【フローニンゲンからの便り】17546-17550:2025年10月18日(土)
- yoheikatowwp
- 2025年10月20日
- 読了時間: 20分

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タイトル一覧
17546 | 今朝方の夢 |
17547 | 今朝方の夢の振り返り |
17548 | 第154回のゼミナールのクラスに向けての予習 |
17549 | 第154回のゼミナールのクラスに向けた5つの問い(その1) |
17550 | 第154回のゼミナールのクラスに向けた5つの問い(その2) |
17546. 今朝方の夢
今朝方は夢の中でイギリスの学術都市を散歩していた。どうやら自分はその街で暮らし始め、その街の象徴的な大学院に通っているようだった。まだ引っ越してきて間もないが、これまで色々な国で生活をしていることもあり、順応はとても速やかだった。イギリスは母語が英語なので、言語的な観点において全く問題なく、その点が順応を早めていた。その街で生活を始めてまだ日は浅いが、すっかり馴染んでいる自分は日々学術研究と音楽探究に明け暮れて充実していた。
この夢の後に見ていたのは、サッカー元日本代表のある方とサッカーの練習を1対1で行なっていた場面である。その方と自分は交友関係があり、その方の友人でもある別の元日本代表のフォワードの選手とも自分は交友関係があった。その方にそういえばその元フォワードの選手の最近の様子について尋ねたところ、偶然にも練習場に現れた。その人の顔を見ると、以前まで生やしていた無精髭が剃られていて、すっきりした顔になっていた。私たちはその点をユーモアを交えて少しいじると、その人は照れ笑いを浮かべた。そこから3人で楽しげな雰囲気の中でサッカーの練習を続けた。
最後に見ていた夢の場面は、倉庫が立ち並ぶ見慣れない場所が舞台になっていた。どうやらその敷地内に自分は1つ隠れ家的な部屋を借りているようだった。そこに行くと、高校時代の2人の友人がそこにいて、彼らに部屋を使ってもらっていたことを思い出した。彼ら2人が外に出て行く際に玄関口で少し立ち話をした。2階に上がってみると、即座に違和感を感じた。どうも煙臭く、何かと思って窓際に行くと、なんと自分の部屋の下の1階の誰かの倉庫から火の手が上がっていたのである。急いで1階に降りて脱出し、そして火を消そうとした。すると、小中高時代のある親友(NK)がホースを持って駆けつけてくれ、一緒にホースを通じて火を消すことにした。私たちは消防署にすでに連絡をしていたが、そのホースの水が幸いにも強力で、消防車が到着した時には無事に火を消すことができていた。火が消され、水浸しになった倉庫の中を覗くと、不思議と火が立っていた跡は残っておらず、あの火はどこから立ち上がっていたのだろうかと不思議に思った。いずれにせよ火を無事に消すことができ、その倉庫も自分の部屋も特に被害を受けずに済んだことに安堵した。フローニンゲン:2025/10/18(土)06:03
17547. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の内的発達過程が「知の深化」「情動の浄化」「関係性の再統合」という3つの局面を経ながら、新しい自己の位相へと移行していることを象徴している。夢の第一場面における「イギリスの学術都市」は、自己の内にある理性的かつ精神的な領域を象徴している。そこは知の秩序が支配する場所であり、同時に新しい思想や研究が芽吹く創造の場でもある。その都市にすでに馴染み、英語という媒介に何の障害も感じていないことは、言語的な制約を超えた「思考の自由」を獲得している状態を示す。英語とは単なる言語の象徴ではなく、「普遍知へのアクセス」であり、異文化間を横断しても自己の核心を失わない普遍的知性の獲得を意味している。自分が学術研究と音楽探究に明け暮れている姿は、論理と感性、左脳と右脳、思考と直観という両極のエネルギーが統合されつつある状態を表している。すなわち、知と芸術の合流点において新しい「創造的主体」としての自己が形を成し始めているのである。第二の場面で登場するサッカーの練習は、知的世界から身体的世界への移行を象徴する。学問の探究が「内的思索の動」に対応するならば、サッカーの練習は「外的実践の動」に対応する。ここで重要なのは、相手が「元日本代表」という象徴的な人物である点である。彼らは過去において社会的成功を収め、同時に自己の限界を知る人物である。