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【フローニンゲンからの便り】17315-17318:2025年9月1日(日)


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タイトル一覧

17315

ブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙』に感銘を受けて

17316

今朝方の夢

17317

今朝方の夢の振り返り

17318

ブラックホールの特異点で起こっていることに関心を寄せて

17315. ブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙』に感銘を受けて   

                     

時刻は午前7時半を迎えた。今日からまた新たな週を迎え、気持ちを新たに今週もまた充実した日々を過ごしたい。今は少し雨が降っていて、どうやら午前中一杯は小雨が降るようだ。幸いにも午後からは雨は止むようなので、午後にはジムで十分に体を動かすことが楽しみである。


昨日、ブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙(The Elegant Universe)』に目を通した。本書は、現代物理学の二大柱であるアインシュタインの相対性理論と量子力学の対立関係を背景に、両者を統合する理論的枠組みとしての「超ひも理論」を一般読者にも理解できるよう解説した著作である。グリーンはコロンビア大学の理論物理学者であり、専門的な数学や物理式を多用せず、比喩とイメージを駆使して宇宙論の最先端を描き出している。本書の魅力は、抽象的かつ難解な理論を「物語」として語り直す点にあり、その筆致は科学解説書であると同時に哲学的思索書としての響きも持っている。その点に自分はとても感銘を受けている。まず本書の前半では、相対性理論と量子力学の基礎が分かりやすく説明される。アインシュタインが提唱した特殊相対性理論は、時間と空間が絶対的なものではなく、光速という普遍的な基準に従って相対的に変化することを示した。そして一般相対性理論は、重力を「時空の曲がり」として表現することで、宇宙の大規模構造を見事に説明することに成功した。一方で、量子力学は原子や素粒子といった極小の世界を支配する理論であり、不確定性原理や波動関数といった概念を通じて、確率的かつ非直観的な振る舞いを記述する。しかし、この2つの理論は互いに強力であるがゆえに両立しない。ブラックホールや宇宙の始まりのように、極大と極小が同時に関わる現象を説明するには統一理論が不可欠であり、それこそが超ひも理論の登場する文脈なのである。グリーンは超ひも理論を「点状の粒子ではなく、一次元的な弦が基本単位として振動する」という直観的なイメージで紹介する。これらの「ひも」はプランク長さという極小のスケールで存在し、その振動の仕方によって電子やクォークといった素粒子が決まる。すなわち、世界の多様な粒子は同じひもが奏でる異なる「音色」にすぎないというのである。この比喩的説明によって、読者は自然界の複雑性の背後に「音楽的調和」とも呼べる統一のビジョンを感じ取ることができる。さらに、超ひも理論は私たちの知覚する三次元空間に加えて、余剰次元の存在を要請する。グリーンは、この追加次元が非常に小さく折り畳まれているため、私たちの感覚では直接検知できないと説明する。この「カラビ・ヤウ多様体」と呼ばれる複雑な幾何学的構造の中に、物理法則の多様性が織り込まれているという視点は、宇宙の奥底に潜むエレガンスを体感させる。本書はまた、超ひも理論を取り巻く学問的・哲学的論争にも言及する。理論は数学的に美しいが、実験的検証が極めて難しいため、真の科学理論として受け入れられるには困難を伴う。グリーンは批判を隠さず、理論が持つ限界と可能性を誠実に描く。この姿勢は、科学が単なる成果の列挙ではなく、試行錯誤と希望の物語であることを強調している。総じて『エレガントな宇宙』は、宇宙の基本構造を探究する人類の知的冒険を、読者に開かれた形で提示した書である。相対性理論の壮大さ、量子論の奇妙さ、そして超ひも理論の統合的ビジョンを通じて、物理学が単なる学問を超えて「存在とは何か」という根源的問いに触れる営みであることを示している。人生にとって本書の意味は、宇宙の仕組みを理解しようとすることが、世界の美と調和を見出す行為であることを教えてくれる点にある。すなわち、「エレガントな宇宙」とは科学的事実であると同時に、人間精神の憧憬そのものを映し出す比喩なのである。フローニンゲン:2025/9/1(月)07:49


17316. 今朝方の夢

     

今朝方の夢は次のような三部構成になっていた。第一幕では、前職時代のオフィスにいた。自分のブースでしばらく働いていると、不思議なことにオフィスにいたその他の人たちが一斉に帰宅した。どうやらその日は会社が全社員に推奨している早く帰る日のようだった。自分は少し残って仕事をすることにしたところ、気がつけば翌日を迎えていた。徹夜をしていたわけではなく、時が一瞬で進んだのである。翌日、先輩の社員が外国人の部下を連れて自分のところにやって来て、今日報告予定の資料について遠回しに言及した。それを受けて私はハッとして、そう言えばその資料の提出は今日が締め切りだったことを思い出した。確か資料は無事に作り終えていたはずなので、それをすぐに取り出して先輩に見せようと思った。資料を探している間に先輩を待たせるのは申し訳なく思ったので、先輩には一旦席に戻ってもらうことにした。慌てて資料を探しながら、つくづく自分は組織で働くことには向いていないなと思った。


