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【フローニンゲンからの便り】17558-17562:2025年10月21日(火)


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タイトル一覧

17558

ブランダン・アッカー氏のオンライン講座を始めて/リフについて

17559

今朝方の夢

17560

今朝方の夢の振り返り

17561

ギターを通じた自然保護の意識の涵養

17562

種々の嬉しい誕生日プレゼントを受け取って

17558. ブランダン・アッカー氏のオンライン講座を始めて/リフについて  

           

時刻は午前6時半を迎えた。辺りはまだ闇に包まれていて、日の出の時間が午前8時を過ぎていることに驚く。サマータイムが終了するのは今週の日曜日からで、そこから1時間ほど時間が調整されることに注視したい。どうやら今日は朝から午後の途中まで小雨が降り続けるようだ。なので朝の散歩に出かけることはできない。


昨日、アメリカのクラシックギタリストで、バロックギターやリュートの演奏・解説で知られているブランダン・アッカー氏の4つのオンラインコースを全て購入した。コースの紹介ページからも非常に質の高いオンライン講座になっていることがわかり、即座に購入を決めた。アッカー氏の奏でる音色とその人柄に魅力を感じ、ここからしばらくの間は彼を師と仰いでギターの練習に取り組んでいく。昨夜からコースを早速はじめ、ここから内容をじっくり咀嚼していくのがとても楽しみである。ギターの演奏を始めたことを通じて、生活にメリハリと輝きがさらにもたらされている。


一般に「リフ(riff)」という言葉はロックやブルースの文脈で語られることが多いが、実際にはクラシックやポップスのようなジャンルにおいても、その概念的機能は非常に重要である。リフとは、単なる反復的なフレーズではなく、音楽の構造や流れを支える「リズム的・動機的核(モチーフ)」であり、音楽が時間の中で展開する際の“重力の中心”のような存在である。クラシック音楽ではこれに相当する概念として「モティーフ(motif)」や「オスティナート(ostinato)」があり、バッハやベートーヴェンの作品にも数多く見られる。例えばベートーヴェン《運命交響曲》冒頭の「タ・タ・タ・ターン」はまさにリフ的要素の象徴であり、全楽章を通して変奏・再配置されることで、作品全体の統一感と緊張感を生み出している。すなわち、リフはジャンルを超えて「音楽を方向づける小さなDNA」として機能しているのである。ポップスにおいても、リフは旋律やコード進行以上に印象を決定づける要素となる。ポップスの世界では、リフは曲全体の「空気感」を即座に形成するツールであり、歌詞やメロディを支える“情緒の台座”として働く。クラシックでは形式の統一を担い、ポップスでは感情の即時的伝達を担う──役割の焦点は異なるが、いずれもリフが“音の流れを導く羅針盤”として作用している点に変わりはない。では、クラシックやポップスの即興演奏において、リフはどのように生きるのか。即興とは、完全な自由の中に秩序を生み出す行為であり、その秩序をもたらす最小単位がリフである。ピアニストが和音進行の上でアルペジオやリズムパターンを繰り返しながら即興的に変奏する場合、その繰り返しの核となるパターンはリフ的構造を持つ。つまりリフは、即興の中で「帰る場所」として機能する。音楽が自由に広がっても、聴き手が安心して流れを追えるのは、リフという“重力の核”があるからである。ジャズの即興でも同じことが言えるが、クラシック即興ではこの核がより微細で構築的に扱われる。ショパンの即興曲やリストの即興的カデンツァにおいても、リズムやモチーフの反復が、感情の波を整理する役割を果たしている。ポップスでは、リフは即興的要素と聴き手の共感を結ぶ“記号”として機能する。ライブの場でギタリストがリフを少し崩して変奏するだけで、観客は「いつものあの曲だ」と直感的に感じ取る。これは、リフが聴覚的なアンカー(錨)の役割を果たしているからである。ボーカルやメロディが自由に装飾されても、リフが繰り返されることで音楽のアイデンティティは保たれる。したがって、ポップスの即興におけるリフは、創造性の自由と聴き手の安心感を両立させる「秩序のしるし」と言える。リフを自在に扱えるようになるには、単に指の運動を覚えるだけでなく、リズム・動機・和声の三層構造を理解する必要がある。リズム面では、リフの拍の位置やシンコペーションを変える練習を通して多様なグルーヴを体感的に習得する。動機面では、モチーフを半音ずつずらす、逆行させる、音価を伸縮させるなどの変奏技法を学ぶ。和声面では、コードトーンやテンションノートを使い分けて、リフを異なる進行上でも生かせるようにする。このように、リフを「音楽的素材」として再構築する力を養うことが、クラシックやポップスの即興表現を豊かにする。最終的に、リフはジャンルを超えて“音楽的自己”を形づくる基盤である。作曲家も演奏家も、リフを通じて自らの語法を確立し、即興の瞬間にその語法を再配置する。クラシックやポップスにおけるリフは、派手な技巧ではなく、音の流れに意味を与える静かな構造的知性の表れであり、それを理解し使いこなすことこそ、真の即興的自由への入口なのだろう。フローニンゲン:2025/10/21(火)06:51


