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【フローニンゲンからの便り】17645-17649:2025年11月6日(木)


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タイトル一覧

17645

「楽器の街」御茶ノ水で生まれた良縁を感じて

17646

今朝方の夢

17647

今朝方の夢の振り返り

17648

イギリス旅行中のギターなしのギター鍛錬

17649

ヴィンチェンツォ・ガリレイ作《Saltarello》の演奏方法について

17645. 「楽器の街」御茶ノ水で生まれた良縁を感じて

        

昨日、日本製のギターについて調べていると、ヤイリギターというものに出会った。ウェブサイトを通じて色々とこのギターについて学んでいると、大変魅力的なギターだと思った。工場見学ができるらしく、ぜひ来年の一時帰国の際に岐阜の工場に足を運んで、見学をさせていただきたく思った。ヤイリギターの素晴らしさに感銘を受けたこともあり、是非ともいつか1本購入したいと思った。晴れてイギリスの大学院に進学し、そこでの最初のプログラムを修了した時に、自分への贈り物として購入を検討したい。


日本のギターについて調べていると、自分が誕生した場所である御茶ノ水は「楽器の街」として知られていることを初めて知った。その歴史と今について関心があったのでさらに調べてみることにした。御茶ノ水が「楽器の街」として知られる背景には、学問の拠点としての歴史、交通の利便性、そして音楽文化の集積が有機的に重なった経緯がある。自分がその土地に生まれた事実は、単なる偶然というより、学びと芸術の香りが立ち込める土壌との不思議な縁を感じさせる。御茶ノ水は明治以降、東京大学や中央大学、日本医科大学、順天堂といった教育機関が集まり、学術の街として発展した。学生や知識人が行き交うこの場所に、文化的感受性と知への渇望が育まれ、そこに音楽という表現が自然と根付いたのである。楽器街としての形成は戦後から高度経済成長期にかけて本格化した。戦後の混乱期に中古楽器の需要が増え、輸入制限が徐々に緩和されるにつれて海外ブランドのギターや管弦楽器が流通した。楽器を求める若者、バンドブームやフォークブームに火がつく時代の空気が御茶ノ水を包み、楽器店が次々と軒を連ねていった。特に1960~70年代、大学生が文化の担い手だった時代、御茶ノ水は自然と音楽を愛する若者の拠点となり、ギターを抱えた学生が急な坂道を行き交う光景は象徴的であったらしい。また、御茶ノ水には楽器だけでなく書店や専門店も多く、芸術・学問・技術の境界が曖昧に交錯する独自の空気が漂う。ギター、ベース、アコースティックからクラシック、さらには弦楽器や管楽器、ピアノに至るまで多様な楽器店が集中し、奏者の層も学生からプロまで幅広い。特にクラシックギターやアコースティックギターの専門性の高さは国内屈指であり、製作家や調整職人が根を下ろし、店内で試奏を重ねながら自分に合う1本を探す文化が育っている。この「試奏文化」は、音を耳で確かめ、手で感じ、対話することで楽器を選ぶという、時間と熱量を要するが豊かな行為である。その空間に身を置くこと自体が、音楽観を醸成する教育の場とも言えるだろう。現在の御茶ノ水は、楽器街としての伝統を保ちつつ、オンライン販売やサブスクリプション、デジタル配信が主流となる時代の波に柔軟に対応している。楽器の修理、カスタム、リペアといったサービスが磨かれ、単なる販売ではなく、奏者との長い関係性を築く方向へ深化している。さらに、ライブハウスや教室、スタジオなどが点在し、音楽を学び、試し、発信する循環が街のリズムを形成している。一方で、都市再開発や家賃の高騰、若者の購買スタイルの変化により、老舗の店舗が閉店する事例も出ている。だが、音を追い求める人間がいる限り、この街は音の拠点であり続けるだろう。御茶ノ水の魅力は、最新機材や価格競争に止まらず、音楽を志す人々が集まり、互いに刺激し合う「出会いの磁場」にある。そこでは、楽器を手にする瞬間から、奏で、磨き、挫折し、また挑むという循環が続く。それは人生のプロセスそのものであり、自分がその土地に生まれたことは、表現や学びの道を自然に選び取る感性を育む基屎(こくそ)となっているのだと思う。今後も御茶ノ水は、音楽文化の灯火を静かに、しかし確かに燃やし続ける場所であり続けるだろう。今度の一時帰国の際は、ぜひ自分が誕生した楽器の街御茶ノ水を散策したい。フローニンゲン:2025/11/6(木)05:45


