top of page

【フローニンゲンからの便り】17303-17308:2025年8月30日(金)


ree

⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。


タイトル一覧

17303

ゼミナールの第147回のクラスの予習(その1)

17304

ゼミナールの第147回のクラスの予習(その2)

17305

今朝方の夢

17306

今朝方の夢の振り返り

17307

IELTSのWriting Task 2の工夫

17308

映画『オッペンハイマー(2023)』を視聴しながら

17303. ゼミナールの第147回のクラスの予習(その1)  

   

時刻は間もなく午前7時を迎える。遠くの空に朝日がほのかに輝いている。今日の気温の上昇も限定的で、日中の最高気温は21度である。明後日からは9月となり、もう夏日がやってくることはないだろう。それを含めて、今年は昨年と同等かそれ以上に冷夏であった。

夢の振り返りの前に今日の第147回のゼミナールのクラスで扱う問いの予習をしておきたい。1つ目の問いは、「「発達的範囲(developmental range)」とは何かを説明し、その概念が発達理解においてどのような意味を持つかを説明せよ」というものである。発達的範囲とは、ある個人がある課題を遂行する際に示すスキル水準の幅を意味し、支援の有無や文脈条件の違いによって遂行が変動する領域である。すなわち、独力で遂行する場合の「機能的レベル(functional level)」、最良条件下で遂行する「最適レベル(optimal level)」、さらに支援を受けることで発揮される「足場掛けレベル(scaffolded level)」の差異として捉えられる。従来の理論が「1人の子どもは一定の段階に属する」という静的理解を前提にしていたのに対し、この概念は同じ個人でも文脈に応じて異なる水準のスキルを発揮するという事実を理論化したものである。したがって発達的範囲は、個人の潜在能力と成長可能性を明示し、教育や臨床において「いかなる支援があれば能力が拡張されるか」を理解する枠組みを与えるという点で、発達理解における核心的意義を持つのである。2つ目の問いは、「「構成的サイクル(constructive cycle)」と「位相転換(phase transition)」の関係を、発達のプロセスに即して説明せよ」というものだ。構成的サイクルとは、個人が既存のスキルを用いて新しい課題に挑戦し、その過程で不十分さに直面し、試行錯誤を経て、より高次のスキルへと統合していく一連の発達的過程を指す。これに対し位相転換は、そのサイクルの中で生じる質的跳躍であり、システムの組織構造が不安定化し、新たな秩序へと移行する瞬間を意味する。したがって両者は、連続的な試行錯誤(サイクル)と不連続的な飛躍(位相転換)という二重の動態を構成する関係にある。例えば、子どもが因果的説明を徐々に試みる中で混乱と失敗を繰り返し、ある時点で突然「原因と結果を原理的に統合した説明」を構築できるようになる場面は、構成的サイクルの中で位相転換が起こった事例である。ゆえに発達は、漸進的変化と質的跳躍が交錯する動的プロセスとして理解されるのである。3つ目の問いは、「スキル理論における「ストランド(strand)」と「ウェブ(web)」の比喩は、従来の段階理論の「はしご(ladder)」モデルとどのように異なるかを説明せよ」というものだ。段階理論の「はしご」モデルは、発達をあらかじめ決められた直線的順序に従って一段一段上昇する過程として理解するのに対し、スキル理論の「ストランド」と「ウェブ」の比喩は、発達を多次元的かつ文脈依存的なネットワーク構造として描き出す。ストランドは個別の領域や課題に沿った発達経路を表し、各ストランドは異なる速度や形状で成長することができる。ウェブはそれらのストランドが交錯し結合する全体像であり、個人の発達はこのウェブを協働的かつ文脈的に構築するプロセスとして理解される。したがって、ウェブモデルは発達における多様な経路・逆行・同調性・文脈的支援を理論的に包含し、単一の直線的順序しか許容しない「はしご」モデルとは根本的に異なる動的理解を提示するのである。ここまでが基礎標準的な問題であり、別途難問についても扱っていきたい。フローニンゲン:2025/8/30(土)07:05


17304. ゼミナールの第147回のクラスの予習(その2)

      

