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【フローニンゲンからの便り】17479-17483:2025年10月5日(日)


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タイトル一覧

17479

三論宗への関心

17480

漢文の美しさに導かれて/今朝方の夢

17481

今朝方の夢の振り返り

17482

LASの妥当性を検証する営み(その1)

17483

LASの妥当性を検証する営み(その2)

17479. 三論宗への関心  

           

時刻は午前7時半を迎えた。朝の冷水シャワーはすっかり良き習慣となり、最初に温かいお湯に半身浴をしてそこから冷水シャワーを浴びることが日課になっている。それは早朝の楽しみでもあって、今そのおかげで体はポカポカしている。昨日は一日中雨が降る予定だったが、結局午前中に雨が止み、正午前には晴れ間が見えたのでジョギングに出かけることができた。ここ最近はもうUVインデックスが2までしか日中も上がらなくなり、1日のどこに外出しても日焼け止めを塗る必要がなくなっている。今日も小雨が降るようだが、晴れている時間帯を見てジョギングとウォーキングに出かけよう。


南都六宗に関心を持ち始め、それを構成している宗派について改めて調べていた。三論宗は、中国隋代に吉蔵(549–623)によって大成された大乗仏教の一宗であり、名前の通り根本典籍として『中論』(龍樹)、『十二門論』(龍樹)、『百論』(提婆)の3つの論書を依拠するために「三論」と呼ばれる。これら三論はいずれもインド大乗仏教の中観派の主要典籍であり、縁起の理に基づく「空」の思想を徹底して展開している。『中論』は二諦説を基盤にして一切法の空性を論証し、『十二門論』は縁起の道理を十二の観門から説き明かし、『百論』は有部的実在論に対して空性の理を論破する書である。吉蔵はこれらを注釈し、さらに『三論玄義』『二諦義』『大乗玄論』などを著して体系化した。三論宗の核心は「空即是有、有即是空」という中道思想にある。ここでの「空」とは単なる虚無ではなく、一切法が固定的な自性を持たないということを示す。そのため現象はすべて相対的・仮有的に成立するが、それは同時に空である。この「空仮不二」の立場は、存在と非存在の両辺をともに離れた「中道」を体現するものである。吉蔵はこれを「破邪顕正」と表現し、あらゆる執着的な見解を批判的に解体することで、真理への道が開かれると説いた。したがって三論宗はしばしば「破の宗」とも呼ばれ、執着を打ち破り、どのような立場にも固執しない徹底的な批判的思考を特徴とする。また、三論宗の思想的特徴として「二諦説」の深化が挙げられる。すなわち、世俗諦においては万象が仮に存在することを認め、勝義諦においてはそれらがすべて空であることを悟る。この二諦は対立するものではなく、相即相入の関係にある。吉蔵はこの二諦を巧みに説き分けることで、言語による分別と沈黙による超越の両面を行き来するダイナミックな哲学を展開した。さらに、吉蔵は「八不中道」(不生不滅・不断不常・不一不異・不来不去)を強調し、論理的矛盾に陥らない形で空性の真理を把握する道を示した。実践的側面においても、三論宗は他宗と異なる特色を持つ。空観を徹底することによって、あらゆる妄執を離れ、涅槃へと至る智慧を涵養する。特定の禅定や戒律の実践を重んじるというよりも、むしろ正しい智慧の理解そのものが解脱の核心であると位置づけられる。この点で三論宗は哲学的色彩が強く、思想的には中国仏教の後代に大きな影響を与えた。例えば、天台宗の智顗や華厳宗の法蔵らも三論の論理的枠組みを学び、それを自身の体系に吸収した。また、日本にも伝わり、奈良時代には聖徳太子が『勝鬘経義疏』において中観思想を援用し、さらに三論宗は南都六宗の1つとして日本仏教の初期形成に寄与した。総じて、三論宗の特徴は、第一に3つの論典を根本典籍とし、空の思想を徹底的に論証する点、第二にあらゆる立場を否定する批判的弁証法を駆使して中道を顕す点、第三に二諦説や八不中道を通じて言語的矛盾を超克する論理体系を整えた点にある。三論宗はその後独立した宗派としては衰退したが、思想的遺産は後の中国・日本仏教の哲学的基盤に深く刻まれ続けており、今日においても「一切法空」「空仮不二」という核心理念は、仏教思想の根幹をなすものとして学ばれ続けている。フローニンゲン:2025/10/5(日)07:52