17646. 今朝方の夢

                                   

今朝方は夢の中で、小中学校時代に過ごしていた社宅にいた。そこの風呂場で、自分の衣服を手洗いしていた。母が洗濯機を回しており、本来は洗濯機に入れても良かったが、すでに洗濯機は満杯の状態であったし、無性に自分の手で洗いたい気分でもあったので、自らの手で衣服を丁寧に洗っていくことにした。すると父と母が交互に様子を見に来て風呂場を覗いた。自分は2人に手洗いの進捗状況を伝え、同時に自分の体も洗い始めた。すると、石鹸を付けすぎたのか、随分と泡が立ち、一面泡だらけになって思わず笑みが溢れた。


この夢の後に見知らぬ自分と同じぐらいの年齢の日本人女性と話をしていたのを覚えている。その女性はとても端正な顔立ちをしており、品もあって優しげであった。そうしたこともあり、自分は心をすぐに開いて会話を楽しんでいた。そのような場面の後に、再び風呂場を舞台にした夢が現れた。今度は温泉の大浴場で、そこでゼミに参加しているある知人の方と一緒に体に湯をかけながら話をしていた。そこからから体を洗って、ゆっくり温泉に浸かりながら話を楽しもうと思ったところで夢から覚めた。確かこれ以外にもどこかのタイミングでまた違う夢を見ていたような気がする。その夢もまた穏やかな内容だった感覚がある。フローニンゲン:2025/11/6(木)05:58


17647. 今朝方の夢の振り返り


今朝方の夢は、過去と現在、浄化と再生、そして関係性の調和という三層構造をもって展開されている。まず第一の場面、小中学校時代の社宅という舞台は「原風景」への回帰であり、幼少期の記憶と心理的基盤を象徴している。そこは自分の人格の礎が築かれた場所であり、その空間に再び身を置くことは、無意識が自己の根源的部分を再訪していることを意味する。風呂場という象徴は「浄化」「再生」「境界の曖昧化」を示すものであり、身体と精神の双方を洗い清める行為として現れている。衣服を手で洗うという行動は、単なる洗濯ではなく、「自己の外層(社会的ペルソナ)」を自らの手で丁寧に清める、すなわち他者の価値観や古い自己イメージを洗い流し、純粋な自己の質感を取り戻す儀礼的行為である。洗濯機という自動的で効率的な装置が満杯であるという描写は、機械的・習慣的な生き方がすでに限界に達しているという象徴である。すなわち、既存の枠組みや家族的・社会的なシステムの中では、これ以上の浄化や変容は望めない段階に来ているのだろう。そのため、自分の内的衝動が自らの手で洗いたいと促している。これは、成熟した精神が他者に依存せず、自らの手と感覚によって人生を再び形づくろうとする主体的再生の徴だろう。両親が交互に覗く場面は、自分の内面における「父性」と「母性」の統合的な監視と承認を意味している。父は理性と規律の原理、母は感情と受容の原理として現れ、その双方が風呂場という内的舞台を見守る。自分が2人に進捗を伝える行為は、内的な親イメージに対して「もう自立してもよい」という無言の報告でもある。そして自分の身体を洗い始め、泡が立ち、笑みがこぼれる場面は、浄化が苦行ではなく喜びを伴う成熟したプロセスとなっていることを示す。泡は儚いが美しい一瞬の象徴であり、悟りの一端—すべてが無常でありながら光る—を示している。続く女性との会話は、自己の内なる「アニマ(女性的側面)」の顕現である。その女性は「端正」「品」「優しさ」を備え、自分が心を開いて会話するのは、内なる感受性や直感との調和が進みつつある徴候である。この女性像は、現実の誰かではなく、精神的に統合されつつある新たな自己の一部なのだろう。知性と感性がバランスを取り、他者との対話においても自然体でいられる段階への移行を象徴する。再び登場する風呂場—今度は温泉の大浴場—は、個人的な浄化から集合的・社会的な浄化への拡張を意味する。そこでは知人(ゼミの仲間)と語り合っており、学問的・思想的交流の場が「湯」として象徴化されている。湯は個人を越えて人々を結ぶ媒介であり、共に浸かることは「共同体的再生」を表す。すなわち、個人の内的浄化を経たのち、今度は社会的・学問的関係の中で再び自己を温め、他者と共鳴しながら新たな意味を生成していく段階へと進もうとしているのである。夢全体を貫くトーンが穏やかであることも重要である。そこには不安や葛藤ではなく、調和と再統合の空気が漂っている。これは、意識の深層で自己の多層的側面—過去の自分、家族的原像、内なる女性性、社会的自己—が互いに矛盾せず、円環的に結びつき始めていることを示している。この夢の人生的意味は明確である。すなわち、過去を抱擁しながら新しい自分を自らの手で清め直し、より広い関係性と温かな交流の中で再び生きる場を整えていくという再生の徴である。自動化された社会の流れの中でも、創造と再生は常に手仕事としての意識から始まる。泡立つ湯の中で笑みを浮かべる自分は、その象徴である。過去を洗い流しながらも、そこに宿る温もりを忘れず、今この瞬間を丁寧に生きること—それこそがこの夢が語る人生の核心である。フローニンゲン:2025/11/6(木)07:23