秋を感じさせる朝日、そして秋を感じさせる風。ここからゆっくりと秋が深まっていくのに合わせて、自らの取り組みを深めていこう。秋がやってくるたびに毎年そのようなことを考えているように思う。フローニンゲンで迎える10度目の秋。秋が終わり、冬を抜けた時に、きっと今よりも自らの取り組みを深めた自己がそこにあるだろう。


今日のクラスで扱う4つ目の問いは難問であり、ここからは難問が続く。問いは、「「変動性(variability)」は従来の発達理論では「誤差」や「例外」として扱われてきまが、ダイナミックスキル理論はなぜそれを発達理解の中心概念と位置づけるのか、理論的根拠と実証的事例を交えて説明せよ」というものだ。従来の段階理論や能力/遂行モデルにおいて、変動性は理論的秩序を乱す「ノイズ」として処理されてきた。しかし実際には、発達のあらゆる側面において変動性は恒常的に観察される。ダイナミックスキル理論は、この事実を認め、変動性をむしろ新しい構造が構築される兆候と見なす。理論的根拠としては、発達を固定的な「形式」として捉えるデカルト的枠組みを批判し、発達を行為と文脈の中で構築される動的秩序として再定義する構成主義的立場に基づいている。実証的事例としては、言語発達における「誤用のU字型曲線」や、保存課題の遂行が状況や支援によって大きく変化する事例などが挙げられる。これらは、変動が偶発的誤差ではなく、より高次のスキルへの移行期に生じる不安定性を反映していることを示す。ゆえにダイナミックスキル理論は、変動性を「説明すべき中心現象」として据えることで、発達における秩序と変化の双方を統合的に説明するのである。5つ目の問いは、「ダイナミックスキル理論において「発達範囲(developmental range)」と「構成的ウェブ(constructive web)」の概念は、それぞれ異なる視点から変動性を説明しているが、この2つを統合的に論じたとき、人間の発達を「普遍的秩序」と「個別的多様性」の双方から説明できる理論的強みはどこにあると考えるか」というものだ。発達範囲は、1人の個人が支援の有無や文脈によって発揮するスキル水準の幅を示し、変動性を個人内の次元から捉える概念である。他方、構成的ウェブは、複数のストランドが交差する発達経路の全体像を描き出し、変動性を領域間・文化間・社会的文脈の次元から理解するものである。両者を統合的に論じることで、フィッシャーの発達理論は「発達的秩序は存在する」という普遍性の側面と、「発達の経路は多様で文脈依存的である」という個別性の側面を同時に説明できる強みを持つ。すなわち、発達範囲が個人の潜在力と成長可能性を示し、構成的ウェブが文化的・社会的条件下での発達経路の多様性を示すことによって、ダイナミックスキル理論は「秩序と多様性」という一見矛盾する性質を統合する理論的独自性を持つのである。最後の問いは、「難問+α」の問題である。「「動的発達のウェブ」概念は、従来の段階理論や能力/遂行モデルが抱えていた「変動性(variability)」の説明不能性を克服する理論的装置として提示されているが、このウェブ概念を「構造としての形式(structure-as-form)パラダイム」批判と「構成主義的代替案(constructivist alternative)」の双方の文脈において位置づけ直したとき、それは単なる比喩を超えてどのように発達科学における「安定と変動の統合理論」への橋渡しを実現しているのか、段階的秩序・発達範囲・同調性・ストランド/ウェブのメタファーを含む理論的要素を用いて包括的に論ぜよ」というものだ。動的発達のウェブは、従来の「構造を静的形式として把握する」パラダイムを批判し、代わって「構造を行為と文脈の中で構築される動的秩序」として理解する構成主義的代替案の中核概念である。段階理論や能力/遂行モデルは、変動性を誤差として処理し、安定性の説明に偏重していた。しかし実際には、発達における秩序(例:段階的スパート、同調性)と変動(例:発達範囲の揺らぎ、課題間の不一致)は同時に観察される。ウェブ概念は、これを統合的に説明する装置である。すなわち、ストランドは特定領域の発達経路を示し、ウェブはそれらの相互連関を表す。そこでは、発達範囲が個人の文脈依存的変動を説明し、同調性が複数領域における秩序ある同期を説明する。さらに、段階的秩序は位相転換の形でウェブ内に出現し、秩序と不安定性の両方を示す。こうした要素を統合することで、ウェブ概念は単なる比喩を超え、発達を「秩序ある不安定性(ordered instability)」として記述する理論的枠組みを与える。これにより発達科学は、デカルト的総合の限界を超え、安定と変動を統合する動的構造主義へと移行する橋渡しを果たしているのである。フローニンゲン:2025/8/30(土)07:17