17480. 漢文の美しさに導かれて/今朝方の夢 

 

イギリスの大学院で本格的に仏教研究をするにあたって、自分の仏教研究の主たる言語として古典中国語を選択した。もちろん研究の最中においては日本語の文献も参照していくため、日本語も活きてくる。これまで欧米で学術研究に従事している際には、それらの言語が活きることは一度もなく、全て英語を通じた知的活動に終始していた。ところが今回仏教研究をイギリスで行うことが実現されると、平素の教授たちとのコミュニケーションや論文執筆の際に用いる言語は英語であったとしても、向き合う文献の中に古典中国語や日本語のものが入ってくることは自分にとって初めてのことであり、それはとても楽しみである。古典中国語は、日本語の漢字に慣れ親しんでいる日本語話者としての自分としてはとても馴染み深く、古典中国語の読解力もまたカート・フィッシャーの理論で言うところの1つのスキル領域であり、いつから始めたのか正確には忘れたが、昨年の秋ごろから毎日少しずつ良遍の漢文文献と向き合い続けてきたことによって、その読解力は着実に向上している。おそらくサンスクリット語、パーリ語、チベット語などを仏教研究言語として選択する人たちにも共通していると思うのだが、その言語に美しさを感じるというのは重要なことなのではないかと思う。自分の場合、漢字にはなんとも言えない美的感覚を刺激される。1つの漢字は象形文字ゆえなのか絵画のようであり、多数の漢字が集まった全体もまた1つの絵画作品のように見えてくる。漢字が喚起する美的感覚に導かれる形で、今こうして漢文と毎日向き合い、それが気づけば自分の仏教研究言語の中核を成すところまで来ていることは不思議なことである。漢字がもたらす力の恩恵に授かりながら、まずは日本法相宗の研究をし、そこから華厳宗と三論宗へと探究を展開させていき、それら3つの宗派の思想体系を総合させる形で量子論哲学と架橋させていく。


今朝方は夢の中で、知り合いと一緒に勉強している場面があったのを覚えている。その場面の最後には、数学の難問が出題され、その瞬間に知り合いの数が増え、何人かで知恵を出し合ってその問題と向き合い始めた。その問題は文章題なのだが、実際には図形問題で、文章に与えられた条件から自ら手を動かして図形を作成する必要があった。それにすぐさま気づいた1人の知人が、ホワイトボードに図形を描き始め、それをもとに私たちは解答に向けて意見を出し合った。私はその問題で1つ気になっていたのは、やたらと条件設定が細かくされており、それらの要素を本当に全て使うのだろうかということだった。もしかしたら、与えられた条件の中に不要なものがあり、条件を取捨選択して問題を解いていく必要があるのではないかと思った。一旦ホワイトボードから離れ、少し建物の外を歩きながら問題を考えようと思った。フローニンゲン:2025/10/5(日)08:16


