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【フローニンゲンからの便り】18362-18367:2026年3月15日(日)

  • 2 時間前
  • 読了時間: 17分


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タイトル一覧

18362

エディンバラの水道水の美味さを思い出して

18363

今朝方の夢

18364

今朝方の夢の振り返り

18365

四無量心の実践

18366

記憶を促す感動

18367

コーヒーの不思議な効能

18362. エディンバラの水道水の美味さを思い出して  

     

エディンバラ大学に留学することを決めて、昨年の秋にエディンバラを訪れた際に、水道水が美味しかったことをふと思い出した。それを受けて、引っ越しに際してBRITAを持っていく必要はないのかもしれないと思って改めて調べてみた。結論から言えば、エディンバラではBRITAを必ずしも持っていく必要はない可能性が高い。むしろ多くの人はそのまま水道水を飲んでいるらしい。理由は、スコットランドの水質がヨーロッパの中でも非常に良いからである。エディンバラの水は主に周辺の貯水池や高地の水源から供給されており、硬度が低く、いわゆる軟水に近い水である。軟水は味がまろやかで、カルシウムやマグネシウムが多い硬水に比べて飲みやすい。そのため、多くの住民は水道水をそのまま飲用している。日本の水にかなり近い感覚だと言われることも多い。この点はオランダとは少し事情が異なる。オランダの水道水も安全ではあるが、地域によってはミネラル成分が多く、味にやや硬さを感じることがある。そのためBRITAなどの浄水ポットを使う家庭も少なくない。しかしエディンバラでは、水の味そのものに不満を感じてフィルターを使う人はそれほど多くない。また実用的な観点から見ると、BRITAを使う理由は大きく三つある。味を柔らかくするため、カルキ臭を減らすため、そして電気ケトルやコーヒーメーカーの石灰付着を防ぐためである。エディンバラの水は硬度が低いため、これらの問題が比較的少ない。特にスコットランドは英国の中でも石灰スケールが出にくい地域として知られている。そのため、引越し荷物を減らしたいのであれば、BRITAを無理に持っていく必要はないと思われる。実際に住んでみて、水の味が気になる場合には現地で簡単に購入できる。英国ではBRITA製品はスーパーや家電店で広く売られているため、入手に困ることはない。むしろ、エディンバラの生活を想像すると、水道水をそのまま飲む習慣の方が自然になる可能性が高い。冷たいスコットランドの水は味が澄んでいて、紅茶やコーヒーにも向いていると言われる。訪問した際に美味しいと感じたのであれば、その感覚はかなり正確である可能性が高い。したがって、引越し準備の観点からは、BRITAは一度持っていかずに様子を見るという判断でも十分合理的である。もし必要になれば現地で購入すればよく、荷物を減らすという意味でもその方が身軽な移動になるだろう。フローニンゲン:2026/3/15(日)06:29


18363. 今朝方の夢 

           

早朝の小鳥の鳴き声が美しい季節になってきた。最近は日の出も早くなり、午前6時頃からうっすらと明るくなり始めている。こうして季節は着実に進展しており、それに併せて自らの人生もまた着実な進展を見せている。


今朝方は夢の中で、見慣れない大型デパートにいた場面があった。開店からまもないのか、閉店間近なのかどちらかで、人はほとんどいなかった。ふと立ち寄ったゲームコーナーで、どうやら新作のゲームが今日発売されたらしく、そのゲームについて店員から話を聞いていた。すると、ちょうど小中学校時代の二人の友人(KM & TM)がそのゲームを購入してすでにやり始めているとのことで、新作の感想を教えてもらうことにした。そのゲームは惑星を舞台に、アンドロイドを操作してミッションを解決していくようなゲームである。今作から画像が大幅にアップデートされ、視点が完全に一人称になったらしく、その没入感がすごいとのことだった。その話を聞いて自分もそのゲームをやってみたいと思ったが、そのゲームを購入するのをやめて上の階に向かった。エスカレーターを使って上の階に向かっていると、反対側にあったエスカレーターの下から自分を呼ぶ声がした。するとそこにはまた別の小中高時代の友人(KS)がいて、彼の方を振り返った時に、二つのエスカレーターの間に流れている水の上に手に持っていた丸いクッションを落としてしまった。幸いにもそのクッションはどこかで処分しようと思っていたものだったので、水の上に落ちて流れていく姿を特に何も感じず眺めることができた。


