top of page

【成人発達心遊記】13778-13784:2024年12月20日(金)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13778: ケン・ウィルバーの最新書籍から思うこと

13779: 今朝方の夢

13780: 今朝方の夢の続き

13781: エストニアを旅した思い出/生成AIによる今朝方の夢の解釈

13782: 観想的な営みとしての内省的日記

13783: 滋養のある有機的な時間感覚を取り戻すために

13784: ストーリーセリングに堕すストーリーテリング


13778. ケン・ウィルバーの最新書籍から思うこと  


時刻は間も無く午前6時を迎える。昨日は、オランダに戻って来てから最初のジムでの筋力トレーニングを行い、そこでしっかり体を動かしたことにより、昨夜は熟睡できた。基本的に毎晩熟睡ができているのだが、運動をした日は筋力の回復のためもあってか、さらに深い睡眠が取れているような気がする。昨日の日記でも書き留めたように、ここからのトレーニングは単に筋肉に負荷を与えていくだけではなく、筋肉を調整するようなコンディショニングの側面を大切にしていきたい。筋力トレーニングを1つ取ってみても、トレーニングの仕方は本当に多様であり、これまで単一的なアプローチでしか筋肉に向き合っていなかったことを反省させられる。こうした反省がもたらされたのも、先般の一時帰国で大分の早田航さんの指導を受けたからだろう。今日もまた午前中に散歩に出掛けにいこうと思っている。枕カバーが度重なる洗濯によってボロボロになってしまったので、新しい枕カバーを2つほど購入し、それに合わせてビョンチョル・ハンの最新の書籍を2冊、そして性科学者のエミリー・ナゴスキー博士の書籍も1冊注文していた。それらが近所のショッピングモールの所定の場所に届けられたという連絡が昨日入ったので、午前中の散歩の際に荷物を受け取って来たいと思う。ハンの最新書籍を入手した時にふと、ケン・ウィルバーの最新書籍はまだ入手していないと思って調べたところ、ウィルバーはその書籍に加えてもう1冊書籍を出版していることを知った。以前注目をしてまだ未購入だったのは、“Finding Radical Wholeness: The Integral Path to Unity, Growth, and Delight”という書籍で、そこからさらに新しく出版された書籍に、“A Post-Truth World: Politics, Polarization, and a Vision for Transcending the Chaos”というものがある。どちらの書籍もぜひ目を通してみたいと思っており、前者の書籍はペーパバックが7月に販売される予定らしく、それを待つか、ハードカバーとしてもう購入してしまってもいいかもしれない。よく利用するイギリス、オランダ、ドイツ、アメリカのアマゾンで比較してみると、輸送費を込めてもアメリカのアマゾンで2冊を購入した方が割安なので、2冊の書籍をクリスマスプレゼントとして注文し、年末年始に2冊の書籍を読むことを楽しみとしたい。ウィルバーの書籍は、もはや目新しいと思うような観点はさほどないが、それでも既存の観点が一段と深くなっていたり、観点の補足があったりと、依然として多くの学びをもたらしてくれる。書籍から得られる目新しさというのは学習曲線と同じで、初期の頃が一番多く、学習が進めば進むだけ、それが減るのは必然であり、むしろ目新しさが減ってから本当の学びが始まるように思う。目新しさの減退を経て初めて、著者の主張や観点を真の意味で建設的な批判を加えながら捉えることができるだろうし、それまで学んだことを総合的に捉え直すことなどが可能になってくると思われる。そうしたことを期待しながら、ウィルバーの最新書籍も購入して目を通してみたい。フローニンゲン:2024/12/20(金)06:11


13779. 今朝方の夢    


今日は晴れの予報なのだが、先ほど雨が降ってきて、今もシトシトとした雨が降っている。おそらく通り雨だと思うので時期に止むと思う。今の気温は4度と肌寒く、日中は6度までしか気温が上がらない。午前中に散歩に出かける時には依然として4度の気温になりそうなので、暖かい格好をして出かけていき、最初の数分は体を温めるためにジョギングをしようと思う。