彼らと共に汗を流し、軽やかにユーモアを交わすという構図は、自分が競争や評価といった社会的力動を内面で乗り越え、「自己表現の遊戯的側面」を再び取り戻していることを意味する。無精髭を剃り落とした友人の姿は、古い自己像を脱ぎ捨て、清新な「自己の顔」を見せることの比喩である。その笑いの交感は、純粋な生の歓び、つまり「成果」や「勝敗」を超えた共存の喜びの再発見を示している。ここでサッカーという円形のボールを介した運動が選ばれていることは、円環的な運動、すなわち「生成と再生の循環」を象徴しており、自分の人生が新たなリズムを取り戻していることを暗示する。最後の倉庫の場面は、無意識の深層、すなわち「潜在記憶の保管庫」の象徴である。そこに高校時代の友人たちが現れるのは、過去の自己との再会を意味している。かつての仲間は、未消化の情動や記憶の断片として倉庫に残っていたものの具現化である。その倉庫の下から火が上がるという出来事は、抑圧されていたエネルギー—とりわけ情動的・創造的な衝動—が再燃する瞬間を象徴している。火とは破壊であると同時に浄化の象徴であり、古い自己構造を燃やし尽くすことで、新しい自己が生まれるための契機を与える。そこに駆けつけた親友(NK)は、自己の中にある「信頼と勇気の原型的要素」を具現化した存在である。彼がホースを持って火を消すという行為は、自分の内なる意志が情動の暴走を制御し、創造的なエネルギーへと変換している過程を表している。水と火の対峙は、情動と理性、無意識と意識のバランスを取り戻す儀礼的場面として読み解ける。火が消えた後に跡が残っていないという描写は、葛藤が完全に昇華され、もはや自己を苦しめる痕跡を残さないことを示唆している。それは、心理的な「再生」すなわちカタルシスの到達点である。この夢全体は、自己の発達段階における「再統合」の局面を映している。知的・感性的・情動的エネルギーが、それぞれ独立した層として存在していた時期を経て、今まさに相互に呼応し始めている。イギリスの学術都市は知の成熟、サッカーの場面は生命的躍動、そして火災の倉庫は情動の浄化と再生を象徴する。これら3つの場面が順に現れることは、上位の発達段階へ向けた「自己システムの統合運動」を示していると言えるだろう。人生における意味として、この夢は「成熟とは統合の技術である」という洞察を伝えている。過去の情動、現在の探究、未来の創造が1つの流れとして再結合し、自分という器がより広く、深く、透明になっていく過程がここに示されている。すなわち、この夢は「知と情と行を統合する者としての自己誕生」の前兆であり、新しい人生の章を迎える準備が整ったことを告げる内的啓示なのである。フローニンゲン:2025/10/18(土)06:10
17548. 第154回のゼミナールのクラスに向けての予習
時刻は間もなく午前6時半を迎えようとしている。本来であればここからギターの朝練を始めるところだが、今日は午後に第154回のゼミナールのクラスがあるので、それに向けて少し予習をしておこうと思う。今日からザカリー・スタインとケイティ・ハイケネンの論文『Models, Metrics, and Measurement in Developmental Psychology』を扱っていく。今日の該当箇所は、発達心理学という学問領域がどのように「知識を生み出すか」というメタ理論的枠組みを描き出し、特に「モデル(model)」と「メトリック(metric)」という2つの核心的装置を区別・整理することで、心理学的知識の品質管理(quality control)をどのように確立すべきかを論じている。本節の中心的狙いは、発達心理学が単なる理論構築の学問ではなく、「測定可能な発達の科学」であるためには、理論と測定、すなわちモデルとメトリックの関係性を明確化し、その品質基準を体系的に定義する必要があるという主張にある。まず導入部では、著者は現代社会において心理的テクノロジー(psychological technologies)が市場化している現状を批判的に取り上げる。スパイラル・ダイナミクスやリーダーシップ開発プログラム、インテグラルライフプラクティスなど、多様な心理測定や発達診断の手法が氾濫しているが、その多くは科学的妥当性や信頼性に基づく品質管理の枠組みを欠いていると指摘する。著者の問題意識は、「どの心理学的測定技法を社会的に信頼できる知識と見なすべきか」という問いであり、これを精密に論じるために、発達心理学を「モデル」と「メトリック」という2つの装置に分解して分析する。