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【お知らせ】Back Number Vol 194(記事3861-3880)

いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事3861から3880に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードは下記よりご自由に行えます。 ・Blog Back Number

3883-3888:フローニンゲン滞在記 2019年2月26日(火)

3883. 三大陸を行き来する自分を暗示する夢 今朝は六時過ぎに起床し、七時を迎えるあたりから一日の活動を始めた。書斎の窓から外を眺めると、すでに薄明るくなっている。 今日と明日のフローニンゲンは、昨日と同じぐらいに良い天気になるそうだ。今日もまた、午後にでも散歩に出かけようと思う。 一日の活動を本格的に始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。今朝は随分と多い夢を見ていた。一つ一つの夢は短いのだが、その数が多かったように思う。 夢の中で私は、バスに乗ろうとしていた。バスに乗る直前で、偶然にも小中高時代の親友(AF)と出会い、列に並びながら立ち話をしていた。 私はバスの運賃がわからなかったので、親友に尋ねてみると、2ユーロとのことであった。それを聞いて、私はバスに乗り込む前に、財布から2ユーロを準備しようとした。 だが、財布の中の小銭入れには様々な種類のお金が混ぜこぜで入っており、すぐに2ユーロ分の小銭を取り出すことが難しかった。そうこうしているうちに、バスの乗り口までやってきて、2ユーロぐらいの金額を支払い用の機械の中にさっと入れた。 その時私は、間違えてユーロではなく、円を入れてしまった可能性や、2ユーロではなく、5ユーロ入れてしまった可能性、さらには2ユーロに満たない金額を入れてしまった可能性があるかもしれないと思った。しかしそうした心配とは関係なしに、運転手は私にチケットを渡してくれた。 だがその瞬間、バスの運転手は、「お客さん、間違えて16,000ドルを支払っていませんか?」と私に尋ねてきた。ユーロや円ならまだしも、その時の私はドルは持っていなかったので、自分

3882. 時を通じた濾過と発達:取り巻く条件ならびに環境と発達

つい先ほど散歩から戻ってきた。自宅を出発してから10分程度ランニングをし、残りはゆっくりとウォーキングを楽しんだ。 驚いたことに、今日の暖かさのためか、目でわかるほど昨日よりも木々のつぼみが開いていた。私はつぼみの付いた枝を撫で、ここから立派な花を咲かせてくれることを願った。 いよいよ本当に春が到来しそうである。確かに朝夕はまだ冷えるが、日中の陽気は春のそれである。 散歩をしながら、発達の出発点は、とにかく自分自身の内側にあるということを改めて考えていた。発達は、決して他者の体験を起点にはなし得ない。それは自らの固有の体験を起点として起こるものである。 多くの場合、人は他者の体験を必死になって参照しようとするが、それらの体験を通じて自らの体験を見つめ直すことは少ないように思う。他者の体験を参照にするときに注意しなければならないのはこの点だろう。 他者の体験は、確かに私たちの発達の触媒になりうる。だが、他者の体験を参照しているだけでは決して自らの発達は起こらない。 自己を深めることができるのは、自己に固有の体験であり、それを豊かにしていくことなのだ。とにかく自己を起点に、自己から出発しよう。そのようなことを改めて考えていた。 サイクリングロードの横には運河があり、今日は夕日がいつも以上に美しく水面に反射していた。風が一切なかったこともあり、水面は至って穏やかであり、澄み渡っているように見えた。 日々雑多な体験をし、それらを通じて、雑多な思考や感覚、そして気づきが生まれてくるが、それらを焦って整理する必要など一切なく、時が濾過をしてくれるのを待てばいい。その際に、体験を通じて生起し

