【フローニンゲンからの便り】17613-17617:2025年10月31日(金)
- yoheikatowwp
- 2025年11月2日
- 読了時間: 13分

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タイトル一覧
17613 | 起床時間と二度寝について |
17614 | 今朝方の夢 |
17615 | 今朝方の夢の振り返り |
17616 | レストストロークとフリーストロークの同時適用の課題に直面して |
17617 | クラシック楽曲の語彙と文例の習得を意識した練習 |
17613. 起床時間と二度寝について
時刻は午前5時半を迎えた。サマータイムが明けて以降、午前4時前ぐらいに目覚めるようになった。夜9時に就寝し、朝4時に目覚める生活リズムは、現代社会において非常に健全であると言えるのかもしれない。7時間の睡眠は、多くの研究において成人の最適睡眠時間の範囲とされており、特に心身の負担が少なく、日中の集中力や回復力が保たれているのであれば、十分機能しているサインである。年齢を重ねると睡眠の質が課題になることが多いが、このリズムで疲労の蓄積を感じていないのであれば、体内時計と生活リズムがよく調和している状態だと言えるのではないだろうか。問題は、「4時に自然に目覚めたあと、二度寝をすべきか否か」という問いである。この点は一概に良し悪しを断じることはできないが、メリットとデメリットを理解し、自分にとっての最適解を見つけることが重要だ。まず、二度寝のメリットとして、軽い再睡眠によって心身が再びリラックスし、精神的余裕が生まれる場合がある。特に、浅い眠りから自然に目覚めた直後より、二度寝を経た後のほうが穏やかさや創造性が高まると感じる人もいる。このような心理的回復は、日々の探究や創造的活動にとって有益な場合がある。しかし、二度寝にはデメリットも存在する。特に、二度寝の途中で深い睡眠段階に入り込むと、起きた瞬間に「睡眠慣性」と呼ばれる倦怠感や頭の重さが生じやすくなる。また、体内時計の明確なリズムが崩れ、次第に覚醒の切れ味が鈍ることもある。規則的に4時に起きて、そのまま起床する習慣を維持できれば、朝の黄金時間を最大限に活用できる可能性が高い。集中力が最もクリアで、情報処理も深くなる時間帯は、多くの人にとって早朝であり、仏教や音楽の探究においても、静寂と冴えた心の状態は大きな資産になるだろう。したがって、二度寝をするかどうかの判断基準は、起きた時の体感で決めるのが賢明である。もし4時に目覚めた際、身体がすでに十分に回復して澄んだ感覚があるなら、そのまま起きて活動を始めることが、自律的で充実した1日のスタートにつながる。一方、心身にまだ軽い疲れや張りが残っている場合には、10~20分ほどの短い二度寝(パワーナップのようなマイクロスリープ)でリセットする方法もある。重要なのは、意志で無理に制御するより、身体の声を繊細に聴き取ることである。40代は、パフォーマンスと回復力のバランスを洗練させていく時期だ。早起きは強みであり、探究と創造のための静謐な時間が確保できているのは大きな武器である。ただし、規律と柔軟性、集中と回復の間に自然な調和を保つことが、長期的な深化につながる。身体を信頼し、その日ごとの感覚に誠実であり続けるなら、睡眠と覚醒のリズムは自ずと整い、活力と創造性が持続するだろう。フローニンゲン:2025/10/31(金)05:49
17614. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、見慣れないゴルフコースの上にいた。今からグリーンに乗せるための大事なショットを控えていて、参加者と共に集中力を高めていた。コースと風を読み、いざショットを放ったところ、グリーンの上にボールが着地したものの、そこから転がり続け、グリーンから落ちてしまった。このコースは難易度が高いことが有名で、自分だけではなく、続く人たちもことごとくグリーンからボールが落ちた。