第二幕は、見慣れないグラウンドが舞台だった。そこで私は高校時代のサッカー部の副キャプテンの友人と顔の見えない2人の男性と一緒に2対2の練習を始めた。有り難いことにキーパーを務めてくれている人が別にいて、私たちは2対2に専念することができた。友人と私のコンビネーションはピッタリ息が合っているとは言えないが、徐々に精度が増している実感があった。自分のパスがずれても彼が技術でカバーしてくれたりしていたので、2対2は常にこちらが有利な形で進んでいた。すると突然、自分は見慣れない街の郊外にいて、リフティングを巧みにしながら歩いていた。先ほど友人とも、サッカーの統計データの中でリフティングが最も重要な練習項目であるという発見事項に触れており、その影響もあってリフティングをしていたのだろう。ボールが足から離れない見事なリフティングだと自分でも自画自賛するほどであり、楽しくリフティングをして歩いていると、大きな川を架ける橋の前にやって来た。橋は雪が積もっており、足場が悪く、橋を渡っていくか引き返すか、あるいはリフティングをしながら空を飛んで移動するかを考えた。一旦少し戻ってみようとした時に、小中高時代の先輩に会い、先輩もどうやら来た道を引き返すようだったので一緒に歩きながら話をすることにした。


第三幕は、見慣れない数階建ての建物の2階にいて、そこで高校時代のある友人(KY)に似た見知らぬ男性と話をしていた。その男性も私も今からIELTSの試験を受けることになっていた。彼はどうやら東京と大阪出身らしいのだが、今は熊本で生活しているとのことだった。今日の試験に向けて、熊本にはIETLSの対策スクールがないので、東京にある有名なスクールに通い、そこで一流講師の講義を受けて今日に至ると自慢気に話していた。私は自分の前回のスコアを開示することはなく、彼の自慢話に耳を傾け続けていた。しかし、彼の話を聞いているのが時間の無駄に思われて来たので彼とはそこで別れることにし、自分も最後の確認と心を落ち着かせる形で試験に臨むことにした。フローニンゲン:2025/9/1(月)08:06


17317. 今朝方の夢の振り返り

                 

今朝方の夢の構造は三幕の劇のように展開しており、それぞれが異なる舞台を背景にしながらも、共通して「自らの適性」「仲間との協働」「自己の道を切り開く試練」という主題を響かせているのである。第一幕は前職のオフィスに舞台を置き、同僚が一斉に帰る中、1人仕事を続ける姿が描かれている。ここには「時間の飛躍」という不思議な出来事が介在し、まるで自己が組織的リズムから取り残されるかのような感覚が映し出されている。資料を探しながら「自分は組織に向いていない」と痛感する場面は、夢の自己が外部から与えられた枠組みに不調和を覚える内的自覚を象徴している。言い換えれば、他者の定めたテンポや要求に追随することへの違和感がここでは強調されており、人生における主体的な時間感覚の模索が第一幕の要であると解釈できる。第二幕では舞台がグラウンドへと移り、サッカーという身体性と協働の象徴が登場する。顔の見えない2人の相手は匿名化された社会的他者の象徴であり、対して副キャプテンの友人はかつての「信頼できる仲間」を具現化している。コンビネーションの不完全さが次第に改善される様子は、人間関係における学習と調整の可能性を示している。さらにリフティングの場面は自己の技量とリズムを自ら確認しながら歩む姿の寓話的表現であり、統計データに基づく合理的認識と身体感覚の融合がここに表れている。雪の橋は進むか退くかという岐路の象徴であり、空を飛ぶという発想は常識を超えた創造的な移動手段を暗示している。そこで先輩と出会い、ともに引き返すことを選ぶのは、人生において時に前進よりも撤退や回帰が意味を持つことを告げているのである。第二幕は「協働と自己鍛錬」「進路選択の葛藤」を映し出しており、夢の主体が現実の選択に対して多元的な可能性を見出そうとする姿が描かれている。第三幕は試験会場という「評価と選別」の場を舞台にしている。ここで出会うKYに似た人物は、他者比較の欲望と競争意識の化身である。彼が東京の一流スクールに通ったことを誇示するのは「外的権威への依拠」を象徴しており、それに対して自分は自らの成果を開示せず沈黙を選ぶ。この態度は自己の内的確信と他者からの承認欲求の間で揺れる心理を映している。同時に、彼の自慢話を「時間の無駄」と感じ、そこから離れる決断を下すのは、自分の道を進む主体的な意志の表現である。試験直前に「心を落ち着かせる」という行為は、外的比較を超えて内的安定を求める成熟した姿勢を象徴している。すなわち第三幕は、外的権威や比較を超え、自己の内的準備と静かな自信に立脚することの重要性を描いているのである。この三幕を貫く主題は、外的制度や他者のリズムに絡め取られながらも、最終的には自己の固有のリズム、自己の道筋を発見していく過程にある。第一幕は「不調和の自覚」、第二幕は「協働と可能性の模索」、第三幕は「内的確信への帰結」として連なり、夢の構造全体は1つの人生曲線を象徴的に描いていると言える。すなわちこの夢が人生において告げる意味とは、他者や制度の枠組みの中で自らを測るのではなく、協働の中で自己を試し、最終的には内的な確信に基づき自らの歩みを整えていくべきであるという指針なのである。これは、雪の橋を渡るか引き返すか迷いながらも、最後には静かな心で試験に臨む姿に凝縮されており、人生においては外的比較や慌ただしい競争ではなく、自分自身のリズムと確信こそが進路を照らす光であると夢は告げているのである。フローニンゲン:2025/9/1(月)11:34