17305. 今朝方の夢  

   

今朝方は夢の中で渋谷の駅界隈を歩いていた。そこにはたくさんの進学塾があり、中でも目を引いたのは日本の難関大学の進学に向けた進学塾だけではなく、海外の名門大学の進学に向けた進学塾である。塾が入っている数階建てのビルの壁には、直近で行われた模擬試験の成績優秀者の名前が布の幕に形成されていた。自分が偶然目にしたのは、IELTSとTOEFLの成績上位者の名前と点数だった。生粋の帰国子女であれば自分の点数と同等かそれ以上の点数を取る高校生がいるが、どうやらその塾にはそのような生徒はいないようだった。しかし、道端を歩いていたヤンキー風の高校生の男子が、「〇〇の奴、コロンビア大学の模試でトップだったらしいぜ。すげえな」と述べていた。彼の話を耳にした時に、通常アメリカの大学に向けて模擬試験などないはずなので、どのような試験だったのだろうかと少し気になった。駅構内に入り、駅と直結したビルの中を散策していると、ある詩人の最新の詩集が発売されたらしく、その朗読会が行われている部屋に偶然入った。そこで少し朗読を聞いていると、用事を思い出したので部屋を出ることにした。自分はラーメンは好んで食べないのだが、ふと突然ラーメンを食べたくなり、そう言えば駅の中に有名な店があることを思い出してそこに行こうと思った。しかし、その日の特別メニューはもう時間的に完売だろうと思った。ダメもとでその店に行ってみて、仮にまだそのメニューが残っていればラッキーであるし、なくても別のメニューを頼もうと思った。ところが、時間的にも中途半端な時間だったので、夕食がちゃんと食べられなくなる恐れもあり、ラーメンを食べるのはやめにして自宅に戻ることにした。ちょうど自宅の方面に向かう品川行きの列車が上の階のプラットホームに止まっているのが見えたので、宙に浮いて飛んでいくことにした。列車はまだ出発しないようだったので、近くの自販機でチケットを購入しようとしたところ、価格が「213円」となんとも中途半端で、尚且つきっちりとその金額の現金で支払わなければならないとのことだった。2円ならなんとかあったが3円には足りず、困っていたところ、同じ問題を抱えていた気さくな女子高生に話し掛けられ、彼女と知恵を出し合ってなんとかお互いチケットを無事に購入することができた。


もう1つ覚えているのは、実際に通っていた中学校に似た教室で数学と化学の模擬試験の解説授業を聞いていた場面である。今回の問題は極めて難しく、自分でもショックを受けるほどの出来の悪さだった。しかし、よくよく問題を眺めると、それらは難関大学の過去の入試問題であり、中学3年生の自分が解くには極めて難しいものだった。特に化学は東大の理系の過去問であり、有機化学の分野が壊滅的で0点であるのも納得がいった。先生は親身に生徒たちに解説していたが、自分にとってはこの授業は無意味に感じられ、教室を抜け出すことにした。そしてそれだけではなく、中学校に通う意味も感じられなかったので、自分のペースで好きなことを好きなだけ探究するべく、中学校を中退しようと思った。フローニンゲン:2025/8/30(土)07:45


17306. 今朝方の夢の振り返り

                                  

