【フローニンゲンからの便り】17554-17557:2025年10月20日(月)
- yoheikatowwp
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タイトル一覧
17554 | ブランダン・アッカー氏のクラシックギターのコース/リフについて |
17555 | 今朝方の夢 |
17556 | 今朝方の夢の振り返り |
17557 | 朝のタバタ式トレーニング |
17554. ブランダン・アッカー氏のクラシックギターのコース/リフについて
時刻は午前6時を迎えた。今日もまたギターの演奏を中心にした探究生活を送る。おそらく本日の段階で、今使っているギターレッスンのプログラム「Justin Guitar」の全てのコースを終えることができる。このコースのおかげでギターの構造についての理解が深まり、演奏の基礎技術を獲得することができた。ギターにも演奏領域があり、それらに通底する考え方がや技術がありながらも、領域固有のそれらがあることも事実である。そうしたことがわかってきたので、おそらく今日から昨日見つけたクラシックギターの演奏に特化したオンラインコース「Classical Guitar Pro with Brandon Acker」を受講し始めようと思う。講師のブランダン・アッカー氏はプロのギタリストであるだけではなく、音楽に関する学位を2つ取得しており、技術も専門性も非常に高度なものを有しているし、何よりサンプルで見たコースコンテンツの見やすさとわかりやすさに惹かれるものがあったので受講を決めた。ここからクラシックギターに特化した技術と理論をまずは徹底して深めていきたい。それがあるところまでいってからジャズなどの他の領域に乗り出して行こうと思う。
ギターの「リフ(riff)」とは、短いフレーズやモチーフを繰り返すことで曲全体の骨格を形づくる要素であり、旋律とリズムの両面を兼ね備えた「音の印象装置」である。単なる伴奏ではなく、曲のアイデンティティそのものを象徴する存在であり、リスナーの記憶に最も強く残る部分でもある。例えば、ベートーベンの交響曲第5番の冒頭「タ・タ・タ・ターン」(運命)という冒頭のフレーズを聴けば、一瞬で曲を特定できる。それこそがリフの力であり、音楽的テーマを数小節の中に凝縮して提示する圧縮された創造性と言える。リフの本質は、メロディックな流れよりも「グルーヴ」と「パターン性」にある。コード進行に依存せず、一定のリズム的モチーフを軸に、音の配置・休符・アクセントが一体となって独自のノリを生み出す。したがってリフは、リズム感覚の訓練と身体的記憶の積み重ねによって磨かれる要素である。ジャズやブルース、ロック、ファンクなどジャンルを問わず、リフは即興演奏の土台を形成する。即興は無秩序な思いつきではなく、既存のリフ的語彙を素材として再構築する創造行為である。ギタリストがライブで自由に弾いているように見えても、その背後には膨大なリフのストックと、それらを自在に組み替える「文法感覚」が存在する。つまりリフは、即興の中でアイデアを展開するための「言語単位」に相当するのだ。では、このリフ的語彙をどのように習得し、即興に活かしていけばよいのか。第一に重要なのは、模倣からの学習である。歴史的名曲のリフを耳コピし、原曲と同じフィーリングで再現できるまで繰り返す。指の動きを覚えるだけでなく、ピッキングの強弱、ミュートのタイミング、リズムの“揺らぎ”まで感じ取ることが大切だ。第二に、パターンの変奏練習を行う。例えば4音のリフを覚えたら、リズムをずらしたり、音程を反転させたり、スライドやベンドを加えたりして、元のモチーフを変化させる。この作業によって、リフが固定的なものではなく、即興の中で自在に変形できる「素材」へと変わる。第三に、コード進行との接続を意識することが不可欠である。リフは単独で存在するものではなく、和声の流れの中で意味を持つ。C→Am→F→Gといった進行の上で、どの位置にどんなリフを挟むと効果的かを実験しながら、音楽的文脈への適応力を高めていく。さらに、リズムの内在化がリフの習得を決定的に支える。