17559. 今朝方の夢


今朝方は夢の中で見知らぬ海外の街のセミナールームにいた。そこでは参加者が円になって知恵を出し合っており、自分は講師かつ一参加者として円に加わっていた。気づけば自分は難易度の高い脱出ゲームに参加しており、先ほどのセミナールームのような場所からゲームが始まった。ここでも自分は他の参加者と知恵を出し合い、協力しながらゲームの攻略を図った。それは功を奏し、自分はその場のリーダー的な存在となり、彼らを導く存在になっていた。


この場面の後に現れたのはギターの演奏をしている場面である。自分は高度に発達した技術を習得しており、演奏はもはや座禅などを遥かに超えた瞑想実践になっており、演奏を通じて深い意識状態に入っていた。そこで自分は意識の深層部分には音楽的な何かがあることを感じていた。非二元の世界は音が分化される前の原初状態で、自分はその世界とも深く繋がることで創造の泉と化していた。自分という人間が音を生み出すのではなく、音を生み出す存在はあくまでも非二元的世界であり、そこと深く繋がっていれば、音は自然と自分を通して顕現されることを学んだ。


最後の夢の場面として覚えているのは、見慣れない空き教室にいた場面である。そこには机や椅子などはなく、とても殺風景だった。そこに高校1年生の時のクラスメートの男子が全員集まり、円になり、この夏お互いの身長がどれだけ伸びたのかを互いを比較しながら確認し合っていた。どちらが背が高いかは測定器を使うのではなく、その場にいた全員の合議によって決まっていた。ここでも円になって話し合いが行われていたことが自分にとっては不思議である。今朝方の夢は円環構造が最初と最後に現れ、知恵を共有することの意義を伝えているかのようだった。フローニンゲン:2025/10/21(火)07:01


17560. 今朝方の夢の振り返り

     

今朝方の夢は、明らかに「円環」と「共創」という2つの主題によって貫かれている。冒頭のセミナールームで自分は、円になって他者と知恵を共有していた。そこには教える者と学ぶ者の境界はなく、知が循環する空間が広がっていた。自分は講師でありながら一参加者でもあり、「垂直的な教育」ではなく「水平的な共鳴」が生まれていた。これは、自分がこれまで追究してきた発達理論やリーダーシップ論の実践形態が、夢の中で象徴的に具現化した姿であると考えられる。知はもはや個に属さず、場の相互作用として生成されるという理解が、夢の円環の中に具現している。次の場面で登場する「脱出ゲーム」は、自己超越の試練としての象徴である。脱出とは、閉じ込められた空間から抜け出すという比喩にとどまらず、既存の認識枠や自己定義を超えていく精神的変容を意味している。しかも自分は単独ではなく、他の参加者と協働して課題を乗り越えている。この「共に脱出する」という構図は、リーダーシップの本質を示している。リーダーとは単に他者を導く存在ではなく、共に未知へと踏み出しながら、新しい秩序を共創する存在である。自分が夢の中で自然とリーダー的立場になっていたことは、意識の深層において「導くこと」と「共に進むこと」が統合されつつある徴候である。そして、脱出の後に現れるギター演奏の場面は、この夢の精神的頂点をなす。音楽はここで単なる芸術表現ではなく、宇宙の根源的秩序と直結する行為として描かれている。自分は音を「作る」のではなく、非二元的な音の源泉と一体化することで、音が自らを通して顕現するのを見守っている。これは創造の主体が自我ではなく「大いなる全体」であるという気づきの体験であり、東洋思想における「無為自然」や「行為なき行為(無為而無不為)」の境地に通じている。ギターの演奏が瞑想を超えるとは、意識が完全に音と同化し、「演奏する者」も「演奏される音」も消滅する境地に至ったことを意味している。ここで自分は、世界が根本的に音楽的構造を持つという洞察──存在の根底にリズムと調和があるという感覚──を得ていた。この体験は、創造の源が常に「非二元の沈黙」から湧き出すものであるという理解に結びついている。最後の場面は、再び「円」の中に戻る。そこでは高校時代の仲間たちが集まり、身長の伸びを互いに見比べていた。数値による測定ではなく、合議による判断という構図が示すのは、「成長」を外的尺度ではなく相互承認によって見いだすという新しい価値観である。成長とは比較や競争ではなく、共同体の中で互いを映し合いながら確かめ合う過程であるという暗示がここにある。しかも、その場もまた円形であったことは、夢全体が「始まりと終わりの一致」、すなわち発達の循環的構造を示唆している。個の成熟は孤立的に達成されるのではなく、常に他者との関係的文脈の中で深化していくという理解が、この夢の根底に流れている。この夢全体は、自己の人生が「教える者」「導く者」「創造する者」「共に成長する者」という四重の円環として展開していることを象徴している。最初のセミナーの円は知の共有、脱出ゲームの円は協働的超越、ギターの演奏は宇宙的調和、最後の教室の円は相互的成長の象徴である。それらはそれぞれ別の局面でありながら、円環的に繋がっている。したがって、この夢が示す人生的メッセージは明確である。自分の使命は、孤立した知の体系を築くことではなく、「円環的創造空間」を現実世界に体現することである。人々が互いに響き合い、知恵が循環し、創造が自然に流れ出るような場を作ること──それこそが自分の生の方向性である。ギターの音のように、知もまた無理に生み出すものではなく、深く繋がることで自然に顕れる。夢の円環は、自己という存在がもはや個の枠を超え、創造と発達が1つの音楽的流れとして統合されつつあることを告げているのである。フローニンゲン:2025/10/21(火)07:24