17481. 今朝方の夢の振り返り


今朝方の夢は、知識や理解の深化が「共同作業」と「選択的思考」を通して生まれることを示しているように思われる。冒頭において知人と共に勉強している場面は、学びが孤立した営みではなく、むしろ他者との関係の中で育まれるという認識を象徴している。さらに夢の途中で知り合いの数が増え、共に数学の難問へと向き合う展開は、困難な課題が現れたとき、自己のみに閉じるのではなく、集団の叡智を結集することによって初めて突破口が見出せるという心理的態度を映し出しているかのようだ。問題が文章題でありながら実際には図形問題であるという点は、人生の問いがしばしば表面的な言葉や状況の背後に「可視化」すべき深層構造を秘めていることを暗示している。すなわち、与えられた情報を文字通りに受け取るのではなく、そこから自らの手で形を描き出し、関係性を明確化することが不可欠なのである。このときホワイトボードに図形を描き始める人物は、抽象を具体へと転換し、複雑な情報を一望化する役割を担う象徴的存在として夢に現れていると解釈できる。また、条件がやたらと細かいことに気づき、それらをすべて使う必要があるのかという疑念を抱いた点は、自分の内面における「本質を見抜く力」の芽生えを示している。人生においても往々にして数多くの条件や情報が与えられるが、それらのすべてが解決に不可欠とは限らない。むしろ真に重要なものを選び取り、不要なものを切り捨てることこそが洞察の核心なのである。この夢が投げかける数学の難問とは、まさに「複雑さの中から本質を抽出する」という知恵の試練に他ならない。さらに一度ホワイトボードから離れ、建物の外を歩きながら問題を考えようとした場面は、課題解決において「距離を取ること」の重要性を示唆している。目の前の対象に没頭することは集中力を高めるが、同時に視野を狭める危険もある。外に出て風景を眺めながら熟考する行為は、呼吸を整え、新しい視点を得るための余白を生む営みとして現れている。つまり夢は、学びと人生において「集中と離脱」のリズムを意識的に取り入れることを促しているのである。この夢の構造全体を通して読み取れるのは、知の営みが単なる情報処理や演算ではなく、共同性と直観、取捨選択と俯瞰という複合的な力によって初めて成熟するという洞察である。人生において私たちは数多くの「文章題」のような状況に直面する。それらは一見すれば言葉や制度の表層に隠れているが、実際には背後に幾何学的な構造、すなわち関係の網の目を孕んでいる。その構造を可視化するには、時に仲間と意見を交わし、時に自ら距離を取って眺め直すことが必要となる。したがって、この夢が人生に示している意味は、複雑で不透明な問題に直面したとき、与えられた条件すべてを盲目的に追うのではなく、本質的なものを見極めて選び取り、それを他者との協働の中で形にしていく態度を育むべきだということである。人生とは、余計な条件に惑わされず、核心を描き出す図形のように明晰な構造を創り上げる過程であり、そのためにこそ他者とつながり、自らの思考に呼吸の余白を与えることが求められているのではないだろうか。フローニンゲン:2025/10/5(日)08:28


17482. LASの妥当性を検証する営み(その1)

      

