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【フローニンゲンからの便り】18104-18109:2026年1月27日(火)



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タイトル一覧

18104

『法相二巻鈔』の註釈研究の方向性

18105

今朝方の夢

18106

今朝方の夢の振り返り

18107

ジュリオ・サグレラスの教則本の進め方

18108

レストストロークとフリーストロークの難易度比較

18109

メルヴィンとの8年間の関係性を懐かしく思いながら

18104. 『法相二巻鈔』の註釈研究の方向性    

       

イギリスの大学院で良遍の『法相二巻鈔』の註釈研究を修士論文として扱う場合、まず強く意識すべきはテキスト紹介にとどまらないことだろう。英国の仏教研究は、厳密な文献学的精度と同時に、理論的意義の明確化を重視する傾向がある。したがって、単なる翻刻や要約では評価されにくい。重要なのは、その註釈がいかなる思想的問題に応答しているのか、どの伝統内部の議論に位置づくのかを構造的に示すことである。第一に、研究課題を極度に絞る必要がある。『法相二巻鈔』全体を包括的に扱うのではなく、例えば三性説解釈の独自性、護法系唯識理解の受容変容、あるいは玄奘・基の系譜との異同といった一点に焦点化することが望ましいだろう。英国の修士論文は分量制限が厳しいため、広げすぎると論証が浅くなる危険がある。第二に、一次資料の扱いである。可能であれば底本の異同、版本差、註記の構造に目を配る必要がある。日本仏教テキストであっても、漢文読解の精度は当然前提とされる。さらに、可能な限り原語概念(「遍計所執性」「依他起性」等)をローマナイズやサンスクリット対応語と接続し、国際的読者に開く努力が必要である。第三に、理論枠組みの明示である。単なる思想史的整理にとどめるのか、解釈学的手法を採るのか、あるいは比較哲学的視座を導入するのかを明確にするべきである。英国の審査では「この研究は何に貢献するのか」という問いが常に背後にある。例えば、東アジア唯識の再評価、注釈文化の知的実践、あるいは意識論史への寄与など、射程を言語化することが重要である。第四に、先行研究レビューの厳密さである。日本語文献だけでなく、英語圏の唯識研究(Westerhoff、Lusthaus、Anacker等)との接続を示す必要がある。たとえ『法相二巻鈔』自体の英語研究が乏しくとも、関連領域との理論的対話を構築する姿勢が求められる。最後に、修士論文は博士研究の試作であるという意識を持つべきである。方法論、資料処理能力、概念分析力を示すことが最優先であり、網羅性は二義的である。総じて重要なのは、伝統内部への忠実さと国際学術空間への接続を同時に達成することである。『法相二巻鈔』という高度に専門的な対象を、ローカルな宗学研究ではなく、国際哲学・仏教学の議論の中に位置づけ直す視座こそが、英国修士論文において最も評価される要素だと思われる。フローニンゲン:2026/1/27(火)04:56


18105. 今朝方の夢  

         