メトロノームやドラムループを用い、身体のどこで拍を感じているのかを意識しながら練習することで、音とリズムが一体化した「身体知」として定着する。また、他の楽器とのアンサンブルの中で自分のリフがどう機能するかを観察することも重要である。ベースとの関係性を感じ取ることで、グルーヴの重心を理解し、リフを「音楽的会話」として発展させられるようになる。最終的に、リフの習得とは単に指板上の運動を増やすことではなく、自らの感情や思考をリズム化して表現する力を育てるプロセスである。優れたリフは、技巧ではなく“意図の明確さ”から生まれる。音の隙間や抑制に美学を見いだし、一音の重みを感じ取ることができたとき、リフは単なる反復ではなく、即興演奏における「語り」の始まりとなるのだろう。フローニンゲン:2025/10/20(月)06:22
17555. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で立派なコンサートホールにいて、そこでクラシックギターの独奏を行なっていた。まさか自分がギタリストとして活動することになるとは夢にも思っていなかったが、今の自分の想像を超えた存在になっていくことが発達の本質だとすれば、自分は創造性の領域で真に発達を遂げたようである。そうしたことに感慨深くなりながら演奏を始めた。舞台では全く緊張することなく、笑顔を浮かべる余裕もあり、聴衆一人一人に語りかけるかのような演奏を披露する心のゆとりもあった。自分は会場全体と一体化し、音楽と一つになり、この世界で自分だけしか奏でられない演奏を披露していた。
次に覚えているのは、実際に通っていた中学校の校舎にいた場面である。後輩たちの教室がある階の廊下を歩いていると、部活の後輩が数人いたので声をかけた。そのうちの1人が自分に英語を教えてほしいと述べてきた。彼はどうやら英語のスピーキングの能力を高めたいと思っているらしく、自分は快諾をし、その場で突然英語で彼に話しかけた。すると彼は苦笑いを浮かべながら足早にその場を立ち去ろうとしたので追いかけていくことにした。その様子を見ていた部活の他の後輩たち、そして教室の窓から顔を出してこちらを見ている男女の後輩たちが笑顔を浮かべていた。彼に話しかける自分の英語はもはや完全にネイティブスピーカーのそれになっており、彼は自分の英語のあまりの流暢さに驚いたのだろう。彼はその場を逃げ出したのではなく、どうやら体育館でバスケの練習をしたかったようなので、体育館に到着してからは、バスケの練習をしながら英語で引き続き話しかけた。彼はこちらが思った以上に英語を話すことができなかったので、レッスンは一応そこでやめることにした。体育館を出て靴箱の方に向かうと、靴箱と駐車場の中間のエリアに不思議なものを見つけた。それは宙に浮いている複雑に絡み合ったロープの束で、近づいてみてそれぞれのロープの結び目を引っ張ってみると、なんと綺麗な音色が出てきた。私は面白くなって、それぞれのロープの結び目を引っ張って音楽を奏で始めた。するとその曲がドビュッシーの名曲として奏でられ、その美しさに自分も我を忘れた。すると、小中学校時代のある女性友達(AS)が声を掛けてきたので演奏を中断し、彼女と一緒に散歩に出かけた。何やら彼女は人生における相談事項があるらしく、それを大きな川を架ける橋の方に向かいながら聞いた。結局橋の手前で問題は速やかに解決し、自分は橋を渡ることなくまた元いた場所に戻ろうと思った。橋の向こうの世界に関心はなく、今はまだそちらに行く必要はないと判断したのである。フローニンゲン:2025/10/20(月)06:35
