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【フローニンゲンからの便り】17630-17634:2025年11月3日(月)


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タイトル一覧

17630

メトロノームを使ったリズム練習について

17631

今朝方の夢

17632

今朝方の夢の振り返り

17633

フリーストロークとレストストロークの使い分け

17634

楽譜の暗譜方法について

17630. メトロノームを使ったリズム練習について 

                         

時刻は午前5時半を迎えようとしている。昨日近所のコピー屋から連絡があり、依頼していた60ページほどの楽譜の印刷が完了したとのことなので、今日の午後にでも散歩がてらそれを受け取りに行こうと思う。これまではパソコン上でPDFの楽譜を見ながらギターの練習をしていたが、PDFだとスクロールをする不便さがあったり、書き込みをふんだんに行うことが難しく、ブランダン・アッカー氏も述べているようにちゃんと印刷して物理的に楽譜と触れ合いながら練習することに限ると改めて思った。


日々メトロノームを使ったリズム練習をしているのだが、それにおいて、4/4拍子や3/4拍子で最大どれくらいの速度までトレーニングすべきかという問いが浮かんだ。それは単なる数値の問題ではなく、演奏の質と身体感覚をどこまで高めたいかという本質に関わるテーマである。結論として、速度の到達点は固定された数字ではなく、身体の脱力・音の粒立ち・リズムの安定が維持される限界点が指標になるのではないかと思う。とは言え、目安が必要だと感じるのは自然であり、その観点から実践的に考えてみたい。一般的なクラシックギターの基礎訓練として、4/4拍子と3/4拍子のスケール練習やアルペジオ練習を行う場合、まず60~80BPMで1拍=1打から始め、時間をかけて120~144BPMを安定して奏でられることがひとつの理想的なラインとなるだろう。144BPMは快速テンポであり、粒を揃えてノンストレスで弾けるならば、日常の大半の楽曲に余裕を持って対応できる。その先を求めるなら、プロフェッショナル領域として160~180BPMが視野に入る。しかし速度を追い過ぎてフォームが崩れるなら本末転倒である。大切なのは、速度の向上よりも音楽性を保ったまま速くなることであって、速さそのものが目標ではない。もうひとつ重要なのは、テンポ設定の工夫である。単にBPMを上げるだけではなく、メトロノームの拍を減らす練習が効果的だ。例えば、4拍全てにクリックを鳴らすのではなく、2拍に1回、さらには1小節に1回、最終的に2小節に1回のクリックで安定させる。これにより、外部の機械に依存せず、自分の内部にリズム軸を構築できる。テンポも60BPM程度の非常に遅い設定から、まるで瞑想のように「音の間」を聴く姿勢を育てる練習が、将来的なしなやかなリズム感につながるだろう。つまり、遅さを征服する者が速さも制するという理が働く。さらに、リズム練習においては、テンポの上下動を意識的に使うことも大切だ。例えば90BPMで安定させた後に85BPMへ下げ、その後95BPMに上げる。このような「ゆらぎの中で軸を保つ感覚」は、リアルな演奏環境において大きな助けになるだろう。演奏とは、コンサートホールの空気、聴衆の気配、自身の心理動揺など、微細なノイズが常に混じる世界であり、完全静止した心理状態で速く弾けても、揺れの中で弾けなければ機能しない。メトロノームは、揺れの外へ逃げる装置ではなく、揺れの中で自分の中心を探す道具であると理解したい。最終的には、自分の限界テンポを知り、それを超えて無理に攻めるよりも、その手前で美しさ・脱力・音楽性を保つことが成熟した練習者の姿だと言えそうだ。速度の数字より大切なものがある。音楽は速さの競争ではなく、呼吸を持った時間芸術である。したがって、メトロノーム練習の目的は、速さの達成ではなく、内側に強固で静かなリズムの軸を育てることだ。その軸さえ育てば、速度は自然とついてくる。焦らず、しかし継続的に、速度と質の両輪で歩むことで、ギターという楽器の時間感覚が身体の中に深く根づいていくだろう。フローニンゲン:2025/11/3(月)05:32


17631. 今朝方の夢

                 

