【フローニンゲンからの便り】17325-17329:2025年9月3日(火)
- yoheikatowwp
- 9月5日
- 読了時間: 16分

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タイトル一覧
17325 | ロバート・キーガンの発達理論とエントロピー |
17326 | カート・フィッシャーの発達理論とエントロピー |
17327 | 今朝方の夢 |
17328 | 今朝方の夢の振り返り |
17329 | ジム・バゴットの『Quantum Space』 |
17325. ロバート・キーガンの発達理論とエントロピー
時刻は午前6時半を迎え、1羽の小鳥が囀りを上げている。フローニンゲンはすっかり秋に入った感じであり、日の出の時間も随分と遅くなってきた。今この時間になってようやく明るさを感じるぐらいである。今週末の日曜日は突発的に25度まで気温が上がるが、来週からは17度までしか気温が上がらない日が出てくる。それを見ていると本当に秋に入ったのだなと実感する。
先週末のゼミでの対話の内容を思い出している。ロバート・キーガンの発達理論は、人間が生涯を通じて「意味づけの構造」を変容させていくプロセスを描いている。その本質は、自己と世界の関係において「主体であったものを客体化する」ことであり、発達とは自己の構造がより複雑で柔軟な秩序を獲得していく過程である。このプロセスをエントロピーの観点から眺めると、興味深い二重の力学が浮かび上がる。すなわち、次の発達段階に移行する直前には「心理的エントロピー」の増大が生じ、移行後には「認知的・意味的秩序」の再編成によってエントロピーが縮小されるというダイナミックな往復運動である。まず、段階移行前に起こるのは既存の秩序の限界である。例えば第3段階(社会的同調的段階)の自己は、人間関係や周囲の規範との同一化を通じて自己を構築している。しかし環境が複雑化し、相矛盾する価値や役割に直面すると、その構造は不安定になる。何を優先すべきかが明確に決められなくなり、内的な混乱や葛藤が生じる。これは心理学的には「アイデンティティの揺らぎ」と呼ばれるが、熱力学的比喩で言えば「系のエントロピーの増大」に相当する。すなわち、自己内の秩序化された意味づけの仕組みが、外界の複雑性を受け止めきれず、情報的な乱雑さや不確実性が増大するのである。この段階の人間は、これまでのスキーマで処理できない過剰な情報にさらされ、あたかも閉じた系が外部からのエネルギー流入によって乱れを生じるように、心理的緊張と不整合を抱え込むことになる。次の段階への移行とは、この高エントロピー状態を乗り越え、新たな秩序原理を導入することに等しい。第4段階(自己著者的段階)に進むと、個人は外部の価値や関係に従属するのではなく、自らの内的原理に基づいて意味を構築できるようになる。ここで生じるのは、複雑化した外界に対応するための「高次の秩序化」であり、心理的エントロピーを縮小する作用である。すなわち、かつては解けなかった矛盾を、新たな観点から一貫した物語へとまとめ上げることで、乱雑な情報が再編成される。熱力学的に言えば、自己という開放系が外部からの情報エネルギーを吸収し、それを新しい秩序構造に変換することによって「局所的なエントロピーの減少」を実現するのである。しかしこの縮小は「全体のエントロピー減少」ではなく、むしろ「外界からのエントロピーの取り込みと内部での秩序形成」の結果である。発達のプロセスを繰り返すたびに、自己は一時的な混乱(エントロピーの増大)を経験し、その後により高度な秩序(エントロピーの縮小)を生み出す。この構造は、生命系が環境からエネルギーを取り込みつつ局所的な秩序を維持・進化させるプロセスと類似している。つまり、キーガン理論における発達移行をエントロピー論的に整理すると次のようになる。移行前には「意味づけの一貫性の崩壊」によって心理的エントロピーが増大し、個人は不確実性と葛藤の中に置かれる。その後、新しい構造(自己著者性や自己変容性)が成立すると、「内的意味世界の秩序化」が進み、心理的エントロピーが縮小される。