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【フローニンゲンからの便り】17551-17553:2025年10月19日(日)


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タイトル一覧

17551

ギター演奏の観察学習

17552

今朝方の夢

17553

今朝方の夢の振り返り

17551. ギター演奏の観察学習 

               

時刻は午前6時半を迎えた。昨日は随分と気温が下がっていて、午前中は5度だった。今の気温も5度であり、日中の最高気温は13度まで上がる。来週になると10度にしか達しない日も出てきて、冬の入り口に差し掛かっていることを実感する。


一昨日にNetflixを解約して、これまでNetflixを見ていた食事の時間はプロのギタリストの演奏動画やギターの音楽理論に関する動画を視聴することにした。特にプロの演奏を動画を通じて観察することは、単なる「鑑賞」ではなく、脳科学的にも学習効果をもたらす極めて有効なトレーニングなのではないかと思う。特に、手元の動きや身体全体の連動を視覚的に捉えるとき、私たちの脳内では「ミラーニューロン」と呼ばれる神経細胞群が活性化する。この神経群は、他者の行動を見ただけで自分が同じ行動をしているかのように反応する特性を持ち、1990年代にイタリアの神経科学者リゾラッティらによって発見された。つまり、他人の演奏を見ることによって、自分の中でその動作の「神経的シミュレーション」が起き、学習の土台が自然に形成されるのである。特にギター演奏では、左右の手の協調動作、指の独立運動、ピッキングとストロークのタイミング、そして身体のリズム全体が密接に関係している。これらを視覚的に観察すると、脳の運動野(motor cortex)や前運動野(premotor cortex)、さらには感覚運動統合に関与する頭頂葉が同時に刺激される。その結果、実際に楽器を触らなくても「準備的な神経回路」が強化され、後の実践でスムーズに動作を再現できるようになることが期待される。これは、スポーツ選手が映像を見ながらイメージトレーニングを行うのと同様の原理であり、音楽学習にも応用できる。また、プロの演奏を見る最大の効能は、単なる運動模倣を超えた表現の内面化にある。熟練した演奏家の動きは、効率的で無駄がなく、音の意図と身体動作が完全に一致している。つまり、音を「出すための動作」ではなく、「表現そのものの延長」として身体が使われている。視覚的にその一体化を観察することで、演奏者の身体の中で音がどのように生まれているかを身体的直観として感じ取ることができる。この「身体的共感」は、楽譜や理論では得られない、演奏芸術の核心に触れる学びとなる。さらに、プロ演奏の観察にはタイミングとフレージングの学習効果がある。熟練者の演奏では、音の間(ま)やリズムの揺らぎ、アクセントの配置が極めて洗練されている。これらは譜面では再現できない「時間的表現の感性」であり、映像を通して何度も聴き取り、身体で感じ取ることで自分の中にリズムの柔軟性が育つ。プロの演奏を見ながら、自分も軽くエアギターのように指を動かしたり、呼吸を合わせたりすると、視覚と聴覚と運動感覚が統合され、学習の効率がさらに高まる。もう一つの大きな効能は、モチベーションと自己イメージの形成である。心理学では「観察学習」が重要視されており、他者の成功する姿を見ることで自分の能力への信念が高まることが知られている。プロの演奏を目の当たりにすることで、「自分にもできるかもしれない」という意欲が生まれ、その感情が学習の持続力を支える。これは単なる憧れではなく、ミラーニューロンの共感的反応を通じて、実際に脳の行動準備状態が変化する現象でもある。最後に、プロ演奏を観察する際に意識すべきは、見る姿勢である。受け身で眺めるのではなく、「今の指の角度はなぜそう動いたのか」「どんな身体の重心移動で音色が変わったのか」を分析的かつ感覚的に見ることで、観察そのものが練習に変わる。映像を一時停止し、繰り返し見ることで、身体の小さな動きの理由を理解する習慣をつけると、視覚学習が実践的な身体知へと転化する。要するに、プロの演奏を観ることは、脳の模倣機構を活性化し、表現感覚とモチベーションを同時に高める総合的な学習法である。音を聴くだけでなく、身体で「感じ取り」「共に動く」ことができたとき、映像は単なる教材ではなく、心と身体の両方を育てる最良の師となるだろう。そうした考えでこれからギターの演奏動画を内省的に数多く視聴していく。フローニンゲン:2025/10/19(日)06:43


17552. 今朝方の夢 

                         

今朝方は夢の中で、世界的に有名な日本の劇団員になるための試験を受けていた場面があった。その試験では、演技力だけではなく、体力、知力、人間性などを実に様々な課題を通じて測定され、試験だけを見ていると劇団員になるためのものとは想像できないような内容と量だった。全ての試験が終わって休憩していると、サッカー元日本代表のディフェンダーだったある方がやって来た。その方は今はかつて所属していたチームで役職についていると聞いていたが、どうやらその劇団のディレクターのような仕事も兼任しているようだった。その方に呼ばれたのは私以外にもう2人いて、「温水(ぬくみず)さん」と「湯水(ゆみず)さん」という。どちらも変わった名前で、かつ2人の演技も個性的だったので興味深かった。2人はとても穏やかな性格をしていて、かつ協調性もあり、試験のある科目で一緒に課題に取り組んでいるときに息が合っていたことをふと思い出した。私たち3人は個室に案内され、そのディレクターの方から机の上の紙を見るように指示を受けた。どうやら私たち3人は試験に合格して、晴れて劇団員になれたようだった。最初はそれをにわかに信じることができなかったが、徐々に実感が湧いてきてとても嬉しくなった。私はその方に今回何名合格したのかを尋ねた。すると、55人のうち合格したのはわずか5名とのことだった。私たち3人以外にもどうやらあと2名ほど合格しているようで、一体誰が合格したのか気になり、これまでの試験で見てきた人たちの顔を思い出しながら色々と想像した。合格後の手続きについて少し説明を受けたところで、今日から3食付きの劇団が所有している立派な寮で生活することになった。自分にとって演劇は新しい分野であるが、この取り組みを通じてまた新たな自己発見と自己成長があるだろうと想像し、とてもワクワクした気分になった。