今朝方は見知らぬ外国の街の日本大使館にいた。そこで私は、小中学校時代の友人数人と館内を散策していた。上の階から下の階に行く際に、ある友人が男性から性的被害を受けたことを告白してくれ、その件について話をしていた。彼のような屈強そうな男性がそのような被害に遭うとは思ってもみなかったことなので、彼の話を受けて、これは誰しもが被害に遭うのだと思った。下の階に向かう螺旋階段を降りていると、階段を一段一段降りるのが億劫に思え、友人たちに宙に浮かぶ能力を披露して驚かせることも含めて、宙に浮いて一気に下の階に降りていくことにした。彼らは私が宙に浮いたことを予想通り驚いており、してやったりの感があった。私は嬉しくなって、少しパフォーマンス的に宙に浮きながら下の階に降りた。するとそこに四足歩行の巨大なモンスターが現れ、それは日本語を話すことができ、自分はそのモンスターと言葉を交わした。大使館側からそのモンスターを追い払うように要請があり、私はそれに応えることにした。自分には宙に浮かぶ能力だけではなく、いくつかの攻撃の技もあり、それらを駆使してモンスターを追い払うことになった。まずは館内の外にモンスターをうまく誘導し、館内での被害を最小限に食い止めた。外に出ると、モンスターはワゴン車を引き連れており、こちらもワゴン車を走らせて、まずは両者のワゴン車が頭からがちんとぶつかり合い、両者一歩も引かない状態となった。すると、大使館の裏手から銃撃音が聞こえた。どうやら館内に潜伏していた二人の人物が銃撃戦を始めたようだった。一人は犯罪者、もう一人は特殊部隊の人間のようだった。そちらに一瞬気を取られ、再びモンスターの方を見ると、すでにモンスターはいなくなっていた。どうやらモンスターは小さな犬になり、その状態でスッと消えてしまったようだった。それを受けて、銃撃戦を収束させようとそちらに向かうと、引き続き弾丸が飛び交っていたが、しばらくしてそれも自然と収束した。館内に戻ると、大使館側から表彰された。そこから個室に移り、日本への一時帰国の手続きを始めたところ、大使から日本語のテストが必要と言われ、自分はネイティブスピーカーなので今からでも問題ないと答えた。大使はどうやら自分は日本人ではないと思っていたようで、テストに関してえらい自信があるなと思ったに違いない。フローニンゲン:2026/1/27(火)05:09


18106. 今朝方の夢の振り返り 

                                   

見知らぬ外国の街にある日本大使館という場面は、自分が異文化の只中に身を置きながらも、内的なアイデンティティの拠点を探している状態を象徴しているのかもしれない。大使館とは国家の飛び地であり、外界の中にありながらも内なる帰属を保つ空間である。その内部を小中学校時代の友人たちと散策している構図は、現在の越境的な生の只中で、原初的な人間関係や幼少期の自己像が再び呼び起こされていることを示唆しているのではないかと思われる。屈強な友人が性的被害を告白する場面は、強さや外見的安定性の裏に潜む脆弱性への気づきを象徴している可能性がある。自分は「誰しもが被害に遭う」と直感したが、それは人間存在の根源的な無防備さ、すなわちどのような立場や能力を持とうとも完全には守られないという普遍的条件を理解し始めていることの反映かもしれない。螺旋階段を降りるという運動は、意識の深層へと降下する過程の比喩であり、一段一段の歩みを億劫に感じて宙に浮く能力を披露したことは、地道なプロセスを飛び越え、才能や特異性によって一気に次元を移動しようとする衝動を表しているようにも思われる。友人たちを驚かせ「してやったり」と感じた心情は、承認欲求や自己効力感の確認を象徴しているのであろう。しかしその直後に現れる四足歩行の巨大なモンスターは、浮遊する自己の足元に潜む未統合の力動を体現しているのかもしれない。それが日本語を話すという点は、それが完全な異物ではなく、自分の文化的・心理的内部から生じた存在であることを示唆しているように思われる。モンスターを館外へ誘導し被害を最小化する行為は、衝動や恐怖を排除するのではなく、場を選びながら統御しようとする成熟した姿勢の表れかもしれない。ワゴン車同士の正面衝突は、意志と意志の拮抗、自己と影の対峙を象徴しているようである。銃撃戦という別の暴力の勃発は、外的な正義と悪の対立という社会的次元の葛藤を示唆している可能性がある。その一瞬の注意の逸れによって、モンスターが小さな犬へと変容し消えてしまう展開は、真正面から固着していた脅威が、視点の転換によって縮減することを示しているのかもしれない。巨大な怪物は、恐れの投影によって膨張していただけであり、意識の焦点が変わるとその実体は解体されるという含意があるように思われる。最終的に表彰され、日本への一時帰国手続きの場面へ移る流れは、外界での試練を経て自己の正統性を再確認する物語構造を持っているようである。日本語テストを求められ、自分が日本人ではないと誤認される場面は、アイデンティティが外見や状況によって相対化されうることを示唆しているかもしれない。同時に、ネイティブとしての自信は、内的基盤が揺らいでいないことの証左であろう。この夢全体は、越境する生の中で、脆弱性・能力・影・社会的責任といった諸要素を統合しつつある過程を象徴しているのかもしれない。浮遊する才能に酔う自己と、怪物を統御する責任ある自己とが同一人物として描かれている点に、その統合の萌芽があるように思われる。人生における意味とは、外界での成功や承認にとどまらず、内なる怪物を理解し、その力を適切な場で用いながら、自らの帰属と使命を再確認していく歩みそのものにあるのかもしれない。フローニンゲン:2026/1/27(火)05:54


