによって、ある時ふとリスニング力やスピーキング力が飛躍的に伸びたのを実感した。

ただし、昨年日本に滞在していた最初の三ヶ月間はこの習慣をやめてしまい、その後知人の米国人と会話をした時に、自分のリスニング力とスピーキング力が低下していることに気づき、それからまたこの習慣を継続し始めたのだ。

アメリカドラマを見ていていつも思うのが、その質の高さである。ヴィジュアル的にもストーリー的にも優れたドラマが幾つも存在している。この数年間で印象に残っている作品は、何と言っても “Hannibal(邦題「ハンニバル」)”だろう。

この作品は、この二年間でシーズン3までを通しで三回ほど繰り返し視聴した。人間精神の闇の側面や人間意識の改竄の容易性などが見て取れる傑作である。その他にもたくさんの優れたドラマと出会う幸運を得たが、あえてもう一つ挙げるとすると “Person of Interest(邦題「パーソン・オブ・インタレスト」)”である。

これは一週間前にファイナルシーズン(シーズン5)のBlu Rayが届き、一昨日から見始めたが、今週中には全て見終わってしまうのが残念なぐらいの作品だ。このように質の高いアメリカドラマを見始めると、日本のドラマの質の低さが否応なしに露呈されてしまうのだ。

関係者の方曰く、やはり制作費に関して、日本のドラマと米国のドラマとでは桁が違うようであり、あのくらいの質のものしか作れないそうだ。優れたアメリカドラマは、視聴者を物語の文脈に違和感なく巧みに一体化させるような力を持っているように思う。

簡単に言ってしまえば、作品にのめり込ませる力なのだが、そのように述べてしまうと少々乱暴であるため、優れたアメリカドラマには目には見えない物語の文脈に視聴者を自然な形で組み込んでいくような力がある、と述べたい。

一方、日本の多くのドラマにはそうした力がなく、物語の文脈が露骨な形で浮き上がってしまっており、浮き上がった文脈の存在に気づいてしまうと白々しい匂いが立ち込めてくるのである。この匂いを嗅いでしまうと、もはや物語の文脈に自己を預ける気など起こりようがなく、視聴する意欲が失せてしまうのだ。

以前取り上げた「文脈把握力」の三段階構造において、文脈を客体化する力がなければ、そうした日本のドラマをそこそこに楽しめるのだと思う。一方、視聴者に文脈を客体化する能力があったとしても、作品の文脈に彼らを引き込めるのが優れたアメリカドラマの特徴だと思う。

もちろん、アメリカのドラマの質は高いものが多いのだが、アメリカのアニメーションのクオリティはとても低いように思う。逆に、日本のアニメーションは桁違いにクオリティが高いと感じており、この数年間で視聴したものは “Fullmetal Alchemist Brotherhood(邦題「鋼の錬金術師」)”と “Psycho-Pass(邦題「サイコパス」)”である。

“Fullmetal Alchemist”は全てのシーズンを通して三回ほど視聴したように思う。“Psycho-Pass”は二回ほど視聴したが、この作品の物語は、人間を科学的測定手法で評価することの限界を指摘しており、客観的な測定手法の使用方法と倫理的・道徳的判断の関係性などの哲学的なテーマについて考えさせられる内容になっている。

ストーリーの中で、主人公が何人かの哲学者の思想に言及する箇所があったり、幾つかのクラッシック音楽の音響効果などもあり、それらが私を惹きつける要因になっていたのは間違いない。これらの作品は、ヴィジュアル的にもストーリー的にも非常に面白いものであった。こうした作品を見ると、欧米のアニメーションの特にヴィジュアルの質の低さが歴然と感じられる。郵便局からの帰り道、届けられたDVDを抱えながらそのようなことを思った。

自宅に到着する間近、ある教会の前に差し掛かった時、七歳ぐらいのアフリカ系オランダ人の少年とすれ違った。少年とすれ違って道を右折してしばらく歩いていると、その少年と同い年ぐらいの白人系オランダ人の子供が向こうから歩いてくるのが見えた。

すると、その少年の方から緊張した面持ちでオランダ語で私に話しかけてきたのだ。七歳ぐらいのこの子供が話した単語を全て知っているわけではなかったのだが、何を言わんとしているのか文脈から察知することができた。

どうやら先ほどのアフリカ系オランダ人の少年を探しているようなのだ。「オランダ語は少ししか話せない」ということをオランダ語でこの少年に伝え、「探している子は向こうの方に歩いて行ったよ」ということを英語で伝えた。

すると、その少年の表情は少し緩み、彼は英語で私にお礼を述べて、小走りで去って行った。私にとってはオランダ語が不自由であり、その少年にとっては英語が不自由であったため、お互いに共通言語がない状態であったにもかかわらず、互いに文脈を把握する力を駆使しながら双方の意味を理解し合っていたことは実に面白いと思った。

この一件から、「文脈」という意味とそれが持つ力、あるいは、それが私たちの認知世界に及ぼす影響について掘り下げて考えていく必要があると思わされた。

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