彼らはまず、複数の学問領域(医学、社会学、経済学など)を比較しながら、各分野がそれぞれに対応するモデル・メトリック・テクノロジーを持つことを示す。例えば、医学ではバイオメトリックに基づく計測と疾病モデルがあり、それが医療技術に結びつく。発達心理学でも同様に、心理的メトリックと発達モデルが基盤となり、教育・臨床・人材開発といった「心理的テクノロジー」を可能にしている。ここで重要なのは、モデルとメトリックが単に並列的に存在するのではなく、相互に影響し合いながら知識生産の体系を形成しているという点である。次に、著者は発達心理学を構成する主要な概念群を「表象装置(representational devices)」という統一的な枠で説明する。表象装置とは、世界を直接そのまま把握するのではなく、世界をある観点から「見えるように」するために構築される理論的・方法的な道具である。哲学的にはこの概念はロールズの「原初状態(original position):社会的立場や能力などの違いをすべて知らない「無知のヴェール」の下で、人々が公正な社会原理を選ぶという思考実験上の公平な出発点」に由来し、社会的公正を思考実験として可視化するための知的装置という意味を持つ。発達心理学においても、モデルとメトリックはいずれも発達という抽象的現象を表象するための装置であり、現実そのものではなく、現実を理解するための媒介である。ここで著者は、モデルとメトリックをさらに細分化する。モデルには「記述的モデル(descriptive model)」と「説明的モデル(explanatory model)」がある。前者は経験的観察から得られる発達現象を整理し、発達段階や構造を理想化的(現実の個々の事例をそのまま描くのではなく、多様な観察データから共通構造を抽出し、発達の典型的・純化された形としてモデル化するという意味)に描写する(ピアジェの段階理論など)。後者は、それらの発達変化を生じさせる内的メカニズムを仮定し、理論的に説明する(ピアジェの同化・調節・平衡化(同化と調節の相互作用によって、認知構造がより安定で高度なバランス状態へと自己調整的に発達していく過程)のメカニズムが典型である)。一方メトリックには、「校正された測定(calibrated measure)」と「ソフト測定(soft measure)」の二種類がある。前者は計量心理学的基準に従い、信頼性や妥当性を統計的に検証した定量的尺度である(例:ロヴィンジャーの自我発達文章完成テスト、ドーソンのLectical Assessment System)。後者は質的判断を基礎とした柔軟な評価法であり、主に研究や教育的実践に用いられる(例:コールバーグのSISS)。さらに著者は、臨床的アセスメントをこれらの中間に位置づける。臨床家や教育者が経験に基づいて個人の発達を判断する行為は、モデルに依拠しつつも明示的な計測規則を持たないため、メトリックとは異なるが、発達判断という目的では共通している。したがって、モデル・メトリック・臨床判断はいずれも発達を「見るための装置」であり、その質を管理するための「品質管理装置(quality-control devices)」が必要になると著者は論じる。この品質管理を支える学問が「計量心理学(psychometrics)」である。計量心理学は計測の精度や正当性を検証する方法論を提供する学問であり、物理の計測学(metrology)に対応する。著者は、発達的メトリックの構築過程を「合理的再構成(rational reconstruction)」として理解する。すなわち、人間はもともと生活世界の中で他者の発達や成熟を直観的に判断する能力を持っており、発達測定とはこの直観的知識を理性の光の下で体系化し、明示的ルールとして再構築する営みである。これはハーバーマスの理論における「生活世界の構造を合理的に再構成する」作業と同型である。したがって、発達メトリックとは、私たちが暗黙裡に行っている発達判断を社会的・学術的に共有可能な形式に転換したものだと言える。この視点から、著者は発達メトリックの歴史的系譜をたどる。ピアジェが初めて臨床面接を通じて子どもの思考構造を体系的に分類し、発達段階を定義したことを「最初の発達メトリック」と位置づける。続いて、コールバーグが道徳的推論の段階を質的内容に基づいてスコア化したSISSを開発し、ロヴィンジャーが量的分析を導入してメトリックの校正を試みた。さらに、フィッシャー、コモンズ、ドーソンが「階層的複雑性モデル(Model of Hierarchical Complexity)」を提案し、発達の深層構造(分化・統合・抽象度)を基準に数量的に測定可能な尺度を確立した。