今朝方の夢はまず、渋谷という都市の象徴的な舞台設定から始まっている。渋谷は日本において若者文化や進学競争の熱気が凝縮する空間であり、その中で進学塾や模試の幕が立ち並ぶ風景は、社会が人々に課す「序列」や「競争」の構造を示しているように思える。夢の中で特にIELTSやTOEFLといった国際的試験が強調されていたことは、単なる国内的な成功にとどまらず、グローバルな評価体系に自己を照らし合わせようとする無意識の衝動を表していると解釈できるだろう。ヤンキー風の高校生がコロンビア大学を口にする場面は、普段は学問と距離を置いていそうな人物が、逆説的に学歴の象徴的価値を認めている姿であり、社会のどこにいても「成功の幻想」が浸透していることを浮き彫りにしていると言えるであろう。次に、駅構内での詩集朗読の場面は、学力や競争の世界とは対照的に、言葉と感性の純粋な世界を提示している。朗読を耳にしたがすぐに立ち去るという行動は、日常の実利的な用事や現実的な選択に追われ、感性や芸術への没入を途中で手放してしまう心の癖を映しているように見える。その後に現れるラーメンのエピソードは、普段好まないものをふと欲したり、しかし結局理性的に見送るという二重の欲望と抑制の構造を示している。ここには、本能的欲求と合理的判断の間で揺れ動く人間の姿が現れており、まさに日常の些細な決断に潜む存在論的な緊張を体現しているかのようである。さらに、列車に飛んで向かう場面は、通常の移動を超えた「自由な精神的跳躍」を象徴している。宙に浮いて移動するという表現は、社会的秩序や物理的制約を超えた内的自由を示唆するものである。しかしその自由はすぐに「213円」というきわめて具体的で中途半端な制約に出会う。ここには、どれほど精神が解放されても、日常の具体的条件に還元されざるを得ないという現実の諸相が凝縮されている。しかも、その制約を解く契機が、偶然出会った女子高生との協働によってもたらされる点は重要である。つまり、自己の限界を突破するのは孤立した努力ではなく、他者との出会いと共創によるものであるという無意識の洞察が夢に現れているのである。もう1つの中学校での場面は、自己評価と成長に関する深い寓話である。極めて難解な問題を前にして挫折感を味わうが、それが実際には自分の段階にそぐわない課題であったことに気づく。これは、人生における「不適切な基準」によって自己を過小評価してしまう人間の傾向を象徴している。中学生が東大の有機化学に挑むような場面は、自分の成熟度を超えた基準に合わせて苦しむ構造そのものであり、そこから中退を決意するのは「制度的教育」や「他律的評価」から離れ、自己のリズムで探究を進めたいという主体性の芽生えを示していると解釈できるだろう。総じてこの夢の構造は、外部から与えられた評価体系と自己の内的衝動との緊張を描いている。渋谷の塾や模試は外的成功の象徴であり、詩やラーメンの欲求は内的感性や身体性の声を示し、列車に飛んでいく自由は精神の超越を象徴する。そして「213円」の制約と女子高生との協働は、超越と現実との媒介に他者が不可欠であることを語っている。最後の中学校での挫折と離脱の決意は、結局「自己の基準を生きること」への帰結である。したがってこの夢が人生において象徴しているのは、社会の評価体系や制度に巻き込まれるのではなく、自らの内的リズムと真の欲求に即した探究の道を歩むことこそが意味ある生の核心であるということである。つまり、他者との協働を通じて現実の制約を乗り越えつつ、外的基準ではなく自己の基準で学びと成長を続けること、それがこの夢の示す人生の方向性であると言えそうだ。フローニンゲン:2025/8/30(土)07:58


17307. IELTSのWriting Task 2の工夫

  

