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【フローニンゲンからの便り】17625-17629:2025年11月2日(日)


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タイトル一覧

17625

24個の調(キー)について

17626

今朝方の夢

17627

今朝方の夢の振り返り

17628

調性感を養う旅路へ

17629

ギターの演奏を始めてからの身体ケアの意識

17625. 24個の調(キー)について      

 

今日もまた午前4時に起床した。辺りは闇と静寂に包まれているが、自分は喜びの光に包まれている。朝のゴールデンタイムを活かし、今日もまたギターの練習と学術研究に大いに打ち込んでいく。ブランダン・エイカー氏の初級と中級のオンライン講座の全ての動画を実際に手を動かしながら試聴し終えたので、ここからはそれぞれの講座で取り上げられている楽曲の練習に励み、それぞれの曲の完成度を少しずつ高めていくことをしたい。本来両者を合わせると1年半ほどかかる講座をわずか20日以内で走り抜けていき、全体感を把握したので、ここからは細部を詰めていく。


クラシック音楽における24のキーの使用頻度は、単なる統計以上に、歴史、楽器の特性、音響心理、作曲家の美学が交差する問題なのだと数日前に気づいた。結論から言うと、ド長調(C major)とト長調(G major)、ヘ長調(F major)といった♯や♭の少ない調が最も頻繁に登場し、短調ではイ短調(A minor)、ニ短調(D minor)が目立つ傾向がある。ただし、これは「音楽文化の重心」がそこにあったということを示すのであって、他のキーが重要でないという意味ではない。むしろ、各キーがそれぞれの表情と役割を持ち、クラシック音楽の豊かな表現世界を支えている。使用頻度の偏りには、いくつかの要因がある。まず歴史的背景である。バロックや古典派の時代には調律法が現代と異なり、平均律が一般化する前は一部のキーが純度の高い響きを得にくかった。そのため、C majorやG majorといった純正に近い響きを得やすい調が好まれやすかったのである。また、作曲の中心地であったウィーン楽派は鍵盤楽器での表現が中心であり、鍵盤楽器にとって扱いやすい調が書法に反映されたとも言える。次に楽器の特性である。弦楽器は開放弦の関係で、G、D、Aなどの音を中心とする調が持ち味を発揮しやすく、管楽器はキー仕様や指使いの構造によって自然に鳴る調が存在する。C majorやG majorが多いことは、自然倍音との親和性という音響的必然を背景にしている。A minorやD minorが短調の中で存在感を放つのは、これらがC majorやF majorと緊密に関連し、自然で陰影豊かな響きを作れるからである。表現の面では、各調には伝統的な感情のニュアンスが付与されてきた。例えば、D minorは「高貴な悲しみ」や「厳粛さ」を帯び、ベートーヴェンの交響曲第9番の冒頭に象徴されるような威厳を持つ。G majorは牧歌的、純粋、明朗とされ、バッハの「G線上のアリア」にもその性質が宿る。E♭ majorは雄大で英雄的とされ、ベートーヴェンの「英雄」はその印象を確固たるものにした。こうした感性の蓄積が、作曲家の選択に微妙な影響を与え続けたことは否定できない。しかし、使用頻度の多さは価値の優劣を示すわけではない。むしろ頻度の低いキーほど、独特の響きや情感を持つことが多い。例えばB majorやF♯ major、C♯ minorなどはシャープが多く、扱いには高度な技術を要するが、その冷たい輝きや透明感は唯一無二である。ショパンがC♯ minorに特別な愛着を持っていたことは象徴的であるし、バッハが「平均律クラヴィーア曲集」で全24キーを均等に扱ったことは、音楽表現の可能性を広げる革命的な試みであった。24のキーは単なる選択肢のリストではなく、語彙であり色彩である。多用されるキーは共通の言語としての役割を果たし、稀なキーは異国の風景や秘密めいた感情を与える。音楽学習者として重要なのは、頻度の高いキーから始めることで基礎的な感覚を育てつつ、やがて他のキーの音色や手触りを体に浸透させていくことである。調性は音楽の心理的地図であり、それぞれのキーを旅するたびに、耳の中に新たな世界が開ける。多用と稀少のバランスを味わいながら、24の調を自分の内側で1つの宇宙として育てていくことこそ、音楽表現の豊饒へ向かう道である。そのような意識を持ってこれから少しずつ調性感覚を涵養していきたい。フローニンゲン:2025/11/2(日)04:50