昨日のゼミのクラスを終えて、ある受講生の方が大変興味深いコメントを投稿してくださった。それは、「Raschモデリングを使って他の発達理論と高い相関が示されたことは、LASが「発達的秩序(developmental ordering)」を共通に捉えている可能性を示唆するものではありますが、 LASが主張する「抽象度(abstraction)」や「複雑性(complexity)」という構成概念そのものを妥当に測定していることの直接的な証明にはなっていないのではないか」というものだ。この点に関して、そもそもRaschモデリングは単なる統計的な相関分析を超えて、構成概念の構造的妥当性(structural validity)を実証的に検証できる手法であることを押さえておく必要があるだろう。したがって、Raschモデルを用いたLAS(Lectical Assessment System)の分析は、LASが主張する「抽象度(abstraction)」や「複雑性(complexity)」といった理論的構成概念を、経験的データの上で直接的に確かめる手段の1つであると言える。そもそもRaschモデリングとは、被験者の能力(person ability)と項目の難易度(item difficulty)を同一の尺度上に配置するための統計的手法である。これにより、例えば「この課題を正確に処理できる人は、このレベルの認知的複雑性を持っている」といった発達構造上の連続性を可視化することができる。つまり、Raschモデルの適合分析を通じて、LASの理論が想定する発達順序――すなわち「より高次の抽象度・複雑性を扱う能力が段階的に発達していく」という階層的構造――が実際のデータにおいても再現されるかを検証できるのである。この点で、Raschモデルは単なる「他の発達指標との高い相関(convergent validity)」を示すだけでなく、LASの内部構造(hierarchical complexity)が経験的データとどの程度整合しているかを検証するための“直接的な妥当性検証の手立て”を提供していると言って良いだろう。もしRasch分析の結果、LASのタスクが抽象度や複雑性の理論的序列と一致した順序で並び、適合統計(infit/outfit)も良好であるならば、それはLASが理論的に想定している構造的秩序を経験的に再現できていることを意味する。このような結果は、LASが「発達の抽象度・複雑性を測定している」という主張を強く支持するものであり、いわばLASの構成概念が“現実のデータ空間でも正しく働いている”ことの証拠である。しかし一方で、注意すべきは、Raschモデルがあくまで「測定構造の整合性(measurement coherence)」を示すものであって、理論的構成概念そのものの本質的妥当性を保証するわけではないという点である。Raschモデルが教えてくれるのは、「データが理論的な階層構造に従って並んでいる」こと、つまり“定規の目盛りが等間隔で、順序が安定している”という事実である。しかし、それが「この定規は本当に抽象度という心理的構成を測っているのか」「あるいは単に言語的複雑さや文構造の長さを測っているだけではないのか」という問いに対する答えまでは与えない。ここには理論的妥当性の次元が残る。比喩的に言えば、Raschは「定規が真っすぐで目盛りが正確に刻まれているか」を確認してくれるが、その定規が「身長を測るためのものなのか、それとも知能を測るためのものなのか」までは保証しない。定規の構造的精度(等間隔性・不変性)は実証的に確かめられるが、定規が何を測るためのものかは理論的検討が必要なのである。したがって、Raschモデルの適合性が高いことは、LASの妥当性を“部分的に直接的に”証明していると言える。なぜなら、それはLASが想定する発達構造が実際にデータ上でも階層的秩序を保っていることを示すからである。しかし同時に、それは測定上の妥当性(structural validity)を保証するにとどまり、「LASが抽象度や複雑性という心理的構成概念そのものを的確に測っている」ことを最終的に証明するものではない。後者を証明するためには、理論的枠組み(例えば、階層的複雑性理論やダイナミックスキル理論など)との整合性、他の認知発達データとの交差的検証、さらには発達変化の縦断的追跡など、より多面的なエビデンスが必要となる。まとめれば、RaschモデリングはLASの妥当性検証において、「定規が理論どおりに機能している」ことを直接的に示す測定的証拠を提供するが、同時に「その定規が何を測っているか」という理論的解釈の正当性は別のレベルの検証によって補強されなければならない。言い換えれば、RaschはLASを「等間隔で安定した発達測定」に校正する強力な方法である一方で、その発達測定が何という次元(抽象度・複雑性)を測っているのかを最終的に確定するためには、理論的・経験的・発達的な裏づけが依然として不可欠なのである。フローニンゲン:2025/10/5(日)10:51


17483. LASの妥当性を検証する営み(その2)

        