これらの系譜を通じて、発達心理学は「内容中心の測定」から「構造中心の測定」へと進化したと著者は述べる。この進化の背景には、発達メトリックが単なる研究ツールではなく、教育・臨床・組織開発など実社会に応用される「心理的テクノロジー」として機能してきたことがある。しかし、その応用の広がりに対して、計量心理学的な厳密さ(すなわち妥当性と信頼性)の検証が十分でないことを著者は懸念する。特に、スパイラル・ダイナミクスやリーダーシップ開発に用いられる多くの発達指標が、科学的裏づけなしに利用されている現状を批判し、今後の研究者コミュニティが体系的な品質管理基準を導入する必要性を強調する。以上の議論を経て、著者は次の論点――すなわち、発達的メトリックの品質を保証するための「妥当性(validity)」と「信頼性(reliability)」という2つの計量心理学的基準――の検討へと進む。そこからは来週のクラスの内容となる。フローニンゲン:2025/10/18(土)06:42
17549. 第154回のゼミナールのクラスに向けた5つの問い(その1)
今日のクラスに向けていつものように5つほどの問いを受講生に共有した。今からまず理論的な3つの問いを見ていく。最初の問いは、「発達心理学における「モデル(model)」と「メトリック(metric)」の基本的な違いを説明してください。それぞれが果たす役割と、「心理的テクノロジー(psychological technologies)」との関係をどう理解すべきですか」というものだ。発達心理学において「モデル」とは、発達現象を理解・説明するための理論的な設計図であり、発達がどのように進行するか、あるいはどのような構造を持つかを示す枠組みである。例えばピアジェの発達段階理論やエリクソンの心理社会的発達理論などは、記述的モデルまたは説明的モデルの代表である。前者は現象を体系的に整理し、後者は発達を生じさせるメカニズムを推定する。したがってモデルとは、発達という複雑な現象を見取り図として把握するための理論的構成物である。一方、「メトリック」とは、心理的特性や発達の程度を測定するための装置、すなわちルール体系である。これは発話や文章などのパフォーマンスを分析し、どの段階の発達に位置づけられるかを定める手続きであり、発達の「どれくらい」を数量化する尺度である。典型例としてコールバーグの道徳発達段階テストやロヴィンジャーの文章完成テストが挙げられる。すなわち、モデルが理論的に「何を描くか」を決定し、メトリックが「どのように測るか」を決定する構造になっている。この2つが組み合わさるとき、教育・臨床・人材開発などの実践領域で利用可能な「心理的テクノロジー」が成立する。心理的テクノロジーとは、心理学的知識を応用的に活用する実践的道具群を指す。論文の著者は、モデルとメトリックが相互作用しつつ妥当性や信頼性などの品質管理を経ることで、実際に役立つ知識体系が形成されると論じている。2つ目の問いは、「論文の著者のスタインとハイケネンは、発達心理学のモデルとメトリックを「表象装置(representational devices)」として位置づけています。この概念をロールズの「原初状態(original position)」やハーバーマスの「合理的再構成(rational reconstruction)」と関連づけて説明してください」というものだ。スタインとハイケネンは、発達心理学におけるモデルとメトリックをともに「表象装置(representational devices)」と呼ぶ。表象装置とは、現実を直接扱うのではなく、特定の観点から理解可能にするために現実との間に配置される理論的解釈レンズである。社会科学においては、マックス・ウェーバーの理想型やダイナミックシステム論の数理モデルがこの概念に相当する。これらはいずれも、世界をある角度から「見えるように」整える構成物であり、現象そのものではないが、現象を解釈するための媒介として機能する。この考え方は、ジョン・ロールズの「原初状態(original position)」およびユルゲン・ハーバーマスの「合理的再構成(rational reconstruction)」という2つの哲学的概念と深く関係している。ロールズの原初状態は、社会的公正を考えるための思考実験上の装置であり、人間の偏見を取り除いて正義の原理を公平に検討するための装置である。彼にとってそれは「正義を見えるようにする」方法であった。