【フローニンゲンからの便り】17293-17296:2025年8月28日(水)
- yoheikatowwp
- 8月30日
- 読了時間: 12分

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タイトル一覧
17293 | 夏の終わり/宇宙の寿命 |
17294 | 今朝方の夢 |
17295 | 今朝方の夢の振り返り |
17296 | ホログラフィック宇宙論について |
17293. 夏の終わり/宇宙の寿命
時刻は午前6時半を迎えた。今、ゆっくりと夜が明けようとしている。もう夏は完全に終わった感じがする。それは気温を見ていてもそうであるし、日の出と日の入りの時間を見ていてもそれを感じる。何よりも太陽の光の質感や風の心地良さが秋のそれなのだ。
昨日ふと、宇宙に寿命があるのかを考えていた。そう問うなら、答えは「定義次第である」が最も正確なのかもしれない。生物の死のような瞬間的終焉を指すなら確定できないが、熱力学と宇宙膨張の帰結として「構造も活動もやがて失われ、時間の極限で静的に近い状態へ漸近する」という意味の寿命は十分に語りうる。鍵は2つあり、エネルギーの散逸(エントロピー増大)と宇宙の幾何・成分(暗黒エネルギーを含む)である。現代宇宙論の標準像では、宇宙は加速膨張している。これは重力に反して斥力の働きを示す「暗黒エネルギー」の効果と解され、空間は時間とともに伸び、遠方の銀河は次第に互いの地平線の外へ消えていく。もしこの加速がほぼ一定のまま続くなら、宇宙の最もあり得そうな終局は「熱的死(ビッグフリーズ)」である。遠い未来、星形成は燃料枯渇で止み(およそ10¹⁴年規模)、残った恒星は白色矮星や中性子星・ブラックホールへ移行する。さらに長い時間が経てば、白色矮星は冷え切り「黒色矮星」となり、もし陽子が崩壊するなら物質はゆっくりと解体される。最後に最大の貯蔵庫であるブラックホールもホーキング放射で蒸発し(超巨大ブラックホールでも10¹⁰⁰年級)、宇宙は低エネルギーの光子や希薄な軽粒子がまばらに漂う、ほとんど出来事のない状態へと近づく。これは「寿命後の宇宙」が冷たく暗く、ダイナミクスを失った平衡に漸近するという像である。ただし終末像は1つではない。暗黒エネルギーの性質がもし現在の想定より「強い」(状態方程式が −1 より小さい)なら、加速は暴走し、有限時間内に宇宙の尺度が発散する「ビッグリップ」が起こりうる。この場合、銀河団が解体され、銀河が引き裂かれ、最終段階では原子や原子核レベルの結合すら破壊され、まさに「瞬間的な死」に近い終焉を迎える。逆に、宇宙の総エネルギー密度や暗黒エネルギーの性質が将来変化し、膨張が減速・停止・反転するなら「ビッグクランチ」、すなわち全宇宙の再崩壊があり得る。その極限では温度と密度が再び極大になり、理論によっては「バウンス(反跳)」して新たな膨張サイクルに移る循環宇宙の可能性も議論されている。さらに別系統のシナリオとして「真空崩壊」がある。もし現在の宇宙の真空が量子論的に準安定(偽の真空)であれば、ある時点でより低エネルギーの真空がトンネル効果で核生成し、光速に近い速度で泡として広がる。その泡の内部では物理法則や定数が変わり、既存の構造は存続できない。これは予兆のない「突然の終わり」であり、確率論的事象としての寿命を与えるが、起こるかどうかは未解決である。いずれの道筋でも、共通する骨格はエントロピーの増大である。星の核融合は自由エネルギーの落差があるからこそ進むが、その落差は宇宙全体では減り続け、仕事を生む駆動力は枯渇していく。熱的死シナリオでは、時間は無限に続いても「すること」がなくなるという意味で寿命が尽きる。ビッグリップや真空崩壊では、時間的にも構造的にも「打ち切り」が訪れる。ビッグクランチ/バウンスでは終わりが新たな始まりに連なるが、私たちの宇宙としての物語は一旦閉じる。結局のところ、宇宙の寿命を決める決定因子は暗黒エネルギーの正体と、物質の究極安定性(陽子崩壊の有無、真空の安定性)である。現時点の観測は、緩やかな加速膨張とほぼ平坦な幾何を支持し、熱的死が最有力に見える。寿命後の宇宙は、事件のほぼない希薄な海へと薄まり、やがて量子ゆらぎだけが支配する静寂へと溶けていく――それが、私たちの宇宙に与えられた「老い」の最も現実的なイメージなのかもしれない。フローニンゲン:2025/8/28(木)06:44
