【成人発達心遊記】13374-13377:2024年10月8日(火)
- yoheikatowwp
- 2024年10月10日
- 読了時間: 10分

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タイトル一覧
13374: 1年間の旅行ファスティングを終える日本滞在
13375: 究極的真理を知らない100年と知った1日
13376: 今朝方の夢
13377: “Sense8”のシャドーイングを終えて
13374. 1年間の旅行ファスティングを終える日本滞在
時刻は午前6時半を迎えた。早朝に目覚めた時には幾分激しい雨が降っていたが、それは通り雨だったようで、今は雨が止み、静かな朝の世界が広がっている。辺りは依然として闇に包まれているが、むしろ闇の深さが静けさをさらに感じさせてくれている。今日は1日を通して曇りのようで、朝日を拝むことは期待できなさそうである。
日本への一時帰国もいよいよあと1ヶ月ぐらいとなり、最初に滞在する大阪での計画を立てていた。今回は心斎橋のAppleストアに行って新しいMacBook Airを購入したいと考えている。正直なところそれ以外には特にこれといった計画はなく、大阪梅田のジュンク堂に足を運んで良い書籍がないかを探そうと思っていたが、唯識学に関する研究書はすでに必要なものは揃えてしまっている状況であるし、他にあまり読みたい書籍は今のところなさそうなので、書店巡りよりも美術館巡りを優先させようかと思った。それでいくとまだ訪れたことのない大阪中之島美術館には足を運んでみたい。そことすぐ近くにある国立国際美術館にも訪れてみて、芸術鑑賞を久しぶりに楽しみたいと思う。1ヶ月か2ヶ月に1度旅行に出かけることを控えてから随分と経った。おそらくもう1年ぐらい旅行をしていないのではないかと思う。これまでは世界の美術館・博物館巡りや美しい自然の景観を求めて積極的に旅行に出掛けていたが、昨年からまるで旅行ファスティングをするかのように旅行に出かけるのをぴたりとやめた。その背景には唯識学など探究したい分野を新たに見つけたからであり、旅行に出かけるよりも書斎で書物と向き合う方が充実感が高いと感じるようになっていたことも関係している。また、これまで随分と数多くの場所に旅行したことによって、もうあまり行きたいともうような場所がなくなってきているという贅沢な事情もある。こうした贅沢な状況は、ある意味旅行の過食によるものかと思ったので、旅行ファスティングを行うことは実りあるものだった。こうして1年振りに旅行することが2年振りの日本への一時帰国と重なることは個人的に嬉しく、日本での滞在を思う存分に楽しむことがだろう。大阪にはその他にも美術館や博物館として見るものが多そうなので、後ほど改めて調べてみたい。美術館や博物館を巡ることに加えて、ホテルから比較的近くにある映画館にも足を運んでみて、そこで何か面白そうな邦画を見たいと思う。オランダでの生活中は日本語音声の映画を一切見ないようにしていることもあり、日本語音声の映画を楽しめるのは日本滞在中しかない。それも踏まえて、洋画ではなく、邦画で良さそうな作品が上映されていないかを調べてみよう。フローニンゲン:2024/10/8(火)06:41
13375. 究極的真理を知らない100年と知った1日
先ほど1年間に渡る旅行ファスティングについて書き留めていた。1年間ほど旅に出かけずにフローニンゲンで過ごすことを通じて、深めるべき探究項目について思う存分に研究に従事してその探求を深めることができたのは間違いない。それ以外にも、これまでの旅行の体験を経験に咀嚼していくための十分な消化時間を持てたことも大きな意味がある。この1年間は確かに旅行に出かけることをしていなかったが、自分の内側では旅はずっと継続していたのであり、その消化作業をゆっくりと進めるための最良な期間にこの1年間はなったように思う。先ほどの日記に書き忘れていたが、旅行を控えていたのは新たな探究項目の探究に時間を使いたかったからだけではなく、体系立ったシロシビン・セッションを自らに課すためでもあった。むしろその理由の方が大きいように思う。外側に旅に出かけていく必要がないほどに、内側の旅が充実していたのである。シロシビン・セッションをこの夏に一旦卒業したことによって、また外側への旅に出かけていくエネルギーが高まるかもしれない。今回はシロシビン・セッションを終えての最初の旅行になるため、その意味でも意義深い。
仏陀はかつて、「究極的真理を知らないままに100年生きるよりも、究極的真理を知って1日生きることの方が尊い」と述べていた。仏陀の言葉に深く同意する。シロシビンを含めたサイケデリクスの摂取を通じた究極的真理の知覚は、自分にとって何物にも代え難い体験である。その知覚体験をしないままに人生を過ごすことは自分にとっては考えられず、その体験があった1日は、それを知らない100年よりも価値があるように思える。現在は、究極的真理を知覚する方法としてはサイケデリクスだけではなく、性の力を活用する方法にも着目をして探究と実践を進めている。サイケデリクスを1人で摂取する場合と単独での性的実践であれば、究極的真理の知覚のしやすさは前者に軍配が上がるだろう。しかし、性的実践をパートナーと共に行う場合には、サイケデリクスの体験を遥かに超える知覚体験がもたらされる場合があることは注目に値する。そこでは外から物質を摂取することなく、自らの内側から物質を分泌させることを通じて究極的真理に触れることができるのだ。パートナーもまた性的実践に思想的にも技術的にもある程度精通していることが重要になるが、2人の人間の陰陽のエネルギーが和合することによる途轍もない力には驚かされてばかりである。もちろん男性同士や女性同士、さらにはジェンダーがより流動的な人同士でも、私たちには陰陽のどちらのエネルギーもあるため、それがパートナーとうまく混じり合い、統合されることによる知覚体験は何物にも代え難い深遠さがある。今年の秋と冬は、唯識学と並行して、そうした性の持つ力に着目した探究と実践に明け暮れ、それを深めていくことになるだろう。フローニンゲン:2024/10/8(火)07:14
13376. 今朝方の夢