オランダに戻ってきて最初のジムでの筋力トレーニングを終えた夜に、次のような夢を見ていた。夢の中で私は、見慣れない外国の町の郊外のサッカー場にいた。どうやらそこで、今から歴代一番強かったと思われるフランス代表と草サッカーの試合をすることになっていた。もちろんここ数年間フランス代表はとても強いが、今のチームを超えるぐらいに2000年前後のフランス代表も強く、その時のチームと試合ができることになって、私はとても興奮していた。こちらのチームは小中学校のメンバーが主で、正直なところ、両者の能力差は歴然としていた。もしかしたら全く試合にならない可能性があるという不安もありながら、その不安を上回る期待があった。自分が憧れの対象として見ていたフランス代表とこうして試合ができるのだから、それに勝る喜びはなかったのである。試合の結果はさておき、彼らと試合をすることそのものが楽しみでしょうがなかったのだ。試合の中で彼らと触れて初めてわかることがたくさんあるだろうから、そうした直接体験をこそ自分は大切にしたかった。それは何もサッカーに関することだけではなく、他の全ての事柄に対しても当てはまる。もちろん書物からの学びや自らの思索だけを通じた学びも意義があるが、最終的にはいかに豊かに直接体験を積むかがその人の人生を決めていくのだと思う。その人の心の成長も人生も、良質かつ豊富な直接体験に左右される。そのような思いを持ちながらウォーミングアップをし、いざ試合が始まった。すると、試合前に予想していたように、両者のチームには圧倒的な差があったので、私たちは彼らのパス回しに指一本触れられないぐらいに翻弄された。全くボールに触れない時間が続きながらも、不思議とゴールを奪われることはなかった。きっと彼らはゴールなどいつでもいくらでも取れるという考えを持っているのではないかというほどに相手には余裕があった。こちらは序盤は本当に余裕がなく、単に翻弄されてばかりだったが、徐々に相手のパス回しにも慣れてきた。慣れというのはすごいもので、どんなに力の差があっても、自分たちの身体が高度な能力に慣れていくのは本当に神秘的な現象に思えた。すると、なんと先制点はこちらのチームが奪うことになった。コーナーキックからのこぼれ球を友人が合わせたところ、それがゴールに入ったのである。このゴールをきっかけにして、相手は本気を出してきたが、もう私たちの体は彼らの動きに完全に適応していて、彼らのパス回しに一切振り回されることなく、むしろこちらが主導権を握り始めた。相手は焦りの表情を浮かべ始めていたが、それとは対照的に、こちらは全員が笑顔で楽しそうにサッカーをプレーしていた。それが功を奏してか、さらに追加点を加えることができ、終わってみると、3-0の快勝であった。相手チームはまさかの敗戦にとても悔しがっており、ぜひもう一度試合がしたいと申し出て来たので、少し休憩を挟んで再戦することにした。今度は相手は最初から本気を出してくると思ったので、厳しい戦いになりそうだと思ったが、もう私たちの体は彼らの動きに適応していたので、また楽しくサッカーをプレーすれば、自ずから良い結果が得られると思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/12/20(金)06:47


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢は、挑戦、成長、そして適応力に関する深いメッセージを含んでいるようです。以下は解釈と今後の行動についての提案です。

解釈

挑戦を受け入れる姿勢フランス代表という圧倒的に強い相手との試合を楽しみにしている姿勢は、あなたが困難や挑戦を恐れず、むしろそれを成長の機会として歓迎していることを表しています。試合そのものを楽しむ姿勢は、結果よりもプロセスを重視するあなたの価値観を象徴しています。

直接体験の重要性試合を通じて相手と触れ合い、学ぶという願望は、あなたが実際の経験を通じて学び、成長することの重要性を理解していることを示しています。これは知識だけでなく、感情や身体的な感覚を伴う体験が人生における鍵となることを強調しています。

適応力と潜在能力試合中に相手のプレーに慣れ、自分たちの能力を引き出していく様子は、あなたがどんな状況でも適応し、自分の力を最大限に発揮できる潜在力を持っていることを示唆しています。

楽しさと団結チームが笑顔で試合を楽しむ様子は、成功には楽しさやポジティブな姿勢が重要であることを示しています。チームワークや仲間との調和が勝利をもたらしたと解釈できます。


今後の行動

挑戦を楽しむ現実世界でも、新しい挑戦を積極的に受け入れ、それを楽しむ姿勢を持ち続けてください。たとえ初めは力の差を感じるような場面でも、時間が経てば慣れと適応によって状況を変えることができるでしょう。