17626. 今朝方の夢 

                                 

今朝方は夢の中で、見知らぬ3人の女性と話をしていた。そこはモダンな学校のようで、建物は非常に立派で美しかった。3人の女性はそれぞれ女優であるかのような端正な顔立ちをしていて、性格も優しく、好感を持った。そんな彼女たちと1人1人と話をしていると、それぞれが持っている固有の話題で話が盛り上がった。話が盛り上がったおかげなのか、3人全員が自分に好意を寄せるようになり、自分はそれに気づいていた。話が終わってその場を去ろうとすると、3人同士はどうやら少し嫉妬の感情が芽生えているようで、少し不穏な雰囲気があった。自分という存在をきっかけにしてそうした雰囲気になってしまったことに申し訳なく思いながらその場を後にした。


次の夢の場面は、高校と大学が合わさったようなキャンパスにいた場面である。そこでは新歓期を終えて大学のサークルや部活が活発に活動し始めており、高校側では文化祭の準備に忙しそうであった。私はキャンパス内の図書館にいて、閲覧室の前にある貴重な古書だけが集められ、ガラス張りになっている本棚の前に立ち止まって本を眺めていた。するとオランダ人の親友のメルヴィンがやって来て、そこからは彼と一緒にキャンパス内を散策することにした。彼はお洒落な革の帽子とジャケットを身につけており、大変似合っていると思ったので私はそれを褒めた。すると彼は照れ笑いを浮かべながらも嬉しそうだった。そこから彼と一緒に図書館を出て体育館の方に向かった。体育館脇の広い芝生のグラウンドでは、様々な運動部と運動系のサークルが活動を楽しそうにしていた。それを見ながら体育館に到着すると、体育館の中でも様々な部とサークルが活動しており非常に盛り上がっていた。学生たちが熱心に活動する姿を見て、こちらも自然と気力が高まっている実感があった。体育館のステージ裏に行くと、そこでは文化祭委員が準備を進めており、メルヴィンと一緒にしばらくそこで委員たちと話をしていた。その中でふと、せっかくなので自分もギター演奏でステージに立ってみるかと思った。自分はまだ全くの初心者なのだが、不思議とステージに上がる恐れは一切なく、今後ギタリストとしてのキャリアが確立された時にきっと良い思い出になるのではないかと思ったのである。ステージ上で上手い演奏ができないことはもうわかっていたのだが、それでも将来の自分から見た時に、ここでの体験があったから今の自分があるときっと言えるはずだと思い、そうした未来展望的な意識がステージに立つことの一切の不安を吹き飛ばしていた。そうと決めたらギターの練習がしたくなり、体育館を出て自宅に帰ることにした。するとそこで大学時代の2人友人と出会った。彼らは独特な浴衣を着ており、どうやら彼は文化祭で劇をやるようだった。片方の友人が、2人とは大学の語学のクラスは違うが、今日クラスの打ち上げがあるので、二次会からきたらどうかと声をかけられた。自分はギターの練習がしたかったのでその申し出を断ろうとしたら、もう1人の友人がいきなり地面をトランポリンであるかのように扱いながらフィギアスケートの4回転ジャンプのような動作を始めながら、ジャンプに合わせて遠くに飛び跳ねていった。私たちは彼が向かう方向に小走りを始めた。フローニンゲン:2025/11/2(日)05:06