3881. 造形運動:体験と経験および人間発達

時刻は午後三時半を過ぎた。これから近所の河川敷のサイクリングロードに散歩に出かけようと思う。今日はすこぶる天気が良いので、昨日と同様に、歩く距離を幾分か伸ばそうと思う。 昼食前に曲を作っている最中に、私たちの内側に存在している絶え間ない造形運動について考えていた。それは私の場合であれば、言葉と音楽という形を伴って行われる。 こうした造形運動は、ひょっとすると、発達運動そのものだと言えるのではないかと思った。また、そうした運動そのものが、ある一人の人間の固有性を規定するとさえ言えるかもしれない。そうであれば、その運動そのものが、自らの固有性の核にあるという点において、それは魂の運動と言えるように思えてくる。 昼食前に作曲をし終えると、改めて、メロディーとハーモニーについてはしっかりと学習を進めていく必要があると実感した。そうした学習を怠っていては、いつまで経ってもメロディーとハーモニーの創出に進展をもたらすことはできないだろう。 そもそも理論というものは、生理的に生まれてくる感覚に適切な形をもたらすものなのかもしれない。理論がない状態で形を生み出そうとすると、確かにそれは時にそれなりの形を生み出すが、それは往々にして極めて混沌としたものに陥りがちである。 理論というのは何らかの方向性をもたらすものであり、作曲においては、内的感覚を形にする際の方向性を提示するものであり、同時にそれは即、内的感覚に適切な形をもたらす枠組みになりうる。 作曲という創造活動に並行して音楽理論や作曲理論を学ぶことによって、これまで発達科学や学習科学を学んでいる時にはあまり疑問に思わなかった、理論とはそもそ

3880. 自分自身を読み解くことと書くこと

先ほどふと、人を白痴化させる現代の種々の道具と仕組みと距離を置き、それらに左右されない形で、自分の取り組みに従事し続けていくことの大切さについて考えていた。人間を白痴化させるツールに関して挙げればきりがなく、テレビに始まり、現代においては動画サービスやソーシャルメディアに至り、本当に無数のものが存在する。 そのようなツールを活用しながら無為に人生を過ごしたくはないと改めて思う。人間を貶めるそうした道具、さらには白痴化を促す社会的な思想と仕組みには気をつけなければならない。 今日は本当に天気がいい。一切風が吹いておらず、裸の街路樹が堂々と立っている。 「裸の街路樹」と述べたが、ここ最近散歩をしながら発見していたように、もしかするとここからは見えないだけであって、実際にはそれらの木々にはつぼみが付いているかもしれない。今日も午後に散歩に出かける予定なので、その際にはまた木々の観察を行いたい。 書を読むことについて改めて考えてみると、書を読むというのは結局のところ、自分自身を読み解いていくことだと言えるかもしれない。正直なところ、他者の言葉を額面通りに受け取ったり、その言葉の意味を他者の視点のまま詮索しても何ら意味はないのではないかと思う。 書物を読むことによって真に自己を深めていくためには、書を読みながら、徹底的に自己を読み解いていくことが不可欠である。それを行って初めて、自分の内側から何かが開かれていくのだと思う。 書物に書かれた内容は、とにかく自分に引き付けて読む必要がある。極論をすれば、自分の関心のある事柄だけ、自分を惹きつける事柄だけに絞って書物を読む必要がある。 そうでな

3879. 自発的な形象化運動

時刻は午前十時を迎えた。スクリャービンの優しいピアノ曲が書斎の中を流れている。 今日も晴天であり、平穏な一日がゆっくりと進行している。それは本当に緩やかに流れており、日常の事物全てが一つの川のように絶え間なく流れているのがわかる。 晴れ渡る空を眺めていると、心がますます穏やかなものになっていく。ふと窓の外を見ると、草花が春に向けて身支度をしているように思え、大変微笑ましかった。 起床直後に、今朝方の夢について覚えている範囲のことを書き留めていたが、それはあまり分量がなかった。その後、夢について幾分思い出すかと思ったが、それは期待外れに終わった。 だが、早朝にごくわずかであっても夢を書き留めておいたことに意味があるのだと思う。夢の中に現れていた一つ一つの感覚や情景を大切にしたい。それは意味の宝庫である。 そうした意味の宝庫に言葉を与えることは、即それらに居場所を与えることでもある。また、それらに言葉を与えることによって、それらは自分の内側に位置付けられていく。 自分の内側から生じた事柄に言葉を与え、それを自分の内側に再定義し直していくこと。おそらくそれは、発達の要諦の一つなのだろう。 内的感覚に言葉を与えていくという実践は、もはや呼吸を行うかのようなものになった。呼吸のように自発的にそれがなされていく。 呼吸というのはするものではなく、起こるものなのだ。内的感覚を形にしていくことは、私がそれをしようとしているというよりも、それが自発的に起こっていると述べることができる。 そして、こうした自発性は、発達の本質である。ここに、呼吸としての形象化実践と自らの発達が相互に関係し合っている