自分のボールを確かめにグリーンを降りると、そこは20mぐらいの崖になっていて、引き続きグリーンからボールが転がり続けていた。この高い崖を超えて再びグリーンに乗せるにはどうしたらいいだろうかと考えた。適切なゴルフクラブを選んだ時にふと奇妙な案が思い浮かんだ。ゴルフクラブを使ってボールをグリーンの上に乗せるのではなく、納豆のパックを投げてグリーンに乗せようと思ったのである。そこでさらに、自分よりも肩の強い元野球部の人にそれをお願いしたほうが良さそうだと思った。自分で投げてもなんとか届きそうなイメージはあったが、より確実により肩の強い人にお願いしようと思ったところで夢の場面が変わった。
次のもう1つ大事な夢を見ていたと思うのだが、それがなかなか思い出せない。その夢は中立的な夢で、特に感情が揺さぶられるような場面はなく、水の如く淡々と場面が展開していく穏やかなものだった感覚だけが残っている。その夢を受けて起床直前に見ていたのは、大学時代の女性友達が突然X(旧ツィッター)を始めた場面である。彼女は以前にもXをやっていたが、アカウントを作り直したようだった。何やら、ふとした時に1回つぶやきたい時や、1時間ぐらい集中してつぶやきたい時のためにアカウントを作ったとプロフィールに書かれていた。プロフィール写真には、かつて関係を崩していたと話を聞いていた夫と仲良く2人の子供と共に写っていた。関係が好転したことを受けてこちらも嬉しくなったが、SNSは往々にして幸せそうな写真しか載せない傾向があるので、それは対外向けのアピール写真なのかもしれないと思った。フローニンゲン:2025/10/31(金)06:01
17615. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の中で見慣れないゴルフコースに立っていた場面は、未知の挑戦と成長の局面に立つ自分を象徴しているかのようだ。このショットは人生の重要な一手であり、集中力を高めて臨む姿勢は、真剣に未来を切り拓こうとする姿そのものである。風を読み、コースを読んだ上でのショットは、環境や状況を丁寧に観察しながら最適な判断をしようとする自律性の表れであり、偶然に頼らず、自らの意志と技量で成果を掴もうとする意識の反映である。しかし、ボールは一度グリーンに乗ったものの転がり続けて落ちていく。これは、目標に近づいた手応えを得ながら、最後の仕上げでの予期せぬ展開により成功が遠のく状況を象徴する。到達したと思った場所からもう一段階越えるべき壁が存在することを示している。これは失敗ではなく、地形の厳しさ、すなわち人生における難易度の高さを改めて認識する契機である。続く人たちも同じようにボールを落とす描写は、困難が個人的なものではなく、普遍的なものであることを示し、自己批判ではなく、現実の条件を正しく理解し、対応する姿勢へ導いている。20メートルの崖は、象徴的な断絶であり、自分の努力だけでは越えにくい深い溝である。この断崖を前にして考えを巡らせ、適切なクラブを選びつつも、ふと納豆パックを投げるという奇妙な案が浮かぶ。ここには、常識を超えた発想、型にはまらない創造性、そして道具や手段は固定されていないという無意識からのメッセージが含まれている。納豆という日常的で庶民的な物が選ばれた点は、身の回りの小さなものや日常の知恵が、時に特別な場面にこそ力を発揮することを示唆している。さらに、元野球部の人に頼むという判断は、自分だけですべてを抱え込まず、力を貸してくれる他者を信頼し、委ねるという成熟の表れである。自分でもできるが、より確実性を求めて他者の力を借りるという判断は、孤独な努力から協働的な成長へと舵を切る意識の萌芽である。第二の夢が淡く思い出せないという点も意味深である。強い感情がない場面が水のように流れた感覚は、表層的なドラマの奥に静かな心の成熟や平衡が育っている証拠である。激しさではなく穏やかさが心を満たす瞬間を捉えている。それは、人生の重要な変化はしばしば大音量ではなく、静けさの中で進むという真理を示している。最後に表れた大学時代の友人とその家族の姿は、人間関係の時間的な癒やしと循環を象徴する。