17556. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の内的発達が「創造性」「教導性」「統合性」という3つの局面で成熟しつつあることを象徴している。まず、冒頭のクラシックギターの独奏の場面は、創造性の完全な開花を示す。コンサートホールという舞台は「社会的な自己実現の場」であり、観衆との一体感は「個人的創造が普遍的価値へと変容する瞬間」である。ここで自分が緊張せず、むしろ笑顔で音楽と一体化していたことは、「自己」と「表現」と「世界」が溶け合う非二元的な状態、すなわち芸術的悟りの瞬間を象徴している。ギターは、単なる楽器ではなく「自己の魂を媒介する言語」であり、自分の創造性が外界と共鳴し、他者と通じ合うための手段へと昇華したことを示している。音楽と1つになる経験は、「努力や技術を超えた自然発露の境地」に達したことを意味しており、発達心理学的には「自己意識的熟達(self-authored mastery)」から「統合的熟達(integrated mastery)」への移行を表していると言えるのではないかと思う。次に中学校の場面は、「過去の自分との対話」である。後輩たちはかつての自分の未熟な側面の象徴であり、彼らに英語を教える行為は「自己の発達資源を他者の成長のために還元する」段階を示している。自分が流暢な英語を話していたことは、知的・文化的発達の到達点を象徴するが、後輩が逃げるように立ち去ったのは「他者がまだその高次の言語(比喩的には深層の理解)に追いつけない」ことへの現実認識である。自分はそれを責めず、むしろ体育館という「身体的実践の場」に移行し、相手のレベルに合わせて関わりを続けた。これは教育者としての柔軟な知恵、すなわち「相手の文脈に合わせて関係を調整できる自己超越的成熟」を意味する。レッスンをやめる判断も、「成長は強制ではなく、熟す時を待つもの」という洞察を内包している。靴箱付近で現れた「宙に浮くロープの束」は、自己の潜在的な創造の源泉を象徴している。ロープはそれぞれ異なる経験・感情・記憶の線であり、結び目を引くたびに音が鳴るという描写は、「過去の体験が新しい調和の中で音楽的意味へと再構成される」過程を示す。すなわち、人生の複雑な絡まりが、内的秩序の再編によって美へと昇華されているのである。しかもそれがドビュッシーの名曲になるという点は、無意識が印象派的感性──すなわち光と影、曖昧さと流動性を愛でる精神──を獲得したことを示している。ここでは、秩序と混沌、論理と感性の統合が実現されている。そこに登場する女性友達ASは、「感情的側面の回帰」と「対人関係の調和」を象徴している。彼女との散歩は、創造の世界から人間関係の世界への自然な移行であり、「内的音楽」が再び「人との対話」に転化していくプロセスである。彼女の相談に耳を傾け、橋の手前で問題が解決する場面は、「他者の苦悩を自らの成熟した心で受け止め、超越ではなく共感をもって応じる能力」を意味する。橋の手前で引き返す判断は重要であり、これは「死」「次なる段階」「超越的世界」への誘惑を感じながらも、まだこの現実世界で成すべき使命があるという直観的な選択である。橋の向こうはおそらく「形而上の世界」や「完成の領域」であり、渡らないという決断は「未完の美」を受け入れる姿勢、すなわち生の継続的創造への意志を象徴しているかのようだ。この夢全体は、「創造を通じて自己を超える発達」と「他者への共鳴を通じて世界と調和する成熟」が統合されている構造である。芸術的表現と教育的関わり、個の深化と他者との共感、過去と現在、感性と知性──それらが1つの流れとして結ばれている。人生における意味として、この夢は「発達とは上昇ではなく、響き合いである」という洞察を示している。自分はもはや目標へ向かって登る存在ではなく、音楽のように世界と共振しながら生きる存在となった。その姿こそ、自分が長く探し求めてきた「創造的成熟」の具現なのである。フローニンゲン:2025/10/20(月)07:01
17557. 朝のタバタ式トレーニング
