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236. 知識と言語の照明作用


知識があることによって初めて見えてくることがある。逆に知識があることによって、その知識に沿った形でしか物事が見えなくなってしまうことがある。

確かに知識は私たちの認識を制限するという働きを持つが、制限をかけることによって初めて何かが開示されるという知識の「照明作用」を私はより尊重している。

混沌とした暗闇の現実世界に光を与え、その光によって初めて可視化される現象に気づかせてくれるのが知識の照明作用である。

昨日、外出先のカフェでアイスコーヒーを頼んだ。東京もだいぶ夏らしくなってきている。注文したアイスコーヒーにミルクを注いだ時、少しばかり神妙な気持ちになった。

なぜなら、ミルクが注がれたアイスコーヒーに熱力学第二法則を見たからである。一滴一滴注がれたミルクは、アイスコーヒーの中に拡散していき、もはや二度と先ほどのミルクに戻ることはないのだ。

注文したアイスコーヒーの中に広がっていくミルクのエントロピーはどんどん増大していき、元のミルクに戻ることはないという不可逆性に対して神妙な気持ちになったのである。

善かれ悪しかれこうした気持ちを引き起こしたのは、物理学の基礎的な知識であった。神妙な気持ちを抱えたまま私はオフィス街へと向かった。そこでもまた、ある知識によって開示される事象に気持ちを揺さぶられたのだ。

皆さんは、この季節に日本のオフィス街に大量発生しているある生物をご存知だろうか?少しばかり思いを巡らせていただきたい。その生物名は「パンツマン」と呼ばれる。

昨年、ひょんなことからスーツの勉強を少しばかりすることになった。スーツの歴史をあれこれ調べていると、ワイシャツというのは下着に該当するという知識を得た。ワイシャツというのは下着と同様のものであるため、公式の場ではジャケットを着用するか、ワイシャツという下着を隠すようにベストを羽織る必要があるのだ。

つまり、ワイシャツ姿で公共の場をうろつくというのは、下着姿で公共の場をうろつくのと等しいのだ。幸か不幸かこの知識が私の認識世界を新たに構築し、オフィス街の中をワイシャツ姿で颯爽と歩くビジネスマンに対して、「あっ、パンツマンだ」と心の中で唱えてしまう自分が常にいる。

要するに、ワイシャツが下着と同様のものであるという知識によって、私の認識世界は制限されてしまっているのだ。しかしながら、この知識も有益な側面を持つ。

暑い季節に神経が逆立ちやすくなってしまうかもしれないが、ワイシャツ姿でうろつく人を見かけたときに「パンツマン」という言葉を当てることによって、ユーモアに満ちた笑みが自然と溢れてきて神経が落ち着くかもしれない、という効用がこの知識にはあるだろう。

ジョン・エフ・ケネディ大学に留学していた時に受講した「脳神経哲学」というクラスの中で、イギリスの神経学者オリバー・サックス(1933-2015)の “Musicophilia: Tales of Music and the Brain(邦訳「音楽嗜好症 :脳神経科医と音楽に憑かれた人々」)”という書籍が取り上げられたことがある。

私たちには何かしら、もはや忘れることのできない青春時代の音楽や心身にまで染み込んでしまったかのような聞き慣れたクラシック音楽があるだろう。それらの音楽のメロディーを心の中でどうして完全に再現することができるのか、不思議でたまらなかったことがあったのだ。

そうしたことを考えている時にふと、1980年あたりに一世を風靡した「YOUNG MAN」という西城秀樹氏のシングル曲を思い出した——ヤングマン さあ立ち上がれよ ヤングマン 今翔びだそうぜ ヤングマン もう悩む事はないんだから(続く)。その曲の歌詞に出現する「ヤングマン」という単語を全て「パンツマン」に変換して頭の中で曲を再び流すと、オフィス街で立ち込める不快な暑さもだいぶ和らいだように感じた。

こうしたユーモアをもたらしてくれるのも、特定の知識があってこそだろう。

上記のように、知識があることによって、私たちは世界を新たに見つめることができるようになる。知識のこうした照明作用と同様に、言語にもほぼ同一の照明作用があるように思う。

ある工夫を施してから、オランダ語の学習が実に楽しいものとなっている。「外国語学習ノート」を作成し、左から順に英語、オランダ語、ドイツ語、フランス語の欄を作り、4ヶ国語を同時に学習するようになってから、オランダ語の学習に喜びを見出し始めている。

また、夕食後の1時間はオランダ語の学習に充てるということを習慣にして以来、自分の言語世界の中で少しずつ構築されていくオランダ語の建造物を見るのが楽しみの一つになっている。さらに、英語、オランダ語、ドイツ語、フランス語という4ヶ国語を同時に学習することによって、各言語が持っている独特の音の響きが何より面白い。

4ヶ国語の異なる音の響きを聞くことは、多様な音楽を聴いているような感覚になる。そして音のみならず、各言語が持つ形も大変興味深いのだ。

これからの欧州生活の中で、やはり核となるのは依然として英語である。フローニンゲン大学で私が所属するプログラムの授業は全て英語で展開され、教授や同僚との議論も基本的には英語で行われる。

つまり、込み入った話に関しては英語で十分なのだ。そのため、複雑な話題をオランダ語で表現する必要はなく、短いセンテンスのやり取りで構築される日常会話空間でのみオランダ語を使えれば良いという状況にある。

そうした事情から、自分のこれまでの経験上、数秒以内、数分以内で展開される日常会話で頻繁に用いられるセンテンスのみを、オランダ語でも表現できるようになることを当面の目標とした。

例えば、現在の自分の社会的立場を表明するときに、”I’m a graduate student.”という表現を用いることが頻繁に出現するということを予想している。そのため、これをオランダ語、ドイツ語、フランス語でどのように表現するのかを押さえていくように学習を進めている。

ちなみに、”I’m a graduate student.”という英語表現を他の言語で表現すると、オランダ語では “Ik ben een afgestudeerde student .”と表現され、ドイツ語ではIch bin ein Student .と表現され、フランス語ではJe suis un étudiant diplômé .と表現される。

オランダ語の「afgestudeerde」という単語の中で用いられる「g」の音は非常に特徴的であり、”Ik ben een afgestudeerde student”というセンテンスを何度も聞いていると、その響きが心地よくなってくるから不思議である。また、四つの言語の形を比較してみると、これまた絵画作品を眺めているかのような気持ちになる。

今は、こうした音や形の多様さに対する純粋な好奇心によって外国語学習が進められていると言える。ある言語がわかることによって初めて見えてくる世界が存在しているというのは、英語を学習することによって強く実感したことである。

これからオランダ語を学習することによって、どのような認識世界が開拓されていくのかを楽しみにしている自分がいるのは確かである。

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