次に覚えているのは、盲目の中年女性のクラシックギタリストの見事な指さばきに感動している場面である。その方は、自分が指定したポジションにさっと指を動かすことができ、それがミリ単位で正確で、その正確さに驚かされた。コツはどうやら身体感覚でポジションを記憶しているらしく、目が見えない分、視覚に頼ることなく聴覚と触覚を駆使した結果、このようなことができるようになったらしかった。この方が習得した技能には、自分も学ばされることが大いにあると思い、日々の練習に少しでもその感覚を活かしていこうと思った。


もう一つ覚えているのは、小中高時代の二人の友人(JA & HO)と一緒にフットサルの話をしていたことである。ちょうど目の前の砂利のコートでフットサルの試合が行われていて、それを眺めながら、二人が所属する地域リーグの話を聞いていた。何やら一つのカテゴリーに10のチームがあり、上から下までなんと25のカテゴリーがあるようだった。それだけではなく、合計250のチームがそれぞれの都道府県にあるらしく、それほどまでにフットサルが盛んになっていることに驚いた。二人が所属しているリーグでの試合の楽しさを語るものだから、自分もまたフットサルを始めたい気持ちになってきた。すると目の前で行われている試合でスーパーゴールが生まれ、歓喜に包まれて喜ぶ人たちを見て、自分も近々フットサルをまたやってみようと決意した。フローニンゲン:2026/3/15(日)06:42


18364. 今朝方の夢の振り返り

           

今朝方の夢の中の見慣れない大型デパートにいる場面は、人生の中で新しい可能性や選択肢が大量に並んでいる状況を象徴しているように思われる。デパートという場所は、多様な商品や活動が並ぶ空間であり、それは人生の多くの進路や経験の比喩である可能性が高い。しかも店内にほとんど人がいないという状況は、いまの人生がある意味で静かな転換期にあり、周囲の喧騒から少し離れたところで自分の進む道を見渡している心理状態を示しているのかもしれない。開店直後なのか閉店間近なのか判然としないという曖昧さもまた、ある段階の終わりと別の段階の始まりが重なっている時間帯を象徴しているように見える。ゲームコーナーで新作ゲームの話を聞く場面は、人生における新しい経験への興味や好奇心を示している可能性がある。そのゲームが惑星を舞台にアンドロイドを操作するものであり、しかも視点が完全な一人称になっているという設定は、世界をより没入的に体験することへの欲求を象徴しているのかもしれない。つまり人生を外側から眺めるのではなく、自分自身の視点から深く入り込みながら体験したいという感覚である。幼少期の友人がすでにゲームを購入しているという出来事は、過去の自分や青春時代の延長線上にある興味や可能性を思い出させる役割を持っているように見える。しかし実際にはゲームを購入せず上の階へ向かったという行動は、興味は感じながらも、それに完全に没入するよりも別の方向へ進もうとしている心理を表しているのかもしれない。エスカレーターで上の階に向かう場面は、人生における上昇や発展を象徴する典型的なイメージであると考えられる。上へ移動する動きは、成長や視野の拡大を意味することが多い。その途中で旧友に呼び止められる出来事は、過去の関係や記憶が現在の進路に一瞬影響を与えることを表しているのかもしれない。そしてクッションを水に落としてしまう場面は、興味深い象徴性を持っているように見える。クッションは本来、身体を支える柔らかいもの、つまり安心感や心理的な緩衝材を意味する可能性がある。しかしそれが水に落ちて流れていく姿を特に気にせず眺めているという態度は、すでに不要になった安心装置や古い自己像を手放している心理状態を示しているのかもしれない。水は時間や流れを象徴することが多く、その中へ落ちたクッションが流れていく様子は、過去の自分を自然に手放している姿の比喩である可能性がある。盲目のクラシックギタリストの場面は、この夢の中でもとくに象徴的な意味を持っているように感じられる。視覚に頼らず、聴覚と触覚によってミリ単位の正確さでポジションを捉える技能は、表面的な知覚ではなく身体の深い感覚による知恵を示しているように見える。目が見えないという条件がむしろ別の感覚を研ぎ澄ませているという構造は、外的な情報よりも内的な感覚や経験によって技能が形成されることを象徴しているのかもしれない。この場面に強い感動を覚えているという事実は、現在の人生においても努力や鍛錬によって身体化された知恵を重視している心理を反映している可能性がある。理論や視覚的理解だけではなく、身体の記憶としての技能を育てたいという願いが夢の形で表現されているのかもしれない。最後のフットサルの場面は、共同体や活動の喜びを象徴しているように見える。砂利のコートという少し粗い環境で行われる試合は、洗練された舞台ではなく日常の中の活動を意味している可能性がある。25のカテゴリーと250のチームという巨大な構造の話は、個人の活動が大きな社会的ネットワークの中に位置づけられていることを示しているように思われる。つまり一人のプレーヤーの楽しみは、広い世界の中で共有されている活動の一部であるという感覚である。スーパーゴールを見て再びフットサルをやりたいと思う感情は、身体を使った活動や共同の喜びへの回帰を意味しているのかもしれない。この夢全体の構造を眺めると、人生の新しい段階へ移行しながら、過去の自分や古い支えを静かに手放し、身体化された技能や共同的な活動へ再び向かおうとしている心理が表現されているようにも思われる。多くの旧友が登場するのは、過去の経験が現在の選択の基盤として再統合されている過程を示している可能性がある。人生における意味として読み取れることは、外側の刺激にただ没入するのではなく、自分の身体感覚と内的経験を信頼しながら、新しい段階へ静かに上昇していく時期にいるということであるのかもしれない。フローニンゲン:2026/3/15(日)08:00