以前関係が崩れていた夫婦が笑顔で子どもと写っているという光景は、過去の痛みが修復され、再統合が起こる可能性を示している。同時に、SNS上の姿と現実の間には距離があるという気づきは、表面的な幸福と内側の真実を見分ける洞察力を意味している。喜びつつも、一歩引き、客観視する冷静さが備わっている。全体を通じて、この夢は挑戦と創造性、協働と成熟、そして見えないところで進行する心の成長を象徴している。人生における意味として、目標に向かう道は直線ではなく、時に崖にぶつかるが、新しい発想と他者とのつながりが突破口を開くことを示している。静けさの中で育つ変容を信じ、大胆さと柔らかさを併せ持って歩むことで、次のステージが開けていくことをこの夢は告げている。フローニンゲン:2025/10/31(金)06:19
17616. レストストロークとフリーストロークの同時適用の課題に直面して
時刻は午前10時半を迎えた。穏やかな朝空を眺めながらこの日記を執筆している。ここまでのところいつものようにギターの朝練が捗った。その中で、親指でレストストロークを行い、他の指でフリーストロークをする技術は、音の深みと立体感を生む基本でありながら難易度の高い動作だとつくづく感じた。この技法はベースラインを力強く支えつつ、メロディや和音を繊細に奏でるために欠かせない。したがって、ただ同時に使うのではなく、親指と指群が独立して働く感覚を育てることが重要になる。今受講しているブランダン・エイカー氏(これまで「アッカー」と日本語表記していたが、「エイカー」の方が英語発音に近いため、今後は「エイカー」として表記する)の講座の中でちょうどこの技術が求められる楽曲に遭遇し、自分なりに工夫をしているが、プロに聞いた方が早いと思い、講座のシステムを経由してエイカー氏に質問を投げかけてその返信を待っている。今のところ、まず意識すべきは脱力と重心かと考えている。親指のレストストロークは、指先の筋力だけで弾こうとすると硬くなり、音が詰まる。親指の根元、手首、前腕の重みを、弦に自然に乗せて押し出すような感覚が理想である。地面に足を置き、重心を感じながら歩くときに、足指に余計な力を入れないのと同じで、親指も無理な圧力を加えず、回転と重さを使う。その上で、弾いた後は次の弦に自然に「休む」ように触れる。これがレストストロークの本質であり、弦を弾く瞬間だけでなく、その後の「静止」が音の安定感を生む。一方、他の指(i,m,a)はフリーストロークで軽やかに引き上げる動きが求められる。親指が重心で、他の指が空気を撫でるように抜けていくイメージを持つと良いかもしれない。重要なのは、親指が動くときに他の指が影響を受けて固まらないことである。親指とi,m,aを別々のリズムの歯車のように感じさせ、互いに干渉しない動きを体に覚えさせていくことが上達の鍵となる。練習法としては、まず親指単体での安定したレストストロークを徹底する。開放弦で、ゆっくり、深く、音を鳴らすこと。次に、i,mのフリーストロークだけを行い、弦に触れる角度や音の均質さを整える。この2つを別々に磨いた上で、親指とi,mを交互に動かす練習に移行する。例えば、p–i–p–mという単純なパターンでも、親指の重みと指の軽さが対比として自覚できる。また、アルペジオの練習パターンを用いて、pがベース音、i,m,aが旋律として流れるように弾く方法も有効だ。さらに、メトロノームを使った極端にゆっくりした練習は欠かせない。速さを求める前に、動作の質を高めることが重要である。速く弾けることは結果にすぎず、目的ではない。ゆっくりとした時間の中で、親指と指がそれぞれの役割を果たす様子を丁寧に感じ、右手全体が静かに呼吸しているかのように意識を巡らせる。最後に、練習中は音を聴く耳を育てることが必要である。親指は太く、暖かい音。i,m,aは透明な音。そのバランスを保つために、音量差と音色の違いを楽しむ気持ちを持ちたい。テクニックの習得は手だけの訓練ではなく、耳と心の訓練でもある。焦りを捨て、身体の中に静けさと協調が育つ過程を味わうことで、右手は徐々に独立し、音楽に深みと呼吸が宿る。やがてこの技術は自然なものとなり、自分の内的な落ち着きがそのまま音に映し出されていくようになるだろう。今日から上記を意識したトレーニングを心がけたい。そしてエイカー氏からの助言を練習に組み入れたいと思う。フローニンゲン:2025/10/31(金)10:53