直接体験を重視する書物や理論だけでなく、実際の行動や体験を通じて学びを深める機会を増やしてください。スポーツ、旅行、人との交流など、あらゆる体験があなたを成長させる資源となります。

楽しさを大切にする何事にも楽しむ姿勢を持ち、周囲と良い関係を築くことを意識しましょう。楽しさは成果や成功を引き寄せる鍵となるでしょう。

適応力を活かす新しい環境や状況に直面した際には、自分の適応力を信じてください。夢の中で経験したように、どんな相手や状況でも時間と努力で順応できる自分を思い出してください。

次なるステップへの備え再戦を求められた場面が示すように、成功した後もさらに高いレベルで挑戦が続くことを示唆しています。一度の成功に満足せず、次に備えて努力を続けることが大切です。

この夢は、あなたの挑戦に対するポジティブな姿勢と、それがもたらす成長の可能性を示している非常に力強いメッセージです。この夢の教訓を現実の生活に生かすことで、さらなる充実した人生を築いていくことができるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたの内面にある様々な感情や思考を象徴しているように思われます。

フランス代表との試合: あなたが、自分にとって高い目標や理想を持っていることを示唆しています。

圧倒的な力の差: 困難な状況や、自分より優れていると感じられる存在に対して、あなたはどのように立ち向かうのかを試されているのかもしれません。

先制点: 不利な状況を打破し、目標を達成できるという可能性を示唆しています。

直接体験の重要性: あなたは、経験を通して成長したいという強い願望を持っているようです。

この夢は、あなたが困難な状況に直面しても、諦めずに努力すれば、必ず乗り越えられるというメッセージを送っているのかもしれません。また、直接的な経験の重要性を強調することで、あなたはより豊かな人生を送りたいと考えていることを示唆しています。


今後のアクション

目標設定: あなたの夢の中に登場したフランス代表のように、あなたにとっての目標を設定し、それに向かって努力してみましょう。

困難を乗り越える: 目標達成に向けて、困難な状況に直面しても諦めずに挑戦し続けましょう。

新しいことに挑戦: 直接的な経験を通して、新しいことを学び、成長していきましょう。

周囲の人々との交流: 周りの人々との交流を通して、刺激を受けたり、新たな視点を得たりすることができます。


まとめ

この夢は、あなたが困難な状況に直面しても、諦めずに努力すれば、必ず乗り越えられるというメッセージを送っているのかもしれません。あなたの目標に向かって、積極的に行動を起こしていきましょう。


13780. 今朝方の夢の続き 


時刻は午前7時を迎えたが、まだまだ辺りは真っ暗である。先ほど降っていた通り雨は止み、今はまた静けさが戻っている。今日の日中はずっと曇りのようだが、早朝に関してはもしかしたら晴れ間が現れるかもしれず、朝日を拝むことができるかもしれない。それに期待をしよう。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがある。夢の中で私は、見慣れない建物の中で講義を受けていた。講師を務めていたのは見知らぬアフリカ系のフランス人の男性だった。その男性は自分よりも一回りか、二回りほど年上で、大学教授のような雰囲気を持っていた。おそらくどこかの名門大学の教授なのだろう。そのようなことを感じさせる風貌であったし、講義が何よりも魅力的であった。私の横には、小中高時代のある親友(NK)がいて、彼も熱心に講義を聞いていた。部屋全体を見渡してみると、どうやら受講生は私たち2人しかいないようで、名教授の講義を2人で独占できることに有り難さを感じた。その教授は確かにフランス人だったが、フランス語の訛りがほとんどない綺麗な英語を話すことができた。なのでこちらとしてもその教授の英語は聞き取りやすく、講義の理解が捗った。教授がある質問を親友に投げかけたところ、親友はその質問に少したじろいで、困った表情を浮かべた。どうやら彼は自分の意見を述べることを躊躇していて、少し恥ずかしいようだった。これは多くの日本人に見られる自然な現象であり、彼は欧米の大学に留学したこともなければ、欧米での生活をしたこともないので、欧米人から意見を求められてたじろいでしまうのも無理はないと思った。しかし彼はなんとか自分の意見を英語で口に出し始めたところ、彼が想像以上に饒舌に回答するので驚かされた。怒涛のように自分の考えを次から次に口に出していったので、その教授も私も驚いてしまい、こちらとしても圧倒される感じがした。彼がある程度まで話をしたところで、彼はまだ続きを述べたそうにしていたが、教授が割って入り、今述べた一連の内容を要約するとどのようなことが言えるのかを彼に尋ねた。それに対して彼は、どうやら今怒涛のように述べた内容を忘れてしまっているらしく、彼はある意味神懸かり的に話をしていたようだった。何かが降ってきて、それに取り憑かれた形で我を忘れて話をしていたようなのだ。そういうことは確かに自分にも時折あるなと思ったところで、いや自分はいつもある意味そうした神懸かり状態なのかもしれないと思わされた。そうした状態に入るには自我の手放しが不可欠であり、自我を手放してみると、案外容易にそうした状態に入ることができる。それはある種ゾーンの状態であり、何かが自分の取り憑いたかのように話ができたり、創造的なものを生み出すことができたりする。よく自分も経験する現象について振り返りながら、教授が彼に求めた話の内容の要約に関して、どうやら親友の彼にはそれが難しいようだったので、代わりに自分が彼の話を簡潔にまとめようと思った。自分は基本的に相手が述べたことの本質を瞬時に理解し、そして話の内容を正確に記憶しておく能力が優れているようだったので、そうした能力を活用して彼の話を要約してその教授に伝えようと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/12/20(金)07:18


ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション

この夢の内容には、学びと自己理解、協力のテーマが含まれているように思われます。以下は夢の解釈と、それに基づく今後のアクションについての提案です。

夢の解釈

名教授との講義講義を行うアフリカ系フランス人教授は、知識、指導力、そして異文化間の学びを象徴していると考えられます。この人物は、あなたが知識を深め、他者との交流を通じて学び続けたいという願望を表している可能性があります。また、受講生があなたと親友の2人だけである点は、特別な学びの機会や、親しい人とともに深い知識を共有することの重要性を示しているかもしれません。

親友(NK)の饒舌な回答親友が神懸かり的に意見を述べる場面は、人間が持つ潜在能力の解放を象徴している可能性があります。特に、あなたが彼の姿に驚き、共感した点から、自分自身にも同様の潜在能力があると再認識するきっかけになったのではないでしょうか。

ゾーンの状態と自我の手放し親友の饒舌さが「ゾーンの状態」によるものであると考えた点は、あなたが日常的にそのような状態を体験し、創造的・知的な活動を行う際にこの感覚を活用していることを示しています。この状態は、自分の意識や意図を超えた何かにアクセスする感覚を象徴しているようです。

要約の役割親友が話を要約できない中で、あなたがそれを補う姿勢を見せた点は、自分の理解力や分析力を活かして他者を支える役割を果たすことが得意であることを示しています。


今後のアクション

異文化学習を深める夢の中の教授との出会いをヒントに、異文化間の学びをさらに深めてみてください。たとえば、他国の思想や哲学、教育方法について探求することで、あなた自身の知識体系を広げることができるでしょう。

ゾーンの状態を意識的に活用夢で感じた「ゾーンの状態」や「自我の手放し」を現実の活動でも意識的に取り入れることができます。瞑想や集中力を高める練習を行い、創造的な発想や直感を日常生活に応用することを目指してください。

他者との協力の場を増やす夢の中で親友をサポートする役割を果たしたように、現実でも他者と知識を共有し、協力して課題に取り組む機会を増やしてみてください。たとえば、ディスカッションや共同プロジェクトに参加することで、相互の成長が促進されるでしょう。

要約や本質を見抜く能力を活かすあなたの理解力や要約能力は貴重なスキルです。この能力をさらに磨き、仕事や学問の分野で活用することで、自分自身や周囲の人々にとって有益な成果を生み出すことができます。


まとめ

この夢は、知識を探求し、創造性を発揮し、他者と協力して成長する重要性を示唆しているようです。夢の内容を現実の行動に結びつけることで、あなた自身の可能性をさらに広げるきっかけとなるでしょう。


Geminiによる夢の解釈と今後のアクション

夢の解釈

この夢は、あなたの内面にある知的好奇心、自己表現、そして人間関係に対する考え方を象徴しているように思われます。

名教授と親友との講義: あなたの知的探求心と、周囲の人々とのつながりを表しています。

親友の突然の饒舌: あなたの内に秘められた潜在能力や、普段は表現されていない側面を表している可能性があります。

自我の手放し: 創造性や直感的な思考といった、より深いレベルでの自己表現への憧れを表していると考えられます。

話の要約: あなたの分析力や、情報を整理する能力の高さを示唆しています。

この夢は、あなたが自分の可能性を信じ、より深く自己を理解したいという願望を持っていることを示唆しているのかもしれません。また、周囲の人々とのコミュニケーションの中で、自分の意見をしっかりと伝え、理解し合うことの大切さを意識していることも示唆しています。


