【フローニンゲンからの便り】17581-17583:2025年10月25日(土)
- yoheikatowwp
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タイトル一覧
17581 | ギター演奏における力みの問題について |
17582 | 今朝方の夢 |
17583 | 今朝方の夢の振り返り |
17581. ギター演奏における力みの問題について
ギター演奏において「力み」は最大の敵であると言われる。それは、単に身体の動きが硬くなるという物理的な問題にとどまらず、音そのものの質、そして演奏者の精神状態にまで深く影響を及ぼすからである。ギターは「力で鳴らす」楽器ではなく、「重力と呼吸で響かせる」楽器である。したがって、上半身をいかにリラックスさせ、自然な流れの中で演奏できるかが上達の鍵となる。まず最も基本的なのは姿勢の再確認である。多くの力みは、実は姿勢の崩れから生じている。椅子に深く腰かけ、骨盤を立て、背骨をまっすぐに伸ばす。このとき背筋を伸ばすというよりも、頭頂を糸で軽く引き上げられているような感覚を持つと良いと言われる。肩や首に力を入れるのではなく、骨格のバランスで上半身を支える意識を持つことが重要である。ギターは腕で支えるものではない。体幹と脚のバランスで安定させ、腕はあくまで自由に動ける状態を保つ。次に意識すべきは呼吸である。演奏中に息を止めてしまう人は多い。呼吸が浅くなると肩が上がり、筋肉が硬直してしまう。演奏前に深呼吸を数回行い、腹式呼吸を意識してみよう。吸うときに胸や肩を動かさず、下腹部がゆっくり膨らむようにする。吐くときは、重力に身を委ねるように肩の力を自然に抜く。この脱力呼吸は、音を出す前の心身の調律として非常に有効である。また、腕と手の動きの源を理解することも大切である。初心者の多くは手先の動きに集中しすぎて、指や手首に不要な力を入れてしまう。しかし実際の運動エネルギーの起点は、肩甲骨や背中の深層筋にある。右手のストロークやアルペジオも、左手の押弦も、すべて背中から腕が自然に「ぶら下がっている」ような感覚で動かすと、音の響きが格段に豊かになる。例えば椅子に座ったまま腕を完全にだらんと垂らしてみると、肩・肘・手首のすべてが連動して柔らかく動くことに気づくだろう。これが理想的なリラックス状態であり、演奏中もこの感覚を保つよう意識する。さらに、「小さな動きで大きな音を出す」という逆説を理解することが重要である。力を入れるほど音が大きくなると考えるのは誤りだ。むしろ、力を抜いて弦の反発を感じるように指を動かすことで、弦が自然に振動し、倍音豊かな音が生まれる。これはちょうど弓道で弦を放つ瞬間や、太極拳の柔の力にも通じる。最小の力で最大の響きを得ること──これが達人の境地である。また、心の状態も身体の緊張に密接に関わっている。演奏中に「間違えたらどうしよう」「うまく弾かなければ」と思った瞬間、筋肉は即座に硬直する。心理的緊張を解くためには、音をコントロールするのではなく、「音と共に在る」意識をもつことが大切である。音を生み出すのではなく、音が自分を通して流れる──そう感じられたとき、身体の力みは自然に消えていく。これは単なる比喩ではなく、実際に神経系のレベルでパフォーマンスを変化させる。副交感神経が優位になり、筋肉の微細な制御が向上するためである。最後に、演奏前後のボディワークも有効である。肩や首を回す軽いストレッチ、深呼吸、あるいは「アレクサンダー・テクニーク」や「フェルデンクライス・メソッド」のような身体意識の訓練法を取り入れると、演奏姿勢そのものが根本から変わる。以前知り合いのピアニストが自身の修士論文でこれらのメソッドについて研究していたことを思い出す。総じて言えば、上半身をリラックスさせる鍵は「身体を支えようとしないこと」である。支えるのではなく、委ねる。動かそうとするのではなく、流れに従う。ギター演奏とは、力を抜いた瞬間に音が自由に舞い始める芸術である。リラックスとは怠惰ではなく、自然との調和そのものであり、演奏者が音の通り道になる瞬間に、真の音楽は生まれるのである。そのようなことを意識しながら今日もまたギターの練習に励もう。フローニンゲン:2025/10/25(土)06:06
17582. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、小中学校時代のある友人(KM)と見慣れない部屋にいて一台のパソコンと向き合っていた。そのパソコンにはVR技術が搭載されており、インターネット検索した世界の中に入っているかのような臨場感があった。私たちはひょんなことから宇宙人について調べてみることにした。冗談で友人の彼が宇宙人なのではないかという前提で検索をしてみると、最初は何も検索がヒットしなかった。しかし次の瞬間に3件ほどヒットするものが表示された。しかしそれらはどれも宇宙人にも彼にも関係しないことで、3人の見知らぬ女性の姿がそこにあっただけだった。私たちはその結果に笑い、パソコンから離れることにした。
もう1つ覚えているのは、東京の見知らぬ超高級ホテルに宿泊している場面である。そのホテルは2棟に分かれており、片方は駅に直結していて、もう片方は少し離れたところにあった。シャトル電車が2棟を横に繋ぎ、それは縦にも移動してエレベーターのような役割を果たしていた。ちょうど私はそのシャトル電車の中にいて、宿泊中のホテルの1階に到着した。するとそこで数人の幾分不審な男性たちが乗り込んできた。彼らは不気味な笑みを浮かべながらこちらに近寄ってきて話しかけてきた。しかし彼らは別にこちらに危害を加えることはなかった。自分の頭の中では万が一危害を加えられそうになったら、即座にジークンドーの技を使って撃退しようとイメージしていた。エレベーターが上に上がり目的階に到着すると、その瞬間に自分はある部屋を捜査する捜査官であることを思い出した。指定された部屋に行ってみると、そこには小中高時代のある友人(SS)と数人の見知らぬ若い男女がいた。