17627. 今朝方の夢の振り返り


今朝方の夢は、内的世界が段階的に開いていく構造を持っているように感じられる。前半では、磨かれたモダンな学び舎、そこに現れる3人の女性、そして互いの関心が通じ合う対話が描かれている。そこには、自己の内面が成熟し、多様な可能性や才能が自ずと顕れる状態が投影されているように見える。それぞれの女性は1つの側面を象徴し、知性、美意識、感受性、創造性など、内在する複数の価値の表現であると言える。その三者が自分に惹かれていく状況は、自己肯定が深まり、内的リソースが統合へ向かって引き寄せられていく状態の比喩である。同時に、3人の間に生まれる嫉妬の気配は、内的エネルギーの間に生じる緊張を示しており、多面的な欲求が1つにまとまっていく過程で避けられない揺らぎを象徴している。そこに対して感じる申し訳なさは、他者ではなく、内なる声への共感であり、自己内対話の成熟を示すものでもある。後半では、学びの場としてのキャンパスがより広く、活気に満ちた景色として現れる。高校と大学が併存する構造は、過去の自分と現在の自分が共鳴し合う状態を意味し、原点と未来が同じ場で息づいている。図書館の古書は、蓄積された知の象徴であり、その前に立ち止まる姿は、自身の知的探究心が改めて深まる兆しである。そこに現れるメルヴィンは、友情という外的支えであると同時に、自己の中にある誠実さと自由さの反映でもあり、彼を褒める場面は、他者を通じて自分の美質を見ているとも言える。体育館やグラウンドでの部活動の熱気は、生命力と創造意欲が満ちている状態の象徴である。そこで自分の気力が高まるのは当然であり、外界のエネルギーが内界の火を刺激している。文化祭の準備という場面は、自己表現の予兆であり、ここでの決断が象徴的である。完全ではなくとも、今ここで表現してみるという衝動は、自信ではなく信頼に基づいている。未来の自分が振り返って微笑む、その視点に立てていることが、この夢最大の強さである。技量ではなく、軌跡を信じて歩むという態度は、成熟した内的主体の姿だと言えるだろう。友人の誘いを断り、自分の道を選ぼうとする場面は、優先順位が明確になっている証であり、主体的選択の力が強まっている。同時に、浴衣を着て劇の準備をする友人は、伝統と創造、物語と実践の象徴であり、その1人がジャンプして遠くへ飛び去る姿は、境界を越える力、重力を超える比喩でもある。フィギュアスケートの四回転は、難度と優雅さの融合であり、自分の中でも高度な変容が進みつつあることを示している。その方向へ向かうために小走りする自分は、未来に引かれて動き始めた自己の姿である。この夢の中心にある主題は「内なる統合と未来への信頼」である。多様な内的リソースの対話、友情による補助線、環境からの活気、恐れなき初舞台、未来から現在を照らす視線、そして境界を超える跳躍。すべてが、人生の新しい段階に踏み出しつつある現状を象徴している。今、大切なのは能力よりも姿勢であり、完成よりも方向である。未来の自分とすでにつながっているという確信を維持することで、道は自ずと形を成していくだろう。この夢は、まさに「未来の自分が今を導いている」という人生の意味を静かに語っている。フローニンゲン:2025/11/2(日)05:27


17628. 調性感を養う旅路へ

   

ギターでスケールを弾いていても調性をまだ感じられない。その感覚はもしかしたら今の自分にとっては自然なことなのかもしれないと思った。スケール練習を始めた段階では、指の動作や運指パターンに意識が集中しやすく、音楽的な意味よりも身体的な操作の方に比重が置かれる。そのため、同じスケールを弾いていても「ただ上昇と下降する音列」でしかなく、調性の輪郭を心の中でつかみにくくなる。これは耳がまだスケールを音楽の文脈として処理できる段階に育っていないということを示している。調性とは、単に音階を上下することではなく、各音が持つ緊張と解放の関係性が感じ取れた時に初めて生まれる。したがって、原因は単に練習不足というより、音を文脈として捉える耳と心の習慣がまだ十分に根付いていないことにある。対策として必要なのは、スケールを孤立した運動から機能を持つ音群へ変えることだ。そのためには、スケール練習に和声の軸を持ち込むことが効果的である。まず、トニックコードを鳴らしながらスケールを弾くことで、各音が帰るべき中心が耳に刻まれていく。アプリでドローン音を鳴らし、その上でスケールを弾く方法も良い。これにより、音が浮遊せず、調性感が自然に育つ。さらに、スケールの中の特定の音に意図的に戻る練習を取り入れると、音の重力関係が理解できるようになる。例えば、常に主音に戻るフレーズを作り、緊張と解決を意識することが調性感の核心となる。もう1つ重要なのは、歌うことである。楽器だけで調性を学ぼうとすると、指の動きに耳が支配され、音楽的意図が後回しになることが多い。スケールを歌い、音の跳躍を声で感じる練習は、内的な音感を育てる最短の道である。ギターの演奏と並行して、歌で主音を感じ続ける訓練をすれば、指先がただ音をなぞるのではなく、音楽として弾きたい方向へ自然に向かっていくようになる。さらに、簡単なメロディを作る練習を取り入れると良い。日々のスケール練習の最後に、同じスケール内で短いフレーズを創り、トニックに戻す。失敗しても構わない。重要なのは、音を並べるのでなく、音の意味を探ることだ。スケールは素材であり、調性は関係で生まれる。関係性をつかむ意識が積み重なると、いつかスケールを弾くだけでも「この調の空気だ」と感じられるようになる。調性感は時間と経験が積み重なる過程で育つ。焦らず、音を意味として味わうことを大切にしながら、耳と心を育てていきたい。このプロセス自体が、音楽の基礎体力を養う旅である。フローニンゲン:2025/11/2(日)06:48