同様に、発達心理学のモデルとメトリックも、発達現象を理解するために現実を整える知的装置なのである。ハーバーマスの合理的再構成は、人間が日常的に行っている暗黙の理解や相互行為の規則性を理性のもとで明示的に再構築する営みである。著者は、発達メトリックの構築をまさにこの合理的再構成として捉える。すなわち、人々が日常的に行っている「この人はどれくらい成熟しているか」といった直観的な発達判断を、明示的なルールに変換して測定可能な形式にすることである。ゆえに、表象装置とは「現実を見えるようにするための道具」であり、ロールズは規範的領域で、ハーバーマスは社会的理解の領域でその原理を示した。著者の議論はその延長線上に位置づけられる。3つ目の問いは、「スタインとハイケネンは、発達的メトリックの構築過程を「日常的な発達判断の合理的再構成(rational reconstruction)」と見なします。この立場を、(a) ピアジェの臨床法(clinical method)、(b) ハーバーマスの「生活世界(Lebenswelt)」概念、(c) ダイナミックスキル理論などの構造主義的発達観と比較し、理論的に評価してください」というものだ。著者が唱える「発達メトリックの構築とは日常的発達判断の合理的再構成である」という立場は、ピアジェの臨床法、ハーバーマスの生活世界概念、そしてフィッシャーのダイナミックスキル理論などの構造主義的発達観と整合的であり、相互補完的に理解することができる。まず、ピアジェの臨床法は、子どもの言語や行為に現れる構造的特徴を体系的に観察し、発達段階を分類する方法である。彼は研究者同士の相互了解をもとに、発達的に異なる思考様式を明示的に分類し、階層的なタクソノミーを構築した。これは、暗黙の発達判断を手続き化する営みであり、著者のいう合理的再構成と方法論的に同型であると言える。次に、ハーバーマスの生活世界という概念は、人々が社会的相互行為の中で共有する暗黙の規範や理解の枠組みを指す。著者は、メトリック構築をこの生活世界に埋め込まれた「差異的反応性(differential responsiveness)」の明示化とみなす。すなわち、人間が他者の成熟度や理解度に応じて無意識に調整する社会的判断を抽出し、測定の枠組みに転換することが、発達測定の本質である。したがって、メトリックは生活世界に根ざした経験的・社会的妥当性を持つ。さらに、フィッシャーのダイナミックスキル理論は、分化と統合、具体と抽象、単純と複雑といった深層構造の発達的指標を提示し、それに基づく階層的複雑性スコアリングシステム(HCSS)やレクティカル評価システム(LAS)を開発した。これらは発話内容に依存せず、構造的な特性そのものを尺度化している点で、直観的な発達判断を構造的・数量的に再構成する試みである。この立場の強みは三点ある。第一に、日常実践と科学的測定を接続する認識論的一貫性を持つこと。第二に、質的分類から量的校正へと進化する方法的柔軟性を備えること。第三に、状況や目的に応じてソフト測定と校正測定を適切に使い分ける原理的慎重さである。一方、限界として、再構成の出発点が文化や言語に依存しやすいこと、また非言語的行動を十分に取り込めないことが挙げられる。したがって、異文化的データや非言語的行動を対象とした再校正が今後の課題である。総じて、著者の立場は、発達心理学を単なる測定技法ではなく、生活世界に根ざす人間理解の合理的再構成として再定義するものであり、その理論的意義は大きいと言える。フローニンゲン:2025/10/18(土)07:04
17550. 第154回のゼミナールのクラスに向けた5つの問い(その2)
残りの2つの問いは実践的な内容である。4つ目の問いは、「あなたが教育現場やコーチングの場で発達段階を測定する立場にあるとします。「ソフト測定(soft measure)」と「校正された測定(calibrated measure)」のいずれを採用するかを判断する際、どのような基準や文脈的要因を考慮すべきでしょうか」というものだ。教育やコーチングの現場で発達段階を測定する場合、「ソフト測定」と「校正された測定」のいずれを採用するかは、目的・リスク・資源という3つの基準によって判断されるべきである。第一に、目的の厳密性である。個人の昇進、合否、または臨床介入の可否といった高い帰結を伴う決定を行う場合には、誤差が小さく微細な差を信頼して区別できる校正済み測定が必要である。逆に、理論的探究や集団傾向の把握、質的仮説生成が目的であれば、柔軟性の高いソフト測定が適している。