今日も午前中にIELTSの対策に従事した。IELTSのWriting Task 2においてトピックに関するアイデアを生み出し、それを十分に展開するためには、まず「発想の土台をどう作るか」と「展開をどう構築するか」を明確に区別して考えることが肝要である。試験本番では限られた時間の中で論理的かつ説得力のあるエッセイを書かなければならないため、事前の練習において「どのようにすれば短時間で質の高いアイデアを思いつき、それを段落として肉付けできるか」を意識的に訓練しておく必要がある。まず、アイデアを生み出す際の最初のステップは「問題文の精読」である。与えられた問いの中には、必ず「トピック」「対象」「論点」という3つの要素が含まれている。例えば、「Some people think university education should be free」という問いであれば、トピックは「大学教育」、対象は「学生あるいは社会」、論点は「無償化すべきか否か」である。この3つを意識的に切り分けることにより、自分の思考を整理しやすくなる。次に必要なのは「両立場の検討」である。自分が最終的にどちらの立場で書くかを決めるにしても、あえて反対側の意見も考えてみることで視野が広がり、説得力のある議論が可能になる。さらに、アイデアを広げる枠組みとして「メリットとデメリット」「短期的影響と長期的影響」「個人の側面と社会の側面」を意識すると発想が出やすい。例えば大学教育の無償化に関しては、個人レベルでは学習機会の平等につながるという利点があり、社会レベルでは人的資本の向上につながる一方で、政府の財政負担が重くなるという欠点もある。アイデアを思いついた後は、それを「自分の経験や身近な観察」と「社会的事例」とに結びつけることが大切である。単なる一般論では説得力が弱いが、具体的な事例が加わることで論理に厚みが生まれる。例えば「授業料が高く進学を諦めた学生」という身近な例と、「北欧では大学教育が無償であり、社会的格差の縮小に寄与している」という社会的事例を併せて示せば、段落全体が豊かになる。このように、抽象的な議論を具体的な事例に接続する習慣を持つことが、アイデアの展開力を高める鍵である。次に、ボディパラグラフでの展開方法について考えてみたい。最も基本的かつ強力な型は「主張→説明→例→ミニ結論」という四段構成である。段落冒頭でトピックセンテンスとして主張を明確に述べ、その理由を論理的に説明し、さらに実例を挙げ、最後に簡単にまとめるという流れである。この流れを守ると、読者は論旨を追いやすくなり、論理的整合性が強調される。例えば「大学教育を無償化すべきだ」という段落であれば、まず「学費無償化は教育の平等性を高める」と述べ、それを「高額な学費は低所得層の進学を阻むため、無償化によってすべての人に機会が与えられる」と説明し、続けて「例えば北欧諸国では無償化政策が高い社会的流動性を実現している」と事例を挙げ、最後に「したがって教育の無償化は社会的公平を促進する」と結論づける。このように「論理の道筋」が一目でわかる文章構成が、IELTSの評価基準における「Coherence and Cohesion(論理の一貫性と結束)」を高めるのである。注意すべき点として、まず「1段落=1アイデア」の原則を守る必要がある。1つの段落に複数の論点を盛り込むと焦点がぼやけ、結果として議論が浅く見えてしまう。むしろ、1つのアイデアを徹底的に掘り下げる方が評価は高い。次に、抽象的な議論で終わらせず、必ず「なぜ?」を2度は問うことが求められる。例えば「教育の無償化は社会に良い」というだけでは弱いが、「なぜなら格差を縮小するからであり、なぜ格差縮小が重要かといえば、経済の持続可能性を高めるからだ」と掘り下げれば説得力が増す。さらに、例を使う際は極端すぎず、一般的に納得しやすい範囲の事例を選ぶことも大切である。また、時間配分も重要である。アイデア出しは冒頭の5分程度にとどめ、残りの時間を段落展開と推敲に充てるべきである。限られた試験時間においては、質より量を優先するよりも「少数の強いアイデアを深掘りする」戦略の方が有効である。そして、序論で提示した立場と結論が矛盾しないように全体の論旨を統一することも忘れてはならない。総じて言えば、IELTSのWriting Task 2において高得点を取るためには、問題文を分解し両立場からアイデアを広げる、具体的事例と結びつける、段落ごとに「主張→説明→例→ミニ結論」の構造を徹底する、一段落一アイデアを守り因果関係や対比で論理を深める、抽象論で終わらせず掘り下げる、時間配分と論旨の一貫性に注意する、という6つのポイントを押さえることが不可欠である。これらを意識的に実践することにより、論理的で説得力のある文章が書けるようになり、結果としてIELTSのライティングスコアを着実に引き上げることができるだろう。フローニンゲン:2025/8/30(土)11:53


17308. 映画『オッペンハイマー(2023)』を視聴しながら 

   

