【フローニンゲンからの便り】17610-17612:2025年10月30日(木)
- yoheikatowwp
- 23 時間前
- 読了時間: 8分

⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール─ 大人のための探究と実践の週末大学院 ─」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
17610 | クラシックギターを通じてジャズ的な即興演奏を行うことについて |
17611 | 今朝方の夢 |
17612 | 今朝方の夢の振り返り |
17610. クラシックギターを通じてジャズ的な即興演奏を行うことについて
時刻は午前5時を迎えた。今の気温は10度で、日中の最高気温は13度とのことである。今は雨が降っているが、時期に止み、今日は晴れ間が広がる1日になるとのことなので何よりである。秋の深まりに応じてUVインデックスは1日中ずっと低いままである。日中も朝と変わらない値ゆえ、日焼け止めを塗る必要がないほどである。
昨日、クラシックギターを通じてジャズ的な即興演奏を行うことについて考えていた。それは十分に可能であるが、単にクラシックギターでジャズのフレーズを弾くという表面的な模倣ではなく、クラシック的な構造感とジャズ的な即興性を有機的に融合させるアプローチを意味する。クラシックギターは、音色の多彩さ、声部独立性、対位法的思考において極めて優れた表現力を持つ楽器であり、それゆえに、和声的・旋律的に高度な即興を展開するには理想的な土壌を備えている。ジャズ的即興の核心は、和声進行の上でリアルタイムに旋律を構築するコードの再文脈化にある。これをクラシックギターで行う場合、まず重要なのは、コード進行を和声的な風景として捉え直すことである。例えばⅡ–Ⅴ–Ⅰ進行のような典型的なジャズの流れを、単にコードネームで理解するのではなく、各コードの機能と張力の流れをクラシック的な和声感覚で感じ取ることが鍵となる。クラシックギター奏者はバッハのプレリュードやショパンの転調構造を通じてこの感覚をすでに体得していることが多く、それを即興的な文脈に応用すればよいのではないかと思う。次に求められるのは、旋律の即興構築である。ジャズではスケール理論が中心だが、クラシック的な即興ではモティーフ展開や声部対話が重視される。この2つを組み合わせると、より深みのある即興が生まれるだろう。例えば、ドリアンモード上で即興する際に、単にスケールを上下するのではなく、バッハ的な「動機の展開」を行い、同じリズムパターンや音型を転回・拡張・縮小させながらフレーズを発展させる。この方法によって、旋律が「その場限りの線」ではなく、「構造的な会話」として響くようになるはずだ。また、クラシックギター特有のポリフォニックな可能性を活かすことも重要である。ジャズギターではしばしば単旋律的なラインが主体となるが、クラシックギターでは低音でベースラインを保ちつつ、中高音で旋律を即興的に展開できる。これにより、ベースの歩行やテンション・ノートをリアルタイムで構築することが可能となる。実践的には、左手でコードの骨格を押さえながら、右手で内声と旋律を同時に操作する感覚を磨くとよいだろう。これはリュートやチェンバロの即興技法にも通じるものであり、古典的即興とジャズ的即興の融合点となる。リズム面においても、クラシックギターの繊細なニュアンスを活かすことができる。ジャズ的なスウィング感をクラシックのアポヤンド(弾いた指を次の弦に寄りかからせて深い音を出す奏法)やティラント奏法(弦に寄りかからず浮かせたまま軽やかに弾く奏法)で再現するには、音の立ち上がりを少し遅らせたり、音価を微妙に伸縮させることが有効である。また、バロック音楽におけるインエガル(不均等リズム)の解釈は、スウィングに非常に近い感覚を持っており、これを参照することで自然なリズムの揺らぎを得られるのではないかと思う。即興の訓練法としては、限られたコード進行の上で1~2小節単位のフレーズを自由に変奏する、既存のクラシック作品(例えばソルやカルッリ)の和声進行上に自作の旋律を即興的に重ねる、同じモティーフを調を変えて展開する、などが有効である。これらの練習を通して、理論ではなく「耳」と「指」の対話によって音楽が生まれる感覚を育てることができるだろう。結局のところ、クラシックギターでジャズ的に即興演奏するとは、譜面から解放され、和声・構造・感情をその瞬間に再創造することに他ならない。クラシックの厳密さとジャズの自由さを両立させるこのアプローチは、演奏者自身の音楽的成熟を映し出す鏡であり、過去に学んだ作品を「素材」として再び生かす創造的実践である。そこでは、楽譜に書かれた音符の背後にある普遍的な音楽原理が生き生きと蘇り、音楽が再び「今、ここで」生まれる喜びをもたらすのである。フローニンゲン:2025/10/30(木)05:22