17617. クラシック楽曲の語彙と文例の習得を意識した練習
今日も仏教研究とギターの練習に十分な時間を充てることができてとても充実した1日を過ごしている。午後には、知人の中土居僚さんと「1人10冊100年倶楽部」の今後についてじっくり話し合う最良の機会を得た。そこから1時間半弱ほどギターの練習に没頭して今に至る。
クラシックギターを習い始めた段階にある自分にとって、即興演奏に過度にこだわらない姿勢は極めて賢明であると言えそうだ。即興とは自由そのものであると同時に、自由を支える膨大な基礎の蓄積によって初めて成り立つ技能である。たとえるなら、言葉を覚え始めた子どもがいきなり詩を紡ぐことを目指すより、まず語彙を身につけ、文法の仕組みを理解し、偉大な作家の文章に触れるところから始めるようなものである。ギターの世界においても、音楽的語彙はスケールやアルペジオ、和声、指の運びに宿り、文法はフレージングやリズム、アーティキュレーションに潜んでいる。その基盤が定着しなければ、即興は単なるランダムな音の羅列となり、表現としての生命力を失ってしまうであろう。クラシックの名曲は、単なる作品ではなく、音楽言語の宝庫である。バッハの対位法的なラインの絡み合い、ソルやタレガのギター的な和声の流れ、ヴィラ=ロボスのリズムの躍動、それらは洗練された文体であり、構造としての音楽の「文例」である。これらを丁寧に習得し、指先と耳と心の中に沈殿させる過程は、即興のための辞書を内に築く行為に他ならない。優れた即興演奏者ほど、決して基礎を軽視せず、むしろ古典に深く向き合い、自らの中で音楽の法則性を血肉化しているという事実は、音楽史の中でも繰り返し確認されてきたことである。それを忘れてはならない。即興は時間の中で作曲する行為であり、その瞬間に選び取る一音一音は、過去の蓄積から湧き上がる。ゆえに、基礎を磨きながらクラシックの楽曲を深く読み解き、作曲家の思考に寄り添い、音と音の必然性を感じ取る姿勢こそが、自然な成長曲線に合致しているのではないだろうか。焦りは禁物である。焦って自由に飛ぼうとすると、地面に足をつける時間を奪われることになり、結果として飛翔の力を弱めてしまう。むしろ、しっかりと歩み、筋力をつけ、関節を鍛え、耳を磨き、音楽の「呼吸」を身につけることが大切である。そうしてはじめて、即興は技術的な遊びではなく、成熟した表現へと変貌する。今の自分に必要なのは、飛びたいという未来の願望を守りつつ、歩むという現在の決意を育てることにある。クラシックギターの古典的レパートリーを習得する過程は、単に過去をなぞる営みではない。それは音楽の文法を体に刻む創造的な鍛錬であり、自分の内側に未来の自由を蓄えるための静かな準備である。やがてその準備が満ちたとき、即興は努力の延長ではなく、自然にあふれ出す呼吸のように現れるであろう。焦らず、今は着実に、クラシックギターという言語の基本を育てていくことが、結果として最も遠くまで自分を運ぶはずである。それを信じて日々のクラシック楽曲の練習を楽しみたい。フローニンゲン:2025/10/31(金)15:29
Today’s Letter
The more I devote myself to practicing the classical guitar, the more vocabulary and phrasing I will build for future improvisation. Most importantly, I need to practice the fundamentals with joy and pleasure every day. Groningen, 10/31/2025

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