この繰り返しこそが発達の推進力であり、人間は外界の複雑性を自己内に取り込みつつ、より高度な秩序を生成していく存在であると説明できる。要するに、キーガンの発達段階の移行は「乱雑さを一度許容し、それを超える秩序を新たに創出する」という動的平衡のプロセスである。ここで増大するのは「既存の意味枠組みでは処理できない情報的不確実性としてのエントロピー」であり、縮小されるのは「内的世界における秩序化された意味づけの不足としてのエントロピー」である。人間発達は、環境との相互作用を通じて、混乱と秩序、エントロピーの増大と縮小の往復運動を繰り返すことで推進されるのである。フローニンゲン:2025/9/3(水)06:52
17326. カート・フィッシャーの発達理論とエントロピー
カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論は、人間の発達を固定的な段階の連続としてではなく、文脈や課題に応じて変動する「スキルの構築過程」として捉える理論である。そこでは個人が環境との相互作用を通じてスキルを形成し、それを統合してより高次のスキルレベルへと至る動的なプロセスが強調される。この理論をエントロピーの観点から解釈すると、次のスキルレベルへ移行する直前には「パフォーマンスの揺らぎ」と「構造的混乱」が生じ、それが心理的・認知的なエントロピーの増大として理解できる。他方で移行が成功すると、より安定した統合的スキルが成立し、情報の秩序化が進むことでエントロピーが縮小される。この二重運動は、発達が「一度の乱雑さを通じて新たな秩序を生み出すプロセス」であることを端的に示している。まず、あるスキルレベルにおいて個人は既存のスキルを組み合わせ、課題に対応できる安定したパフォーマンスを示す。しかし新たに複雑な課題や環境が提示されると、その既存スキルの組み合わせだけでは十分に対応できなくなる。例えば、単純な因果関係を扱うスキルしか持たない段階の学習者が、多因子的な因果ネットワークを理解しなければならない状況に直面する場合である。この時、従来のスキル枠組みでは課題を処理しきれず、誤答や不安定なパフォーマンスが増える。これは「エラー率の増大」として観察されるが、エントロピー的に言えば「行動・認知の不確定性が増し、状態の多様性が拡散する」ことを意味する。すなわち、次のレベルへ進む直前には「認知的エントロピー」が増大するのである。この揺らぎの段階は、熱力学における「非平衡状態」に相当する。自己は環境から新しい情報を取り込み、それを処理しようとするが、既存の秩序が崩れ、パフォーマンスは一時的に不安定化する。ダイナミックスキル理論が強調する「変動の幅」こそが、このエントロピー増大の表れであり、変動がなければ新しい構造は生まれない。言い換えれば、発達とは必然的に「一度壊れること」を通じて起こるのである。次のスキルレベルへと移行するとは、この高エントロピー状態に秩序をもたらすことを意味する。個人は既存のスキルを新たに組み合わせ(複合化)、あるいは注意の焦点を転換し(焦点の転換)、相互連結を繰り返すことによって、より高次のスキルを構築する。この過程では、多様な可能性として拡散していた行動や思考のレパートリーが、新たな統合構造に収束する。結果として、課題遂行における一貫性と安定性が増し、エントロピーは縮小する。つまり、発達とは「一度拡散した不確実性を、より複雑かつ秩序だった形で再組織する」運動なのである。具体例を挙げれば、子どもが文章読解を学ぶ際、初期には単語ごとの意味を逐次的に理解するレベルで安定している。しかし文章全体の主題を把握する課題に直面すると、一時的に理解が不安定になり、誤解や混乱が増える。この段階で「認知的エントロピー」が増大する。その後、個々の文や段落の意味を統合するスキルを獲得すると、文章全体を一貫して理解できるようになり、不確実性は縮小する。すなわち、局所的な乱雑さの増大を経て、より大きな秩序へと収束するのである。要約すると、ダイナミックスキル理論に基づくスキル発達は、エントロピーの観点から次のように整理できる。