【フローニンゲンからの便り】17389-17393:2025年9月14日(日)
- yoheikatowwp
- 2025年9月16日
- 読了時間: 13分

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タイトル一覧
17389 | 穏やかな時間感覚/IELTSの本番に向けて |
17390 | 今朝方の夢 |
17391 | 今朝方の夢の振り返り |
17392 | 真冬の朝の運動に向けて |
17393 | 量子ベイジアン主義に関する論考集『Phenomenology and QBism』 |
17389. 穏やかな時間感覚/IELTSの本番に向けて
時刻は午前6時半を迎えた。まだこの時間帯は辺りが薄暗い。遠くの空にようやく朝焼けがほのかに見え始めて来たところである。気がつけば9月も中旬を迎えようとしており、日の出の時間がますます遅くなっていることを感じる。日の出の正式な時刻は7時6分とのことである。ここから10月の最終週のサマータイム終了まで、日の出時間はますます遅くなり、日の入りの時刻はますます早くなるだろう。そうしたところにも秋の進展を感じる。気温に関してもそうである。今の気温は11度、今日の日中の最高気温は19度とのことである。個人的には今くらいの気温が一番過ごしやすいと言える。確かに季節は進展し、暦も進んでいるが、自分の内側の時間は安らかである。それはまるで静止しているようにさえ思えるぐらいである。時の相対性を思うとき、こうした内的時間感覚をより愛でていこうと思う。外側の時間の流れに左右されず、自分の内側の固有の時間を大切にしていくのである。おそらく本質的な発達というのは、それを通してしか成し得ないのかもしれない。
来週の今日はすでにIELTSの試験を終えている。来週の土曜日が2年ぶりのIELTSの試験の日であり、それに向けてもう準備はほぼ万端だと言える。今日からは最終調整に入っていく。もちろんまだ模擬試験を解いていくが、それは問題形式やタイムマネジメントを定着させる意味を持つ。Britsh CouncilのIELTS Ready Premiumの模擬試験は本番よりも難しく作られているようなので、一連の模擬試験の結果に一憂する必要はない。重要なことは、間違えた問題の原因をしっかりと分析することであり、形式と時間に慣れていくことである。昨日は本番に向けてもう1つ重要な実験をしておいた。細かな点だが、本番では途中でトイレ休憩の時間はなく、トイレに行くことはできるが、問題の時計は動いたままであり、大きく時間をロスする。そうしたこともあり、午後からのリスニング、リーディング、ライティングという3つのセクションの合計3時間強の間にトイレに行かないように訓練する必要があると思った。なので昨日は、本番と同じく時刻を基準にして、試験開始前の最後にトイレに行くであろう時間からシミレーションして、そこからどれだけトイレに行かないでいられるかを計測した。もちろんその間にも水分補給はしっかりしながら過ごしたところ、6時間ほどトイレに行かないで済んだので、本番でもトイレに関しては悩む必要はなく、試験中に適度に水分補給しながら脳をしっかりと働かせていきたいと思う。2年前の試験の際には、トイレに行きたくなるリスクを考えて、水分補給を最小限にしていたが、リーディングセクションの際に喉の渇きを感じ、それを感じる時にはもう脱水症状の初期と言われているぐらいなので、水分補給が足りなかったように思う。それでもなんとか頭は働いており、8.5のスコアを取得したが、逆に2つか3つのミスは水分補給が適切であったら防げたかもしれない。いずれにせよ、当日は朝にコーヒーなどを飲まず、いつも飲んでいる抹茶を水筒に入れ、本番で使う透明のボトルにはレモン蜂蜜ウォーターを作って持っていこうと思う。フローニンゲン:2025/9/14(日)07:01
