【フローニンゲンからの便り】17640-17644:2025年11月5日(水)
- yoheikatowwp
- 11月7日
- 読了時間: 13分

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タイトル一覧
17640 | 音を慈しみながらのレガート練習 |
17641 | 今朝方の夢 |
17642 | 今朝方の夢の振り返り |
17643 | レストストロークとフリーストロークの組み合わせ |
17644 | 日本製のギターについて調べて |
17640. 音を慈しみながらのレガート練習
時刻は間もなく午前5時を迎える。今年のフローニンゲンは8月中旬から涼しくなり、秋の入り口に入るのが早かったが、まだそれほど寒さが厳しくない。冬が到来したとは言い難く、依然として秋の世界の中にいる。
先日、クラシックギターでレガートを美しく成立させる方法について考えていた。レガートを効かせるためには、単に指をつなげるのではなく、音と音の間の「息」を切らさない感覚を育てることが大切なのではないかと思う。自分のような初心者は、次の音を出す動きに意識が偏り、結果として音が一瞬途切れ、スタッカート気味になる。レガートは次の音を出す動きではなく、前の音をできるだけ生かし続ける動きだと理解したい。まず左手に関しては、指を上げるタイミングが決定的である。音を切ってから次の音に移るのではなく、次の音が鳴る直前まで前の指を離さない意識を持つ。特に半音階やポジション移動を伴う場合、指が浮きやすい。これを防ぐために、鏡や動画で指が跳ねていないかをチェックする習慣は役立つ。さらに、次に置く指は弾く直前に素早く置くのではなく、前の音が鳴っている間にそっと準備しておく。この「事前準備」が滑らかさを決める。右手においては、アポヤンド(レストストローク)・ティラント(フリーストローク)の問題だけではなく、指先の動きが大きすぎないことが重要だ。弦を離れるときに弾き飛ばすような円弧運動になっている場合、音は切れる。タッチは深くても、動きは小さく保ち、弦に対してなるべく水平にすべらせるような感覚で音をつなぐとよいだろう。また、次に弾く弦に指を置くタイミングもレガートに影響する。音が鳴り始める前に、次の指が弦にそっと触れていると、余計なノイズが減り、滑らかなラインが生まれる。練習時の工夫として、テンポを極端に落として音のつながりだけに耳を集中させることが鍵だ。メトロノームを使い、一音一音の消え際を聴きながら、音の終わりと始まりが重なる瞬間を探る。練習段階で、あえて1音1音を長く伸ばし、かつスローモーションの動作で弾くと、無意識の力みや無駄な動きを発見しやすい。これは地味だが、確実にレガート力を上げる方法だ。さらに、歌う意識が不可欠である。ギターは鍵盤と違い、楽器自体がつなぐ機能を持たない。だからこそ、演奏者の内側にレガートの線がなければ音が途切れる。フレーズを口ずさみ、旋律の方向性や息遣いを感じ、その流れを手に伝える練習を挟むと、指主体ではなく音楽主体のレガートに変わるだろう。最後に、精神面も触れておく。レガートは急ぐ心では育たない。音を手ではなく空間に残す意識を持ち、余韻を信じる。焦りを手放し、音の線に寄り添って練習することで、滑らかさは少しずつ身についていく。丁寧な耳と穏やかな呼吸が、いつか自然なレガートを支えてくれる。今の積み重ねが未来の滑らかさになる。焦らず、音を慈しんで続けていこう。フローニンゲン:2025/11/5(水)05:00
17641. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、おそらくオランダであろうどこかの街の見知らぬ美術館にいた。館内の作品をくまなく鑑賞し終えると、美術館内のカフェで少し寛ぐことにした。一杯のコーヒーを頼み、それを堪能し終えて会計に向かおうとしたら、ある数席のテーブルで変わったデザートを食べている人たちの姿を見つけた。彼らはテーブルの上に敷き詰められたチョコレートにチョコレートケーキを絡めながら食べていたのである。