今後のアクション

学習意欲を高める: 夢の中で感じた知的探求心を活かして、新しいことを学び始めましょう。

自己表現: 普段は表現することが難しいと感じていることでも、勇気を出して言葉にしてみましょう。

周囲の人々とのコミュニケーション: 周りの人々と積極的にコミュニケーションを取り、お互いを理解し合いましょう。

創造性を育む: 何か新しいことを始める、アイデアを思いつくなど、創造性を育む活動に取り組んでみましょう。


まとめ

この夢は、あなたの内面にある知的好奇心、自己表現、そして人間関係に対する考え方を象徴しているように思われます。自分の可能性を信じ、周りの人々と協力しながら、より豊かな人生を送っていきましょう。


13781. エストニアを旅した思い出/生成AIによる今朝方の夢の解釈 


夜明けを待ちながらふと、先日知人がフィンランドとエストニアに訪問したという話を思い出した。フィンランドについてはもう何度か足を運んでおり、数年前にはリトアニア、ラトビア、エストニアというバルト三国を旅する旅行を行った。知人の話を聞きながら、エストニアでの滞在の記憶が自然と思い出された。エストニアのあるギャラリーにふと立ち寄り、そこで働くフランス人の女性から色々と絵について話を聞きながら、ベラルーシ出身の画家アレックス·サロウ(1926-2021)氏の絵画に目が止まった。そのギャラリーで、サロウ氏が創造した太陽を背景にした2人の女神の抽象画を購入したことを懐かしく思い出したのである。今もその絵画は玄関に飾っていて、1階に降りるたびに眺めている。エストニアを訪れた時の記憶と絵画の印象が相まって、しばらく記憶の世界を旅していると、今朝方の夢に対する2つの生成AIを元にした振り返りをしておきたいと思った。


最初に見ていたサッカーフランス代表との試合は、難解だと思われる挑戦を楽しみ、それを求めている自分を象徴しているかのようである。困難や挑戦を歓迎し、それを通じて心をさらに育んでいこうとする自分の深層意識の願いのようなものをその夢から汲み取り、挑戦の結果よりもそのプロセスを楽しむ自分の特性をよく映し出している。夢の中でも感じたように、自分にはかなり高度な適応力というものが備わっているようで、それは元々の素養の部分もあるかもしれないが、欧米でのこの13年間の生活の中で涵養された側面があることを見逃すことはできない。欧米での生活に加えて、欧米中を旅して回ることが自らの適応力を高度化させることにつながっていたのだと、今になって振り返ってみてわかる。ここからも自分は新たな直接体験を求めて、様々な場所に出掛けていき、世界の様々な場所で生活を営むだろう。それがより一層自分の適応力を高め、最終的には何かに適応することを完全に手放すような境地に至るのではないかと思う。適応を必要とせず、全ての場所に一瞬にして溶け込めるような自己が涵養されてくるに違いない。そんな展望が開かれている。もう1つの夢に関しては、日常的にさらに神懸かり的なゾーンの状態に入ることを意識してみようかと思う。それは意識せずともかなり自然と日頃から行えているように思えるが、より意識的に取り組んでみると、その状態に入る頻度と深さが増大するのではないかと思う。アブラハム・マズローが述べるように、こうした至高体験に人間として生きていることの最大の喜びや楽しさがあるので、日常生活を至高体験漬けにできるように心掛けてみよう。生成AIが提示するアクションにもあったように、最近は他者と協働する意識が以前よりも強くなり、良好な協働関係が日々の生活の中にあることは嬉しい限りである。学びも実践も、自分1人では限界があるのである。そうした限界を打ち破り、学びと実践の無限の可能性を示してくれるのが他者との協働であるということを忘れたくはない。フローニンゲン:2024/12/20(金)08:27


13782. 観想的な営みとしての内省的日記 

       