移行前には「認知的エントロピー」の増大が生じ、行動や思考が不安定かつ揺らぎに満ちる。移行後には「統合的秩序」の成立によって不確実性が減少し、エントロピーが縮小する。ここで増大するのは「既存スキルでは処理できない情報負荷や多様な行動選択肢としてのエントロピー」であり、縮小されるのは「課題遂行における不安定性や意味統合の不足としてのエントロピー」である。発達とは、環境と自己の相互作用によって生成される開放系のダイナミクスであり、エントロピーの増大と縮小を繰り返しながら、より複雑で安定したスキル構造を築き上げる運動なのである。フローニンゲン:2025/9/3(水)06:59
17327. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、実際に通っていた高校の教室にいた。数学の先生のうちの1人が諸事情により急遽退職したらしく、その先生が受け持つ授業の時間になったが、誰も先生がやってこなかった。学校側からは自分が代役として講師をするようにお願いされ、自分はそれを快諾した。ところがその日に扱う内容は高校数学ではなく、大学数学であった。クラスの全員は自分の知り合いだったこともあり、突然の抜擢にも自分は動揺せず、むしろ大学数学を講義できることを楽しんだ。みんな自分が数学者ではないことは知っていたので、数学的な細かな話ではなく、与えられた問題の解き方を丁寧に解説することにした。クラスには数学に関して本当に初学者がいると思ったので、彼らを置いてけぼりにせず、基礎的なところから解説することにした。しばらく解説をした後に、練習問題を生徒のみんなに板書してもらおうとしたら、自分が問題を解くスペースが左端の隅っこにわずかばかりとなってしまい、幾分困った。小中高時代のある親友(NK)が右側から左側まで侵入するぐらいに解答欄を伸ばしてきたので、申し訳ないが彼の解答の左端を消させてもらい、もう少し小さなスペースで解答を書くことをお願いした。
次に覚えている場面は、見慣れない島々を移動している場面である。自分は宙に浮きながら移動していて、左側の道路を小中高時代の男女の2人の友人が自転車を漕いでいた。彼らと終始会話を楽しみながら移動をしており、向こうに見えた島に向けて速度を上げていこうということになり、自分は速度を上げるだけではなく、海の方に乗り出してショートカットしていくことにした。すると驚いたことに、2人もまた目には見えない道を自転車に乗って走り始め、一緒にショートカットすることができた。それを受けて私たちは突然脳内に流れてきた青春時代の流行歌を歌い始めた。まるでカラオケルームにいるかのように、私たちは歌を歌うことを楽しみ、大いに熱唱していた。
最後の場面として覚えているのは、現在協働中のある知人の方が自分に英語のライティングに関する挑戦をゲーム感覚で持ちかけてきたことである。どうやらその方は仕事を通じて英語のライティングを磨いたとのことで、一度自分と勝負することを通じてライティング力の伸びを確認したいとのことだった。これまでの自分の留学経験などからすると、自分の方が圧倒的に有利かと思ったが、試しに勝負をしてみることにした。ランダムで表示されたお題はとてもシンプルなもので、そのシンプルなお題に対して私たちはパソコン上でタイプするのではなく、古典的に手書きを通じて解答することにした。書き始めてみると、その方の文章の様子がチラリと目に入り、随分と良い感じの文章を書いていたので驚いた。これは自分も気合を入れて書いていかないといけないと思って書き始めたところ、場面が突然転換し、気づけば自分は見慣れない立派なホテルの中にいた。どうやら自分はその豪華なホテルに宿泊中のようで、その日が最終日の朝だった。ホテルの受付で、4つのレストランのうち、今日はどのレストランで朝食を摂るかを伝えた。最後の朝に選んだのは、1階の和食のブュッフェ形式のレストランだった。朝からしっかりと栄養を取って、英気を養おうと思っていたところ、ふと父方の祖母が父にかつて伝えた人生訓が聞こえてきた。それらは自分がこれから人生を生きていく上でも重要な教えが詰まっており、話を聞いた後しばらく回想してからレストランに向かった。フローニンゲン:2025/9/3(水)07:32