17294. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、エジプトのピラミッドを遠くに眺めながら一枚の巨大な絵画を眺めていた。ピラミッドの脇を流れる川の煌めきを背景に、人間の生命の誕生プロセスが宇宙の始まりから描かれている圧巻の作品に目が釘付けだった。その絵をぼんやりと眺めていると、空間が溶け出して、気がつけば見慣れない大型書店の1階にいた。どうやら自分は書店の扉を自分で開けたようで、中に入ると店の女性のスタッフ2人が「いらっしゃいませ」と静かな声で述べた。私は1階のそれぞれの棚を眺めていき、そこで1冊ほど気になる詩集があったので手に取った。詩集のページをめくっていると、近くにやって来たビジネスパーソンと思われる若い男性がその棚のベストセラーのビジネス書に手を伸ばしてそれを手に取って読み始めた。そして彼はそれを棚に戻して、今度は近くにあった売れ筋の絵本を読み始めた。人の数だけ関心があり、無数の書籍の中から何を選ぶかは自分の心次第であり、選ばれた書籍と自分の心は何かの観点で引き合っており、そこに不思議な縁があることを感じた。
もう1つ覚えているのは、かなりの年齢に達しているが今なおサッカー選手として活躍するある選手の姿を追っている場面である。その選手は現在日本のプロリーグの下部リーグのチームに所属していて、年齢が一回りや二回りも違う若い選手と切磋琢磨していた。その日の練習の最後に監督から、契約は今季で終わりであると告げられ、その選手は少しショックを受けているようであったが、即座に考えを切り替えて、もう一度チャンスがもらえないかを監督に交渉し始めた。その時に若手のサイドバックの有力選手と一対一をして、彼を何度も抜いたらチームに残らせて欲しいと監督に申し出たのである。練習後、監督はその若手に声をかけたところ、その若手は面倒臭そうにしていた。そしてその先輩の選手を挑発するようなことを述べた。いざ一対一が始まると、その選手はその若手を抜くことが全くできなかった。その若手の選手曰く、その選手が得意としているのは裏への飛び出しであり、ドリブル突破ではなく、その選手のドリブルは簡単に読めて止めることができるとのことだった。結局その選手は来季からの契約を勝ち取ることができず、クラブハウスを後にした。その選手が運転する帰りの車内の中で、ある外国人監督からうちに来ないかという誘いがあったが、それはコーチとしてのようで、そのオファーを断り、生涯現役であることを貫きたいという意思がその選手の中に強くあることを再確認した。高速を走る車の車内はそこから静かになった。フローニンゲン:2025/8/28(木)07:02
17295. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢のピラミッドと川を遠景に巨大な絵画を眺める導入は、永遠性(石の幾何学)と生成変化(水のきらめき)という二極を同時に見晴るかす位置への着座であるように思える。宇宙の始まりから人間の誕生へと至る描線は、個の生が宇宙誌の末端ではなく、その継続であることを告げる視座の獲得である。やがて空間が溶けて書店の一階へ移る転換は、観照の次に選択へ降下する運動であり、高所の形而上から地表の実践へと重心を下ろすイニシエーションである。自ら扉を開いたという感覚は、外圧ではなく能動によって次の場面を召喚した自己の成熟を示す。