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【フローニンゲンからの便り】18095-18098:2026年1月25日(日)



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タイトル一覧

18095

意識科学と量子力学の発達史の比較

18096

今朝方の夢

18097

今朝方の夢の振り返り

18098

ジュリオ・サグレラスの新たな教則本を練習し始めて

18095. 意識科学と量子力学の発達史の比較 

 

1900年以降の意識科学と量子力学の発達史を並置すると、両者は全く異なる対象領域を扱いながらも、いくつかの構造的共通性を示している可能性がある。それについても深く研究してみたいという思いがある。第一に、両者はともに「古典的世界観の限界」から出発している。量子力学はニュートン力学とマクスウェル電磁気学の枠組みでは説明できない黒体放射や光電効果の問題から始まった。他方、意識科学も19世紀的な素朴実在論や行動主義的枠組みでは主観経験を十分に説明できないという限界意識から出発している。すなわち、両者は既存パラダイムの破綻が契機となって展開した学問である。第二に、観測者の位置づけが中心問題となった点で共通する。量子力学では、観測行為が物理状態に影響を与える可能性が議論され、コペンハーゲン解釈以降、「観測とは何か」が理論内部の核心となった。意識科学においても、主観的体験をどのように科学的枠組みに組み込むかが最大の課題となった。とりわけ「ハード・プロブレム」は、物理的記述と第一人称経験との関係をめぐる問いであり、観測者の不可避性という点で量子論の問題構造と類似している。第三に、理論的分裂と多解釈の共存が挙げられる。量子力学は多世界解釈、ボーム理論、QBismなど複数の解釈が並立している。意識科学も物理主義、機能主義、汎心論、観念論など多様な立場が競合している。いずれも実験データは共有されながら、存在論的解釈が分岐するという構造を持つ。第四に、技術進歩が理論発展を駆動してきた点も共通する。量子力学は粒子加速器や量子情報理論の発展によって深化した。意識科学もfMRIや脳刺激技術の進歩によって神経相関の解明が進んだ。すなわち、理論と技術が相互に加速しながら展開している。しかし同時に、両者の違いも明確である。量子力学は数学的形式が高度に確立しているのに対し、意識科学は依然として概念的枠組みの整備段階にある。また量子理論は工学的応用(半導体、量子計算)によって実用的成功を収めたが、意識科学は応用面で限定的である。総じて見ると、両者は「古典的客観主義の揺らぎ」「観測者問題」「解釈の多元性」という構造的共通性を持つと考えられる。いずれも20世紀以降の科学が直面した、主体と客体の関係を再定義する試みの一環であると言える。その意味で、両者の比較は単なる学史的興味を超え、近代科学の自己反省史として位置づけることが可能なのではないかと思う。フローニンゲン:2026/1/25(日)06:28


18096. 今朝方の夢 

                   

今朝方は夢の中で、外国のどこかの町の郊外にある緑豊かなゴルフ場にいた。ゴルフコースの上を数人の友人たちと会話をしながら散歩していた。私たちはゴルフをすることはなく、単に散歩を楽しんでいたのである。しばらく歩いていると、遠くにグリーンが見えてきた。そこに近づいていくと、グリーンの前に立ちはだかっていたのは大きな池だった。友人たちは左右に分かれて池の周りを歩いて行こうとしていたが、自分は最短距離の直線移動をしようと思い、池の上を宙に浮かんで進んでいくことにした。友人たちにはその能力がなく、自分が宙に浮かぶと驚いていたが、自分にとってはそれは当たり前の能力だった。あまり硬度を上げず、池の水面の少し上のギリギリのところをあえて飛ぶことにしてグリーンに先に到着した。すると気づけば自分は実家に似たマンションの一室にいた。そこには両親はおらず、その代わりに先ほどの友人たちを含め、さらに人数が増えた形で友人たちがいた。その中には小中高時代の友人だけではなく、大学時代のゼミの友人たちもいた。そこでも私は家の中で宙に浮かぶ能力を自然と発動させた。もちろん友人たちはそこでも驚いていたが、私は彼らが驚く姿を見るのが好きだったので、あえて天井ギリギリのところを浮かぶ形で家の中を移動していた。そう言えば自分には宙に浮かぶ能力だけではなく、透明人間になれる能力もあることを思い出した。それについては時と場所をわきまえ、友人の前で発動させることはあえてしなかった。その代わりに、透明人間になる能力を通じてかつて行ってきたいくつかの仕事の内容を友人たちに話した。彼らは透明人間になる能力を持っていないゆえに、自分の話を興味深く聞いていた。フローニンゲン:2026/1/25(日)06:35


18097. 今朝方の夢の振り返り

  