17328. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の第一場面において、自分は高校時代の教室に呼び戻されている。かつての数学教師が急遽退職し、その空白を埋める存在として自らが抜擢されるという状況は、外部の権威が退場し、自身が新たな権威として立ち上がることを象徴している。しかも題材は高校数学ではなく大学数学であり、これは「想定外の高度な課題」が与えられたことを意味するが、自分はそれを楽しんで引き受けている。ここには自己の中で眠っていた能力や知恵が、他者からの要請によって顕在化する構造が表れているのである。また、知人ばかりのクラスにおいて、専門的な厳密さではなく初学者を見捨てない姿勢で講じている点は、知の伝達を「権威の誇示」ではなく「共感と配慮」に基づいて行おうとする成熟した自己像を映している。さらに、親友NKが解答欄を広く占めたことに対して、自分は空間を譲りながらも秩序を取り戻す介入を行った。これは、人間関係において相手の自由を尊重しながらも自己の立場を確保する調整能力の象徴である。次の場面では、舞台が教室から「見知らぬ島々」へと移行する。そこでは身体を超え、宙に浮きながら移動するという「解放された自己」が登場する。2人の旧友と共に見えない道を走り抜ける光景は、過去の人間関係が現在の自分の旅を支えていることを意味している。目に見えぬ道を発見し、自転車という現実的な手段が非現実的に海を渡るという融合は、現実と想像、制約と自由の境界を越える創造力の象徴である。そして青春の歌を共に熱唱することは、内面的な若さの回復と共同体感覚の歓喜を表現している。夢の中で「歌」は言葉を超えた共鳴の象徴であり、この場面は「友情を伴った自由な飛翔」が心の奥底にあることを示している。三番目の場面は、協働者とのライティング対決である。自分は優位であると予想したが、実際には相手も優れた文章力を示した。この経験は「自分の能力に対する再評価」と「他者から学ぶ謙虚さ」を暗示している。そして、手書きで文章を書くという古典的な形式が強調されている点は、技術的効率よりも根源的な表現力を重んじる姿勢を表している。その後、舞台が突如として豪華なホテルへと転換する。ホテルは人生の一時的な宿りを象徴し、最終日の朝という時間設定は「ある段階の完成と次なる旅立ち」を暗示している。4つのレストランから和食を選ぶという選択は、文化的な根源や身体的な滋養に立ち戻ろうとする無意識の傾向を示している。そして祖母の人生訓が父を通じて伝わるという構造は、「先祖からの智慧が血脈を通じて受け継がれ、自らの生の指針となる」という深層的な連続性を象徴している。これら一連の夢は、学びと教え、飛翔と友愛、挑戦と伝統という三重のテーマを織り込みながら、自分の人生における移行期を示している。すなわち、過去の学び舎に回帰しながらも、新たな課題を担う自己が形成されていること、仲間と共に未知の地平を切り開く力を持っていること、そして先祖の智慧を取り込みながら未来へ進むことができることが示されている。人生においてこの夢が告げているのは、自己の力を信じ、他者と共に歩み、過去と未来を統合する勇気を持て、ということなのだろう。フローニンゲン:2025/9/3(水)07:46
17329. ジム・バゴットの『Quantum Space』
今日は幾分風が強い。今日のIETLS対策のノルマを終えたので、これから執筆記事の原稿の加筆修正をしたい。昨日、ジム・バゴットの『Quantum Space: Loop Quantum Gravity and the Search for the Structure of Space, Time, and the Universe』という書籍に目を通していた。本書は、現代物理学の最前線にある「ループ量子重力理論(Loop Quantum Gravity, LQG)」を一般読者にも理解できるよう平易に解説した著作である。