17648. イギリス旅行中のギターなしのギター鍛錬 

 

来週から10日ほど大学院見学を兼ねてイギリス旅行に出かける。前回の最後の旅が5月のスイス旅行だったので、約半年ほど時間が空いている。今回のイギリス旅行にはギターを持っていけないので、ギターの練習ができなくなるのは寂しい感じがする。そこで、旅行中にギターの技術を衰えさせることなく、むしろギターなしで鍛える方法について考えていた。ギターを持たずに過ごす10日間は、一見すると練習の中断のように感じられるかもしれない。しかし、実際にはこの期間を「楽器なしで鍛えるための内的修練期間」として活用することで、むしろ演奏技術や音楽的感性を深化させることができるだろう。ギターの上達とは単に指を動かすことではなく、「心・耳・身体の統合的な知覚能力」を洗練させる過程である。楽器を持たない時間こそ、これらの深層的スキルを養う絶好の機会となる。第一に意識すべきは「メンタル・プラクティス(mental practice)」である。これはプロの演奏家やアスリートも行う高度なトレーニング法で、頭の中で正確に演奏をイメージすることによって神経回路を維持・強化するものである。例えば、宿泊先や移動中に静かな時間を作り、目を閉じて右手のPIMAの動きや左手の運指を細部まで想像する。特に指の感触、弦の抵抗、音の響き、フレーズの抑揚を具体的に思い描くことが重要である。このとき脳は実際の演奏時と同様の神経活動を示すことが科学的にも確認されており、筋肉記憶(muscle memory)を維持する効果がある。第二に、リズム感と内的拍感の維持・強化である。ギターの演奏の基盤には、音色や技巧よりもまず「リズムの呼吸」が存在する。旅行中はメトロノームアプリを使い、歩きながらテンポに合わせて足を踏む、あるいは指先で机を軽く叩くなどして体内リズムを保つとよい。さらに、心の中で3拍子・5拍子などの変拍子を数えながら街を歩くと、時間感覚と集中力の双方を鍛えることができる。音楽家にとって歩くこと自体がリズム訓練になるのだ。第三に、聴覚の磨きである。ギターを弾けない時期ほど、意識的に聴く力を鍛えることができる。旅先ではクラシックギターの名演奏や自分の練習曲を録音したものを聴きながら、「音色の変化」「フレージングの方向性」「間の取り方」などを分析的に味わう。単にBGMとしてではなく、音の背後にある意図を読み取る姿勢が重要である。また、現地で聴こえる自然音や街の雑踏も音楽として聴く訓練になる。風や人の声、電車の音などにリズムや旋律を見出すことで、音楽的感性の幅が拡張されるはずだ。第四に、身体感覚の調整である。ギター演奏は身体芸術でもあり、姿勢・呼吸・筋肉のバランスが演奏の質を左右する。旅先ではヨガやストレッチ、深呼吸法を取り入れ、特に肩・首・腕・背中の柔軟性を保つことが大切である。姿勢の意識を高めることで、オランダに帰国した後に楽器を持ったときの安定感と音の深みが増すだろう。第五に、音楽的思索を深めること。ギターを離れることで、普段の練習から一歩引き、音楽の意味そのものを再考する時間が得られる。旅の中で出会う風景や人々、静寂やざわめきの中に音楽的秩序を感じ取ることができれば、帰国後の演奏は単なる技巧ではなく、生きた表現として響くようになるだろう。結局のところ、楽器を離れることは欠如ではなく、統合の準備期間である。心で弾き、耳で感じ、身体を整え、世界を聴く—この10日間の旅は、ギターの技術的成長を超えた音楽的人間としての成熟をもたらすであろう。帰国後、指先が再び弦に触れた瞬間、そこには旅で得た新しい呼吸と感性が確かに宿っているはずである。それを期待してイギリスに向かう。フローニンゲン:2025/11/6(木)07:34