3878. 今朝方の夢の断片

今朝は六時前に起床し、六時半を迎えた頃に一日の活動を始めた。つい今しがた、小鳥が高らかに鳴き声を上げた。今もまだ、別の小鳥が小さく鳴いている。 今日から新しい週を迎えた。早いもので、今週中に二月が終わり、三月が始まる。 外側の時間は早く流れていく一方で、自分の内側の時間の流れは緩やかだ。内と外の時間の流れの差に気づきながら、外側の時間の流れに騙されない形で日々を過ごしていこうと思う。 いつもの通り、今朝方の夢について振り返っておきたい。だが今日は珍しく、夢についてそれほど覚えていない。そのため、覚えている場面を書きながら、輪郭を整え、ゆっくりと夢の内容を思い出していきたい。 夢の中で私は、ある場所で、小中高時代から付き合いのある幼馴染(SI)と話をしていた。そこは日本とも外国とも判断できないような場所であった。 特に深刻な話題について話をしていたわけではなく、とてもたわいの無いことを彼と話していたように思う。私たちが話をしているところに、二人の芸能人が現れた。 二人とも、芸能界では大御所の方であり、まさかこのような場所で会って話をすることになるとは思わなかった。私は二人とは初対面であったが、どこか昔から付き合いのあるような親近感を二人に対して感じており、会話はとても自然であった。 どのような話からそのようになったのかわからないが、二人は突然服を脱ぎ始め、自らの体を披露した。二人の体を見たとき、年齢の割に随分と立派な体であることに驚いた。 今朝方の夢に関して覚えているのはそれぐらいしかない。他にも細かな描写があったと思うが、それらはすでに記憶の彼方に去っている。 今朝方は未明に目

3877. 敬虔に生きること

時刻は午後の四時半を迎えた。今日は本当に、平穏かつ平和な日曜日である。その平穏さと平和さの中に溶け出してしまいそうな感覚がある。 つい先ほどまで、近所の河川敷に散歩に出かけていた。今日はいつもより距離を伸ばし、最初はランニングを軽く行い、それ以降は基本的にウォーキングを楽しんだ。 今日は日曜日ということもあり、いつも以上に柔らかな雰囲気に辺りが包まれていた。それはもちろん、今もまだ継続している。 サイクリングロードを歩きながら、春の戴冠式がもうしばらくしたら始まるという予感を改めて持った。春は本当にあと少しだ。 今日は昼食を摂っている最中に、食卓の窓から、自宅の目の前の空き地を眺めると、そこに紫色と黄色の美しい花が咲いていることを発見した。確か先週までは、それらを見ることができなかったため、ここ最近開花したのだと思う。新たに咲き誇る花々を見ていると、自然の運行を見て取ることができる。 昨年の今頃から、今日にかけて、自分はどのような変化を遂げてきたのだろうか。そうした問いを自然の運行は投げかけてくれる。おそらく、私もこの一年間で何かしらの変化を遂げたのだと思う。 それはとても小さなものかもしれないが、確かに自分の中で何かが変わったのだという実感はある。それが何かについては、今後より明らかになってくるだろう。 自然と自己の双方の変化を見落とさずに生きること。そうした変化に寄り添いながら日々を生きていくことが、敬虔に生きることなのかもしれない。 そうであれば、今日という日を敬虔に生きていたことになる。こうした日々をこれからも積み重ねていく。 そして、自分が生きた今日という一日を、言葉

3876. 大伽藍の建設に向けて

自分が毎日短い日記を書き、短い曲を作っているのは、その日一日を大切にしたいという思いと、その日の今という瞬間に掴まれる感覚を大切にしたいからなのだろう。 欧州での生活を経て、遅まきながら、ようやく自分の特性というものが明確に自覚されるようになった。私は、長大な時間をかけて一つの創造物を生み出すというよりも、日々小さく一つ一つの完結した創造物を生み出し、その実践を長きにわたって続けていくことによって、結果としてそれらの創造物を巨大な建造物に仕立てていくことの方が向いているのだと思わされる。 とにかく小さな創造物を生み出し続けていくこと。それを積み重ねていくことによって、いつか言葉と音の大伽藍が出来上がっていることに、自分の死後気づければ幸いである。 その大伽藍には、自分の実存性と主観性が滲み出ているようにしたい。そして、創造行為を通じて、それら実存性と主観性が普遍的な性質を帯びているようになればと思う。これから行う作曲実践も、今日の学習も、そこに向けた貴重な一歩になるだろう。 時刻は午前八時を過ぎ、辺りはすっかり明るくなった。今、朝日が美しく地上に降り注いでいる。空には、まだ半月の姿が見える。 今日もまた天気がとても良いようなので、午後からは散歩に出かけたい。今日はいつもより歩く距離を伸ばしてもいいかもしれない。そんなことを思わせてくれる朝だ。 他者の活動に対して過剰に批判する人をよく見かけるが、彼らのそうした反応もまた、自我の自己防衛反応の一種なのだろう。他者の活動が何らかの領域で卓越しているように見えると、自分が貶められているように感じるのだろう。 仮にそうした人たちから批判