18365. 四無量心の実践

             

仏教における四無量心(しむりょうしん)とは、すべての衆生に対して限りなく広げていく四つの崇高な心の状態を指す概念である。それは修行者が心を浄化し、他者との関係を慈悲に満ちたものへと変容させていくための重要な実践として説かれる。無量という語が示すように、その対象は特定の人間に限定されるものではなく、方向や境界を設けず、すべての存在へと広がっていく。まず挙げられるのが慈である。これは他者が幸福であることを願う心であり、「すべての衆生が安楽でありますように」という願いとして表現される。慈は単なる好意ではなく、自己中心的な欲望を離れた普遍的な善意の感情であると理解される。自分に親しい者だけではなく、見知らぬ人、さらには敵対する者に対しても同様に向けられるべき心とされる。次に悲がある。悲とは他者の苦しみを見て、それを取り除きたいと願う心である。慈が幸福を与えたいという方向性を持つのに対し、悲は苦を除きたいという方向性を持つ。仏教の倫理思想において、慈と悲はしばしば対として理解され、菩薩の精神の中心を形成する。三つ目は喜である。これは他者の幸福や成功を見て共に喜ぶ心を指す。人間はしばしば他人の成功に嫉妬や競争心を抱くが、喜の実践ではその逆に、他者の幸福を自分のことのように喜ぶ心を育てる。これにより、比較や嫉妬から生じる苦しみを克服することができるとされる。四つ目は捨である。ここでいう捨は無関心を意味するのではなく、偏りのない平等な心の状態を指す。すべての存在を平等に見つめ、愛着や嫌悪に振り回されない安定した心である。慈・悲・喜の実践が深まると、最終的にこの平等心が成熟すると理解される。これら四つの心は互いに独立したものではなく、修行の中で相互に補い合う関係にある。慈が他者への善意を生み、悲が苦しみへの応答を生み、喜が嫉妬を克服し、捨が心の平衡を保つ。四無量心を実践することによって、心は自己中心性から解放され、より広い視野で世界を捉えるようになると説かれる。上座部仏教の瞑想体系では、四無量心は具体的な瞑想対象としても用いられる。修行者はまず自分自身や親しい人に慈の心を向け、次第に中立的な人、さらに敵対する人へと対象を広げていき、最終的にはすべての方向に対して無量の慈悲を広げる。このように対象を無限に拡大していく点において、「無量」という名称が与えられているのだ。大乗仏教においても四無量心は菩薩の基本的な徳として重視される。菩薩が衆生救済を志すとき、その動機となるのは慈悲の心であり、その実践を支える心理的基盤が四無量心であると理解される。したがって四無量心は単なる倫理的徳目ではなく、悟りへ向かう精神的基盤として位置づけられているのである。フローニンゲン:2026/3/15(日)09:34