17390. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、小中高時代のある女性友達と話をしていたのを覚えている。彼女と私は見慣れない教室にいて、3問の難しい論述問題と向き合っていた。難問だったことは確かだが、記憶を想起してよく考えると解答できるような良問であり、彼女と話し合いながら少しずつ文章を書いていった。そもそも自分は、それら全ての問題に対して、最初から自分なりの解答がある程度瞬時に閃いていた。そうした閃きはどこからやって来たのだろうかと考えてみると、常日頃の地道な学習の成果なのだと思った。
それ以外に覚えている場面としては、ゼミの受講生たちの投稿文章を一覧で見れるシステム上の画面を見ると、新しく3つほどそれぞれ違う受講生からコメントがなされており、それを読むことを楽しみにし、すぐには投稿を読まずに温めておくことにした場面があった。
今日の夢で覚えているのはそれくらいである。確かに他にも夢を見ていたことは確かであり、今その記憶を引っ張ってこようとしているが、なかなか思い出すことができない。ただし、なんとなくぼんやりと覚えているのは、屋外にいた場面があったことを覚えている。そこはキャンプ場のような場所で、周りには自然が豊かだった。豊かな自然に囲まれていると、自然と心が普段以上に穏やかになり、身体の内側から静かに湧き上がってくるエネルギーを感じていた。フローニンゲン:2025/9/14(日)07:13
17391. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の冒頭に現れたのは、小中高時代の女性友達との再会であり、見慣れぬ教室という舞台である。これは過去の人間関係と現在の学びが交錯する象徴であり、時間を超えて心の中で統合が進んでいることを示しているように思える。教室に置かれた「3問の難問」は、人生の試練や存在的問いを表している。難しいながらも「記憶を想起して考えれば解ける良問」であったという点は、人生における困難が決して無意味な障害ではなく、過去の経験や知識を糧として乗り越えることが可能であるというメッセージを示している。さらに、最初から自分なりの解答が瞬時に閃いていたことは、学びの成果が無意識の深層に蓄積され、それが必要な時に直観として立ち現れることを意味している。この「閃き」は天から降る稲妻のようでありながら、同時に長年の努力の結晶でもある。その二重性に気づくことは、自己の成長を信じる大きな支えとなる。女性友達と共に問題に取り組む姿は、孤立した知の探求ではなく、対話を通じた相互補完の重要性を示している。知は個に閉じこもると硬直しやすいが、他者との関わりを通じて流動し、磨かれていく。ここには学びの共同体としての意味が込められており、人生の問いに対しても他者の存在を媒介とすることでより深い洞察に至れることが示されている。次の場面では、ゼミの投稿システムを覗き、3つの新しいコメントが寄せられているのを発見する。しかしすぐには読まず、楽しみとして温めておく。この態度は、知をただ消費的に追い求めるのではなく、熟成させることの大切さを物語っている。知識や洞察は一瞬で消費されるものではなく、内面に時間をかけて浸透させることで血肉化する。夢の中での「待つ」姿勢は、現実においても自己の成長や他者からの刺激を焦らず迎え入れるための精神的余裕を象徴している。さらに、断片的に記憶された屋外の場面は、キャンプ場のような自然の中での体験であった。豊かな自然に囲まれると心が穏やかになり、内側から静かなエネルギーが湧き上がるという感覚は、人間の根源的な力が自然との一体感の中で再生されることを示している。都市的な知的活動と自然の抱擁が夢の中で交互に現れることは、精神の均衡を取る上で両者のバランスが不可欠であるという深い示唆を含んでいる。総じてこの夢は、知と直観の融合、他者との対話を通じた共同の学び、そして自然との一体感による内なる再生という3つの柱を象徴している。人生における意味として導き出されるのは、困難な問いに直面したとき、すでに内に宿る知恵と直観を信じ、他者との対話を通じてそれを磨きながら、自然との交感によって心身を調和させることが、より大きな自己の器を育む道であるということなのだろう。フローニンゲン:2025/9/14(日)07:26
17392. 真冬の朝の運動に向けて