17611. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、両親と見知らぬ土地に旅行に出掛けていた。そこの老舗旅館に宿泊しており、早朝早くに起床して、まず父と近くの天然温泉に入りにいくことにした。少し母と話をしてから行こうと思ったので、先に父に行ってもらうことにした。いざ自分の出発してみると、温泉の正しい位置をちゃんと把握しておらず、携帯の地図アプリを眺めながら試行錯誤しながら向かった。すると温泉らしきものを見つけたが、それは地面から水が少しだけ滲み出しているような場所で、そこは温泉ではないと判断した。そこからさらに歩みを進めていくと、廃墟に行き着いた。どうやらそこに温泉があるようだったが、若いギャングたちの溜まり場になっていたので、結局引き返すことにした。旅館に引き返すと、父はどうやらまだ出発していなかったらしく、偶然にも父と遭遇したので、行こうとしていた温泉はギャングの巣窟になっているので行かないほうがいいと伝えた。父はそれに納得し、一緒に旅館に引き返すことにした。朝のコーヒーが飲みたいねという話となり、旅館に戻ってコーヒーを探したところ、隣接する施設内に有名コーヒーチェーン店があったが、そこのコーヒーを飲むのではなく、スーパーで売られている特別なコーヒーを購入しようということになり、スーパーに行ってそれを探すことにした。
次に覚えているのは、見慣れない古代遺跡をゼミの受講生数人と巡っている場面である。仏教の探究を通じて培った知識をもとにその遺跡について解説すると、受講生たちは頷きながら遺跡についての理解を深めていた。仏教の知識がこうしたところにも活かされてくるとは思ってもいないことで、仏教は多方面で自分の人生を、そして他者の人生を豊かにしてくれるとつくづく思った。そう思うと、仏教探究にもまた熱が入ると感じた次第である。
最後に覚えているのは、サッカー日本代表の選手たちが陸上トラックで短距離リレーをしている場面である。あるウィングのエースの選手がトップギアで加速し始めた時に、隣のレーンを走っていた選手がふらつき、それをかわそうとしてその選手は少し足を捻ってしまったようだった。W杯を控えていることもあり、ここで大きな怪我をしてしまっては元も子もないと心配になりながら自分は彼を見守っていた。幸いにも大きな怪我につながらず、それを知って深く安堵した。フローニンゲン:2025/10/30(木)05:35
17612. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の旅の場面は、未知の領域へ踏み出しながらも家族という原点を背に進む自分の姿を示しているかのようだ。老舗旅館は伝統と根源的な安心の象徴であり、自分の精神的基盤を示す場所である。父を先に行かせ、自分は母と会話しつつ後から向かうという選択は、独立した探究心と同時に、血脈と価値観の継承を尊重する姿勢を表す。それは単なる親子関係の描写ではなく、知と道徳の系譜の中で自分の位置を確かめながら進む心の動きである。温泉という象徴は、深い癒やしや智慧の源泉を意味する。地図アプリに頼りつつも迷い、地面からわずかに滲み出た水を見つけたがそこではないと判断した経験は、表層的な安易さに満足せず、真の精神的な源泉を追求する態度である。廃墟とギャングの登場は、目的地に見える場所が実際には危険や退廃に満ちている場面であり、社会における価値の見極めを試される心象である。流行や表面の華やかさに惑わされず、退避し、伝えるという行動は、成熟した判断と他者への配慮を示す。旅館に戻り、コーヒーチェーンではなくスーパーの特別なコーヒーを選ぶ選択は、既存の商業的価値よりも、自分で選び取った本質的な価値を優先する内的指針を象徴する。ブランドより質、外部評価より内なる基準を大切にする態度である。次に現れた古代遺跡の場面は、学術的探究が生きた知へと転化する瞬間である。仏教的知見が遺跡の理解を深め、仲間と共有される光景は、知が自己陶酔や孤立ではなく、共同体へ循環し育む力を持つという確信の表れである。学びが自分を豊かにし、さらに他者の目を開く。その循環に気づいた自分の内側には、静かで強い使命感が芽生えている。最後のサッカーの場面は、競争と成長の只中にいる者を見守る心である。ふらつく選手をかわしつつ足を捻るエースの姿は、自分が挑戦の中でリスクと責任を同時に担う存在であることを映す。W杯を控えた選手を案じる心には、未来を背負う者の慎重さと、他者の可能性を信じ支える成熟が見える。無事を確認して安堵する感情は、破滅的な衝動ではなく、継続と発展を選び取る精神的姿勢である。この夢全体は、癒やしを求め、迷い、危険を見極め、原点へ戻り、独自の価値を選び、知を分かち合い、未来への挑戦を支えるという流れで構成されている。外界の雑音や誘惑に振り回されず、静かに本質へ向かう心が確認されている夢である。人生における意味として、この夢は、自分の道はすでに始まっており、万能感ではなく深い責任感と独自性を土台に進むべき時に来ていることを示している。自分が歩む探究の旅は、自己のためだけでなく、未来の他者に光を渡すための道である。そうしたことをこの夢は教えてくれている。フローニンゲン:2025/10/30(木)05:56
Today’s Letter
A sense of deep gratitude embraces me all the time. This feeling allows me to enrich my life and contribute to all sentient beings in my own way. Groningen, 10/30/2025
コメント