テーブルの上にはパウダー状のチョコレートがあり、それを絡めながらチョコレートケーキを食べている姿にしばらく目を奪われていた。それはとても美味しそうに思え、横を通りかかろうとしていた店員に尋ねると、どうやらそれはこの店の名物スイーツのようだった。結局自分はコーヒー一杯で満足し、店を後にして、預けていた荷物を取りにロッカールームに向かった。自分の鍵番号は203で、その番号に対応したロッカーを開けると、開いたには開いたのだが、どうも自分の荷物と違っていた。おかしいなと思って周りを見ると、女性ばかりで、どうやら間違って女性専用のロッカールームに入ってしまったのだと思った。すぐさま外に出て、男性用のロッカールームに向かった。中に入ると、どういうわけか何かの運動部に所属している高校生たちがたむろしていた。中には上半身裸のままフロアで腕立て伏せをしている人もいた。そんな彼らを脇目に荷物を取ると、高校時代のある友人がロッカールームに入ってきた。どうやら彼は日本の大学受験には失敗したようで、ここから3年以内にアメリカのトップスクールの法学部に入り、ロースクールに進むことを決心したとのことだった。目標点として、IELTSのスコア7.6を目指していると彼は語り、IELTSのスコアは本来0.5刻みのはずなのでおかしいと思ってそれを指摘すると、7.6を目指す感覚でいれば結果として7.5に落ち着くというのが彼の理論のようだった。いずれにせよ、欧米のトップスクールを目指すのであれば、IELTS7.5は最低スコアのところも多く、彼のここからの奮闘に期待したいと思った。
次に覚えているのは、見知らぬ欧米人の若い男性と化学の実験をしていた場面である。実際には彼の実験の様子を自分は楽しげに眺めていた。ある特殊な液体の入ったフラスコをかき回すと、その圧力によって液体の色が変わるという非常に面白い現象を目の当たりにした。そこから彼は、私のおでこに1滴ほどおそらくそのフラスコ内の液体をつけると、音楽に合わせてまるでサイケデリック体験のような現象が起きた。目を閉じてその現象に身を委ねていると、すぐさま美しい朝顔が目の前に現れた。思わず、「I can see a morning glory」と述べた。すると彼は小さく笑い、引き続きその体験を楽しむことを勧めてくれた。体験の余韻に浸っていると目を覚ました。フローニンゲン:2025/11/5(水)05:20
17642. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の舞台は見知らぬオランダの美術館であり、そこは外界から切り離された内的探究の象徴空間である。自分は作品を味わい尽くし、その余韻として一杯のコーヒーを選んでいた。これは知識や経験を過剰に追い求めるのではなく、深い理解と静かな鑑賞に価値を置く姿勢を示している。他者がチョコレートとチョコレートケーキを重ねて食べる光景は過剰な快楽追求の象徴である。誘惑が視界に入るが、自分は満ち足りており、過剰を求めない。精神的成熟がここに示されていると言える。ロッカールームの混同は境界感覚の調整を象徴する。女性専用の場所に入り込む出来事は、内なる感性や受容性という女性性の領域へ無意識に踏み入れたことを示し、それに気づいた後に男性空間へ戻る流れは、柔らかな受容性と主体的行動力の調和を模索している表れである。そこで高校生という若い男性性に出会い、鍛錬の場を目の当たりにする。内なる若き自分、鍛え続ける意志、肉体と精神の鍛錬という象徴が浮かび上がる。そこで現れた友人は過去の自分の一部であり、失敗から再出発し世界へ挑もうとする姿勢を体現している。彼の語る「7.6」という本来存在しないスコアは、到達目標を超えて理想へ伸びようとする意志を象徴する。自分はそれを冷静に指摘しつつも応援する心持ちを持つ。現実的判断と理想追求の両立がここにある。場面は科学実験へ移り、見知らぬ欧米人の青年とともに未知の現象を観察する。これは純粋な知性と好奇心の象徴であり、外界との協働を通じて新たな知覚領域が開くことを示すのだろう。液体の一滴が額につけられる場面は、外部からの刺激が意識に浸透し、変容体験が芽生える象徴である。音楽に合わせて意識が変容し、朝顔が現れる。