今朝方は夢の中で、高校時代の2人の友人から人生相談を受けていた。2人ともキャリアの岐路に立っており、本当に自分がやりたいことは何なのかを探し始めていた。今の仕事はどうも自分が心の底からやりたいことではないようで、どのようにすればやりたいことを見つけられるのかについて相談を受けていたのである。もちろん今すぐにそれを発見できたら苦労はしないので、対話を通じてやりたいことの方向性の輪郭を浮き彫りにしていくことにした。その中で出てきた問いを日々自分自身の中で反芻してもらえれば、きっとどこかのタイミングで「これだ!」というものに出会えるはずである。そうした思いから2人を送り出した。


次に覚えている夢は、古びた小さなビルにいた場面である。どうやら私はそのビルを探索し、最終的にはそこから脱出することをミッションにしているようだった。外から見るとわずか4階建ての雑居ビルに過ぎないのだが、中に入ると複雑に入り組んでいて、どのように上下階に移動したらいいのかわからないような仕組みになっていた。そして驚いたことに、最上階に到着して部屋の扉を開けると、そこには見慣れない防波堤とつがっていた。防波堤に出てみると、堤防の向こう側の海は随分下に見えて、仮に堤防から落ちたら命を落とすだろうと思った。そんな堤防で釣りをしている数人の人を見かけ、そちらに近づいていくと、なんとそこに父がいた。父の釣りの腕前は達人級であり、そこでも見事な技術を披露していた。そんな父に近くにいた若い女性が声をかけ、父がそちらに振り向いた瞬間に強風が吹き、父はバランスを崩した。そして危うく堤防の外の海に落ちそうになったが、何とか波止場側に体を倒して、なんとか落ちずに済んだ。その一部始終を見ていた私はとてもヒヤヒヤした。そこからまた私はビルに戻ることにし、戻ってみると、落書きがたくさんある部屋に入り、そこにあった小窓から脱出しようと思ったが、体が入るサイズではなかったので、部屋を出ることにして他の脱出手段を考えなければならないと思った。フローニンゲン:2025/11/3(月)05:42


17632. 今朝方の夢の振り返り

                           

今朝方の夢は、外形としては2つの場面に見えるが、深層では同じテーマが貫流していると言えそうだ。それは「迷いの中で他者を導きながら、自分自身の成長の迷宮も歩んでいる存在」としての自分像であり、人生の変容期における内面的な航海である。まず、2人の高校時代の友人の相談に乗る場面は、過去の自分の鏡像を見つめる行為であると解釈できる。彼らはキャリアの岐路に立ち、自分の本当にやりたいことを見失っている。実際には、自分自身の過去の迷いや、かつて抱いた「使命をどう掴むか」という問いが投影されているのである。夢の中の自分は彼らの悩みに寄り添い、答えを一気に与えるのではなく、「問いを持ち続けることで本質へ至る」という道を示す。これは単なる助言ではなく、自分が今歩んでいる姿勢そのものである。すなわち、表面的な職業選択ではなく、存在意義を問う成熟プロセスへと他者を導く自分の役割意識が浮かび上がる。他者に問いを返すことで、むしろ自分も問いを深化させている。つまり、教えるつもりが導かれ、導く中で癒やされているという自己循環的な成長である。次に、古びたビルを探索し脱出しようとする場面は、内なる心理構造の迷宮を象徴する。外見は4階建ての平凡な建物であるが、中は複雑に入り組み、上下移動の道も直線的ではない。このビルは自分の内的世界、特に無意識の領域であり、一見整理されているように見えて、実際には探求すべき層や未踏の通路が多く存在することを示している。最上階にたどり着いたはずが、そこには堤防という異質な空間が突然つながっている。内的探求が、人生の現実的なリスクと責任の領域へと直結していることを暗示する。堤防の向こうの深い海は、未知と危険、そして父性原理の象徴である。父は達人の技を披露し、しかし一瞬の油断で命の危険に晒される。ここには二重の意味がある。1つは、自分の中に内在する父の理想像、成熟した技量と自律の象徴。もう1つは、その理想像の脆さ、完璧ではないという人間性である。父が落ちかける場面に対して強い不安を覚えたのは、自分が理想とする成熟した存在像が揺らぐことへの恐れである。同時に、父が踏みとどまる瞬間は、自分の中の大人の部分が危機にあっても持ちこたえる力を象徴する。その後再びビルに戻り、落書きだらけの部屋に入り、小窓から脱出しようとするが通れない。これは、過去の破片や混沌(落書き)の中に小さな出口の可能性を見いだすが、過去の枠組みでは抜け出せないことを意味するのだろう。幼い逃げ道や小手先の方法では抜本的な突破はできないのである。自分は再び歩み、別の出口を探す。これは、精神的脱皮の最後の段階、古い器を壊し、新たなアーキテクチャの自分へと移行するための試行錯誤である。この夢全体が示すメッセージは、他者を導く役割を自覚しつつも、自分自身もまだ迷宮の途中にあり、英雄譚の中盤にいるという感覚である。重要なのは、出口は必ずあるという確信と、それを焦らず探求し続ける姿勢である。人生における意味は、自分が答えを与える者であると同時に、問いの旅人であるという二重性を抱え続けることにある。自分は今、深い変容のプロセスの只中に立っており、他者を支えながら、自らの道も静かに切り拓いているのである。フローニンゲン:2025/11/3(月)05:56