18366. 記憶を促す感動

                                     

学んだことを定着させる記憶において、心を動かされること、すなわち感動することは大きな役割を果たすように実感している。学んだことを長く記憶に定着させるうえで、心が動かされる体験、すなわち感動が重要な役割を果たすという実感は、心理学や神経科学の観点から見ても十分に妥当であると思われるのである。単に情報を理解するだけでは記憶は長期的に保持されにくいが、そこに情動が伴うと記憶の痕跡は著しく強化される傾向があると考えられている。まず認知心理学の観点から見ると、記憶は単なる情報の保存ではなく、注意、意味づけ、情動など複数の要素が相互に関わる過程として形成されるのである。人間の脳は膨大な情報を処理しているが、そのすべてを長期記憶として保持することは不可能である。そのため脳は、どの情報が重要であるかを選別する仕組みを持っていると考えられる。この選別において重要な役割を果たすのが情動である。驚き、喜び、感動、畏敬といった感情が伴う出来事は「重要な出来事」であると脳が判断しやすく、その結果として記憶が強化される可能性が高いのである。神経科学の研究でも、情動と記憶の密接な関係が示唆されている。特に扁桃体と海馬の相互作用がこの過程に深く関わっていると考えられている。扁桃体は情動の処理に関係する脳領域であり、海馬はエピソード記憶の形成に重要な役割を持つ。強い情動が生じると扁桃体が活性化し、その活動が海馬に影響を与えることで記憶の固定化が促進されると推測されている。したがって感動を伴う学習体験は、単なる情報処理ではなく、脳の複数のシステムが連動した深い記憶形成を生み出す可能性が高い。さらに教育学の観点から見ても、感動は学習の動機づけを強化する重要な要素であると思われる。知識が単なる抽象的情報として提示された場合、それはしばしば受動的な理解にとどまりやすい。しかしその知識が美しさや驚き、深い意味と結びついた瞬間、人はその対象に対して強い関心を抱くようになるのである。例えば数学における美しい証明、音楽における調和、哲学における洞察などは、理解と同時に感動を伴う体験として記憶されることが多い。このような経験は単なる暗記ではなく、意味のネットワークとして知識を統合する働きを持つと考えられる。この構造は学問の世界でも広く見られる。多くの研究者が、自分の研究分野に進むきっかけとして「ある瞬間の感動」を語ることが多いのである。ある理論の美しさに魅了された経験、ある文章や音楽に心を打たれた経験、ある発見の瞬間に感じた驚きなどが、長期的な探究を支える原動力となることが少なくない。感動は単なる感情ではなく、知的関心を持続させるエネルギーとして機能している可能性があるのである。さらに仏教的観点から見ても、この現象は興味深い意味を持つように思われる。仏教では、認識は単なる知的理解だけではなく、心全体の変容として生じると考えられることが多い。深い洞察が生じるとき、それは単なる概念理解ではなく、心が大きく動く体験として現れる場合があるとされる。すなわち理解と感動は本来分離されたものではなく、同一の認識過程の異なる側面である可能性があるのだ。このように考えると、学習において感動が果たす役割は単なる付随的要素ではなく、むしろ記憶と理解を結びつける中心的な契機であると言えるかもしれない。心が動く瞬間には注意が集中し、意味づけが深まり、神経活動が強化される。その結果として知識は単なる情報ではなく、個人の経験として長く保持されるのである。したがって学びを深めるためには、単に情報量を増やすことだけではなく、対象の美しさや意味に触れ、心が動く瞬間を経験することが重要であると考えられるのである。フローニンゲン:2026/3/15(日)09:53