「いらっしゃいませ」という静かな二声は、内なるアニマ的ガイドの二相—受容と区別—の出迎えであり、棚を渡り歩く視線は、無数の可能性空間から志向の磁場を探る触角である。詩集に手が伸びたことは、情報よりも凝縮された本質、効用よりも韻律へ耳を澄ます魂の姿勢の顕れである。そこへ若いビジネスパーソンが現れ、ベストセラーの実用から絵本へと揺り戻す光景は、人間の関心が成果と遊び、戦略と無垢の間で呼吸するリズムを映す鏡像である。選書の「縁」を直観した感覚は、自己と対象が互いに呼び合う共鳴—縁起—の自覚であり、自分の選択は世界からも同時に選び返されているという、関係存在としての自己理解の芽生えである。後半の老練のサッカー選手の場面は、アイデンティティの運動エネルギーを検査する夢的スタジアムである。下部リーグでなお研鑽する姿は、外的地位の低下と内的火の強度の反照であり、契約終了の宣告は時間の審判が鳴らす現実のホイッスルである。彼が直ちに一対一のドリブル勝負を申し出るのは、評価を力ずくで取り戻そうとする自我の即応であるが、若手の言葉が突きつけた本質は、彼の真の強みが「裏への飛び出し」—すなわち空白を読み、未来のスペースに先行して走る能力—にあるという指摘である。にもかかわらずドリブルという自己完結的技巧で証明しようとしたとき、彼は自分の固有ベクトルから外れ、敗北を受け取ることになった。コーチ就任の誘いを退けた決断は「生涯現役」の誓いとして崇高である一方、形を変えて現役性を継続する道—プレーの知を他者に循環させる現役—をも拒む硬度を示す。高速道路の静寂は、喪失と再編の間に挟まれた移行回廊であり、次の選択を熟成する暗い安静である。両場面を貫く軸は、「強みの位相」と「選択の共鳴」であると言えそうだ。宇宙誌の絵から書店へ降り、詩集を選ぶ自分は、言葉の密度と意味のリズムに導かれる資質を認めつつある。他方、選手は自らの強みを別様の様式で証明しようとして躓いた。ここに、才能は様式を選ぶときにのみ本領を発揮し、様式を誤れば同じ才能が足枷になるという逆説が露呈している。つまり、自己が世界を選ぶとき、世界もまた自己の様式を選別しているのである。ピラミッドと川の二像は、不変の核と流動の方法を調停せよという紋章であり、書店の一階は現実の地平で詩的様式を実装せよという課題である。老選手の逸話は、評価の競技場に赴く前に、自分が走り込むべき「空白」を正確に読むこと、そして現役性を「形態の持続」ではなく「意図の連続」として更新せよという寓意である。この夢が示す人生における意味は、縁に呼ばれる対象を詩的直観で選び取り、自らの強みが最も響く様式を選択し直し、形を変えても意図を絶やさぬ仕方で現役を更新せよ—すなわち、不変の核を携えたまま流れの先の空白へ走り込み、世界と相互に選び合う生を生きよ、という指針であるように受け取れる。フローニンゲン:2025/8/28(木)07:23
17296. ホログラフィック宇宙論について
先ほどまで雷を伴う雨が降っていたが、雨はすっかり止んで、静かな夕方の世界に小鳥の囀りが響き渡っている。ジムから帰る時は雨がまだ降っていたが、今はこうして平穏な雰囲気を楽しんでいる。今日のジムでのパーソナルトレーニングはかなりハードな内容で、自分が望んでいるレベルの負荷量だった。気温はもう20度前半になっているが、トレーニング内容がかなりハードだったこともあり、随分と汗をかいた。トレーニング中は集中しながらも、インターバルはトレーナーのエリーザと会話を楽しむのが日課になっている。今日はいくつか面白いオランダ語を彼女から学び、そうした意味でも充実したトレーニングであった。