大阪の美術館をあれこれ調べていると、気が付けば午前7時半を迎えていた。ようやく辺りは明るくなり始めている。今日は曇りのためいつもより薄暗いが、あと30分ぐらいすれば完全な夜明けと言えるだろう。夜明けを待ちながら今朝方の夢について振り返っている。
夢の中で私は、見慣れないビルの中で高校時代の2人の友人と話をしていた。片方の友人は小中学校も同じであり、もう片方の友人は高校から友達となった。2人と話をしていると、いつの間にか2人がシャトルランに向けた準備を始め、それぞれが廊下の右と左にスタンバイをし、実際にシャトルランを始めた。2人はシャトルランをしながらも引き続き私に話し続けており、彼らはどうやらシャトルランを通じて心肺機能を高め、マラソン大会に近々出場するようだった。彼らの走る様子を見ていると、小中学校時代の別の友達(KF)がやって来て、私に数学の宿題を手伝ってほしいと述べた。ちょうど私も廊下に机を出してきて、そこで主題に取り掛かっていた。まずは彼がどこまで理解をしているのかを確かめるために、問題集の最初の3ページを指定して、彼に自力で問題と向き合ってもらうことをお願いした。その間に自分も自らの宿題に取り掛かり、それを終えたところで彼の宿題を手伝おうと思ったのである。ところが薄々感じていたように、彼は全く問題を解くことができず、手が止まったままでにっちもさっちもいかないようだった。なので私は自らの宿題を一旦脇に置いて、まずは彼の宿題を手伝うことにした。すると彼は嬉しそうな表情を浮かべ、私にお礼を述べた。
その他に覚えている場面は、若い母親が奪われた小さな娘を取り返そうとする場面である。私は最初は目撃者の意識でその母親の様子を見守っていた。ところがあるところから母親に協力する形で娘の奪還に向けて乗り出した。娘を奪ったのは闇の集団で、その集団の国籍は不明だったが、国籍など関係なく、自らの正義心を貫徹することを第一にし、母親と一緒にその集団のアジトに乗り込むことにした。
そのような夢を受けて、今度は学校のピクニックとして緑豊かな公園に出かけている場面があったことを思い出す。その公園の敷地は広く、公園内に美術館や博物館があった。私は自由時間を利用して、名画がたくさん所蔵された美術館に1人足を運ぶことにした。誰からも邪魔されることなく、思う存分に絵画世界の中に入ることは自分にとって多大なる至福であった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/10/8(火)07:47
13377. “Sense8”のシャドーイングを終えて
時刻は間もなく午後4時を迎えようとしている。空にはうっすらとした雲が掛かっているが、雲の薄さゆえに太陽の光が幾分通過して明るさがある。午前中にはわずかの時間ではあったが、朝日を拝むこともでき、その時間帯は窓を開け、第三の目あたりに朝日の光を当てていた。それを通じて体内時計をリセットし、夜にメラトニンが分泌されるようにした。そうした物理的身体に対するケアに加えて、朝日はサトルボディも涵養してくれる。朝日を浴びることは気力のチャージになるのである。
今日は午前と午後の多くの時間を使って、最近毎日楽しみながら行っているNetflixを通じたテレビドラマのシャドーイングに従事していた。先ほど、“Sense8”の全てのエピソードのシャドーイングを終えた。せっかくなのでドラマの舞台裏を知れる25分ほどのドキュメンタリーも合わせてシャドーイングをしながら視聴した。長い表現は音声を止めながら時には何度もシャドーイングすることによって、表現の幅を広げていく充実した学習が行われていた。テレビドラマを用いたシャドーイングは、実際のコンテクストを視覚や聴覚を通じて感じながら生きた英語に触れることができるので非常に実践的である。個人的には音声だけの教材よりもこちらの方がより実践的で有益なトレーニングになるかと思う。もちろんドラマを用いたシャドーイングをするためには基礎的な英語力が必要かもしれないが、子供たちも基本的にはアニメなどを視聴して英語を身につけていくこともあり、大人にとっても理に適った学習方法かと思う。今自分が住んでいるオランダにおいて、英語が特に堪能な人たちに話を聞くと、幼少期からずっと字幕付きで英語の音声のアニメやドラマ、そして映画を見続けていると述べていることは注目に値する。この学習法を続けるコツは、自分が好きなドラマを用いることである。また一度全てを一通り視聴したことがあると、次の表現を予測しながら先回りして口ずさんだりすることもでき、予想と実際のズレを確認することもまた学習を加速させる。今回は久しぶりに“Sense8”を通しでシャドーイングしながら視聴してみようと思い、それはとても有意義な体験となった。以前は2倍速で視聴していたのだが、こうして等倍速でシャドーイングを行いながら作品を味わうと、また色々な発見があった。前回視聴した際にはすでにサイケデリクスの知識がある状態だったので、サイケデリクスに関するモチーフが作人の中に登場する時にはそれをうまくキャッチしていた。ところが今回はその時にはなかった性愛学の観点で作品を見てみると、幾つも重要なモチーフが散りばめられていることに気づき、良い作品は繰り返し見ることが有益であることを再確認させてくれた次第だ。“Sense8”を再度視聴した今、今度は“Suits”をシーズン1のエピソード1からシャドーイングをしながら視聴しようと思う。フローニンゲン:2024/10/8(火)16:12
Today’s Letter
Gender is fluid, like the flow of the ocean. Gender consciousness evolves day by day. We are living in a moment of transition regarding gender. We need to deepen our understanding of gender consciousness and embrace newly emerging identities. Groningen, October 8 2024
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