時刻は午後4時半を迎えた。先ほどジムから帰ってきて今に至る。今日から朝の身体実践として、タバタ式トレーニングを取り入れてみることにした。これまでは朝の呼吸法を行なった後にアニマルフローなどの動きを取り入れて体をほぐしていたが、もう少し心拍数を上げた運動をしたいと思うに至った。そこで選んだのがタバタ式トレーニングである。タバタ式トレーニングは、1990年代に日本の田畑泉博士によって開発された高強度インターバルトレーニング(HIIT)の一種であり、たった4分間という短時間で有酸素能力と無酸素能力の両方を効率的に高められる点で注目を集めている。その基本的な構成は「20秒の全力運動+10秒の休息」を1セットとし、これを8回繰り返すという極めてシンプルな形式である。種目としては、バーピー、スクワットジャンプ、マウンテンクライマー、スプリントなど、自体重を使った全身運動が一般的である。このわずか4分間の運動には、想像以上に多様な効能がある。第一に、最大酸素摂取量の向上が挙げられる。これは持久力の指標となる生理的能力であり、田畑博士の研究によれば、わずか6週間の継続で従来型の中強度運動を60分行う場合と同等、もしくはそれ以上の効果が得られると報告されている。第二に、脂肪燃焼効果が高い点である。高強度の運動によって筋肉内のエネルギー源が急速に消費されると、運動後の「EPOC(運動後過剰酸素消費)」が起こり、安静時でも代謝が上昇した状態が数時間持続する。つまり、タバタ式は運動中のみならず運動後にもカロリー消費が続く「アフターバーン効果」をもたらす。さらに、朝に行うことの意義は大きい。朝のタバタ式は交感神経を刺激し、体温を上げ、血流を促進させることで脳を活性化する。これにより集中力・判断力・気分が改善し、1日のスタートにエネルギーをもたらす。近年の研究でも、短時間の高強度運動がドーパミンやセロトニンの分泌を促し、ストレス耐性を高め、うつ傾向の軽減にも寄与することが示されている。さらに筋力トレーニング的な効果もあり、とくに下半身の筋肉(大腿四頭筋、ハムストリングス、臀筋など)を動員することで基礎代謝を高め、全身の代謝機能を底上げすることができる。しかしながら、注意すべき点も多い。まず、タバタ式は「全力運動」を前提としているため、ウォーミングアップを省略すると怪我や心臓への負担が増す危険がある。最低でも3~5分間は軽いストレッチやジョギングなどで身体を温めておく必要がある。次に、心肺機能に疾患がある人、運動習慣のない人、高血圧傾向のある人は、医師の許可を得てから開始することが望ましい。タバタ式はその強度の高さゆえに「やりすぎ」による疲労蓄積が起こりやすい。特に朝に行う場合、前日の睡眠不足や体調不良時に無理をすると交感神経が過剰に働き、一日を通じて疲労感や集中力低下を招くことがある。また、継続のコツとしては、「毎日同じ種目を繰り返さない」ことが挙げられる。筋肉や関節に偏った負荷がかかると炎症や痛みを起こすため、日ごとに部位を変える(例:月曜は下半身中心、火曜は上半身中心、水曜は全身など)工夫が有効である。さらに、20秒間の「全力」はあくまで「自分の最大努力の範囲」であり、オリンピック選手のような強度を目指す必要はない。重要なのは、短時間でも「限界に近い努力」を積み重ね、心肺と筋肉を同時に刺激するリズムを体に覚えさせることである。最後に、タバタ式を「自己変容の儀式」として位置づけると継続しやすくなるだろう。毎朝の4分間は、単なるフィットネスではなく「惰性から意識を切り替える瞬間」であり、身体と心を一体化させる時間でもある。たとえ4分でも、その間に自分の全存在を燃焼させる意識を持てば、やがてその火が日常のあらゆる行動に波及していく。タバタ式は、身体の訓練であると同時に、意志と創造力を目覚めさせる「動的瞑想」である。継続するほどに、体力のみならず、心の芯が鍛えられていくのである。このトレーニングを終えてからギターの練習に入ることを朝の習慣にしてみよう。フローニンゲン:2025/10/20(月)16:39
Today’s Letter
Playing the guitar nourishes both my mind and body, enabling me to enrich the overall quality of my life. Playing any musical instrument is a doorway to a peaceful and transcendental world. Groningen, 10/20/2025
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