朝顔は瞬間の美、儚さ、黎明、内なる覚醒を象徴する。言語が自動的に口を突く場面は、意識が超論理的領域に触れた証左であり、内的直観の開花と創造性の発露を物語る。この夢全体は、知性と感性の統合、過剰な刺激を選ばない節度、若さと成熟の調和、理想への挑戦、そして内的覚醒の予兆を示している。人生における意味は、自分が今まさに境界を静かに越え、深い精神的成長と創造的覚醒の段階に入ろうとしているということである。満足と追求、静寂と躍動、現実性と神秘性を併存させながら、世界と内面を同時に深めていく進路が示されているのである。フローニンゲン:2025/11/5(水)07:07
17643. レストストロークとフリーストロークの組み合わせ
クラシックギターの演奏において、右手のP(親指)をレストストローク(アポヤンド)で弾き、I・M・A(人差し指・中指・薬指)をフリーストローク(ティラント)で弾くという奏法は、最も基本でありながら、音楽表現の根幹を支える重要な技術である。この組み合わせは、音色の明確な分離とバランスを生み、低音と高音の役割を自然に分担させるために用いられる。これが意外と難しい。レストストロークとは、弾いた指が隣の弦に「寄りかかる」ように止まる奏法で、力強く芯のある音を出すのに適している。Pをこの奏法で用いるのは、親指が低音域を担当し、音の基盤やリズムの重心を作り出すためである。親指がレストストロークで弾くと、音にしっかりとした重みと方向性が生まれ、他の指で奏でられるメロディやアルペジオがその上で安定して響く。特にベースラインや伴奏の中で「低音が鳴りきっている」感覚を得るには、この奏法が非常に効果的である。一方、I・M・Aをフリーストロークで弾くのは、音を柔らかく流れるように響かせ、旋律や和音の透明感を保つためである。フリーストロークは指が弦を弾いたあと、空中に離れるように動く奏法で、レガートな音の連なりを実現しやすい。I・M・Aがフリーストロークを行うことで、高音域は明瞭でありながら軽やかに響き、親指の低音と干渉しない独立した音色を形成する。このPレスト+IMAフリーの構造によって、ギターの音響は立体的に分離される。低音は支える力を持ち、高音は歌う力を持つ。例えばバッハやソルのポリフォニー作品では、ベース声部をPのアポヤンドで明確に打ち出しつつ、上声部の旋律をI・M・Aで柔らかく織り上げることで、まるで複数の楽器が対話しているかのような響きを実現できる。また、物理的な観点からも、この奏法の組み合わせは合理的である。Pは親指の角度的に弦を下向きに押し込むように動作するため、自然にレストストロークに適している。一方、I・M・Aは手の甲側に向かって動く指であり、他の弦に触れずに戻る動きがスムーズなため、フリーストロークのほうが疲労も少なく、速度や流れにも対応しやすい。練習においては、まずPの音を深く、しかし硬くないトーンで出すことが重要である。弾いた直後に隣の弦に寄りかかることで、弦が十分に振動し、ふくよかな低音が得られる。一方、I・M・Aは手首や関節の余分な緊張を抜き、指先で軽く弦をはじく感覚を保つことが求められる。親指の動きと他の指の動きを分離しつつも、手全体としてはリズム的・動的に一体化していることが理想である。この奏法を身につけることで、単なるテクニックの差を超え、音楽表現における重力と浮力を自在にコントロールできるようになる。Pのレストストロークは大地のように響き、I・M・Aのフリーストロークは空気のように流れる――その両者が調和することで、クラシックギター特有の豊かな多声的世界が立ち上がるのである。それを目指した練習を今日も楽しく行なっていく。フローニンゲン:2025/11/5(水)07:12
17644. 日本製のギターについて調べて
ギターを練習しているという感覚よりも、ギターと戯れているという感覚に近い。それが楽しく没頭して継続できている秘訣なのだろう。