17649. ヴィンチェンツォ・ガリレイ作《Saltarello》の演奏方法について 

                              

ヴィンチェンツォ・ガリレイ作《Saltarello》のように、右手のP(親指)をレストストローク(アポヤンド)で弾き、I・M・A(人差し指・中指・薬指)をフリーストローク(ティラント)で弾くことを同時に要求する楽曲では、低音と高音を明確に分離しながらも全体としての一体感を保つことが重要である。特にこの作品のように舞曲的リズムを持つ場合、低音の推進力と高音の軽やかさの均衡が音楽の生命線となる。この曲においては、Pによる低音がリズムの重心と推進力を担い、I・M・Aによるアルペジオが旋律と和声の流れを形づくる。したがって、親指をレストストロークで用いて拍の安定を確保し、低音を短く切らずに響かせることが基本となる。弾弦後に隣の弦に自然に寄りかかるように動かすことで、弦が十分に振動し、低音が曲全体を支える深みを得るのである。一方、I・M・Aをフリーストロークで弾くことで、舞曲特有の跳ねるようなリズムを軽快に表現することができる。指を弾いた後、空中へ自然に抜くように軌道を描くことで、音が濁らず透明感のある響きを保つことができる。この「レスト+フリー」の組み合わせでは、右手のポジショニングと指の独立性が最も重要である。Pは手のひらのやや前方(弦に対して下方向)から動作し、I・M・Aはそれより上の層で弾くという層構造を意識する。親指の付け根の筋肉(母指球)で重心を支え、手首をやや外旋させることで、Pの動きが他の指の可動を妨げない姿勢を保てる。特にガリレイの作品では、低音のリズムと高音の旋律が交互に現れるため、手全体が一瞬分離するような感覚――すなわち、Pが地を踏みしめ、I・M・Aが空気を描くような感覚――を持つと、音の層が立体的に響くだろう。練習の際は、まずPによる低音のみをレストストロークで安定して弾く練習を行い、次にI・M・Aのみで上声をフリーストロークで弾く練習を行う。両者を合わせる際には、低音が強すぎて旋律を覆わないよう音量を慎重に調整する必要がある。「レストストローク=強い音」という単純な理解に陥るのではなく、むしろ芯のある柔らかい音を目指すべきである。弦を押し込むのではなく、腕の自然な重みを指先に伝えることで、深く響きながらも暴れない低音を得ることができる。この《Saltarello》ではリズムの跳躍感が重要であるため、低音がわずかに遅れると全体のリズムが鈍く聞こえる。親指の動作をほんの少し早めに準備し、弾弦の瞬間に手首を軽く沈めるようにして拍を前に押し出すと、舞曲らしい躍動感が生まれる。対して、I・M・Aはやや後に流すような柔軟な動きを保つと、低音が前に、高音が後に位置する時間的立体感が生まれ、ルネサンス期舞曲特有の優雅な推進感を実現できる。音楽的観点から言えば、この曲は低音が大地を踏みしめるように踊り、高音がその上で舞うように響く構造を持つ。PとI・M・Aはまるで2人の舞踏家のように呼応し合い、それぞれが独立しながらも全体としてひとつの有機的運動を形づくるのである。技術的に両者を分離して扱うのではなく、1つの動的なアーチとして統合的に捉えることで、響きは自然に溶け合い、ガリレイの《Saltarello》は単なる技巧曲ではなく、生命力に満ちた音楽として息づくのである。フローニンゲン:2025/11/6(木)11:24


Today’s Letter

I feel an indescribable connection with music, as I was born in Ochanomizu, a city in Japan known for its rich musical culture. This city is famous not only for music but also for academics, embodying a beautiful harmony between the two. The fact that my roots lie in this city has shaped me into a person who deeply pursues both music and scholarship. Groningen, 11/6/2025

 
 
 

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