この場面の続きとして、劇団員になってパソコンを使って演劇の動画の編集をしている場面があった。セミナールームのようなところで1人編集作業をしていると、中年の劇団員の方がやってきて、自分が使っているMacBook Airを少し見せてほしいと述べた。パソコンを渡すと、その方は何かキーを入力した。すると画面がこれまでよりも鮮明かつ大きく映り、こうすることで編集作業を含め、その他の作業も楽になると笑顔をで述べた。私はそのような機能があることを知らず、それを教えてくれたとても感謝した。フローニンゲン:2025/10/19(日)06:57


17553. 今朝方の夢の振り返り 

                   

今朝方の夢は、自分の内面における「新たな自己表現の可能性」と「成熟した共同性への移行」を象徴していると考えられる。夢の冒頭で描かれる「世界的に有名な劇団員になるための試験」は、人生のある段階において、自分がこれまでの枠組みを超えた新たな表現領域に踏み出そうとしている精神的プロセスの比喩である。演技力のみならず、体力・知力・人間性までを多面的に測る試験内容は、単なる技能評価ではなく「全人的な自己の統合」を求める課題を象徴している。つまりこれは、単一の能力ではなく、「知・情・意」の全てを調和させた人格的成熟を試されている状況を反映しているのである。試験後に登場する元サッカー日本代表のディフェンダーは、過去に培われた「守備的な自我」すなわち自己を守り、構造を維持する機能の象徴とみなせる。その人物が現在は「ディレクター」として劇団の創造的活動を指導しているという点は、かつて防御的であった心の構造が、今や自己表現や創造の方向へと転化していることを示唆している。守りから創造へというこの転換は、心理的成熟や自己統合の過程における重要な節目であり、個人の内的な指導者の出現として理解できる。一緒に合格した「温水さん」と「湯水さん」という名も象徴的である。「温」と「湯」はいずれも温かさと流動性を表し、「水」は感情や無意識の象徴として解釈される。彼らが穏やかで協調的であるという描写は、自分の中の柔軟で温かい感情的側面、あるいは他者との調和を重んじる自己部分が統合されつつあることを示している。3人がともに合格するという構図は、「知・情・意」または「思考・感情・行動」の三機能の統合を暗示しているとも考えられる。そして、55人中5人という狭き門を突破するという設定は、魂の進化的試練を象徴しており、数の象徴性から見ても「5」は人間の完全性やバランスを意味する。ゆえに、合格とは単なる達成ではなく、「全体性への通過儀礼」を表しているのだろう。合格後に与えられる「三食付きの寮での生活」は、物質的・精神的支援が整った新たな段階への移行を意味する。そこは外的な競争や不安から離れ、自己探求に集中できる「内なる修行場」としての象徴的空間である。自分が「演劇」という未知の分野にワクワクする感情を抱いている点は、これまで抑圧されていた創造性や表現欲求が、今まさに芽吹こうとしていることを示している。続く場面での「MacBook Airによる動画編集」は、「表現の再構成」あるいは「経験の編集」という内的作業を意味している。すなわち、過去の体験や記憶を新たな物語として統合し、自己理解の物語を再構築する行為である。中年の劇団員が登場し、画面を大きく、鮮明にする方法を教えてくれるという出来事は、人生の先達、あるいは自己の内なる成熟した部分が「より広い視野」「より明晰な洞察」をもたらすことの象徴である。画面が鮮明になるというイメージは、自分の世界観や自己理解が拡張される精神的転換点を暗示している。しかも、その助言が穏やかで笑顔を伴っていることは、成長が苦痛ではなく、自然で温かい指導の中で進んでいることを物語っている。全体を通じて、この夢は「自己の創造的再生」のプロセスを象徴している。防御的な自己(ディフェンダー)から創造的な自己(ディレクター)へ、個別的な能力評価から全人的な統合へ、そして曖昧な視野から明晰な洞察へという変容の連鎖が一貫して描かれている。夢の舞台が「劇団」であることも象徴的であり、人生そのものを舞台と見なし、自分がその演者であり、同時に演出家でもあるというメタ認知的な成熟の萌芽を示している。人生における意味として、この夢は「自己表現と他者との協働を通じて、新しい人生の章を演出せよ」というメッセージを含んでいる。自分はこれまで築いた専門性の枠を超え、より創造的で感情豊かな形で世界と関わろうとしている。劇団への合格は「内的な呼応」を通じた新たな役割の始まりであり、その舞台は現実の人生そのものである。フローニンゲン:2025/10/19(日)07:15


Today’s Letter

I’ve just stopped watching Netflix and instead started watching guitar videos on YouTube, which can serve as observational learning. This activates my mirror neurons and helps facilitate my guitar practice. Groningen, 10/19/2025

 
 
 

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