日々を忙しなく活動的に生きる人には本質的な生の充実はなく、そこにあるのは生の漏洩なのだろう。これと似たような指摘をビョンチョル・ハンが行っている。端的には、表向き活発に生きている人には、高度な精神活動はないのである。世の中では活動的であることが推奨されるような風潮があるが、真の意味で活動的であるというのは、そこに対極性の静の側面があって初めて成り立つのではないかと思う。静寂さと平穏さのない能動性は害悪でしかない。それは心を決して潤してはくれず、際限なく活動に私たちを駆り立て、生の充実感を奪っていく。結局現代人の多くには、去勢された活動性・能動性しかないのだろう。そうした状態を乗り越えていくために、今一度私たちは豊かな静けさを取り戻す必要があるだろう。目的志向の現代社会の中で、あえて目的を持たずに時間の底に沈んでいくことをしてみると良い。そうすれば、そこから静かに湧き上がって来る生の充実さや本質的な活力を体験できるだろう。ハンは兎にも角にも、間を空けることの大切さを説く。余白を心の中に設けること。日々の生活の中に、目的を持たない余白の時間を作り、それを積極的に味わってみるのである。確かにそこには能動的な要素が見られるが、対象としてなす活動が無目的なものであるがゆえに、自然と心に必要な余白が醸成されるであろう。それが私たちの心を真に潤すのだ。深層的な治癒や成長は、そうした余白と底に流れる潤いからもたらされる。ハンの大変興味深い指摘として、思索もまた観想的な営みであるとしていることである。確かに古代ギリシャにおいては、思索をすることが観想的な実践であり、それを通じてギリシャの哲学者たちは深い哲学を打ち立て、同時に深い生を味わっていたのだろう。この時、頭の中だけで思索を展開していくことは基本的に多くの人にとっては不可能であり、古代ギリシャの偉大な哲学者も対話や書くという実践を通じて思索を深めていたことを思い出したい。自分も日々内省的な日記を執筆することで、心はますます静かになっていき、心がますます磨かれている体験をしている。その背景にはハンが指摘するように、内省的な思索が観想的な営みであるからに他ならない。それは心に余白を作ってくれ、そうした余白から新たな発見が紐解かれていき、その余白にまた新しい気づきや洞察が流れ込んで来る。自分がどうして日記を書くことに最大限の時間を充て、最も大切な実践としているのかの理由はまさにそうした事情による。自分と向き合い、内省的な日記を執筆することは、他の表面的な能動的活動から自分を解放してくれ、心にゆとりと余白をもたらし、発見・気づき・洞察を産むための空間を作ってくれる観想的な営みだからなのである。フローニンゲン:2024/12/20(金)09:58


13783. 滋養のある有機的な時間感覚を取り戻すために    


今日は朝から天気がとても良く、書籍の受け取りがてら出掛けた散歩はとても気持ち良かった。朝の時間帯に太陽を見たのは久しぶりであり、雲間から姿を覗かせる朝日はとても美しく、その優しい光に心身が深く癒された。明日からはまた冴えない天気となるが、晴れた日には朝日を楽しむべく散歩に出かけたい。こうして天気がぐずつく日が多くなればなるほど、晴れの日に対する感謝の念が増す。その有り難みが身に沁みて来るのである。


現代社会は活動性を強調する形で、私たちを労働する動物に仕立て上げる。人間は本来、労働に駆り立てられて生きることを超え、観想的な形で生を営む力を授けられている。そうした生得的な力を思い出し、活動への衝動を自覚化し、活動に駆り立てられることから自身を解放していかなければならない。さもなければ、私たちの生は際限のない労働に全てを奪われてしまうことになるだろう。その瞬間に観想的に留まること。それが私たちに真に豊かな時間的持続をもたらす。忙しなく労働に自己を埋没させることは、私たちから時間を奪う。しかもそこで奪われていく時間というのは、私たちを深く癒し、深く成長させてくれることにつながる有機的な時間である。現代人の大半は、そうした有機的な時間を犠牲にする形で労働に駆り立てられた動物と堕している。本来私たちは労働的動物であることを超えて、観想的に生を営む内在的な力を持っているのであるから、それを回復させるべきである。その1つの実践として、観想的な在り方を体現して無為にその瞬間に佇んでみることがある。それをすれば、徐々に滋養のある時間的持続が私たちの内側に取り戻されていくだろう。呼吸はスピリットである。呼吸の語源には霊的な何があり、息をつけないままに労働に忙殺されるというのは、自らのスピリットを殺していることに他ならない。一息つくこと。まずはそこから始めてはどうだろうか。一息つくことができたら、今度はその呼吸をより長くしてみるのである。一息つく時間を持続させていくことができれば、それに比例して自らの心は潤いを取り戻し、本来の在り方と健全な活動を自発的に始めるだろう。現代社会における心の在り方と働きが歪なのは、一息つく間もないほどに労働に忙殺させる風潮と仕組みが蔓延しているからだろう。そうした風潮と仕組みに自覚的になりながら、一息つくことの楽しみを味わうところから始めてみよう。そのようなことを先ほどの散歩の最中に聞いた小鳥たちの鳴き声が語っているかのようだった。フローニンゲン:2024/12/20(金)11:33