3875. パリ小旅行計画

時刻は午前七時半に近づきつつある。今、白いカモメたちが、早朝の淡い空の下を優雅に舞っている姿が見える。彼らの目的や意思が何なのかはわからないが、とにかく優雅に空を旋回している。 今この瞬間の空を見る限り、今日は雲がほとんどなく、良い天気になることが予想される。近くの空はライトブルーに変わっており、遠くの空はピンクがかっている。 また、そうした空の上に半月が輝いている姿も美しい。そのような光景を眺めながら、昨夜、春を感じさせてくれる柔らかな夜風が吹いていたことを思い出した。春の足音を様々な現象から聞き取ることができる。 昨日の夜に、来週の木曜日からのパリ旅行に関する各種予約を済ませた。それは大変ではなく、ホテルと列車のチケットを予約するだけであった。 当初は、二年半前にパリに訪れた時に宿泊したホテルに滞在しようと思ったが、今回スキポール空港駅からパリ市内の主要な駅である「パリ北駅」に列車で移動し、その駅を滞在中によく利用することを考えると、この駅周辺のホテルに滞在するのが便利だと思った。そのため、パリ北駅近くにある数多くのホテルのうち、広々とした勉強机があり、バスタブもきちんとある清潔そうなホテルを見つけ出し、そこを予約した。 そもそもパリ北駅は、フランス国内のさまざまな場所に向かう列車が運行されているだけではなく、ロンドンとの間を結ぶユーロスターや、ブリュッセルやアムステルダム中央駅、さらにはケルン中央駅に行ける高速列車も運行されている。 二年半前にパリに訪れた時は、フローニンゲンから向かったのではなく、スイスのニューシャテルからパリに向かった。その時には、おそらくこの駅で降り

3874. 固有の体験とそれを綴ること

今朝は六時過ぎに起床した。時刻は七時を迎えようとしており、この時間帯は、もう空がダークブルーに変わり始めている。 日の出の時間もそうだが、日が沈む時間も随分と変化が見られる。それらは共に春の到来を予感させる。 昨日の入浴前に見た夕暮れ時の空がとても美しかったことを思い出す。様々な色が淡い光を発していた。 今日も天気が良いようなので、同じような夕焼けを見ることができるかもしれない。ただし、「私たちは二度と同じ川に入ることができない」という言葉にあるように、昨日見た夕焼けは唯一無二のものであり、今日の夕焼けもそうしたものになるだろう。それを意識しながら、今日の夕焼けを味わうことができたらと思う。 いつもと同じように、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、大学時代のゼミの友人(TA)と話をしていた。 現実世界においては、彼はコロンビア大学の大学院に留学をしていたのだが、夢の中の彼はスイスに留学をしていた。話の話題として挙がっていたのは、彼がスイス留学に向けての準備をしている際に書いていたブログについてであった。 私は彼のブログを時折読んでおり、その内容を楽しんでいた旨を伝えた。だが一つ残念だったのは、彼がスイスに留学して以降は、パタリと更新が止まってしまったことである。 その点についても彼に伝えると、彼自身もブログを続けることができなかったことを残念がっているようだった。彼にとってはその時の留学が初めてであり、大学院での勉強と新しい国での生活に手いっぱいであり、ブログを書く余裕がなかったそうである。 その話を聞きながら、そういえば私も、初めて留学した時は、日本語で何か文