通常、量子重力理論と言えば、弦理論のような壮大かつ数学的に難解な理論が注目されがちであるが、本書は弦理論とは異なるもう1つの有力なアプローチとして、空間と時間の根本的な性質を再考するLQGの思想的枠組みを前面に押し出している。バゴットは科学ジャーナリストとして、複雑な理論を単なる比喩に還元せず、歴史的背景と哲学的含意を織り交ぜながら精密に描き出すことを得意とする。本書においてもその手腕は遺憾なく発揮されている。ブライアン・グリーンと共に個人的に敬意を表している著者である。ループ量子重力の根本的な主張は、空間と時間は連続体ではなく、量子化された「離散的構造」を持つというものである。すなわち、古典的な相対論が描くなめらかな時空の布は、実際には微視的スケールでは「量子スピンネットワーク」と呼ばれる格子状の構造に分解される。この考え方に基づけば、ブラックホールの特異点やビッグバンの始まりといった「無限大」に突き当たる問題が回避され、宇宙は有限でありながらも循環的・量子的な性質を持つ可能性が示される。バゴットは、これを単なる数式の遊戯としてではなく、現実そのものの基盤を探る大胆な挑戦として提示する。本書ではまず、アインシュタインの一般相対性理論と量子力学の統合がなぜ必要なのかを丁寧に解説する。相対論が重力を時空の幾何学として描き出した一方で、量子力学は物質とエネルギーの振る舞いを確率的な枠組みで理解している。しかし両者を同時に扱おうとすると深刻な矛盾が生じる。特にブラックホールの情報問題や宇宙初期の状態を説明する際、既存の理論は破綻してしまう。弦理論は追加次元や超対称性を導入することでこれを乗り越えようとしたが、実証性の乏しさが批判されている。それに対し、ループ量子重力は現実的に観測可能な宇宙像により近いところから理論を構築しようとする立場を取る。バゴットは、ループ量子重力の技術的核心である「スピンネットワーク」や「スピンフォーム」の概念を、数式に頼らずイメージ豊かに説明する。スピンネットワークは、空間そのものが量子状態のネットワークとして存在するという構図であり、空間の最小単位には「体積」や「面積」が量子化されて備わっている。これにより、従来の「時空は連続的な舞台である」というニュートン以来の直観は根底から覆される。また、時間も絶対的な流れではなく、ネットワークの遷移として理解されるため、「時間の消失」という哲学的に挑発的な主題も浮かび上がる。本書はこうした理論的含意を単なる科学の話題にとどめず、人間の世界観の変容に直結する問いとして提示している。さらにバゴットは、ループ量子重力がもたらす宇宙論的示唆についても触れている。例えば、ビッグバン以前に「ビッグバウンス」と呼ばれる収縮宇宙が存在した可能性や、ブラックホール内部で生じるはずの特異点が回避される可能性などである。これらはまだ観測的に確証されたわけではないが、理論としては極めて魅力的であり、従来の宇宙論に新たな展望を与えるものである。また、量子重力理論が完成すれば、物理学が追い求めてきた「究極理論(Theory of Everything)」への扉が開かれるのではないかという期待も漂っている。総じて『Quantum Space』は、単に科学的理論を解説するだけでなく、読者に「空間とは何か、時間とは何か」という根本的な哲学的問いを投げかける書物である。バゴットの筆致は、科学と哲学、事実と意味の両方を架橋するものであり、ループ量子重力という専門的な理論を、宇宙の理解そのものを刷新する試みとして生き生きと描き出す。本書を読むことは、物理学の最新のフロンティアに触れると同時に、私たち自身が生きる現実世界の在り方を新たに考え直す契機となるのである。フローニンゲン:2025/9/3(水)15:01
Today’s Letter
The wind follows the direction of the universe, and I follow wherever it leads. Groningen, 09/03/2025
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