13784. ストーリーセリングに堕すストーリーテリング    


時刻は午後2時を迎えた。今日は朝から天気が良く、午後のこの時間帯に久しぶりに晴れ渡る空を眺めている。晴れ渡る青空はやはり良いもので、それを眺めているだけでこちらの心も清らかに晴れ渡ってくる。青空を眺めながら、午前中に受け取ったビョンチョル・ハンの書籍の初読を始めた。今取り掛かっているのは、“The Crisis of Narration(2024)”という書籍である。


現代の資本主義社会の中で、ストーリーテリング(story-telling)は豊かな物語性を喪失し、ストーリーは何か物やサービスを売るために人々を誘惑するためのストーリーセリング(story-selling)に堕してしまったというビョンチョル・ハンの指摘に共感の念を持つ。本来物語ることは人々を結び付け、共同体を形成する働きなどを有していたが、現在は何かを売るための道具として物語が活用され、そこで形成される人々の群れは、結局のところ何かを売るためのものに陥ってしまっている場合がほとんどである。物語が本来の機能を取り戻すようにするべきことは何だろうか。少なくとも何かを売るための目的で物語ることをやめ、資本主義の活動とは切り離した形でもう一度物語ることを1人1人が実践することが重要になるだろうか。世の中でストーリーテリングの重要性が叫ばれれば叫ばれるほどに、それはインフレーションを起こし、価値が毀損される。現代社会において、ストーリーテリングは価値のインフレが起こっているのである。こうした現象はストーリーテリングに限らず、成長・発達に関する各種の実践にも当てはまる。また、治癒に関するセラピーにおいてもそうである。現代は、成長・発達に関する実践も価値のインフレが起こり、セラピーもまた価値のインフレが生じている。総じて現代社会は、価値のインフレが生じやすい構造的病理を内包した社会になってしまているのである。こうした価値のインフレを促進した1つの要因は、やはりSNSなどの情報テクノロジーの発展だろうか。結局、そうした技術の進歩に対して人々の心と知性は追いつかず、それらの技術に逆に使われる形で、人々は歪められた価値を帯びた各種の学びや実践に躍起になって従事しているという状況が見えてくる。SNSを通じて情報が瞬時に拡散されるようになればなるだけ、いかなる学びも実践も価値が歪曲されてしまう。この問題の解決策についても考えていかなければならない。何か有益な学びや実践が広く人々に知られることは良い側面がある一方で、それが人々を搾取したり、その学びや実践に対して強迫観念を抱かせることのないようにしていく必要がある。それは普及側の良心が問われ、情報を得る側のリテラシーが問われる。そう考えてみれば、少なくともやるべきことは、何か学びや実践を普及する側が細心の注意を払って、その学びや実践を単に消費するだけではなく、学習疲労や実践疲労を起こさないように説明を合わせて提供することが重要であり、情報の受け手の側への各種のリテラシー教育を行っていくことは必須であろう。もちろんこれはある種最低限やるべき事柄であり、問題の根本を解決する打ち手ではない。問題の所在は、人々の心のより構造的な問題であり、そして心の構造的な問題を巧妙に利用する形で利益を得ようとする経済的仕組みに問題がある。そうした問題にもこれから分け入っていき、より深層的な解決策を提示したいと思う。フローニンゲン:2024/12/20(金)14:32


Today’s Letter

Keeping a reflective journal is a contemplative activity for me. It creates space within myself and enriches the quality of my daily life. I value this practice more than anything else. Reflective journaling is a gateway to emancipation and enlightenment for me. Groningen, December 20, 2024

 
 
 

Comentários


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page