3873. パリとの再会の日に向けて

つい先ほど散歩から戻ってきた。このように天気の良い日に散歩に出かけること、そして何より今日のように休日の雰囲気を感じながら散歩することの喜びを改めて噛み締める。 今日はこれから、ラヴェルに範を求めて作曲実践をする。参考にしようとしている曲は、構造的にそれほど複雑ではない。 一つ一つの和音を意図を持って構築していき、曲全体の響きを豊かなものにしていきたいと思う。作曲実践の途中で入浴の時間がやってくるかもしれないため、続きに関しては、入浴し、夕食を摂り終えた後に完成させたいと思う。 二年半ぶりにパリに足を運ぶ日が迫ってきた。来週の木曜日からぶらりとパリに足を伸ばそうと思っており、先日天気予報を確認したところ、その日はフローニンゲンで小雨が降るようだった。 しかし本日再度確認してみると、その日は晴れとのことであり、嬉しく思う。パリに滞在中は、一日ほど小雨に見舞われるようだが、それ以外の日は晴れのようなのでとても有り難い。 パリはフローニンゲンよりも暖かく、パリではより春を感じることができるだろう。パリの滞在に向けて、今日は夜にでも、ホテルの予約を済ませておきたい。 二年半前に宿泊したホテルは、今回の旅行のメインでもある国立ピカソ美術館から近いため、今回も同じホテルに宿泊しようと思う。二年半前は、ちょうどリオ五輪が開催中であり、ルーブル美術館を訪れる前日かその日に、五輪サッカーの決勝戦があったことを覚えている。 今回の旅行の滞在先はパリ一箇所であり、ホテルを予約し、あとは列車の予約をすれば十分だ。当日は午前十時半あたりにフローニンゲンを出発する列車に乗り、スキポール空港で一回ほど乗り換

3872. 進歩・発達の運動性:身体意識の涵養

時刻は午後四時を迎えた。午後の活動もひと段落したので、これから散歩に出かけたい。 近所の河川敷のサイクリングロードをゆっくりと散歩し、帰りに近所のスーパーに立ち寄ろうと思う。今日は早朝に霧が出ていたが、午前中から今にかけて、めっきり良い天気である。 春を感じさせる太陽の光が燦然と地上に降り注いでいる。そうした様子を眺めていると、自分の内側にエネルギーの塊の脈動が感じられるかのようだ。 これから散歩に出かける際には、ここ最近注目している建設中の建物をゆっくり眺めたい。また、街路樹のつぼみの様子も忘れずに観察する。 それらを観察する際に、変化を捉えることができなかったとしても、確実に起こっている変化の脈動を感じるようにしたい。人間の発達においても同様であり、発達とはそれが起こった後に振り返ってみて初めて気づくような特徴を持っているが、発達の最中にあって感じられることも少なからずある。 内面の成熟のみならず、作曲技術の進歩においても、目に見えるような進歩がなかったとしても、絶えず行なわれている進歩に向けた運動に着目したい。森羅万象に宿るこの運動性には本当に驚かされる。 ここのところは天気が良いこともあり、基本的に毎日ウォーキング兼ランニングに出かけている。それによって全身の血の巡り、及びエネルギー循環が促進されている。 自分の言葉と音を創出し続けていくことが一つのライフワークとなっているが、それを行うためには、とにかく身体の状態を整えることが重要だ。自らの言葉を育み、それを生み出すために読書をする際にも、そして実際に言葉を生み出すためにも、身体の状態がどのようなものであるかがカギを握

3871. 夢の続き:言葉に内包されるもの

時刻は午前八時を迎えた。これから一日の活動を本格的に始めていきたい。 今日は昼食後に、一件ほどオンラインミーティングがある。それ以外は特に仕事もないため、今日もまた作曲実践に力を注いで行こうと思う。実践に並行して、ハーモニーやフーガに関する専門書を読み進めていきたい。 先ほど今朝方の夢について振り返っていた。そういえば、もう一つ断片的な夢を見ていたことを覚えている。 私は欧州のどこかの国にいて、列車に乗っていた。それは一般的な列車というよりも、食堂などが付いた特別な列車であった。 私はしばらく座席に腰かけながら、窓の外の景色を眺めていた。すると、私の後ろの席から日本語が聞こえてきたため、振り返ってみると、私の友人であった。 彼はビールを購入したいと述べており、私は一つ前の車両に自動販売機があることを伝えた。ちょうど私も喉が渇いていたので、彼と一緒に自販機のある車両に向かった。 自販機の前に到着すると、そこで売られているビールの値段は、どれも360円であった。私は普段ビールを飲まないので価格については疎いが、なぜだか私は、ビール一本の値段は本来340円ほどだろうと思っていた。 友人は、「少し高いけど、まぁしょうがない」と述べながら、一本ほどビールを購入した。そこで夢の場面が変わった。 この夢について振り返ってみると、確かにその列車は欧州のどこかの国を走っていたのだが、自動販売機があるということ、そしてそこで売られている飲み物の値段が円表示になっていたことが興味深い。欧州と日本が混ざり合っているかのような感覚を受ける。 これはもしかすると、この三年間での欧州生活を通して、自分の深層