できないことを楽しむこと。理解できないことを楽しむこと。できないことが少しずつできるようになっていくことと、わからなかったことが少しずつわかってくることを楽しむこと。そのことを自分はカート・フィッシャーのダイナミックスキル理論から学ばされたのだと思う。


今日からNetflixを通じて、遅ればせながら映画『オッペンハイマー(2023)』を視聴し始めた。この作品を見ようと思ったきっかけは、日本の歴史と鑑みて8月という月の重要性もあっただろうし、自分自身が量子論の探究をし始めたことも影響を与えていただろう。ドイツからアメリカに量子論を紹介したロバート・オッペンハイマーについて映画作品を通じて理解を深めたいという思いがあった。オッペンハイマーは1930年代にアメリカ共産党員やその支持者との交流を持ち、実際に彼自身が正式な党員であったか否かについては議論があるが、少なくとも当時の左翼思想、とりわけマルクス主義的関心に強く影響を受けていたことは確かである。彼はスペイン内戦期に人民戦線を支持し、社会的正義や不平等の問題に深い関心を抱いていた。こうした思想的背景は、彼の物理学研究に直接的な理論的影響を与えたとは言い難いかもしれない。すなわち、量子力学や原子核物理学における彼の研究成果は、マルクス主義的唯物論から導かれたものではない。しかし、彼の思想は「科学の社会的責任」という形で物理学研究への姿勢を規定した。原子爆弾開発の総責任者としてマンハッタン計画を率いたのち、彼は核兵器の拡散や冷戦下の軍拡競争に深い懸念を抱き、政治的発言を行うようになった。ここにはマルクス主義的な歴史観からの「人類全体の行く末」を見据える姿勢が影を落としていると言えそうである。つまり、彼のマルクス的思想は研究内容にではなく、研究成果の倫理的評価や社会的帰結の意識化に影響を与えたと考えられるのである。一方、デイヴィッド・ボームはオッペンハイマー以上に明確にマルクス主義に傾倒し、実際に共産党員であったことが知られている。そのためにアメリカでの研究活動に制約を受け、マッカーシー時代の反共キャンペーンによって国外に追われることになった。しかし、ボームの思想的背景は単なる政治的立場にとどまらず、彼の物理学的発想そのものに影響を与えた点で特筆に値する。ボームは量子力学の標準的解釈(コペンハーゲン解釈)に批判的であり、量子ポテンシャルを導入した「隠れた変数理論」を構築した。これは世界を確率的に切断された断片としてではなく、根源的に全体性を持った秩序として捉えようとする試みであった。彼の「内在秩序」という概念は、表面に現れる現象が背後にあるより深い全体的秩序の展開であるとする視座であり、この「全体性」への志向はマルクス主義的弁証法、すなわち部分を全体の運動の中で理解しようとする思考法と親和性を持つ。マルクス主義が社会現象を相互関係と歴史的運動の中で捉えたように、ボームは物理現象を断片的確率の総和ではなく、包括的でダイナミックな過程として理解しようとしたのである。したがって、オッペンハイマーの場合、マルクス的思想は物理学そのものの理論構築に影響を与えたというよりも、科学者としての倫理的自覚や社会的責任意識に結びつき、戦後の核政策への発言や科学と政治の関係をめぐる姿勢に反映された。他方、ボームの場合は、マルクス主義的な全体論的・弁証法的視点が量子力学解釈の中核に影響し、標準理論に対するオルタナティブを模索する思想的動機となった。言い換えれば、オッペンハイマーのマルクス主義は「科学の社会的帰結」への態度に影響を及ぼし、ボームのマルクス主義は「物理学的理論構築の枠組み」そのものに作用したのである。こうして両者の事例を比較すると、マルクス的思想が科学に影響する仕方は一様ではなく、倫理的・社会的側面に現れる場合と、理論的・哲学的側面に深く組み込まれる場合があることが明らかになるのである。フローニンゲン:2025/8/30(土)18:31


Today’s Letter

Surrendering all effort helps reduce the burdens on my shoulders. It is key to living with freedom and authenticity. Groningen, 08/30/2025

 
 
 

コメント


bottom of page