18367. コーヒーの不思議な効能

      

コーヒーが健康に多様な良い効果をもたらすという事実は一見すると不思議に思えるのである。単なる焙煎した豆を抽出した飲み物にすぎないにもかかわらず、疫学研究では心血管疾患のリスク低下、2型糖尿病の予防、肝臓の健康維持、さらには認知機能の維持などと関連する可能性が示唆されている。こうした効果の背景には、コーヒー豆そのものに含まれる化学成分と、焙煎によって生まれる新しい化合物の双方が関わっていると考えられるのである。まずコーヒー豆は、単なるカフェインの供給源ではなく、非常に多様な生理活性物質を含む植物種子である。生のコーヒー豆にはポリフェノール類が豊富に含まれており、その代表がクロロゲン酸である。この物質は強い抗酸化作用を持つことで知られている。人体では代謝の過程で活性酸素が生じるが、これが過剰になると細胞の老化や炎症を引き起こすと考えられている。クロロゲン酸などのポリフェノールはこれらの酸化反応を抑制する働きを持つ可能性があり、それがコーヒーの健康効果の重要な要因の一つと推測されているのである。さらにコーヒーには微量ながらさまざまな栄養素も含まれている。例えば、マグネシウムやカリウムといったミネラル、そしてビタミンB群の一部などである。コーヒーは栄養飲料というほどの含有量ではないものの、日常的に飲まれる飲料であるため、長期的にはこれらの微量成分の摂取源として機能している可能性があると考えられるのである。次に重要なのが焙煎の過程である。コーヒーの香りや色を生み出す焙煎は、単なる加熱ではなく複雑な化学反応の連鎖である。特に重要なのはメイラード反応と呼ばれる現象である。これはアミノ酸と糖が高温で反応することで多数の新しい化合物を生み出す反応であり、コーヒーの香ばしい香りや褐色の色調を生み出している。この過程でメラノイジンと呼ばれる高分子化合物が生成されるが、これも抗酸化作用を持つと考えられているのである。焙煎はまた、カフェインの働き方にも影響を与える可能性がある。カフェインは中枢神経を刺激し、注意力や覚醒度を高める物質として知られている。これは脳内でアデノシンという神経伝達物質の受容体を阻害することで起こるとされている。アデノシンは疲労感や眠気を促す物質であるため、その働きが抑えられることで覚醒状態が維持されるのである。この作用は集中力や認知機能の一時的向上と関連している可能性がある。さらに近年の研究では、コーヒーが腸内細菌にも影響を与える可能性が示唆されている。コーヒーに含まれるポリフェノールや食物繊維様物質は腸内微生物の栄養源となり、腸内環境の多様性を高める働きを持つかもしれないと考えられている。腸内細菌は免疫機能や代謝にも関係するため、この作用も健康効果の一因となっている可能性があるのである。このように見ると、コーヒーの効能は単一の成分によるものではなく、植物由来の化学物質、焙煎によって生じる新しい化合物、神経刺激作用、さらには腸内環境への影響など、複数の要素が重なり合った結果として現れていると考えられる。コーヒーは単なる嗜好品というよりも、多数の生理活性物質を含む複雑な植物抽出物であり、その多面的な化学構造が人体にさまざまな影響を与えているのである。この意味でコーヒーとは、一杯の黒い飲み物の中に植物化学、焙煎科学、神経科学が折り重なった小さな生態系のような存在であると言えるのかもしれない。フローニンゲン:2026/3/15(日)10:44


Today’s Letter

I enjoy drinking both coffee and matcha. I once stopped drinking coffee, but I have recently started drinking it again. I am surprised by how many beneficial effects it seems to have on both the body and mind. Groningen, 3/15/2026

 
 
 

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