17633. フリーストロークとレストストロークの使い分け

                      

クラシックギターにおけるフリーストロークとレストストロークの使い分けは、単なる技法上の選択ではなく、作品の性格や音楽的意図を具現化するための判断基準なのだろう。今その使い分けについて色々と考えている。基本的に、フリーストロークは柔らかさ、流動性、透明感を生み、レストストロークは力強さ、明瞭なアタック、旋律の輪郭強調に寄与する。とは言え、これは単純な二分法ではなく、楽曲の文脈、フレーズの方向性、音量バランス、音色のニュアンスに応じて総合的に選択されるべきものなのだろう。まず、フリーストロークはアルペジオ主体の場面や、歌うようなレガートラインが連続する箇所で用いられることが多い。各音が独立しながらも滑らかにつながる必要があり、指が次の弦に着地しないため、音が自然に空間へ溶けていくニュアンスを作りやすい。例えば、タレガの「ラグリマ」冒頭の優しいアルペジオや、ソルの緩徐楽章的な作品に見られる繊細な旋律線はフリーストロークが本質に合う。バロック作品ではフレーズの粒立ちと流れが重視され、硬さよりも連続性が求められるため、バッハの多声作品においても、内声とバスが自然に呼吸するように動く部分ではフリーストロークが有効である。音と音の間に空気を残し、声部が互いに干渉せず響き合う効果を狙うのである。一方、レストストロークは旋律を際立たせるときや、フレーズの重心を強調する必要があるときに選択される。指が次の弦に着地するため、音に密度と重さが生まれ、聴き手の注意を引きつける力が増す。特にロマン派以降のギター作品では、情緒的な旋律の存在感が重要であり、タレガやラウロ、ポンセなどの作品では主旋律にレストストロークを用いることで、歌心と方向性が明確になる。また、強弱の頂点やフレーズの起点など、音楽のドラマ性を形成する瞬間において、レストストロークは効果的なアクセントとなるだろう。バッハにおいても、特定の声部が対位法的に突出する必要がある箇所や、バスラインの安定感を生む部分で用いられることがある。重厚なバスが空間を支え、その上に他の声部が乗る構造を強化するのである。ただし、単純に旋律はレストかフリーのどちらかという画一的な判断は避けるべきである。音楽は生き物であり、強さだけではなく余韻、消えゆく表情、内声のささやきなど、多様なニュアンスが存在する。例えば、旋律が高音弦で細く消えていく場面や、内省的なフレーズが続く箇所では、レストストロークを用いると過度に強くなり、作品の呼吸を乱す場合がある。その場合、あえてフリーストロークで線を細め、陰影を保つ判断が求められる。実践上の基準としては、各フレーズの「方向」「重量感」「音色目標」を明確に持つことが重要である。旋律に重心を置く場合はレスト、繊細に編み込む場合はフリー。また、練習段階では両方で弾き比べ、耳で判断する習慣が効果的だと思われる。最終的な鍵は、指の動きではなく耳が決めるという姿勢である。音楽が求める必然性に従い、技術は音楽表現の下僕であると心得ることで、使い分けは自然と洗練されていくはずだ。自分の演奏に対する探究心を保ち続ければ、フリーとレストは単なる技法を超え、音楽の呼吸と意思を形にする手段となるだろう。フローニンゲン:2025/11/3(月)07:35