18107. ジュリオ・サグレラスの教則本の進め方 

 

“Guitar Lessons Books 4–6 & Advanced Technique”は、全体像を早めに確認したいため、それぞれの巻を3回繰り返してから次の巻に移ろうと考えている。この方針は、目的が全体像の早期把握にあるのであれば、概ね合理的な戦略であると考えられる。ただし、その有効性は何を三回と定義するかによって大きく左右される可能性がある。まず初回は地図を広げる段階であり、どのような技術項目が配置されているか、どの運動パターンが中核にあるかを把握する探索的読解に近い。二回目は技術的精度を上げる段階であり、テンポの安定、運指の合理化、音色の均質化を図る。三回目は音楽的統合の段階であり、フレージング、ダイナミクス、呼吸の設計といった構造的理解を伴う演奏へと移行する。このように三層的に位置づけるならば、単なる反復ではなく、深化のプロセスとして機能する可能性が高い。一方で注意すべき点は、三回で修了と見なしてしまう心理的固定である。サグレラスの教材は語彙集に近い体系であり、運動単位が身体の深層構造に統合されるまでには時間差が生じる。形式的に三巡したとしても、運動が自動化されていなければ、実際のレパートリー運用時に再び不安定さが露呈することがある。したがって、三回という区切りは「完成」ではなく「次段階へ進むための最低条件」と位置づける方が現実的である。さらに、Books 4–6は横方向のポジション移動や分散和音処理など、統合的負荷が高まる領域であり、Advanced Techniqueではスケールやアルペジオが抽象化された形で提示される。これらは直線的に習得されるというよりも、螺旋的に再訪されることで精緻化される性質を持つ。したがって、三回ずつ進む方法は縦方向の進行を確保する上で有効であるが、後続巻に進んだ後も前巻へ定期的に戻る横断的循環を併用することが望ましいだろう。全体像を早めに確認するという意図自体は、認知的マッピングの観点から極めて有益である。未知の山脈を歩く際、まず尾根の位置を俯瞰することは迷走を防ぐ。しかし、地図を理解することと登山能力が身体化されることは別問題である。その両者を接続するためには、反復という枠組みを「段階的深化」として設計し、かつ循環的復習を組み込むことが鍵となる。回数の達成よりも質的変化の有無を指標とする柔軟性を保持することが、長期的成熟にとってより重要であると言えるだろう。フローニンゲン:2026/1/27(火)07:12


18108. レストストロークとフリーストロークの難易度比較 

       

結論から述べるならば、基礎段階においてはレストストローク(アポヤンド)の方が習得しやすく、長期的かつ高度な運用という観点ではフリーストローク(アルアイレ)の方が難易度は高いと考えられる。ただし、この難易度は何を基準に測るかによって性質が異なる。まずレストストロークは、弾弦後に指が隣の弦に着地するため、運動の終点が明確であり、軌道が安定しやすい奏法である。支点が存在することで力の方向性を身体的に把握しやすく、音量を出しやすいという特性を持つ。そのため単旋律を明瞭に発音する初期段階では、音の芯や推進力を獲得する上で合理的な技法である。運動は比較的直線的であり、フォームの確立という観点では導入しやすい。一方、フリーストロークは弦を弾いた後、指が空間へと解放される運動であり、明確な支点を持たない。そのため、指の角度、接弦の深さ、爪と弦の接触面、回転方向など、複数の要素を高い精度で統合的に制御する必要がある。特にポリフォニックな書法やアルペジオにおいて、複数声部を独立させつつ均質な音色を保つことは容易ではなく、弱音における遠達性や音色の密度といった高度な表現課題が顕在化するのはフリーストロークにおいてである。身体的負荷の観点から見ると、レストストロークは推進力を伴うため筋力的な負担は感じやすいが、運動自体は単純である。それに対してフリーストロークは外見上は軽やかであるものの、余分な緊張を排除しながら精密な制御を維持する必要があり、神経的な難易度は高いと言える。もっとも、速いスケールや強奏の旋律においては、レストストロークにも高度な技術が要求される。高速テンポで均質なアポヤンドを維持するためには、運動効率と脱力が高い次元で統合されていなければならず、決して容易ではない。その意味において、両者は単純に優劣で比較されるものではなく、難易度の質が異なる奏法である。総合すれば、音の基礎的確立という点ではレストストロークが導入しやすく、音色の精緻化や多声音楽の統合的表現という高次段階においてはフリーストロークの方が難度が高いと位置づけるのが妥当だろう。フローニンゲン:2026/1/27(火)09:32