第二に、計量心理学的根拠である。個人測定を行う場合には、少なくとも内部一貫性、構成概念妥当性、評定者間信頼性といった指標が定量的に示されていなければならない。これらの検証がなされていない場合、メトリックは研究目的に限定して用いるべきである。第三に、倫理と説明責任の観点が重要である。発達段階のラベル付与が個人の機会や自己概念に影響する場合、測定誤差の範囲、文化差、再評価の可否を明示しなければならない。測定がどれほど校正されていても、その運用が不適切であれば倫理的問題を生む。したがって、結果の扱い方に関するガバナンスを整える必要がある。第四に、現場資源の制約も判断要因となる。校正済み測定は訓練やコストが高いため、初期段階ではソフト測定でスクリーニングを行い、必要に応じて校正済み測定を用いるという段階的運用が現実的である。総じて、高リスクかつ個別判断が必要な場合には校正済み測定を、低リスクで探索的目的の場合にはソフト測定を用いることが妥当である。いずれの場合も、妥当性と信頼性のプロファイルを明示することが品質保証の前提となる。5つ目の問いは、「発達心理学的なメトリックの多くは言語的パフォーマンス(例:インタビュー回答や文章完成テスト)を基礎にしています。あなたが新たな発達メトリックを設計する場合、非言語的要素(身体的行動、感情的反応、社会的相互作用など)をどのように合理的に再構成(rational reconstruction)し、測定可能な形式に転換しますか」というものだ。発達心理学的メトリックの多くは言語的パフォーマンスに依存しているが、非言語的要素を測定に取り込むためには、それらを合理的再構成の手続きを経て測定可能な形式に変換する必要がある。そのための手順は大きく五段階に整理できる。第一に、対象となる行動の生活世界的規則性を抽出する段階である。現場観察や映像記録、専門家インタビューを通して、熟練者が無意識に行っている「発達の読み取り」の規則を言語化する。例えば、協働課題での役割交代の頻度や感情調整のタイミングなどが候補指標となる。第二に、抽出した規則性を観察可能な単位に操作化する段階である。身体的要素であれば視線シフトの遅延やジェスチャーの統合度、感情的要素であれば表情の回復時間や自己鎮静の手続き数、社会的要素であれば相手発話の再記述や統合の長さなどをコード化する。これらに段階的アンカー(例:0~4)を定義し、単純から複雑、分離から統合への発達的構造を反映させる。第三に、複数の評定者による試行的評価を行い、相互了解の反復を通じてコード定義を精緻化する。これにより、階層的なタクソノミーが形成され、ソフト測定として研究利用可能な形が得られる。第四に、量的校正の段階に進む。十分なサンプルデータを用いて、評定者間信頼性、内部一貫性、構成概念妥当性、基準関連妥当性を検証し、Rasch分析などによって段階間隔を推定する。これにより、個人差を精密に捉えられる校正済み測定へ移行することができる。第五に、文化的・言語的多様性への対応である。非言語行動は文化差が大きいため、複数文化間での等質性検証を行い、偏りのある指標を修正する。また、言語的データとの三角測量を行うことで外的妥当性を補強する。このように、非言語データを対象とする場合でも、「生活世界の規則性の抽出→コード化→分類→校正(測定器(検査ツール)の精度を確認・調整し、正確で信頼性の高い測定を保証すること)」という合理的再構成のプロセスを踏むことで、言語中心のメトリックと同等の構造的指標に基づく発達評価が可能となる。著者が述べる「コミュニケーション経験を測定データに変換する」という原理は、言語領域に限らず、身体的・情動的・社会的次元にも拡張しうる普遍的な方法論的洞察である。フローニンゲン:2025/10/18(土)07:16
Today’s Letter
Since I started playing the guitar, I’ve come to feel that the universe is made of music. Each moment is filled with musical notes. My pulse, sensations, feelings, perceptions, and words in every moment all contribute to the symphony of the world. Groningen, 10/18/2025

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