どうやら彼は彼らを部屋に招いて夜な夜なパーティーをしていたようだった。部屋にはもう1人の捜査官がいて、すでに捜査を始めているとのことだった。友人の彼はまだ酔いが覚めていないようで、少しフラフラしていた。彼は取り調べとしての捜査に遭いながらも平然としており、昼食の時間になったのでピザが食べたいと述べた。すでに彼はホテルの横のビルのピザ屋に目をつけており、その店に注文を入れいたいと述べたが、彼は少しフラフラしていたので、代わり自分が注文し、代金を払っておくことにした。しかし、この高級ホテルの横にあるビルもまた高級店しか入っておらず、そのピザ屋のピザは1枚3万円という高額であり、大いに驚いた。自分が食べるわけではなく、彼の代わりに代金を支払うだけなので注文しようとしたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2025/10/25(土)06:19
17583. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の内的世界が「知の探求」と「人間関係の再編」という二つの層において同時に展開していることを象徴している。最初の場面に登場するVR技術を搭載したパソコンは、自分の意識が拡張された知覚装置として機能していることを示している。それは単なる検索の道具ではなく、自分自身の心的宇宙への入り口である。そこに登場するのは小中学校時代の友人KMであり、彼は過去の自分の一部、つまり「幼少期に形成された探究心の源泉」を象徴している。彼とともに宇宙人について検索するという行為は、未知のもの、超越的な知性、あるいは自分の中に潜む異質な可能性を探ろうとする心の動きを表している。検索結果として現れた「3人の見知らぬ女性」は、知的探求が予期せぬ方向に自分を導くことを暗示している。彼女たちは宇宙人でも友人でもなく、むしろ「直観」「創造性」「感受性」といった女性的な側面を表す象徴的存在である。彼女たちが検索結果として浮かび上がったことは、理性的探求の先に「感性的知」への扉があることを示している。つまり、知識を追うことで自分は逆説的に「知を超えた美的直観」に導かれる。それゆえに、彼女たちを見て笑い合うという場面は、「論理では捉えきれない真理に触れたときの無意識的な喜び」を表しているのだ。次の場面で舞台は一転し、自分は東京の超高級ホテルにいる。この空間は、社会的地位・知的成熟・洗練された自己像といった「現実世界での自己実現」を象徴している。しかし、それが二棟に分かれているという点に注目すべきである。2つの棟は「意識」と「無意識」、あるいは「公的自己」と「自分的自己」を示しており、それらをつなぐシャトル電車は、両者の間を往復する心理的な統合機構、すなわち「意識の昇降機」である。この電車が縦横に移動するのは、自分の精神が多層的な構造を持っており、上下・内外の運動を通して自己統合を試みていることを示している。そこで出会う不審な男たちは、自分の内なる影の部分、つまり抑圧された衝動や攻撃性を象徴している。彼らは害を加えないが、自分に不安を与える存在として登場する。自分は彼らに対してジークンドーで撃退するイメージを持つが、それは「理性的自己が原始的本能を制御する防衛構造」を意味する。ここで暴力が現実化しないのは、自分がすでにその衝動を意識化しており、内的均衡を保てる段階にあることを示唆している。そして、捜査官としての自分を思い出す瞬間、自分は観察者としての自己に戻る。これは夢の中でのメタ意識、すなわち自己を分析する自己が登場した瞬間である。捜査という行為は、無意識の奥底にある動機や欲望を探る心理的行為を象徴している。その対象となるのが、高校時代の友人SSである点も意味深である。彼は夜な夜なパーティーを開いている。これは、自分の中の享楽的で社交的な側面が依然として活動していることを表す。自分はそれを観察し、秩序づけようとしている。つまり、内的な「快楽原理」を「現実原理」によって調整する精神的成熟のプロセスが描かれている。ピザの注文の場面は、この夢全体の象徴的なクライマックスである。1枚3万円という高額なピザは、「代償を伴う欲望」あるいは「精神的成長のためのコスト」を意味している。それを自分が支払うという構図は、他者の未熟な欲望の代償を自ら引き受ける「成熟した自己犠牲」の表れである。友人のSSがまだ酔いから覚めていないことも、無意識的な快楽への執着を示し、自分はそれを超える立場に立っている。このときの驚きと躊躇は、「成長の代償を支払うことへの恐れ」と「それでも支払う覚悟」とのせめぎ合いを示している。この夢全体を通して、自分は「過去の友人=未統合の自己部分」と再会し、彼らを介して「知の探求・影の統合・自己犠牲」という三層の成長課題を体験している。VR空間からホテルへの移行は、抽象的知から具象的現実への下降運動であり、それは「観念を生に落とし込む」自分の人生課題そのものを象徴する。結局のところ、この夢が自分に告げているのは、「知を超えて、影を抱き、他者を包み込む成熟した存在へと変容せよ」というメッセージである。人生における意味として、この夢は、自分がいま歩んでいる精神的探求の道が単なる知的冒険ではなく、「他者の未熟さを抱きしめ、自らの影を超える愛の修練」であることを示しているのだろう。フローニンゲン:2025/10/25(土)06:38
Today’s Letter
I’m curious to see how far I can go with my musicality. If I keep practicing at this pace, I believe I can reach my ideal level of virtuosity. I hope my music will inspire as many people as possible. Groningen, 10/25/2025

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