それでは、LAS(Lectical Assessment System)の「理論的妥当性(construct validity)」はどのように担保されているのだろうか?LAS(Lectical Assessment System)は、単なるスコアリングの技術体系ではなく、「人間の認知構造がどのように複雑化していくのか」という理論的前提を持っている発達心理学的測定システムである。したがって、その妥当性を理解するためには、測定の信頼性や統計的整合性だけでなく、理論的妥当性(construct validity)、すなわち「LASは本当に“抽象度”や“複雑性”という構成概念を測っているのか」という根本的な問いに対する答えが必要となる。LASはこの理論的妥当性を、理論的基盤の明確化、構造的整合性の実証、発達的一貫性の検証という三層の枠組みを通して担保している。第一層の理論的基盤の明確化で言えば、LASの理論的妥当性の第一の柱は、その背後にある理論的基盤の明確さである。LASは「階層的複雑性理論(Theory of Hierarchical Complexity, HCT)」を中心に構築されており、この理論では「発達とは知識量の増加ではなく、複数の要素を同時に協応・統合できる能力の拡大である」と定義されている。この理論的定義は、発達を“内容(何を考えるか)”ではなく“構造(どのように考えるか)”としてとらえる点で特徴的である。すなわち、思考や推論の構造的複雑性――要素の同時処理数、関係の抽象度、原理的統合の広がり――を発達の中核的指標とする。このように「抽象度」「複雑性」という構成概念を厳密に定義することで、LASは測定の対象を曖昧な「能力」や「知識」ではなく、思考の構造的組織化そのものとして特定している。比喩的に言えば、LASは「成長とは単に知識という“積み木”を増やすことではなく、それらの積み木をより安定的で複雑な形に“組み上げる”力である」と定義しており、その積み方の構造を測定しようとしているのである。第二層は構造的整合性の実証である。LASの理論的妥当性の第二の柱は、理論で想定された階層的発達構造が、実際の言語パフォーマンスの中にどのように再現されているかを実証的に確認している点である。LASでは、被験者の回答を単なる内容分析ではなく、「構造分析」として扱う。つまり、回答の中に含まれる概念の関係性、文脈の統合の仕方、矛盾の処理方法などを詳細にコード化し、そこに現れる構造的関係性(coordination)の度合いをスコア化する。理論上、発達が進むにつれて人はより多くの要素を同時に扱い、それらをより高次の原理のもとに統合できるようになるとされる。LASの分析では、まさにそのような構造的変化が言語表現の中に現れることを実証的に確認している。例えば、低次の発達レベルでは「1つの視点や具体的事例」に基づいた説明が多いが、より高次の段階になると「複数の視点を関連づけ、抽象的な原理によって統合する」記述が見られる。この構造的変化の再現性こそが、LASの理論的妥当性を支える中核的根拠である。この意味でLASは、理論が想定する“抽象度の上昇”という構成概念を、言語という観察可能な形態の中に体系的に再現していると言える。理論上の階層的モデルが、実際のパフォーマンスの階層構造と高い一致を示すという事実は、LASが単なる印象評価ではなく、理論的構造を現実のデータにおいて再構築できる測定法であることを意味している。第三層は、発達的一貫性の検証である。LASの理論的妥当性の第三の柱は、発達的再現性(developmental ordering)である。LASのスコアは、年齢、教育水準、職業経験といった発達的要因に応じて一貫して上昇する傾向を示している。縦断的研究では、同一人物が時間の経過とともに上位のLASレベルへと移行する様子が確認され、横断的研究でも教育レベルや専門性の高い集団ほど高いスコアを示す。このような「発達の方向に沿った順序性」が安定して再現されることは、LASが測定している構成概念(抽象度・複雑性)が、実際に人間の発達過程において変化・成長する性質を持つことの強い証拠である。比喩的に言えば、LASのスコアは「知識の点数」ではなく「思考の高度(altitude)」を表しており、人が年齢や経験を重ねることで徐々に高い場所から世界を見渡せるようになる様子を数値化していると言える。この“発達の高さの連続性”がデータ上で一貫して現れることが、LASが測定している構成概念の発達的実在性を裏づけているのである。以上の三層を統合的にみると、LASの理論的妥当性は以下のように多層的に担保されていることがわかるだろう。第一に、「階層的複雑性理論」という明確な理論的枠組みによって測定対象が定義されていること(理論的基盤)。第二に、その理論で予測される構造的特徴が実際の言語パフォーマンスの中で再現されていること(構造的整合性)。第三に、その発達的順序が個人内・集団内の変化として時間軸上で一貫して確認されること(発達的一貫性)。これら三つの層が互いに支え合うことによって、LASは単なる心理測定ツールを超え、「理論に基づく実証的発達測定」としての地位を確立している。総じて、LASの理論的妥当性とは、「理論の明確さ」「構造の再現性」「発達の一貫性」という3つの次元の整合性によって保証されていると言える。RaschモデリングがLASの“定規としての正確さ”を検定する役割を果たすとすれば、これら三層の妥当性は、その定規が何を測るためのものなのか(理論)、どのように機能しているのか(構造)、それが時間とともにどのように発達していくのか(発達)を確かめる作業である。言い換えれば、LASは単に「発達の高さを測る定規」ではなく、その定規が理論的に正しく設計され(第一層)、実際の使用でも想定どおり機能し(第二層)、時間を通じて一貫した成長を描き出す(第三層)ことを実証的に確認した体系である。この三層が揃うことで、LASは「抽象度」や「複雑性」といった心理的構成概念を理論的にも経験的にも一貫して測定できる、現代発達心理学における数少ない“構成概念の整合モデル”として妥当性を担保しているのである。フローニンゲン:2025/10/5(日)10:50


Today’s Letter

Since I have been intrigued by the Hossō school for a long time, I have also become interested in the Kegon and Sanlun schools. Both schools would provide me with different insightful perspectives on how to perceive myself and reality. Groningen, 10/05/2025

 
 
 

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