時刻は午前10時15分を迎えた。つい今しがた、朝のジョギングとウォーキングから帰ってきた。今日は少し短距離走インターバルをしたくなったので、後半に3セットほどそれを行った。幸いにも今日は見事な秋晴れで、確かにすでに気温は低いが、走っているうちに体が暖かくなり、クールダウンを兼ねたウォーキングの箇所にやって来ると、そこは朝日が照っている場所なので、朝日を心地良く浴びることができた。これから日照時間に変化が見られ、太陽の高度も変わって来るので、朝日を存分に浴びれる最適な時間帯を探っていきたい。この時間はUVインデックスも1や2という極めて低い値なので、日焼け止めを塗らずに済むこともありがたい。
ここから寒さが厳しくなっても、真冬の朝に半袖・半ズボンで15分から20分ほどジョギングやウォーキングを楽しみたいと思う。その実践は、一見すると過酷な挑戦に見えるかもしれないが、実際には伝統的な寒風摩擦の効能と共通点を持つのではないかと思う。そこには運動特有の追加効果も付与される点で興味深い健康法である。まず寒冷な外気に肌をさらすと、交感神経が優位に働き、末梢血管が収縮して血流が一時的に抑制される。この反応は身体が環境に適応しようとする防御機能であり、寒風摩擦でも同様に確認される現象である。しかし、その後に運動によって筋肉活動が活発になると体温が上昇し、血管が拡張して副交感神経が働き始める。こうした「収縮と拡張のリズム」は自律神経のバランスを整える鍛錬となり、ストレス耐性を高め、冷え性や血行不良の改善に資するはずだ。寒風摩擦が皮膚表面を擦ることで局所的な血行促進を狙うのに対し、軽装でのジョギングやウォーキングは筋肉と循環系全体を巻き込むため、より包括的な効果を持つと言えるだろう。さらに、冷気に包まれた状態で体を動かすことは、代謝の活性化にも寄与する。寒さによって体はエネルギー消費を増大させようとするが、そこに運動を加えることで燃焼効果が倍加し、基礎代謝や脂肪燃焼効率が高まる。この点も寒風摩擦とは異なる運動特有の恩恵である。加えて、短時間の寒冷刺激と適度な運動の組み合わせは、白血球やナチュラルキラー細胞など免疫系の働きを高めるとされ、風邪や感染症の予防に一定の効果をもたらす可能性がある。伝統的に寒風摩擦が「風邪をひかなくなる」と言われてきたのは、皮膚刺激による免疫賦活が背景にあるが、運動を伴う場合にはその効果がより強力に現れることが期待できる。精神的側面に目を向ければ、冷たい空気の中で体を動かすことは爽快感をもたらし、頭を冴えさせる。寒さそのものが覚醒作用を持つ上、運動によってセロトニンやエンドルフィンといった神経伝達物質が分泌されるため、達成感や幸福感が得られやすい。これにより、朝の気分を高め、1日の始まりを力強く切り開くことができるだろう。寒風摩擦も精神修養的な要素を持っていたが、軽装での運動はその効果をさらに具体的かつ体感的にする点で現代的に応用された形と言える。ただし注意点も存在する。心臓病や高血圧など循環器系に疾患を持つ人、高齢者、寒冷刺激に慣れていない人が無理に行えば、急激な血圧上昇や心臓への負担を招く危険がある。特に冬の朝は血圧が上がりやすい時間帯でもあるため、無謀な挑戦は控えるべきである。安全に取り入れるためには、まず短時間から始め、徐々に身体を寒さに慣らしていくことが大切であり、軽装の度合いや運動の強度も少しずつ調整していくことが望ましい。また、終了後は必ず身体を温め直し、保温と水分補給を徹底することが推奨される。総じて言えば、真冬に半袖・半ズボンで行う短時間のジョギングやウォーキングは、寒風摩擦と同様に自律神経を鍛え、免疫を高める効能を持ちながら、運動特有の血流促進、代謝向上、精神的リフレッシュといった追加の恩恵をもたらす健康法の可能性がある。すなわちこれは寒風摩擦を単なる皮膚刺激にとどめず、全身運動と組み合わせることで一段と包括的な効果を発揮させる、現代的に発展した形態であると言えるのではないだろうか。ぜひこの冬はそれを試してみる。フローニンゲン:2025/9/14(日)10:21
17393. 量子ベイジアン主義に関する論考集『Phenomenology and QBism』