今使っているクラシックギターはスペインのアルハンブラというメーカーのものである。ふと日本製のクラシックギターにはどのようなものがあり、どのような特徴があるのか気になったので調べてみた。日本製のギターは、量産から個人工房まで裾野が広く、総じて「精密な工作」「均質な品質」「扱いやすさ」に強みがあるとのことである。代表例としては、幅広い価格帯を網羅するヤマハ、工房系のアストリアス、伝統を継ぐ桜井・河野(Sakurai-Kohno)系、古くから評価の高い松岡(Matsuoka)やK.ヤイリ、タカミネのクラシックラインなどが挙げられる。量産品であってもネックの安定やフレットの処理、塗装の均一さが高水準で、初級者が「外れ」を引きにくいこと、そして中上級者がステージと録音の双方で即戦力にできる安定感が特徴ということを知った。音響的傾向としては、スペイン伝統の華やかな倍音と粘る中域に対し、日本製は「輪郭の明瞭さ」「音程の正確さ」「各弦の分離」を志向する個体が多いらしい。特に河野・桜井系はウェスタン・レッド・シダーの表板と扇状ブレイシングを軸に、強い発音と長いサスティン、均整の取れたバランスを実現してきた歴史がある。録音現場でのピッチ安定、和声の解像度、ポジション移動時の発音の均一性は、日本製の美点としてしばしば語られる。アストリアスなど工房系は、選別材と丁寧な内部工作により、低音の芯と高音の伸びの両立を図り、ソロから室内楽まで守備範囲が広い。ヤマハの上位GCシリーズは、設計の再現性と検品の厳密さが際立ち、ホールでもマイク前でも破綻しにくい「素直な鳴り」を提供するとのことだ。構造面では、伝統的な扇状ブレイシングが主流で、極端な軽量化や過激な設計は比較的少ない。これは気候の変化に対する耐久性や、長期的なネック・トップの安定を重視する文化的選好の反映でもある。もっとも近年は一部でラティスやダブルトップに挑む個人工房もあり、音量と反応速度を高めたモダン志向の個体も見られる。スケールは650mmが基準だが、手の小さい奏者向けに640mmや630mmも用意され、ナット幅も標準の52mm前後から微調整された設計が流通する。演奏性に関わるナット・サドルの整形やフレット端の処理は、日本製の得意分野であり、低めのアクションでもビビりを抑えやすい。材の選択は、表板にスプルースとシダーの二本柱、側背板にインディアン・ローズウッドが定番である。日本製は同価格帯での材質の安定と含水率管理が良く、個体差が小さいらしい。塗装は耐久と外観を両立する薄手のポリ系やラッカー系が多く、上位機では音の立ち上がりを邪魔しない仕上げが選ばれる。結果として、過度に色付けしないニュートラルなトーンが得られ、プレイヤーのタッチやレパートリーの個性を素直に反映する。海外メーカーとの比較では、スペイン勢(ラミレス、アルハンブラ等)が持つ官能的な中域と歌心、ドイツ系(ハウザー系譜など)の持続と秩序、オーストラリア系(スモールマン以降)の大音量・速いレスポンス、フランス系(フリードリヒ系譜)の気品ある高域といった濃い個性に対し、日本製は「精緻さ」「均衡」「信頼性」で勝負する傾向が強い。舞台の規模や曲目を問わず、セッティングを大きく変えずに望める柔軟性は、忙しい現代の演奏家にとって実利的であるように思う。また価格性能比の良さ、特に中古市場での状態の良さも強みで、メンテ履歴が整った個体が見つけやすいとのことだ。総じて日本製のクラシックギターは、伝統尊重と理知的な改良を重ねた実務的名器である。鮮烈な個性で人を振り向かせるより、楽曲と奏者の意図を正確に拡大し、練習から本番、録音まで一貫して支える。スペインの香りやオーストラリアの爆発力に惹かれる耳もあるが、日本製の静かな説得力は、長い時間をともにする相棒として極めて頼もしいのである。いつか日本製のクラシックギターも購入したいという思いが芽生える。フローニンゲン:2025/11/5(水)08:52
Today’s Letter
Playing the guitar definitely enriches my life, enhancing both my vitality and creativity. Music is a profound source of life force. Groningen, 11/5/2025

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