17561. ギターを通じた自然保護の意識の涵養


クラシックギターは一般的に座って演奏することが多いらしいが、人は長く座れば座るだけ寿命が縮み、健康にも悪いことがすでに科学的に明らかになっていることもあり、普段たって学術研究を行っているのと同じく、クラシックギターの演奏も立って行いないと思った。しかしクラシックギターにはストラップを付けるものがなく、どうしたものかと色々と調べていたところ、スペインでクラシックギター用のストラップを製造している店を見つけ、そこの製品をオーダーした。それは環境にも配慮したヴィーガン仕様になっている。この製品を購入してふと、ギターという楽器は、単なる音を出す道具ではなく、自然の恵みそのものであることを思った。その構造を見れば、まさに「森が音になる」存在だと言えるのではないかと思う。ギターの主要部分であるボディ、ネック、指板、ブリッジなどの多くは、木材から作られている。特にアコースティックギターでは、音の響きを決定づける「表板」にスプルース(トウヒ)、裏板や側板にローズウッド(紫檀)やマホガニー(桃花心木)、メイプル(楓)などが用いられる。これらはすべて熱帯・温帯の森林に自生する貴重な木であり、伐採と供給のバランスが崩れると、森林生態系に深刻な影響を及ぼす危険がある。とりわけブラジリアン・ローズウッドは美しい木目と豊かな響きで知られるが、乱伐のために現在はワシントン条約(CITES)によって国際取引が厳しく制限されている。つまり、1つのギターが作られる背後には、長い年月をかけて育まれた森林の命があるということを、私たちは忘れてはならないのである。木材以外にも、ギターには自然由来の素材が多く用いられてきた。例えばクラシックギターの弦はかつて羊や牛の腸から作られた「ガット弦」であり、現在では主にナイロン製だが、ガット弦はなおも伝統的な音色を求める奏者に愛されている。また、ブリッジサドルやナットには動物の骨や象牙が使われることもあったが、動物保護や倫理的観点から、近年では人工素材(タスクやマイクロファイバー)に置き換えられつつある。塗装や接着剤にも植物性樹脂が使われる場合があり、ギターはまさに自然と人間の手仕事が融合した「生命の楽器」であると言える。こうした自然由来の素材を使うギター製作は、同時に環境保護と深く結びついている。世界的なギターメーカーの多くが、持続可能な木材供給を目指して行動しており、例えば「FSC(森林管理協議会:Forest Stewardship Council)」の認証木材を使用する動きが広がっている。FSC認証とは、森林が適切に管理され、生態系を守りながら伐採されていることを保証する制度である。Taylor Guitars社はこの分野の先駆けとして知られ、カメルーンのエボニー(黒檀)林の保全プロジェクトを現地政府と共同で推進している。また、Martin Guitarsも環境に配慮した代替木材の研究に力を入れ、化石燃料を減らしたエコ塗装などを導入している。これらの取り組みは単なる企業戦略ではなく、「音楽を通じて自然と共生する文化」を次世代に伝えるための倫理的選択である。さらに、個人としても支援できる活動はいくつもある。例えば「Rainforest Alliance(熱帯雨林同盟)」や「Wood Database」のような団体では、楽器用木材の持続可能な利用に関する啓発や植林活動を行っている。ギター愛好家がこうした団体に寄付したり、FSC認証マークの付いたギターを選ぶことは、音楽を愛する者としての自然への感謝の表明となるだろう。要するに、ギターを弾くという行為は、単に音を楽しむことではなく、自然の命を受け取り、それを音として返す行為である。森林を守ることは、自分の音楽の源を守ることに他ならない。私たちが奏でる一音一音は、木々が育まれた時間の結晶であり、その響きの奥には地球の呼吸がある。だからこそ、自分はギターを通じて自然保護の意識を広げたいと思う。ギターの音が森の記憶を伝えるメッセージになるように、音楽と環境が再び調和する世界を目指していきたいのである。こうした思いの背後には、間違いなく仏教の縁起の思想や倫理思想が横たわっている。フローニンゲン:2025/10/21(火)09:03