17634. 楽譜の暗譜方法について 

                         

今日もギターの朝練が捗っている。そこでふと、プロがどのようにして楽譜を暗譜しているのかについて気になった。多くの人は、「長年弾いていたら自然と覚えるのだろう」と想像するかもしれないが、実際はそれだけではないのではないかと思う。もちろん長い時間をかけて反復する中で自然に定着する部分はあるものの、プロの演奏家は高度に戦略的な暗譜方法を用いているはずだ。暗譜は単なる記憶作業ではなく、音楽的理解、身体的習熟、そして視覚・聴覚・理論的把握が統合された状態で成り立つのである。まず、プロの演奏家は「機械的暗記」ではなく「構造的暗記」を行うのではないかと思う。曲の形式、和声進行、モチーフの展開、転調のポイントを分析し、音楽の骨格を理解している。例えばソナタ形式なら提示部、展開部、再現部の構造を把握し、クラシックギターなら主題がどのように変奏され、どのポジションで登場するのかを掴む。この理解があることで、何小節目かという「地点」ではなく、音楽の流れそのものを追いながら弾くことができ、暗譜ミスにも対処しやすくなる。単なる反復ではなく、楽曲を身体の内側に意味づけしながら刻んでいくイメージである。さらに、プロは暗譜を複数のチャンネルで行う。視覚的記憶として楽譜のページ配置まで覚え、聴覚的記憶として音の動きと響きの予測が可能になり、運動記憶として指が自然にそのルートをなぞれるようにする。これにより、どれか1つの記憶が揺らいでも演奏が破綻しにくくなる。またギタリストは指板上の位置関係、音形、コード構造を立体的に理解しており、指がただ覚えているのではなく、「ここはE minorのスケール、この和音は転回形、ここでハーモニクスに移る」といった理論的裏付けを持って動く。決してロボットのような無意識ではない。加えて、プロはあえて止まる練習をすることもあるはずだ。流れに任せて弾くだけでは、予期せぬミスが起きた時に復帰できない。そこで特定の箇所で意図的に止まり、途中から再開する訓練を積む。これにより演奏中に乱れが生じてもすぐに軌道修正できる。これは指導者の間ではよく知られた方法であり、精神的な強さも育つ。もちろん身体的な反復も欠かせない。音の粒立ち、フレーズの呼吸、ダイナミクスを磨く中で、指と耳と頭が一体化していく。ただしその反復は惰性ではなく、常に音を聴き、気付きを重ねる意識的な練習である。長年の積み重ねは確かに大きいが、その中身は極めて能動的だ。こうした暗譜の本質は、単なる記憶ではなく、音楽を理解し、体現することである。暗譜は目的ではなく、自由に表現するための手段に過ぎない。譜面から解き放たれた時、演奏者はより深く音楽の流れに没入できる。プロが暗譜で得ている境地は、記憶の量ではなく、意味と感覚と技術が溶け合った統合状態である。自分もすでにその道を歩き始めている。分析し、耳で感じ、手で覚え、時に立ち止まり、また進む。その積み重ねが、いつの日か楽譜が内面から自然に立ち上がる瞬間を生む。焦る必要はない。1つ1つの音に心を置く姿勢こそ、真のプロフェッショナルへの橋となるはずだ。フローニンゲン:2025/11/3(月)10:39


Today’s Letter

One of my morning guitar routines is improvising music using the circle of fifths. I practice the keys on the right side in the morning and the left side in the afternoon. Once this practice becomes habitual, I hope my improvisation skills will improve. Groningen, 11/3/2025

 
 
 

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