17318. ブラックホールの特異点で起こっていることに関心を寄せて

                    

時刻は午後5時に近づいている。先ほどジムから帰ってきたが、今日もまた良い汗をかいた。今日の最高気温は21度と限定的だったが、朝に雨が降っていたこともあり、湿度が高く、そのために発汗が促進されていたのだと思う。こうしてジムで十分に体を動かして汗を流すことは、自分の生活リズムを整える意味でも非常に意義のあることだ。


ブラックホールの中心、すなわち「特異点」と呼ばれる地点で何が起こっているかは、現代物理学において最大の謎の1つである。一般相対性理論によれば、十分に質量が大きな星が重力崩壊すると、時空は無限に曲がり、密度も無限大となる点が形成されると予測される。これが「重力特異点」である。しかし、密度や時空の曲率が無限大という予測は、物理学的には理論の破綻を意味する。すなわち、現在の枠組みではそこを記述できないのであり、その先を解き明かすには「重力と量子力学を統合する理論」が不可欠である。以下に、考えられている主な仮説に触れたい。第一に、量子重力効果による「特異点回避」の仮説である。ループ量子重力理論などでは、時空そのものが離散的な構造を持つとされるため、無限大の密度に至る前に量子効果が強く働き、時空の「跳ね返り」が起こる可能性がある。この考え方では、ブラックホールの中心は単なる終着点ではなく、別の宇宙や新しい時空領域への入口となり得る。ビッグバンが「ホワイトホール的現象」であった可能性とも関連して議論されている。第二に、「情報保存」の観点からの仮説である。ブラックホール情報パラドックスは、ブラックホールに吸い込まれた情報が消滅するのか、それとも何らかの形で保存されるのかという問いを提起する。ホログラフィック原理によれば、ブラックホールに入った物質や情報は中心で消失するのではなく、事象の地平面の表面に二次元的に符号化されると考えられる。したがって、中心の「底」で情報が完全に消えるのではなく、重力と量子の相互作用によって別の形で保存されている可能性がある。第三に、超弦理論やブレーン宇宙論の観点からの仮説である。超弦理論では、ブラックホールの中心に現れる特異点は「ひも」や「ブレーン」のダイナミクスによって解消されるかもしれないと考えられている。例えば、ブラックホールは「Dブレーン」に対応する特定の状態であり、その内部構造は幾何学的特異点ではなく、弦の絡まり合いとして理解され得る。この見方では、中心で「何が起こっているか」は弦の量子的性質に置き換わり、無限大の密度という概念そのものが消滅する。第四に、「ファイアウォール仮説」である。これは2012年に登場した挑発的な考え方で、ブラックホールの事象の地平面に近づくと、膨大な量子エネルギーが集中し、落下する観測者は中心に到達する前に焼き尽くされるというものである。もしこれが正しければ、「中心の底」に至る以前に量子効果が支配し、そもそも特異点の内部を考える必要がなくなる。第五に、「量子星」あるいは「プランク星」という仮説もある。これはループ量子重力理論の延長で、ブラックホールの内部に極めて小さいながらも有限の大きさを持つ星のような構造が形成されるという考え方である。中心部では量子圧力が重力崩壊を食い止め、時空の完全な崩壊を防ぐ。したがって「無限大の特異点」ではなく、極小ながら安定した構造がブラックホール内部の「底」に存在する可能性がある。これらの仮説はいずれも未検証であり、観測的に直接確かめることはほとんど不可能に近い。それでも近年の重力波観測やホログラフィック原理の発展、さらには量子情報理論の応用が、ブラックホール内部の理解を少しずつ進展させている。総じて言えるのは、「ブラックホールの最も底の地点」についての問いは、単に宇宙の一部を理解するだけでなく、物理学そのものの根幹を問うものであるということである。相対性理論と量子力学の統一、時間と空間の本質、情報と実在の関係といった根源的なテーマがそこに集約されている。ブラックホールの中心が単なる「終わり」ではなく、新しい物理学の「始まり」を告げる場所である可能性が、現在の仮説群の示す方向性なのである。昨日ブライアン・グリーンの書籍を読みながらそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2025/9/1(月)16:47


Today’s Letter

Everything and everyone is a vibrant string. All of us are the music of dancing strings. Groningen, 09/01/2025

 
 
 

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