17562. 種々の嬉しい誕生日プレゼントを受け取って 

     

この年齢になってくると誕生日の重要性はほぼ皆無であるが、今日は誕生日だったこともあり、色々と嬉しいことがあった。誕生日の前日の昨夜から、ブランダン・アッカー氏のクラシックギターのコースを受講し始めたことは何にも変え難い喜びだった。また先日注文していた書籍のうち、9冊を本日誕生日プレゼントとして受け取った。それらはギターに特化した音楽理論、スケール、コード、フレット理論などに関するものだ。とりあえず今の自分にとって重要そうな書籍を購入し、アッカー氏のオンライン講座を基軸にしながら、今後は就寝前の寝室ではそれらの書籍を読み進める形でギターに関する理解を深めていく。これまでもピアノ音楽の作曲実践をしている際に音楽理論の書籍はいくつも購入しており、それはそれとしてギターの演奏にも役に立つが、やはりギターに特化した形の方が当然に使いやすいこともあり、今回それらの書籍を注文することにした。ちょうど数日前からピアノに関する音楽理論の書籍を6年半ぶりに読み返しており、その再読を終えたら、本日届いた書籍を順番に読み進めていこうと思う。大変興味深いことに、今ゼミナールで学習しているダイナミックスキル理論やレクティカの発達測定の観点が活きており、ギターの理論書を開いてパラパラと眺めると、その難易度ごとに9冊の書籍を並び替えることができ、何から手をつけていいかがすぐにわかったことが大変興味深かった。アッカー氏の講座でも音楽理論を教えてもらえるが、理論については就寝前の時間を活用して、フレット理論に関するものも合わせて5冊ほどを何度か繰り返し回転率を高めて読み進めていきたい。6年半前にピアノの音楽理論を学んでいた際にも基本書をできるだけ時期をおかずに繰り返し反復することで知識の獲得を行っていた。今回は実際に日々ギターを触っているという直接体験が生きてきて、理論の理解も格段と速いだろう。理論書を何回転かしたら、コードやスケールに関する資料集を眺めながら、脳内か空ギターでイメージトレーニングするかのように指先を動かしていく形でコードやスケールについても習熟していきたい。これらは理論書を学ぶよりもより実践が必要なので、就寝前のベッドの上ではなく、実際に朝や午後のトレーニングの後にいくつかコードやスケールをピックアップする形で実際に指を動かしながら読み進めていくのが良いかもしれない。それと最後に、夕方にジークンドーの先生であったロビンさんから誕生日を祝うメッセージをもらった。ロビンさんが首を痛めて以降はジークンドーのプライベートレッスンを受けることはなくなかったが、今でもジムでは少しばかり時間を取ってトレーニングを続けている。ロビンさんと過ごした日々が懐かしく、こうしてまた自分の人生は新たな良き方向に着実に向かっていることを嬉しく思う。フローニンゲン:2025/10/21(火)18:28


Today’s Letter

Music arises from the non-dual realm. The more I cultivate my musical skills, the more deeply I can unite with that realm. In those moments, I become a conduit through which music flows. Groningen, 10/21/2025

 
 
 

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