

【お知らせ】Back Number Vol 194(記事3861-3880)
いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事3861から3880に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードは下記よりご自由に行えます。 ・Blog Back Number


3883-3888:フローニンゲン滞在記 2019年2月26日(火)
3883. 三大陸を行き来する自分を暗示する夢 今朝は六時過ぎに起床し、七時を迎えるあたりから一日の活動を始めた。書斎の窓から外を眺めると、すでに薄明るくなっている。 今日と明日のフローニンゲンは、昨日と同じぐらいに良い天気になるそうだ。今日もまた、午後にでも散歩に出かけようと思う。 一日の活動を本格的に始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。今朝は随分と多い夢を見ていた。一つ一つの夢は短いのだが、その数が多かったように思う。 夢の中で私は、バスに乗ろうとしていた。バスに乗る直前で、偶然にも小中高時代の親友(AF)と出会い、列に並びながら立ち話をしていた。 私はバスの運賃がわからなかったので、親友に尋ねてみると、2ユーロとのことであった。それを聞いて、私はバスに乗り込む前に、財布から2ユーロを準備しようとした。 だが、財布の中の小銭入れには様々な種類のお金が混ぜこぜで入っており、すぐに2ユーロ分の小銭を取り出すことが難しかった。そうこうしているうちに、バスの乗り口までやってきて、2ユーロぐらいの金額を支払い用の機械の中にさっと入れた。


3882. 時を通じた濾過と発達:取り巻く条件ならびに環境と発達
つい先ほど散歩から戻ってきた。自宅を出発してから10分程度ランニングをし、残りはゆっくりとウォーキングを楽しんだ。 驚いたことに、今日の暖かさのためか、目でわかるほど昨日よりも木々のつぼみが開いていた。私はつぼみの付いた枝を撫で、ここから立派な花を咲かせてくれることを願った。 いよいよ本当に春が到来しそうである。確かに朝夕はまだ冷えるが、日中の陽気は春のそれである。 散歩をしながら、発達の出発点は、とにかく自分自身の内側にあるということを改めて考えていた。発達は、決して他者の体験を起点にはなし得ない。それは自らの固有の体験を起点として起こるものである。 多くの場合、人は他者の体験を必死になって参照しようとするが、それらの体験を通じて自らの体験を見つめ直すことは少ないように思う。他者の体験を参照にするときに注意しなければならないのはこの点だろう。 他者の体験は、確かに私たちの発達の触媒になりうる。だが、他者の体験を参照しているだけでは決して自らの発達は起こらない。 自己を深めることができるのは、自己に固有の体験であり、それを豊かにしていくことなのだ


3881. 造形運動:体験と経験および人間発達
時刻は午後三時半を過ぎた。これから近所の河川敷のサイクリングロードに散歩に出かけようと思う。今日はすこぶる天気が良いので、昨日と同様に、歩く距離を幾分か伸ばそうと思う。 昼食前に曲を作っている最中に、私たちの内側に存在している絶え間ない造形運動について考えていた。それは私の場合であれば、言葉と音楽という形を伴って行われる。 こうした造形運動は、ひょっとすると、発達運動そのものだと言えるのではないかと思った。また、そうした運動そのものが、ある一人の人間の固有性を規定するとさえ言えるかもしれない。そうであれば、その運動そのものが、自らの固有性の核にあるという点において、それは魂の運動と言えるように思えてくる。 昼食前に作曲をし終えると、改めて、メロディーとハーモニーについてはしっかりと学習を進めていく必要があると実感した。そうした学習を怠っていては、いつまで経ってもメロディーとハーモニーの創出に進展をもたらすことはできないだろう。 そもそも理論というものは、生理的に生まれてくる感覚に適切な形をもたらすものなのかもしれない。理論がない状態で形を生み出そ


3880. 自分自身を読み解くことと書くこと
先ほどふと、人を白痴化させる現代の種々の道具と仕組みと距離を置き、それらに左右されない形で、自分の取り組みに従事し続けていくことの大切さについて考えていた。人間を白痴化させるツールに関して挙げればきりがなく、テレビに始まり、現代においては動画サービスやソーシャルメディアに至り、本当に無数のものが存在する。 そのようなツールを活用しながら無為に人生を過ごしたくはないと改めて思う。人間を貶めるそうした道具、さらには白痴化を促す社会的な思想と仕組みには気をつけなければならない。 今日は本当に天気がいい。一切風が吹いておらず、裸の街路樹が堂々と立っている。 「裸の街路樹」と述べたが、ここ最近散歩をしながら発見していたように、もしかするとここからは見えないだけであって、実際にはそれらの木々にはつぼみが付いているかもしれない。今日も午後に散歩に出かける予定なので、その際にはまた木々の観察を行いたい。 書を読むことについて改めて考えてみると、書を読むというのは結局のところ、自分自身を読み解いていくことだと言えるかもしれない。正直なところ、他者の言葉を額面通りに