ホログラフィック宇宙論とは、宇宙の物理法則や情報の本質を「ホログラム」という比喩を通じて理解しようとする理論である。ホログラムとは、二次元の板に干渉縞として情報を記録することで、三次元の立体像を再生できる技術である。つまり「二次元の表面に三次元の全情報が埋め込まれている」という仕組みだ。ホログラフィック宇宙論もこれに似ていて、「宇宙の内部で起こっている三次元的現象は、宇宙の境界に書き込まれた二次元的な情報で完全に表現できるのではないか」という大胆な仮説を提示する。この考え方を直感的に理解するには、まず「ブラックホールの情報パラドックス」に触れる必要がある。ブラックホールに物質を投げ込むと、その情報はどこに行ってしまうのか?古典的にはブラックホールは「すべてを呑み込む無の穴」であり、内部の情報は失われると考えられていた。しかし量子論と相対論を両立させる視点からは、情報は消えないはずだ。ここで重要な発見となったのが「ブラックホールのエントロピーはその体積ではなく表面積に比例する」という事実である。つまり、ブラックホールが保持できる情報量は「内部の大きさ」ではなく「境界の広さ」で決まる。これは、三次元の現象が二次元の面にコード化されているという直感を強烈に裏付けるものであった。この洞察を宇宙全体に拡張したものが「ホログラフィック原理」であり、これを基盤に構築されたのがホログラフィック宇宙論である。イメージとしては、私たちが日常的に体験している三次元の広がりや時間の流れが、実は宇宙の「境界スクリーン」に描き込まれた二次元的データの投影なのだと考えることができる。まるで、プラネタリウムのドームに映し出された映像が観客にとっては立体的な宇宙空間に見えるように、私たちが経験している三次元宇宙も境界情報の映像的再生なのかもしれない。別の比喩を用いれば、コンピュータゲームの仕組みに似ている。プレイヤーは三次元的な空間を移動していると感じるが、その背後では二次元のディスプレイとコード化された情報が世界を支配している。三次元世界のすべては、画面上のピクセルとアルゴリズムに還元可能である。同様に、宇宙の「実体的広がり」も、境界に記録された情報の演算から再構成されたものかもしれない。さらに直感を補うなら、映画館のスクリーンを思い出してみると良い。白い布の上に映写された二次元映像は、観客にとって奥行きを持つ物語世界として感じられる。ホログラフィック宇宙論は、私たちが現実と思っている宇宙もまた「宇宙の境界に映写された物語」であり、奥行きや立体感は投影の効果なのだと主張するのである。理論物理学的には、この考え方は「AdS/CFT対応(反ド・ジッター空間/共形場理論の対応)」として具体化された。これは、ある種の重力を含む理論(反ド・ジッター空間の重力理論)と、境界に定義される量子場の理論(共形場理論)が数学的に等価である、という驚くべき関係である。重力を含む宇宙の内部現象が、境界の場の理論に完全に写像されるというこの対応は、ホログラフィック宇宙論の最も強力な数理的根拠となった。もちろん、この理論はまだ確立された事実ではなく、宇宙全体に適用できるかは未解決である。しかし、ブラックホールの情報問題を解決するための有力な視座であることは確かであり、さらに量子重力理論を探求する道筋の1つとして注目されている。結論として、ホログラフィック宇宙論をイメージで捉えるなら、私たちの宇宙は「巨大なホログラム」であり、見かけ上の三次元は、境界に埋め込まれた二次元データの投影にすぎないということになる。草原に立つ私たちが空を見上げるとき、その広大な空間そのものが「宇宙という大きなスクリーン」に描かれた映像かもしれない。こうした視点は、物理学の根底にある「現実とは何か」という問いを新たな角度から照らし出しているのである。フローニンゲン:2025/8/28(木)16:48
Today’s Letter
All of us have a life expectancy. So does the universe. I feel awe at such equality. Groningen, 08/28/2025

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