3870. 暗号通貨に関する夢

時刻は午前七時半を迎えた。今朝はゆっくりと、七時あたりに起床した。 今日から二月最後の週末が始まる。早いもので、来週の金曜日からは三月を迎える。来週の木曜日からパリに滞在することを考えると、パリで三月を迎えることになりそうだ。 外はすでに薄明るくなっている。ただし今日は、幾分霧がかかっている。 昨日は一日を通して曇りがちだったので、今日はこれから少しずつ晴れ間が顔を覗かせることを期待する。今、一羽の大きな鳥が、辺りに響き渡る鳴き声を上げながら飛び去っていった。 一日の活動を本格的に始める前に、今日もまずは、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、ある国の国境付近にいた。そこにはベルリンの壁を彷彿とさせるような壁がそびえ立っており、二つの国を区切っている。 私はその壁に向かって散歩していた。壁の前までやってくると、二人の外国人の夫婦の姿が見えた。 二人の夫婦に近寄り、私は二人に挨拶をした。二人とも中年であり、人生の様々な経験を経ていることが外見からなんとなしにわかった。 二人と会話をしていると、小中高時代の女性友達(NI)が現れ、私たちの話に加わった。話が盛り上がってきたところで、夫人の方がふと、「ある暗号通貨を一定数以上保有していると、壁の向こうに行けないのよ」と述べた。 夫人がそのように述べたとき、一台の列車が壁の向こう側の線路をゆっくりと走り、徐々に速度を落としている姿が見えた。私は夫人にその暗号通貨が何なのかを確認すると、まさに私が保有しているもののうちの一つだった。 その通貨を保有していると本当に壁の向こうに行けないのかが私は気になり、それを確かめてみたいと

3869. 今頃気づく諸々の事柄

時刻は午後の九時半を迎えた。いつもはそろそろ就寝に向けた準備をするところだが、今日は最後に日記を書き留めておきたい。 今日の夕方に、街の中心部に散歩がてら買い物に出かけた。フローニンゲンの中心部はいつもと同じように賑やかで、特に市場はいつ訪れてもその活気からエネルギーをもらうことができる。 何気なく、市場で売られているものを見るのは一つの楽しみであり、特に何かを買うわけでないのだが、そこで売られている野菜や果物、魚や肉類などを見ていると、生活の香りがして、生きている実感が増すから不思議である。 長らく使っていた香水が切れかかっていたので、久しぶりに香水を購入するために、時折立ち寄る化粧品屋に足を運んだ。この化粧品屋は、和を感じさせてくれる商品が置かれており、一つ一つの原材料にこだわりがあるようなので気に入っている。 香水を購入してから行きつけのチーズ屋に立ち寄り、いつものように、チーズとナッツ類を購入した。自宅に帰って、先ほど購入した香水とその他の品の値段が記されたレシートを見た時、消費税の税率に目がいった。 私はもう三年間もオランダで生活をしているのだが、これまでオランダの消費税を気にすることはなかった。しかしレシートを見た時に、目に飛び込んできた税率は21%であり、それはかなり高いと思えた。 どうやら化粧品類などの消費税は、オランダでは21%のようだ。比較として今日の昼食前に訪れたスーパーのレシートも偶然手元にあったので確認してみると、食料品に関しては9%であった。 これも幾分高いかもしれないと思って、毎回使っている買い物の袋の底に置いたままにしていたその他のレシートを見て