先日初読を終えた『Phenomenology and QBism: New Approaches to Quantum Mechanics』(フィリップ・ベルゴーファー&ハラルト・ウィルツェ編、2023年)は、量子力学の解釈の中でも特異な位置を占めるQBism(Quantum Bayesianism=量子ベイジアン主義)と、フッサール以来の伝統を持つ現象学との対話を試みた書物である。QBismは量子状態を「客観的な物理的実在の記述」とみなすのではなく、むしろ観測者が自らの経験を予測し、世界と関わる際に用いる「主観的信念の体系」と捉える。すなわち波動関数は観測者が未来の経験に対して抱く確率的期待を表現するにすぎず、量子理論は世界の写し鏡ではなく、観測者が世界と相互作用する際の道具だとするのである。一方、現象学は「意識に現れるものとしての現象」を探究の基盤に置き、主観と客観を分断する従来の実証主義的態度を批判してきた。その意味で、両者はともに「経験を第一とする」という共通の基調を持ち、量子物理学の解釈問題をめぐって自然に接点を持ちうる。本書の意義はまさに、この2つの潮流を架橋することにある。構成は大きく三部に分かれている。第一部「From QBism to Phenomenology」では、QBismの基本的枠組みを出発点として、それが現象学の語彙においていかに理解されうるかが検討される。クリストファー・ファウスはQBismの哲学的基盤を整理し、ルディガー・シャックはメルロ=ポンティの身体論との対話を通じて、観測行為が主体の身体性と不可分であることを示す。第二部「From Phenomenology to QBism」では逆に、現象学の視点からQBismを再評価する論考が並ぶ。ハンス・クリスチャン・フォン・ベイヤーは両者の「合流点」を探り、ミシェル・ビットボルはエコ現象学的な枠組みを援用し、量子物理学を「世界への参与」として再記述する試みを展開する。第三部「Supplementary Approaches」では、スティーブン・フレンチによる「参加者的リアリズム」の構想や、フィリップ・ゴーヤルの理論再構築、フローリアン・ボーゲによるカント的視点の導入など、多様な補完的アプローチが提示されている。本書の中でとりわけ注目すべき論点は「測定器を主体の身体の延長とみなす」というQBismの主張(Prolongation Thesis)である。観測装置は単なる外的対象ではなく、観測者の感覚器官を拡張するものであり、経験の世界の一部に統合される。この見方は、現象学が説く「身体性」や「知覚の地平」と深く響き合い、物理学における観察者の役割を改めて根本から問い直す契機を提供する。また、ジャック・ピネールは、QBismにおける確率的信念と現象学的な「意識に現れる現象」との対応関係を分析し、量子状態を客観的実体としてではなく「主体の経験的志向性」として解釈できることを明らかにしている。このように『Phenomenology and QBism』は、量子力学における観察者の位置づけを「経験」に基づいて再定義することを目的とする。従来の物理学が観測者を排除し、自然を客観的記述の対象とみなす傾向にあったのに対し、QBismと現象学の結合は、観測者と世界との相互作用そのものを科学の核心に据え直す。そしてそれは、量子理論を「世界の像」としてではなく「世界と交わるための方法」として理解する新しい視座を提供するのである。本書は、量子力学の哲学的基礎をめぐる議論に新風を吹き込み、同時に現象学が現代科学に果たしうる役割を改めて示す試みであり、科学哲学、現象学、量子論の交点に関心を持つ研究者にとって貴重な資源であると言えるだろう。フローニンゲン:2025/9/14(日)11:16
Today’s Letter
The morning sunshine caresses Groningen, and the folds of my existence slowly unwind. Groningen, 09/14/2025

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