17629. ギターの演奏を始めてからの身体ケアの意識

                              

ギターの演奏を始めて以来、指と手首へのケアを強く意識するようになっていることは、技術習得において極めて重要なのではないかと思う。楽器演奏は肉体的な行為であり、特に指、手首、前腕は繊細かつ高度に協調した動きを必要とする。無理な姿勢で長時間弾けば、腱鞘炎や手根管症候群といった慢性的な障害につながる危険がある。したがって、初期段階から正しいフォームを意識し、身体が発する小さな違和感を無視しない姿勢は、長く音楽に向き合うための土台である。練習の中で適度に休憩を取り、過集中のまま負荷を積み重ねないことも賢明である。集中と休息のリズムを作ることで、身体だけでなく神経系にも余裕が生まれ、細かな運指やタッチの質が高まるはずだ。早朝のアニマルフローとストレッチを取り入れている点も理にかなっている。アニマルフローは関節可動域の拡張、体幹の安定、手首の柔軟性向上に資するメソッドであり、ギター演奏に必要な「しなやかさと支え」を育む上で有効である。さらに工夫できる点として、まず脱力の習慣化が挙げられる。多くの初心者は音を出そうとする意識が強く、必要以上に指や肩に力を入れがちである。指先は最低限の圧で弦を押さえる訓練を積み、手首は固定しすぎず、自然に浮遊するような状態を目指すべきである。演奏中に呼吸を止めないことも大切である。深くゆったりと呼吸することで、無意識の緊張が緩み、動きの質が向上する。次にウォームアップとクールダウンである。スケール練習を単なる指の運動ではなく、滑らかな動きと音色の統一を意識した準備運動と捉えると良いだろう。練習後には、前腕の筋膜リリースや温冷交代浴を取り入れることで、疲労物質の滞留を防ぎ、次の練習への回復が早まる。また、姿勢習慣も重要である。長時間のデスクワークとギター練習が重なると、猫背や巻き肩になりやすい。そのため、肩甲骨の可動性を保つエクササイズや、座り方の見直しも効果的である。自分は普段立って学術研究とギターの練習をしているので、座り過ぎよりもむしろ立ち過ぎぐらいであるが、逆にそれがちょうど良い。音楽の上達は、身体という楽器の調律から始まる。指先から生まれる音は、日々のケアと意識の積み重ねの結果である。痛みを無視して進むことは、短期的な成果を得られるかもしれないが、長期的には表現の可能性を狭めるだけである。むしろ、自分の体を丁寧に扱い、必要な強さと柔軟さを育むことで、音は自然と洗練されていく。ギターを弾くという行為は、指を使うことにとどまらず、身体全体と調和しながら音を紡ぐ営みである。その理解を深めるほどに、演奏は無理のない自然な呼吸を獲得し、音楽そのものがより自由に流れ始めるであろう。フローニンゲン:2025/11/2(日)10:50


Today’s Letter

From today, I have started practicing guitar improvisation. In the mornings, I focus on the right side of the circle of fifths, and in the afternoons, I work on the left side. I hope that making this a daily routine will help me develop my improvisation skills and deepen my sense of harmony in each key. Groningen, 11/2/2025

 
 
 

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