3868. 作曲家の人生史及び思想の探究:音楽と時間

時刻は午前九時半を迎えた。今この瞬間のフローニンゲンの空は、うっすらとした雲に覆われている。 そんな空の下を、一羽のカモメが飛び去っていく姿が見える。天気予報を見る限りでは、今日は一日中曇りのようだ。 先ほど、早朝の作曲実践を終え、ハーモニーに関する書籍を少しばかり読み進めていた。音楽理論や作曲理論に関する書籍を読み際には、そこに記載されている事柄を、今後の作曲実践でいかに活用していくかに思考が巡らせていく。 もちろん、書籍に記載されている観点の全てを曲中でうまく活用することはまだ到底できないが、観点の獲得と、それを実際の曲の中で活用してみようとする意識は絶えず持っておきたい。 あと三十分ほどしたら、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングがある。ミーティングに向けた準備はすでに昨日の段階で完了しているため、ワードファイルに書き留めておいた本日のアジェンダを再度確認しておこうと思う。 ミーティングが終われば、その流れで昼食前の作曲実践を行いたい。その際には、ベートーヴェンの曲に範を求めようと思う。 どの曲を参考にしようとするかはすでに決めており、その制作年を見ると、それはベートーヴェンが39歳の時に作ったものだということがわかった。そのあたりの時期は、ベートーヴェンの耳の病気が発覚してから随分と時間が経ち、それが悪化の方向に向かっているような頃ではないかと思う。 近々ベートーヴェンが書き残した手紙が収められた書籍“Beethoven’s Letters (1972)”を読み返し、ベートーヴェンの人生史と照らし合わせながら作曲実践を行いたいと思う。 一人一人の作曲家の生涯を

3867. 今朝方の夢の続き

今日はいよいよ平日最後の金曜日を迎え、明日からは週末に入る。今日の午前中に一件ほど、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングがあり、明日の午後には別件でオンラインミーティングが一つ入っている。自らに与えられた役割を緩やかに全うしながら日々が過ぎていく。 昨夜の就寝前にふと、この六年間で協働させていただいた様々な方たちの顔が脳裏に浮かんだ。現在の自己を形作っている重要な要素の一つとして、この六年間で多様な領域の様々な方たちと協働をしてきたことを挙げることができるだろう。 ある時期から私は、専門書や論文を読むという探究活動だけを行っていくことに疑問を持ち、そうした探究活動に並行して、様々な方たちとの協働を通じた実践活動を大切にしてきた。おそらく、こうした実践活動の中に、社会とのつながりの感覚が存在しており、そうした感覚を持ちながら自己を深め、深められていく自己を持って、再び社会に関与していくことが、社会的な生き物である人間として生きていく上で大切になるのだろう。 昨夜はそのようなことを考えながら就寝に向かっていた。とにかくもう一度ここで、単に書物を読むということだけでは知識も技術も高まらず、真の意味で自己が涵養されることもないということを確認しておこうと思う。 確かに、今の私は、書物を衝動的に読むということはなくなったが、それでもそうした方向に傾きがちな性質を持っていることは否定できないため、再度上記の点を確認しておきたい。 一日分のコーヒーが完成したところで、今朝方の夢の続きについても振り返っておきたい。夢の中で私は、これから日本を出発し、どこかの国に飛行機で向かおうとして

3866. 心が動かされることと治癒

今朝は五時半過ぎに起床し、六時を迎えてしばらく経ってから、一日の活動をゆっくりと始めた。 小鳥たちの歌声が闇の世界にこだましている。小鳥たちの澄み渡る声に耳を傾けていると、意識が深まっていくのみならず、意識が大いにくつろぎ、何か治癒的な作用を実感する。意識の深まり、そして意識をくつろがせることには治癒的な作用があるようだ。 今日は晴れのようであるから、午後には行きつけのチーズ家に行き、街の中心部の化粧品屋で洗顔類などを購入しようと思う。今日は、近所の河川敷のサイクリングロードに行くのではなく、その代わりに、街の中心部に行く散歩を楽しみたいと思う。 本日の活動を本格的に始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。今朝方は、いくつかの夢を見ており、幾分記憶は断片的だが、できるだけ夢の内容を思い出してみたい。 夢の中で私は、現在進められているプロジェクトの協働者の男性と話をしていた。話の内容は、その方が作ってくださった資料に関するものだった。 その方はまだ若く、これから実務経験を積んでいこうとされておられるが、いただいた資料の出来が非常に良く、私は感銘を受けていた。それを本人に直接伝えていたところ、その仕事ぶりに改めて感激し、話しながら私は涙を流していた。 私自身もなぜ涙が流れてきたのか不思議ではあったが、その方はもっと驚いたことだろう。私が話し終えると、その方はこれからの仕事をさらに意欲的に取り組んでいきたいということを述べていた。 そこで一度目を覚ました。目を開けてみると、夢の中の自分のみならず、夢を見ていた現実世界の自分自身もうっすらと涙を流しているようだった。 夢の世界

【お知らせ】Back Number Vol 193(記事3841-3860)

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