3879. 自発的な形象化運動
時刻は午前十時を迎えた。スクリャービンの優しいピアノ曲が書斎の中を流れている。 今日も晴天であり、平穏な一日がゆっくりと進行している。それは本当に緩やかに流れており、日常の事物全てが一つの川のように絶え間なく流れているのがわかる。 晴れ渡る空を眺めていると、心がますます穏やかなものになっていく。ふと窓の外を見ると、草花が春に向けて身支度をしているように思え、大変微笑ましかった。 起床直後に、今朝方の夢について覚えている範囲のことを書き留めていたが、それはあまり分量がなかった。その後、夢について幾分思い出すかと思ったが、それは期待外れに終わった。 だが、早朝にごくわずかであっても夢を書き留めておいたことに意味があるのだと思う。夢の中に現れていた一つ一つの感覚や情景を大切にしたい。それは意味の宝庫である。 そうした意味の宝庫に言葉を与えることは、即それらに居場所を与えることでもある。また、それらに言葉を与えることによって、それらは自分の内側に位置付けられていく。 自分の内側から生じた事柄に言葉を与え、それを自分の内側に再定義し直していくこと。おそらく


3878. 今朝方の夢の断片
今朝は六時前に起床し、六時半を迎えた頃に一日の活動を始めた。つい今しがた、小鳥が高らかに鳴き声を上げた。今もまだ、別の小鳥が小さく鳴いている。 今日から新しい週を迎えた。早いもので、今週中に二月が終わり、三月が始まる。 外側の時間は早く流れていく一方で、自分の内側の時間の流れは緩やかだ。内と外の時間の流れの差に気づきながら、外側の時間の流れに騙されない形で日々を過ごしていこうと思う。 いつもの通り、今朝方の夢について振り返っておきたい。だが今日は珍しく、夢についてそれほど覚えていない。そのため、覚えている場面を書きながら、輪郭を整え、ゆっくりと夢の内容を思い出していきたい。 夢の中で私は、ある場所で、小中高時代から付き合いのある幼馴染(SI)と話をしていた。そこは日本とも外国とも判断できないような場所であった。 特に深刻な話題について話をしていたわけではなく、とてもたわいの無いことを彼と話していたように思う。私たちが話をしているところに、二人の芸能人が現れた。 二人とも、芸能界では大御所の方であり、まさかこのような場所で会って話をすることになると


3877. 敬虔に生きること
時刻は午後の四時半を迎えた。今日は本当に、平穏かつ平和な日曜日である。その平穏さと平和さの中に溶け出してしまいそうな感覚がある。 つい先ほどまで、近所の河川敷に散歩に出かけていた。今日はいつもより距離を伸ばし、最初はランニングを軽く行い、それ以降は基本的にウォーキングを楽しんだ。 今日は日曜日ということもあり、いつも以上に柔らかな雰囲気に辺りが包まれていた。それはもちろん、今もまだ継続している。 サイクリングロードを歩きながら、春の戴冠式がもうしばらくしたら始まるという予感を改めて持った。春は本当にあと少しだ。 今日は昼食を摂っている最中に、食卓の窓から、自宅の目の前の空き地を眺めると、そこに紫色と黄色の美しい花が咲いていることを発見した。確か先週までは、それらを見ることができなかったため、ここ最近開花したのだと思う。新たに咲き誇る花々を見ていると、自然の運行を見て取ることができる。 昨年の今頃から、今日にかけて、自分はどのような変化を遂げてきたのだろうか。そうした問いを自然の運行は投げかけてくれる。おそらく、私もこの一年間で何かしらの変化を遂げ


3876. 大伽藍の建設に向けて
自分が毎日短い日記を書き、短い曲を作っているのは、その日一日を大切にしたいという思いと、その日の今という瞬間に掴まれる感覚を大切にしたいからなのだろう。 欧州での生活を経て、遅まきながら、ようやく自分の特性というものが明確に自覚されるようになった。私は、長大な時間をかけて一つの創造物を生み出すというよりも、日々小さく一つ一つの完結した創造物を生み出し、その実践を長きにわたって続けていくことによって、結果としてそれらの創造物を巨大な建造物に仕立てていくことの方が向いているのだと思わされる。 とにかく小さな創造物を生み出し続けていくこと。それを積み重ねていくことによって、いつか言葉と音の大伽藍が出来上がっていることに、自分の死後気づければ幸いである。 その大伽藍には、自分の実存性と主観性が滲み出ているようにしたい。そして、創造行為を通じて、それら実存性と主観性が普遍的な性質を帯びているようになればと思う。これから行う作曲実践も、今日の学習も、そこに向けた貴重な一歩になるだろう。 時刻は午前八時を過ぎ、辺りはすっかり明るくなった。今、朝日が美しく地上に


3875. パリ小旅行計画
時刻は午前七時半に近づきつつある。今、白いカモメたちが、早朝の淡い空の下を優雅に舞っている姿が見える。彼らの目的や意思が何なのかはわからないが、とにかく優雅に空を旋回している。 今この瞬間の空を見る限り、今日は雲がほとんどなく、良い天気になることが予想される。近くの空はライトブルーに変わっており、遠くの空はピンクがかっている。 また、そうした空の上に半月が輝いている姿も美しい。そのような光景を眺めながら、昨夜、春を感じさせてくれる柔らかな夜風が吹いていたことを思い出した。春の足音を様々な現象から聞き取ることができる。 昨日の夜に、来週の木曜日からのパリ旅行に関する各種予約を済ませた。それは大変ではなく、ホテルと列車のチケットを予約するだけであった。 当初は、二年半前にパリに訪れた時に宿泊したホテルに滞在しようと思ったが、今回スキポール空港駅からパリ市内の主要な駅である「パリ北駅」に列車で移動し、その駅を滞在中によく利用することを考えると、この駅周辺のホテルに滞在するのが便利だと思った。そのため、パリ北駅近くにある数多くのホテルのうち、広々とした勉