18109. メルヴィンとの8年間の関係性を懐かしく思いながら    

                             

時刻は午後3時半を迎えた。先ほど親友のメルヴィンの店から帰ってきたところである。昨年は冷夏かつ暖冬でとても過ごしやすかったが、今年は冷夏だったのはいいものの、ここ10年で一番厳しい冬のように思う。先日までの大雪はすでに地面から溶けて無くなっているが、引き続き氷点下の時間が長い。そんな中で、今日改めて街の中心部まで歩いて行ってみると、仄かにではあるが春の兆しのようなものを見出すことができた。寒さは依然として真冬なのだが、太陽の感じにそれを感じたのである。確かに日照時間の最短の時期を過ぎ、ゆっくりと日々日照時間が微細に伸びている。単純な日照時間の長さだけではなく、太陽光の質感に春の兆しを感じた次第だ。


店に到着すると、いつもは昼休憩を終えてギターを弾いているメルヴィンが、今日はクライアントの髪を切っていた。どうやらそのクライアントは13年ほどの付き合いになるらしく、今日はその時間帯しか空いていなかったので髪を切っていたとのことである。今日の話の中で一番興味深く思ったのは、先日の誕生日の際に、メルヴィンが彼女のアンジェリカから「ハングドラム」という楽器をプレゼントしてもらったという話である。メルヴィンは嬉しそうにスマホに保存している動画を見せてくれ、その楽器の音色を聞かせてくれた。自分はこの楽器について全く知らず、その独特な音色に思わず聞き入っていた。最初見た時、スチール製の円盤状のこの楽器はUFOに思えて微笑ましかったが、その音色は見事なものであった。この楽器について話をした後に、先日受けたロンドン大学からの合格通知の件をメルヴィンにも早速伝え、メルヴィンも自分ごとのように喜んでくれていた。気づけばメルヴィンとの付き合いも丸8年になる。基本的に5週間に1度、この8年間ずっと髪を切ってもらっており、この8年間のお互いの歩みを一番知っている仲である。この8年の間にメルヴィンから受けた影響は多大なものがあるが、一番人生を変えてくれたのはクラシックギターを勧めてくれたことだろう。直接的にそれを勧めたというよりも、メルヴィンがいつも楽しそうに演奏している姿が自分の関心に火をつけ、気づけば自分もその世界に足を踏み入れていた。音楽は言語を超え、国境を越え、人間の普遍的な側面に繋がっており、音楽の演奏の世界に導いてくれたことに大いに感謝している。今年の夏からイギリスに行くことはすでに決めているが、まだどの都市に行くかは決定していない。フローニンゲンは丸10年ほど生活したことになり、これは地元の山口県の光市で11年間ほど過ごした次に来るほどの長さであり、まさか10年もこの町で生活を営むことになるとは当初は考えもつかなかったことである。遥かなるイギリス。次の町での滞在はどれくらいの期間になるか、それは全くわからない。真理の世界のみがそれを知る。いずれにせよ、メルヴィンと過ごしたこの8年間に深く感謝し、懐かしい思い出を振り返りながら帰路に着いた。フローニンゲン:2026/1/27(火)15:55


Today’s Letter

This winter feels much more severe than any in the past ten years. It might be a farewell of sorts for me. After this severe winter, a new chapter in my life will open. Groningen, 1/27/2026

 
 
 

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