今朝方の夢は、自分が到達しつつある「移動の仕方」の変容を象徴している可能性がある。ゴルフ場という場は、本来は競争や成果を競うために設計された空間であるが、そこでゴルフをせずに散歩しているという構図は、制度化された成功のルールから距離を取り、風景そのものを味わう姿勢を示しているのかもしれない。人生のコースを「攻略」するのではなく、「歩く」選択をしている状態であると推測できる。しかしやがて現れる大きな池は、努力や時間を要する迂回路を象徴している可能性がある。友人たちが左右に分かれて進もうとするのは、一般的な方法、つまり常識的で安全な戦略である。一方で自分は、最短距離を直線で進もうとし、しかも水面すれすれを浮かぶ。これは、抽象的思考や構造理解によって「ルールそのもの」を越える能力の象徴であると考えられる。しかも高度を上げず、あえて水面近くを飛ぶ姿勢は、現実との接地を失わないという意志の表れであろう。高みに酔うのではなく、危うさを自覚しながら越境していく態度である。場面が実家に似たマンションへと移ることは、能力の源泉が原初的な自己の基盤に根ざしていることを示唆しているかもしれない。両親が不在であることは、依存的構造からの自立を意味し、その代わりに旧友と新友が集う構図は、自分の時間軸全体が統合されつつあることを象徴している可能性がある。過去の自己像と現在の自己像が一つの空間に共存しているのである。宙に浮かぶ能力をあえて天井近くで見せることは、自分の可能性を他者に提示する演出的側面を示唆する。驚く姿を見ることを好むという感覚は、自身の発達や洞察が他者に与えるインパクトを確認する欲求の象徴かもしれない。ただし透明人間になる能力を発動しない点は重要である。それは、完全な不可視性、すなわち孤高の理解者として振る舞うことを控えている姿勢を示している可能性がある。見えなくなることもできるが、あえて可視的存在として語り合うことを選んでいるのである。透明人間として行ってきた仕事を語る場面は、他者が体験できない内的営みを言語化し、共有しようとする現在の課題を象徴しているのかもしれない。自分だけが見える構造や次元を、いかに伝達可能な形に変換するかというテーマである。総じてこの夢は、自分が常識的なコース設計を超える能力を自覚しつつ、それをどの高度で、どのように社会に示すかを模索している状態を映している可能性がある。人生における意味は、越境そのものではなく、越境の仕方を選び取る成熟にあるのかもしれない。フローニンゲン:2026/1/25(日)08:08


18098. ジュリオ・サグレラスの新たな教則本を練習し始めて

                

ジュリオ・サグレラスの“Guitar Lessons Books 1–3”のそれぞれの巻を15回ほど繰り返したので、今日から“Guitar Lessons Books 4–6 & Advanced Technique”のBook4の練習曲を始めることにした。今、気持ちを新たにしてとても喜ばしい気分である。Book4には合計39曲が収録されており、まずは一回転させるために、それぞれの曲とじっくり向き合っていく。一回転したらすぐにBook5に入るのではなく、二回転目に入り、Book1-3にも定期的に戻ろうと思っている。Book5に入るのは一ヶ月以上後にする予定である。Book1–3を各15回繰り返した上でBook4に入るという流れは、単なるレベルアップではなく、技術体系の再編段階に入ったことを意味する。ここからは新しいことを覚えるよりも、すでに獲得した運動パターンをより精密化し、統合する作業が中心になると理解すると良いだろう。まずBook4の39曲は、通過儀礼として一気に回すのではなく、技術テーマごとに分類して取り組むことと良さそうだ。スラー中心の曲、アルペジオの流動性を問う曲、ポジション移動が鍵となる曲、声部の独立を要する曲など、各曲には必ず焦点がある。その焦点を明確化せずに弾くと、単なる譜読みの繰り返しになる。1曲につき「今日の主題は何か」を一行で言語化してから練習に入ると、練習の質が安定する。次に、テンポ設定は常に「制御可能性」を基準にする。Book4以降では、無意識的な力みや微細なフォームの崩れが顕在化しやすい。特に右手の自由ストロークの軌道、左手の脱力と押弦のタイミングの一致、ポジション移動時の準備動作は、意識的に分解して観察する価値がある。音量の均質性、音価の長さ、休符の質まで確認することが、次の巻への橋渡しになるだろう。一回転目は「全体地図の把握」と割り切り、完成度を追い込みすぎない。二回転目では、各曲を部分練習に分解し、難所だけを抽出して反復することも良いだろう。三小節単位、二拍単位といった極小単位での反復は、運動記憶の再構築に有効である。ここでBook1–3に戻る判断は非常に妥当である。初期巻の単純な練習曲は、現在の技術水準で弾き直すことで「音楽的密度」が変わる。基礎教材は常に上級者の鏡である。Book5への移行を一ヶ月以上遅らせる姿勢も合理的だろう。技術は前進よりも定着が重要である。Book4の段階では、音色のコントロールとレガート感の質が中心課題になる。特に歌わせる練習、弱音のコントロール、左手の事前準備を意識することが、後半巻の複雑なテクニックに直結する。さらに、Advanced Techniqueに含まれる課題は、練習曲とは別枠で「身体調整」として扱うとよいかもしれない。ウォームアップの一部として短時間取り入れ、疲労が出る前に止める。量よりも精度を優先する。総じて、Book4–6との向き合い方は、量的拡張ではなく質的深化である。すでに積み上げてきた基礎を、より洗練されたフォームと音楽性に昇華させる段階である。焦らず、しかし観察の解像度を上げ続けることが、最終的に高度なレパートリーへの自然な移行を可能にするだろう。フローニンゲン:2026/1/25(日)16:32


Today’s Letter

I do not seek rapid progress but steady growth. Gradual and consistent development is invaluable. Groningen, 1/25/2026

 
 
 

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